平家物語 十（第五末）
Ｐ３１９３（一オ）
一 重衡卿大路ヲ被渡一サ事 二 重衡卿賜院宣一西国ヘ使ヲ被下一事
三 宗盛院宣ノ請文申ス事 四 重衡卿内裏ヨリ迎女房一事
五 重衡卿法然上人ニ相奉事 六 重衡卿ヲ実平ガ許ヨリ義経ノ許ヘ渡ス事
七 公家ヨリ関東ヘ条々被仰一事 八 重衡卿関東ヘ下給事
九 重衡卿千手前ト酒盛事 十 惟盛卿高野詣事
十一 惟盛高野巡礼之事 十二 観賢僧正勅使ニ立給シ事
十三 時頼入道々念由来事付永観律師事 十四 惟盛出家シ給事
十五 惟盛粉河へ詣給事 十六 惟盛熊野詣事付湯浅宗光ガ惟盛ニ相奉ル事
十七 熊野権現霊威無双事 十八 那智籠ノ山臥惟盛ヲ見知奉事
十九 惟盛身投給事 廿 重衡卿鎌倉ニ移給事
Ｐ３１９４（一ウ）
廿一 兵衛佐四位ノ上下シ給事 廿二 宗徳院ヲ神ト崇奉ル事
廿三 池大納言関東ヘ下給事 廿四 池大納言鎌倉ニ付給事
廿五 池大納言帰洛之事 廿六 平家々人ト池大納言ト合戦スル事
廿七 惟盛ノ北方歎給事 廿八 平家屋嶋ニテ歎居ル事
廿九 新帝御即位事 三十 義経範頼官成ル事
三十一 参河守平家ノ討手ニ向事付備前小嶋合戦事 三十二 平家屋嶋ニ落留ル事
三十三 御禊ノ行幸之事 三十四 大嘗会被遂行事
三十五 兵衛佐院ヘ条々申上給事
Ｐ３１９５（二オ）
平家物語第五末
一〔重衡卿大路ヲ被レ渡サ事〕 二月十四日、本三位中将重衡ヲバ六条ヲ東ヘ被渡一サケリ。上下万
人是ヲ見テ、「何ナル罪ノ報ゾヤ。哀レ、此人ハ入道殿ニモ二位殿ニモオボエノ
子ニテオワセシカバ、一家ノ君達モ重キ人ニ思奉リシ物ヲ。院ヘモ内ヘモ
参リ給ヌレバ、老タルモ若キモ、トコロヲオキ詞ヲ係奉リキ。口ヲカシキ事
ナド云置キ給テ、人ニモ忍バレ給シ物ヲ。南都ヲ滅シ給ヌル罪ノ報ニヤ」トゾ申
シアヘリケル。サテ河原マデ渡シテ、蔵人右衛門権佐定
長、法皇ノ仰ヲ奉テ、故中御門ノ中納言家成卿ノ八条堀川ノ堂ニテ
重衡卿ヲ被召問一。土肥二郎実平、木蘭地ノ直垂ニ下腹巻ヲ着テ、
郎等三十人許ニ鎧キセテ来レリ。三位中将ハ紺村濃ノ直垂ニ練緯ノ二小
Ｐ３１９６（二ウ）
袖着給ヘバ、蔵人右衛門権佐ハ赤衣ニ笏持タリ。「昔ハカクハ覚ヘザリシ物ヲ。冥途
ニテ冥官ニアヘル罪人ノ心地モカクヤ有ラム」ト、オソロシクゾ被思一ケル。院宣ノ
趣条々仰含ム。「所詮一ル、内侍所ヲ都ヘ返入奉ラバ、西国ヘ帰シ遣ン」トゾ
有ケル。重衡卿ノ被申一ケルハ、「今ハカヽル身ニ罷成テ候ヘバ、親キ者共ニ
面ヲ合ベシトモ覚候ワズ。又今一度見ント思者モ候マジ。若シ母ノ二位ナンドヤ
無慚トモ思候ワム。其外ノ者ハ情ヲ係べキ者有ベシトモ覚候ワズ。三種ノ
宝物ハ神代ヨリ伝ハリテ、人皇ノ今ニ至ル〔マ〕デモ、シバラクモ帝王ノ御身ヲハナ
タルヽ事候ワズ。先帝ト共ニ都ヘ入セ給ハヾ尤可然一候ベシ。サ候ワザラムニハ
内侍所計ヲ入レ奉ル事ハ有ベシトモ覚候ワズ。サリナガラモ被仰下一
旨カタジケナケレバ、私ノ使ニテ申試候ベシ」トテ、前左衛門尉平重
Ｐ３１９７（三オ）
国ヲ下遣スベキ由ヲ被申一。此重国ハ平左衛門トテ、重衡重代相伝ノ
家人ナリ。平家ノ人々ハ何レモト云ナガラ、此三位中将ハ殊ニ誇リ勇ル人
ナリシニ、ナノメナラズ心ウゲニ思テ目モ見アゲズ。只涙ヲノミ流シテ、御返
事モエシヤラズ。蔵人ノ佐モ石木ナラネバ、赤衣ノ袖ヲゾヌラシケル。
二〔重衡卿賜院宣西国ヘ使ヲ被下事〕 十五日、重衡卿ノ使、左衛門尉重国、院宣ヲ帯テ西国ヘ下ル。彼
院宣云、
「一－人ノ聖－帝、出（ニ）デ、北－闕九－禁之台一ヲ而遷（二）－幸シ九州一ニ、三種ノ神祇、浮（二）テ南－海
西－海之濤一ニ而経（二）数年一ヲ事、尤朝家之御歎、又亡国之基ヰ也。彼ノ重
衡卿者、焼（二）－失セシ東大寺一ヲ之逆－臣也。任（二）テ頼朝申請ル之旨一ニ、雖（レ）須（レ）ク被レ
行（二）ハ死罪一ニ、独リ別（ニ）テ親類一ヲ、已ニ為（二）リ生虜一、恋（二）ル籠鳥雲一ヲ之思ヒ、遙ニ浮（二）ビ
Ｐ３１９８（三ウ）
于千里ノ之南海一ニ、失（二）フ帰雁ノ友一ヲ之情、定テ通（二）ゼシ于九重之中運一ニ歟。然則
至（レ）テ奉（レ）ンニ帰（二）シ入レ三種之神器一ヲ者、可レ被（レ）寛（ニ）宥セ彼ノ卿一ヲ者也者レバ、院宣如
斯一。仍執達如（レ）件。
元暦元年二月十四日大膳大夫大江業忠 奉
平大納言殿ヘ」トゾ被書タリケル。三位中将モ内大臣并ニ平大納言ノ
許ヘ院宣ノ趣申給フ。二位殿ヘハ御文細々ト書テ奉リ給ヘリ。「今一度
御覧ゼムト思食サバ、内侍所ノ御事ヲ大臣殿ヘ能々申サセ給候へ。
サナクテハ、此世ニテ見参ニ入ルベシトモ覚候ワズ」ナムドゾ有ケル。北方ノ
大納言典侍殿ヘモ御文奉リタク被思ケレドモ、私文ヲバユルサレ
ザリケレバ、詞ニテ、「此六日ヲ必ズ限トモ思候ワズ。申承シ事ノハカナサ、憑シキ
Ｐ３１９９（四オ）
人モナクテ、イツトナク旅ノ空ニ明シ晩シ給コソ心苦ケレ。心ノ中モ身ノ有様モ
只押量リ給ヘ」ト宣モアヘズ、涙ニ咽ビ給ヘバ、重国モ涙ヲ流シケリ。預テ守護シ
ケル武士モ袖ヲゾヌラシケル。十六日ニ猶重衡ヲ被召問一ル。重国屋嶋ヘ
下着テ院宣奉リ、并重衡卿ノ宣ケル様ニ前内大臣ニ申ケレバ、時
忠卿ヲ初トシテ一門ノ月卿雲客寄合テ、勅答ノ趣ヲ僉議セラル。
重国、三位中将ノ御文ヲ二位殿ニ奉タリケレバ、二位殿見給テサメ＜”ト
泣レテ、文ヲ顔ニ押当テ、人々ノ並ビ居ラレタル所ノ障子ヲアケテ、内大臣ノ前ニ
タウレ臥テ、泣々宣ケルハ、「三位ノ中将ガ京ヨリ云ヲコセタル事ノ無慚サヨ。ゲニモ
心ノ中ニイカバカリノコトヲカ思居タルラム。只我ニ思ユルシテ内侍所ヲ都ヘ返
入奉給ヘ」ト宣ケレバ、人々浅猿ト思ヒアワレタリ。内大臣宣ケルハ、「誠ニ宗
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盛モサコソハ存候ヘドモ、サスガ世ノキヽモ云甲斐ナク、且ハ頼朝ガ思ワム事モハ
ヅカシク候へバ、無左右一内侍所ヲ返入進セム事叶マジ。帝王ノ世ヲタモタセ給
事ハ内侍所ノ御故也。子ノ悲キモ様ニコソヨリ候ヘ。中将一人ニ、余ノ子共、親キ人々ヲバ、
サテ思食替サセ給カ」ト宣ケレバ、二位殿又宣ケルハ、「故入道ニ後レテ、片時
命生テ有ベシトモ思ハザリシカドモ、主上カクイツトナク旅立セ給タル心苦サト、
又君達ヲモ世ニアラセバヤト思志ノ深サニコソ、今マデナガラヘテモ有ツレ。
中将一谷ニテ生取ニセラレヌト聞シヨリ、肝神モ身ニソワズ。イカカニシ
テ此世ニテ今一度相見ルベカルラムト思ヘドモ、夢ニダニモ見ヘネバ、イトヾ
胸セキアゲテ、湯水ヲモ喉へ入ラレズ。此文ヲ見テ後ハ弥思遣ル
方モナシ。中将世ニナキ事ト聞バ、我モ同道ニ消ナムズレバ、再物ヲ
Ｐ３２０１（五オ）
思ワヌ先ニ、只我ヲ先ニ失ヒ給ヘ」ト、ヲメキ叫バレケレバ、ゲニモサコソ思給
ラメト哀ニ覚ヘテ、人々モ涙ヲ流シテ、各フシ目ニナラレケレバ、涙ヲヲサ
ヘテ立給ヌ。サテ重国ヲ召テ、時忠卿院宣ノ御請文ヲタブ。二位殿ハ泣々
中将ノ返事書給ケルガ、涙ニクレテ筆ノ立所オボヘ給ハネドモ、志ヲシル
ベニテ細々ト書給テ、重国ニ給テケリ。北方大納言典侍殿ハ只泣ヨリ外ノ
事ナクテ、ツヤ＜返事モノ給ワズ。サコソハ思給フラメト押量ラレテ
イトヲシ。重国モ狩衣ノ袂ヲ絞リ、涙ヲ押ヘテ、御前ヲ立ニケリ。廿七日、重衡ノ
西国ヘ下遣シタリシ、平三左衛門尉重国帰上テ、前内大臣ノ被進一ケル
院宣御返事ヲ、蔵人左衛門権佐定長ノ宿所ヘ参テ、献タリケレバ、
定長朝臣院ヘ参テ奏聞ス。其状云、
Ｐ３２０２（五ウ）
三〔宗盛院宣ノ請文申ス事〕 今月十四日院宣、同廿四日、讃岐ノ国屋嶋ノ浦ニ到－来。謹テ以テ所請一ル如件。
就是一ニ案ニ彼一ヲ、通盛以下当家ノ数－輩、於（二）摂津国一谷一ニ、已ニ被誅一セ畢。
何ゾ重衡一人可レ悦（二）ブ寛宥之院宣一ヲ哉。我君者受（二）坐シ故高倉院ノ
御譲一ヲ而、御－在位既ニ四－ヶ－年、雖レ無（二）ト其ノ御失一、東夷北－狄、結ビ党一ヲ成テ
群一ヲ而入－洛之間、依（二）且ハ幼帝母－后之御l情殊ニ深一キニ、且ハ依（三）テ外舅外家
之志シ不（二）ニ浅一カラ、暫ク雖レ有（レ）ト遷（二l）幸西国一ニ、於（レ）無（レ）ンニ還（二l）幸旧都一ニ者、三－種ノ神－
器、争カ可レ被レ放（二）玉躰一ヲ哉。夫臣者以君一ヲ為忠一、君者以臣一ヲ為躰一。君
安レバ則チ臣安シ。君l上愁レバ臣－下労クス。臣内ニ不（レ）楽一、躰外ニ無レ悦コト。爰ニ平－
将軍貞盛、令（レ）メ追（二）討セ相馬ノ小次郎将門一ヲ、鎮（二）ヨリ東－八ヶ－国一ヲ以l降タ、
続（二）テ子々孫々一ニ、追（二）討シ朝敵謀臣一ヲ、伝（二）テ代々世々一ニ、奉（レ）ル守（二）リ禁闕朝家一ヲ。
Ｐ３２０３（六オ）
然ル間、亡父故入道相国、保元平治両度合戦之時、重（二）ウシテ勅命一ヲ
而軽（二）ス愚命一ヲ。偏ニ奉l為ニシテ君一ノ非レ為（レ）ニ身一ノ。為ニシテ世一ノ而不顧命一ヲ。就中一彼ノ
頼朝者、父義朝謀叛之時、頻ニ可（二）誅罰一ス之由シ、雖レモ被（レ）ルト仰∥セ下サ于故相－
国一ニ、禅門以（二）テ慈悲憐愍ノ余一ヲ。所（レ）申（二）宥ル流罪一ヲ也。而ヲ忘（二）レ昔ノ高恩一ヲ、不レ顧（二）ミ
今ノ芳志一ヲ、忽ニ以（二）テ流人之身一ヲ、猥リニ連（二）ル凶党之列一ニ。愚意之至リ、思－慮之
誤也。尤モ招（二）キ神兵天罪一ヲ、斯レ好（二）ム廃跡沈滅一ヲ者ノ歟。日月未ズダ堕チ地一ニ、
照（二）シテ天下一ヲ其レ明ナリ。明王者為（二）シテ一人一ト、不（レ）枉（二）其ノ法一ヲ、以（二）テ一旦ノ情一ヲ、不（レ）蔽（二）サ其ノ徳一ヲ矣。
君不ズハ思l食（二）シ忘レ亡父数度之奉公一ヲ給一ハ者、早ク可（レ）シ有（レ）ル御（二l）幸西国一ニ。不ハ然一ラ
者、為レシテ始（二）ト四国九国一ヲ、都西ノ国々之輩ラ、如ク雲一ノ集リ如ク雨一ノ遍シテ、靡（二）サム異－
賊一ヲ事、不レ可レ有（レ）ル疑一ヒ焉。其ノ時奉（レ）リ相l具シ主上一ヲ、帯（二）シテ三種ノ神器一ヲ、可（レ）シ
Ｐ３２０４（六ウ）
奉レル成（二）シ行－幸ノ之還御一ヲ耳。若シ不（レ）ハ雪（二）メ会稽之恥一ヲ者、人－王－八十一－代之御－
宇、牽レ浪一ニ随テ風一ニ、可（レ）シ零チl行l御新羅高麗百済鶏旦一ニ。終ニ可レキ成ル
異国之財一卜歟。以（二）此l等ノ趣一ヲ、可然一ル之様ニ、可（下）シ令（二）洩シ奏－聞一セ給（上）。宗盛頓首
謹言上。
元暦元年二月廿八日 前内大臣平宗盛請文
トゾ被書一タリケル。
四〔重衡卿内裏ヨリ迎女房事〕 三月一日未時計、本三位中将ノ侍、木公右馬允信時ト申者アリ。
八条院ニ兼参シテ有ケレバ、三位中将ノ共ニ西国ヘハ下ラザリケレドモ、中将
被生取一テ都ヘ上給タル由、信時伝聞テ、預リタリケル武士、土肥二郎ガ許ヘ
行向テ申ケルハ、「三位中将殿ノ是ニ御渡候ヤラム。年来ノ主君ニテ渡
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ラセ給候ガ、サセル弓矢取ル者ニテモ候ワネバ、軍合戦ノ御共ハエ仕候
ワズ。只ハキノゴウ事計リ仕リ候キ。西国ヘモ仕タク候シカドモ、八条院ヘ兼
参ノ身ニテ候シ時ニ、兼テモ知候ハデ、西国ヘノ御共モ仕リ候ワズ。一昨日大路ニテ
見マヒラセ候シガ、哀ニ悲ク覚候。可然一ハ御ユルサレヲ蒙テ、近ク参テ
今一度最後ノ見参ニ罷入候バヤ。指ル腰刀ヲモ指テ候ハヾコソ僻事
仕リ候ハメ」ト泣々申ケレバ、「ゲニモサコソハ思ラメ。守護ノ者アマタ
アリ。入レタリトテモ何計ノ事ヲカシ出スべキ」トテ、ユルシテケリ。サテ
信時事ノ由ヲ申入タリケレバ、中将悦給テ、昔今ノ物語シ給テ、御涙セ
キアヘズ。信時モ中将ヲ見奉テ、伴ニ涙ヲゾ流シケル。中将宣ケルハ、「去
比西国ヘ院宣下リシカバ、二位殿ノオワスレバト、憑シク待ツレドモ、其事
Ｐ３２０６（七ウ）
既ニ空シ。於今一ニ者被切一事必定也。但最後ノ妄念トナリヌべキ事アリ。
都ヲ出シ時モ、汝ガ無リシ時ニ、其ノ左右モ聞ザリキ。抑汝シテ時々文遣シ
人ハ未ダ内裏ニトヤ聞」ト宣ケレバ、信時、「サコソ承候ヘ」ト申ケレバ、「彼ノ
人ノ許ヘ文ヲ遣バヤト思ヘドモ、誰シテ可遣一トモ不覚一。信時持テ行ナムヤ」ト
テ、御文ヲ書テ、被預一武士ニ宣ケルハ、「知タル女房許ヘ文ヲ遣バヤト
思ハカナワジヤ」ト宣へバ、「何ニカ苦候ベキ。但御文ヲ賜テ見進セン」ト申
ケレバ、見セラル。一首歌ニテゾ有ケル。此御文ヲ奉見一テハ、物歩モ
哀ニゾ思ヒケル。信時内裏ニ参タリケルガ、未アカヽリケレバ、其辺近キ
小屋ニ立入テ、晩ホドニ彼女房ノ局ニ立寄テ聞ケレバ、此女房ノ声ニテ、「人
ニモスグレテ世ヲボヘモアリ、志モナノメナラズ有シカバ、情ヲカケヌ人モ
Ｐ３２０７（八オ）
無リシニ、人シモコソアレ、三位ノ中将ノ生ナガラ被取一テ、ミヤコノ大路ヲ
渡ルヽ事ノ悲シサヨ。人ハ皆『奈良ヲ焼タル罪ノ報ヒニヤ』ト云也。ゲニモサヤラム
トオボユ。是ニテ中将ノ宣シニハ、『我心ニモ発ラズ、焼ケトモ云ザリシカドモ、
多勢ナリシカバ、心ナラズ火ヲ出シタレバ、多ノ伽藍滅給ヌ。末ノ露、本ノ
シヅクナレバ、誠ニ我罪ニコソナラムズラメ』ト云シガ、ゲニモサトオボユルゾヤ」トテ、
サメ＜”ト泣給ケレバ、「穴糸惜シ。サテハ女房モ同ジ御心ニテ歎給ケリ」ト
哀ニ覚ヘテ、立寄テ遣戸ヲ打叩キ、「物申ン」ト云ヘバ、女房出テ、「何方ヨリ」
ト問エバ、「三位中将殿ヨリ」ト申セバ、先々ハ人ニモミヘ給ワヌ女房ノ怱ギ
出給テ、「如何ニ／＼」ト問給ヘバ、「御文候」トテ指上タリ。開テ怱ギ見給へバ、
「何ナラム野山ノ末、海河ノ底マデモ、甲斐ナキ命ダニアラバ、申
Ｐ３２０８（八ウ）
事モ有ナムトコソ思シニ、夫モ叶ワズ。生ナガラ被取一テ、恥ヲサラス事ノ心
憂サ、此世一ノ事ニハアラジ。先世ノ宿業ニテコソ有ラメト思ヘバ、人ヲモ恨
ベカラズ。此世ニ有ム事モ今日ト明日ト計也。如何ニシテカ今一度相見
奉ラム」ト、哀ナル事共ツキセズ書給テ。
ナミダ河ウキ名ヲ流ス身ナレドモ今一シヲノ合瀬トモガナ
女房此文ヲ見給ニ、涙ニムセビテ、引カヅキテ臥給ヘリ。良久アリ
テヲキアガリ、使ノイツトナゲニ、ツク＜”ト待居タルモ心ナケレバ、細ニ
御返事ヲ書テ、「イヅクノ浦ハニモオワシマサバ、自ラ申事コソカタクトモ、
露ノ命、草葉ニ消ヤラズナガラヘテアラバ、風ノ便ニハトコソ思ツルニ、
サテハ今日ヲ限ニテオワスラムコソ悲ケレ。サモアラバ我身トテ
Ｐ３２０９（九オ）
ナガラエム事モ有ガタシ。何ニシテカ今一度可奉見一」ト書給テ。
君ユヘニワレモウキ名ヲ流セドモ底ノミクヅト共ニナラバヤ
信時、御返事ヲ給テ返リ参タレバ、三位中将是ヲミテ、二三日ハナグサム
心地シ給ケリ。中将、土肥二郎ニ、「一日ノ文ノ主ヲ思ヘ呼テ見参セバヤ
ト思ハ叶ハジヤ」ト宣ケレバ、「ゲニモ女房ニテ渡ラセ給ワムニハ、ナニカクル
シク候ベキ」ト申セバ、中将悦給テ、信時ニ乗物ヲカラセテ、怱ギ車ヲ
内裏局ヘ遣シケリ。女房畏シクハ思給ケレドモ、
志ノ切ナルニ依テ、怱ギオワシケリ。只先立物ハ涙
計也。中将ノオワスル方へ、信時車ヲ差寄セタ
レバ、中将車寄ニ出向テ、「ナオリサセ給ソ。武士共ノ
Ｐ３２１０（九ウ）
見ルガ恥敷キニ」トテ、我身ハ顕ハニ居テ、車ノ簾ヲ
打纏テ、手ニ手ヲ取組テ、互ニ御涙不二堰敢一。袖
ノシガラミセキカネテ、夜ヲ重ネ日ヲ重トモ、猶アキ
ダラズゾ思給ケル。良久アリテ中将宣ケルハ、「西国ヘ
向シ時モ隙ノ無リシカバ、乍レ思何事モ申ヲカズ。合
戦ノ日モ矢ニ中（ッ）テ死ナバ、又モ音信申サデ、年
来申契シ事共モ皆浮言ニテ、サテヤハテムズ
ラント思ツルニ、乍レ生トラレテ大路ヲ渡サレケル事ハ、
人ニ再ビ見参スベキ事ニテ侍リケル物ヲ」ト、云モア
エズ泣レケレバ、女房モ共ニ涙ニ咽テ、詞モ出サレザリ〔ケリ〕。
Ｐ３２１１（一〇オ）
「此比ハ夜深ヌレバ大路ノ狼籍ニアンナルニ、シヅマラヌ
先ニトク＜参ラセ給へ。来ム世ニハ必ズ一蓮ニ」トテ、立
偃ントシ給ケル時、雪ノ様ナル御膚ヘニ械メノ付タリ
ケルヲ女房見給テ、イトヾ消入心地ゾセラレケル。
夜モ深ケレバ車ヲ差出ントスルニ、袖ヲヒカヘテ、「命
アラバ又モ奉見ラム宇礼敷コソ。世ニ無キ者ト聞
給ハヾ、後世訪ヒ給ヘ」ト宣テ、中将。
逢事モ露ノ命モ諸共ニ今夜計リヤ限ナルラム
女房。
カギリトテ立別ナバ露ノ身ノ君ヨリ先ニ消ヌベキ哉
Ｐ３２１２（一〇ウ）
「契アラバ来ム世ニ」ト宣テ、内裏ヘ帰シ奉ル。女房ハ
引カヅキテ臥沈ミ給ヘリ。御前ナル女房達モ、理ナ
リトテ、皆袖ヲゾシボリケル。其後ハ内裏ヘハ参給
ハズ、里ニゾ住給ケル。責テノ事ト覚ヘテ、押量ラ
レテ哀也。
五〔重衡卿法然上人ニ相奉事〕 三位中将ハ九郎義経ノ方ヘ、「出家ヲセバヤ」ト宣ケレバ、
「我ハ叶ハジ」トテ、院エ被申タリケレバ、法皇仰ノ有ケ
ルハ、「関東ヘ下シテ頼朝ニ見セテコソ、入道ニ成サントモ
法師ニナサムトモ計ラハセメ。争カ是ニテ無左右形ヲ
傷ベキ」ト被仰下ケレバ、中将ニ此由ヲ申ス。三位不
Ｐ３２１３（一一オ）
力及給一。土肥次郎ニ宣ケルハ、「我世ニ候シ時、年来憑
テ候シ聖人ノオワスルヲ請奉テ、今一度奉見参、臨
終ノ作法ヲモ尋ネ、後世ヲ誂置候バヤ」ト宣ケレバ、「上人ハ
誰人ニテ御渡候ヤラム」。「黒谷ノ法然上人」トゾ被仰ケル。
「安ク候」トテ、請ジ奉リタリケレバ、三位、上人ニ向奉リ、涙
ヲ流シ掌ヲ合テ、泣々被申ケルハ、「重衡ガ後生ヲイカ
ヾシ候ベキ。身ノ身ニテ候シ時ハ、出仕ニマギレ、世務ニホダ
サレテ、楽ミ無（レ）隙一、栄花ニ誇リ、〓［心＋喬］慢ノ心ノミ深シテ、
当来ノ昇沈ヲ不レ顧。運尽世乱レテヨリ以来、是ニ諍ヒ
彼レニ戦ヒ、人ヲ亡シ身ヲ助ムト営ミ、悪業朝暮ニ遮テ、
Ｐ３２１４（一一ウ）
善心惣テ不発一。就中南都炎上ノ事、云王宣一父命ト
申、随世一道難遁一シテ、為（レ）ニ鎮二ンガ衆徒ノ悪行一ヲ、罷向テ候シ
程ニ、不慮ニ伽藍滅亡ニ及シ事、不及力一次第ニテ候ヘド
モ、大将軍ヲ勤候シ上ハ、責一人ニ帰ストカヤ申事ナレバ、
重衡ガ罪業ニ成候ヌト覚候。且ハ加様ニ人シレズ此コ彼コニ
恥ヲ曝シ候モ、併ラ其報トノミコソ思知ラレ候へバ、頭ヲ
剃リ戒持ナンドシテ、偏ニ仏道ヲ修行シ度ク候ヘドモ、
カヽル身ニ罷成候上ハ、心ニ意ヲ任候ハズ、今日明日トモ知ラヌ
身ニテ候ヘバ、旦暮難（レ）期候。何ナル行ヲ修シテ、一業助ルベ
シトモ覚ヘ候ハズ。心憂コソ候ヘ。倩ラ一生ノ所行ヲ思
Ｐ３２１５（一二オ）
知リ、屡先世ノ業因ヲ案ジ連ケ候ニ、罪業ハ須弥ヨリ
モ高ク、善業ハ微塵計モ蓄候ハズ。角テ空ク命終リ
候ナバ、火血刀ノ苦果、敢テ疑候マジ。願ハ慈悲ヲ施シ、兼テハ
憐ミヲ垂給テ、カヽル悪人ノ後生可助一方法候ハヾ、示給リ
候バヤ」ト被申タリケレバ、上人涙ニ咽テ、シバシハ物モ宣ハズ。
良久有テ、「誠ニ難受一人身ヲ受テ、空ク三途ニ還御坐ム事
ハ、悲テモ猶悲カルベシ。然バ今厭（二）ヒ穢土一傾（二）ヒ浄土一、翻（二）シ悪心一ヲ、発（二）
善心一給ハム事ハ、三世諸仏モ定テ随喜シ給ラム。出離之道
雖レ区一ト、末法濁乱ノ機ニハ、称名ヲ以テ為勝一タリト。土ヲ分（二）テ九品一ニ、
行ヲ縮（二）メ六字一ニテ、十悪五逆モ廻向スレバ往生ス。十悪五逆
Ｐ３２１６（一二ウ）
罪滅往生ト釈ルガ故ニ、一念十念モ心ヲ致セバ正因トナル。一念
弥陀仏即滅無量罪ト説ガ故、『専称名号至西方』ト釈シテ、専
名号ヲ称スレバ西方ニ至ル。『念々称名常懺悔』ト述テ、念々ニ御
名ヲ唱レバ、懺悔スル也ト教タリ。『利剣即是弥陀号』恃メバ
魔縁不近付一。『一声称念罪皆除』念ズレバ罪皆除コルト見
ヘタリ。浄土宗ノ至要、存略一ルニ、大略是ヲ為肝心一ト。但往生ノ
得不得ハ依信心之有無一ニ。只深ク信ジテ、努々不可生疑一ヲ
給一フ。若深ク此教ヘヲ信ジテ、行住坐臥時所諸縁ヲ〓ハズ、
三業四儀ニヲイテ、心念口称ヲ不忘一レシテ、命終ヲ為テ期一ト、
此苦域ノ界ヲ出テ、彼ノ不退ノ土ニ往生シ給ハム事、何ノ
Ｐ３２１７（一三オ）
疑カ有ム」ト教化シ給ケレバ、中将ウレシク省シテ、随喜ノ
涙ヲ流シテ、「此次ニ戒ヲ持バヤト存候ガ、出家仕ラズシテ
ハ叶候ハジヤ」ト宣ケレバ、「出家セヌ人モ戒ヲ持事、常ノ事
ナリ」トテ、頂ニ髪剃ヲ充テヽ剃ルマネヲシテ、十戒ヲ授
奉テ、「若今日ノ中ニ殊ナル御事候ハズシテ過サセ御
サバ、今ノ功徳莫太ノ御事」ト宣ケレバ、三位返々悦給テ、
「大罪ヲ犯ス身ナガラモ、二度上人ニ相奉テ、二ノ法ヲ受持シ
候ヌル事、来世ノ要路也」ト宣テ、御布施ト省シクテ、都ニ
如何ニシテ残留給タリケルヤラム、双紙鏡ノ一合有ケルヲ、
木公右馬允尋出テ奉ル。「是ヲ御身近ク置セ給テ、御覧ゼム
Ｐ３２１８（一三ウ）
毎ニ度一、念仏申サセ給テ、後世ヲ訪テタビ候ヘ」ト申サセ給タ
リケレバ、上人是ヲ給テ懐ニ入レ給ヒ、何ニト云事ヲバ宣ハズ、
只涙ニ咽テ泣々出給ケルコソ哀ナレ。
六〔重衡卿ヲ実平ガ許ヨリ義経ノ許ヘ渡ス事〕 同二日、本三位中将重衡卿ヲバ、土肥次郎実平ガ許
ヨリ九郎義経ノ宿所ヘ奉渡一。此三位中将ヲ土肥次郎ガ守
護シケル事ハ、梶原ハ大手蒲冠者ノ方ノ侍大将軍也、
九郎申ケルハ、「義経ガ上ノ山ヨリ落サズハ東西ノ城
戸口難破一。生取モ死取モ義経ガ見参ニコソ可レキ入一ニ、
物ノ用ニモ立ヌ蒲殿ガ見参ニ入ル事コソ心得
ネ。三位中将ヲ是ヘ渡シ給ヘ。給ハラズハ参テ給ラン」ト
Ｐ３２１９（一四オ）
宣ケレバ、土肥、梶原云合テ、土肥ガ許ヘ渡シタリ
ケレバ、其後鎮ニケリ。居申ベキ所、家ノ後ノ方ニ
造テ、被待一ケリ。未時計ニ下簾懸タル女房車
ニテ庭中ニ遣入タリ。武士共、実平ヲ先トシテ卅
騎計アリ。九郎義経ハ、木蘭地ノ直垂ニ下腹巻着
テ、妻戸ヨリ下向テ、「門差セ」ト下知ス。中将手ヅカラ
簾ヲ巻上テ被居一タリ。九郎袖掻合テ、御裏無
参セテ、「穴炎ノ雑人ヤ」ト申テ、中将ヲ先ニ立テ
具奉テ入ル。中将ハ白直垂ヲゾ被着一タリケル。九郎
申ケルハ、「内ヘ入セ給テ、御装束脱セ給、御休息有レ」
Ｐ３２２０（一四ウ）
ト申。四壺ノ所ヲ清気ニ拵タリ。中将内ニ居ラレタリ。
九郎〓［木＋延］ニ候テ申ケルハ、「哀、口惜ク渡セ給ケル御命
哉。何ナル事ヲカ思食ス覧ト、御心中押量進セテ候。
イカヾ御計候」ト申ケレバ、中将ハ扇ヲ仕テ、「イカニ
モ」トゾ有ケル。夜々ハ一間ナル所ニ奉籠一テ、外ヨリ
係金ヲ懸テ、火ヲ燃シテ、武士共守申ケリ。同
五日、主馬入道盛国、同子供ヲ、九郎義経召取テ誡置ク。
七〔公家ヨリ関東ヘ条々被仰事〕 平家ハ西国ニモ難安堵一シテ、既ニ為亡一ナント。依之、自公家、兵
衛佐許ヘ被仰一条々。「平家所知事
一文書紛失并ニ義仲行家等給事
Ｐ３２２１（一五オ）
右、子細載（二）目録（一）畢。
一庄領惣数之事
右、彼ノ一族知行ノ庄 領、及（二）数百ヶ所一之由、世間ニ風聞ス。而
院宮并ニ摂録家之庄園、或ハ私芳恩ノ知行在（レ）之。或所
従等致（二）慇懃一輩ニ預（レ）之事、如（レ）此所々者、全非（二）御進止一、
是本所左右也。仍惣数ニ注入計也。又院御領庄々等、
近年逆乱之間、有（レ）限。相伝之預所本主等、依（レ）令（二）愁歎一、
少々是返給。依（レ）之除（レ）之。或損亡事、非（レ）無（二）由緒（一）間、少々是ヲ
沙汰給フ。
一諸国家領等事
Ｐ３２２２（一五ウ）
右、一門之人々数ヶ国務之間、或為（レ）増（二）田数一旦家領（一）之
由、雖（レ）有（レ）之、無（二）指文書（一）、又無（二）相伝（一）。仍得替之時、領司争
無（二）ン其愁歎（一）乎。帯（二）開発荒野文書一所々外、国ニ被（二）帰附（一）
者、可（レ）為（二）善政（一）歟。
一相伝之家領事
右、文書紛失之間、不（レ）被（二）空ニ注付一。且大概此中候歟。
一東国領事
右、御存知アル旨、被（レ）残（レ）之畢。他之国々未補一。又以（二）同前（一）、於（レ）
今者、可（下）令（二）領知（一）給（上）。縦雖（レ）非（二）平家知行之地一、東国御領、山内
庄以下便宜之御領、随（レ）被（二）申請（一）、可（レ）有（二）御下文（一）。於（二）御年
Ｐ３２２３（一六オ）
貢（一）者、可（下）令（二）進済（一）給（上）。
以前条々仰旨如（レ）斯。仍執達如（レ）件。
元暦元年甲辰三月七日 前大蔵卿 奉
前右兵衛佐殿ヘ」トゾ被注申ケル。同日、板垣三郎兼
信、土肥次郎実平、数千騎ノ軍兵ヲ卒シテ、為（二）ニ
平家追討（一）、西国ヘ下向ス。
八〔重衡卿関東ヘ下給事〕 十日、法皇、九郎御曹司ニ仰有ケルハ、「重衡ヲバ、自関
東、前兵衛佐頼朝、有申請之旨一。可下遣」之由、仰有ケレ
バ、梶原平三景時奉テ、中将ヲ奉具足テ、関東ヘゾ
下ケル。夜ノホノ＜”トシケル時、夏毛ノ行騰ニ、鼠毛ナ
Ｐ３２２４（一六ウ）
ル馬ニ乗セ奉テ、白布ヲヨリテ鞍ニ引廻ハシテ、外
ヨリ見エヌ様ニ前輪ニシメ付テ、竹笠ノ最大ナルヲ着セ
申タリケリ。藍摺ノ直垂着ル男、馬ノ口ヲ取。前陣ニ
武士卅騎計打テ、後陣ニ又卅騎計打タル中ニ、打
具セラレタリケレバ、余所ニハ何トモ不見分一。梶原平
三景時ヲ初トシテ、後陣ハ百騎計ゾ有ケル。久々目路
ヨリ下給ヘバ、六波羅ノ辺ニテ夜曙ニケリ。此当リ
ニ平家ノ造営シタリシ家々、皆焼失テ、有リシ所トモ
見ヘズ。中ニモ小松殿トテ名高ク見ヘシ所モ、築地、
門計ハ有テ、浅猿クコソ。中将人シレズ被（二）見廻（一）ハケ
Ｐ３２２５（一七オ）
レバ、此内ニハ犬鳥ノ引シロウ音シケリ。「哀レ、世ニ有リシ
時、争カ加様ノ事有ラン」トゾヲボシケル。山ノ嶺ニ打上
テ、都ヲ返見給ケム心中コソ悲ケレ。自是東地
指テ被下ケルコソ悲ケレ。耿々タル露ノ駅ニ、馳（二）セ思
於千里之雲一、眇々タル風ノ宿リ、任（二）セ心於幾重之波一ツヽ、
隔霞一凌霧一、立別レバ旅ノ空、雲居ノ余所ニヤ成ヌ
ラム。四宮川原ニ懸テハ、爰ハ延喜ノ第四ノ宮、蝉丸ト
云シ人、仲秋三五ノ晩ベ、晴明タリシ月ノ夜、「世中ハ兎テ
モ角テモ」ト詠ツヽ、琵琶ノ三曲ヲ被弾一シニ、博雅ノ
三位ト云シ人、三年ガ程、雨ノ降ル夜モフラヌ夜モ、風ノ吹
Ｐ３２２６（一七ウ）
日モフカヌ日モ、夜ナ＜歩ヲ運ツヽ、横笛ニテ終ニ秘曲
ヲ移シケム、藁屋ノ床ノサビシサヲ、思入テゾ被通ケル。
会坂越テ打出ノ浜、々ヨリ遙ヲ見亘セバ、蒼波眇々
トシテ恨ノ心綿々タリ。塩ナラヌ海ニ峙テル石山詣
ノ心地シテ、山田ニ懸レバ、ニホノ渡リ、矢馳ヲ怱グ渡守、
長柄ノ山ヲ余所ニ見テ、粟津ノ原ヲ後ニシ、勢多ノ唐
橋野路ノ末、時雨テ痛ク守山ノ、篠分袖モ塩折レツヽ、
古郷ヲ返り見給ヘバ、雲ヲ隔ル合坂山、越地ヲ傍向キ
見給ヘバ、霞ヲ重ヌル荒血山、東路遙ニ見亘セバ、霞ニ
陰ル鏡山、面影ノミヤ始ラム。生礒ノ森ノ下草ニ、
Ｐ３２２７（一八オ）
滋見ニ小馬ヲ留ツヽ、今宵ハ於此借枕、草引結旅寝
セム。深ヌル歟、人ヲトガムル麓ノ里ノ犬神ヤ、高根平
野ヲ余所ニ見テ、磨針山ヲ打越テ、小野ノ古路踏別
テ、裙野ヲ廻レバ伊吹山、心ヲ友トシ有ラネドモ、荒
テ中／＼ヤサシキハ、不破ノ関屋ノ板廂、余リニ〓［イ＋宇］ノマバ
ラナレバヤ、月モ時雨モタマリエズ。小馬打渡ス杭
瀬河、雨ハフラネド笠縫ノ、郷ニヤシバシ〓［足＋并］ラハム。
契ヲバ結ノ森ノ浦山敷モ立比、枝指替二木ヲ、危ク
渡ス浮橋ノ、葦賀ラ越ル朝開、早ヤ赤池ニヤ成ヌラ
ン。雲晴行ケバ春ノ日モ、熱田八剣逸早キ恵ヲ深ク
Ｐ３２２８（一八ウ）
憑メドモ、何ト成身ノ塩干〓［三水＋貫］（「〓」に「潟」を併記）、渡ニ袖ヤ朽ヌラム。二村
山ヲ過ヌレバ、又国越ル堺川、在原ノ業平ガ、「唐衣
被ツヽ訓レニシ」ト詠メケル、三河ナル谷橋、蜘蛛手ニ物
ヤ思ラム。遠江浜名ノ橋ノ夕塩ニ、差レテ上ル海人小船、
コガレテ物ヤ思ラム。池田宿ヘモ付ニケリ。彼宿ノ長者
娘ニ、侍従ト云ヘル遊君アリ。中将ノ御殿居ニ参タリケ
ルガ、暁帰ルトテ、殊ニ心俊タル女ナレバ、カクゾ申テ出ニケル。
東路ヤ半臥ノ小屋ノイブセサニ如何ニ古郷恋シカルラン
中将ノ返事。
古里モ恋シクモナシ旅ノ空イヅクモ終ノ棲ナラネバ
Ｐ３２２９（一九オ）
中将池田ノ宿ヲ出ヌレバ、更夜ノ中山、宇津ノ山、清見
ガ関ヲモ打越テ、富士ノスソヘモ付ニケリ。北ニハ青山
峨々トシテ、松吹風モ冷々タリ。南ニハ蒼海漫々ト
シテ、岸打波モ茫々タリ。春モ末ニ成ヌレバ、遠山ノ花
ヲバ残ノ雪歟ト疑ワル。 日数漸積行バ、廿六日ノ夕晩
ニハ、中将伊豆ノ国府ヘゾ付給フ。折節兵衛佐殿ハ伊豆ニ
狩シテオワシケレバ、梶原事ノ由ヲ申入タリケレバ、
門外ニテヨソヲヰ有リ。左右ノ御手ヲ胸ノ内ニ収メ申テ
ケリ。門柱二本引立テ、未ダ棟モ上ズ扉モ立テズ。
大垣モ跡計ハ見ヘテ、広々ト有内ヲ見入ラルレバ、南
Ｐ３２３０（一九ウ）
面ニ三間四面ノ新キ板葺ノ寝殿ニ簾懸タリ。妻合
東前ニ五間四面ノ屋三アリ。人々多ク並居タリ。西ノ方
ニ東向ニ五間四面ノ片早アリ。梶原平三先ニ立テ中将
入ラル。片早ノ内、西ノ座ニハ小文ノ畳三帖敷テ、東ノ座
ニハ紫 縁ノ畳ヲ五帖敷レタリ。中将ハ西ノ座ノ小文ノ畳ニ
東向ニ被居。景時ハ北ヨリ第二ノ間ノ〓［木＋延］ニ居タリ。見人数
ヲ不知。暫有テ、寝殿ノ母屋ノ西ノ間ノ左ノ簾ヲ一枚、僧ノ
浄衣着ルガ出来テ巻上テ、僧ハ北ノ間ノ〓［木＋延］ニ居タリケリ。
鎌倉殿、比企ノ藤四郎能員ヲ御使ニテ被申ケルハ、
「無左右可入見参一ニ候ヘドモ、此程焼野ヲ狩テ候ヘバ、ホ
Ｐ３２３１（二〇オ）
コリ多クカヽリテ候之間、イカケ仕テ見参ニ可入候。加
様ニ御下向コソ神妙ニ候ヘ。但雪（二）メ父之恥一、奉（レ）ント休（二）メ君之御
鬱一ヲ思立候シ上ハ、奉（レ）ン亡（二）平家一事ハ案ノ内ニテ候シカ
ドモ、目当リ可見参一トコソ不思寄候シカ。今ハ大臣殿
ニモ見参シ候ヌトコソ覚候ヘ。抑焼南都一給シ事ハ、
太政入道殿ノ仰ニテ候シカ、期ニ臨タル御計ニテ候
ケルカ。以外ノ罪業ニコソ」ト被申ケレバ、三位中将是
ヲ聞給テ涙ヲ拭ヒ、「昔ヨリ源平両家、朝家ノ御守ニテ
帝王ノ宮仕ヲ仕ル。近来源氏ノ運傾カレ候シ事、今更
事新ク非可申、人皆知レル事ニテ候。其勧賞ヲ初ト
Ｐ３２３２（二〇ウ）
シテ、平家世中ヲ平ル間、一天ノ君ノ御外戚トシテ、
一族ノ昇進八十余人、廿ヶ年之間、楽ミ栄ヘ無申量一。
今又運尽ヌレバ、重衡召人ニテ参ル。此勧賞ニテ稔
給ワム事無疑。其レニ取テ、帝王ノ御敵ヲ討タル者ハ、
七代マデ朝恩失セズト申事、極タル僻事也。目当リ
故入道ハ法皇ノ御為ニハ、申セバ愚也、御命ニ代奉ル事モ
度々也。サレドモ僅ニ其身一代ノ幸ニテ、子息加様ニ罷
成ベシヤ。一門運尽テ都ヲ迷出候シ後ハ、骸ヲ山野ニ
サラシ、名ヲ後代ニ留ントコソ存候シカ。是マデ可参トハ
存ゼザリキ。此モ先世ノ宿業ニコソ。『殷ノ紂ハ夏ノ桀ニ囚
Ｐ３２３３（二一オ）
ハレ、文王ハ〓里ニ籠ラル』ト云文有。上古又如此。況於末
代一乎。全非恥一。御芳恩ニハ利ク可召頸一ヲ」トゾ宣ケル。
景時已下ノ大名小名、御前ニ並居タリケルガ、「此中将殿ハ
イタイケシタル口聞哉」ト各讃奉テ、皆涙ヲゾ流ケル。
「此人ハ名ヲ流シタル大将軍也。無左右一不可奉切一。南都大衆
申旨有」ト兵衛佐宣テ、「宗茂是ヘ」ト有ケレバ、〓［木＋延］ナル
僧召付ク。自東〓［木＋延］一、年四十計モヤ有覧ト省キ男ノ
白直垂着タルガ、佐ノ前ニ〓［木＋延］ヲ押ヘテ膝ヲ屈メテ立リ。
佐宣ケルハ、「アノ三位中将殿預進セテ、能々モテナシ
労リ奉レ。懈怠ニテ我恨ナ」ト宣テ、手ヅカラ簾ヲ引
Ｐ３２３４（二一ウ）
ヲロシテ被立ニケリ。宗茂本ノ侍ニ帰テ、友共ニ云合テ、
寝殿ノ前ニ腰敬シテ、西屋ナル景時トサヽヤキ事シテ、
「サラバ今ハ出サセ給ヘ」ト申ケレバ、中将立出給テ、今日ヨリハ
伊豆国住人鹿野介宗茂ガ手ニゾ渡リ給ケル。「冥途
ニテ罪人ノ、七日々々ニ獄卒ノ手ニ渡ルランモ、カクコソ有
ラメ。如何ナル無情一者ニテカ有ムズラン」ト覚ゾ悲キ。奉守
護一武士共モ不（レ）稠カラ。夜ハ〓［木＋延］ニ居、昼ハ庭ニゾ候ケル。
九〔重衡卿千手前ト酒盛事〕 兵衛佐殿ヨリ、「無情一不可奉当一。湯殿シテ労リ奉レ」ト
テ、湯殿ヘ奉（レ）ル入。年廿許ナル女房ノ、白綾ノ小袖着ル
ガ、湯殿ノ戸ヲ引開テ参ル。中将、「アレハ如何ニ」ト被仰
Ｐ３２３５（二二オ）
ケレバ、「兵衛佐殿ヨリ、御呵嘖ニ参レト候」ト申ケレバ、
鹿野介近候ケルガ、「ナニトカクナ申サレソ。早参
給へ」ト云ケレバ、女房内へ入ヌ。其後年十六七計ナル
美女、紫ノ小袖着テ、手箱ノ蓋ニ櫛入テ、持テ参
タリ。中将御イカケシテ上リ給ニケリ。此女房、「『何
事モ思食候ハム事ハ被仰候ヘ』ト、兵衛佐殿ノ仰候
ツル」ト申ケレバ、三位中将、「何事ヲカハ。明日頸被切一
事モヤ有ラムズラン」ト被申ケレバ、女房此由ヲ兵
衛佐殿ニ申ス。「頼朝ガ私ノ敵ニアラズ。争無左右可奉
切一」トゾ被申ケル。中将、鹿野介ニ、「只今ノ女房ハイタヒ
Ｐ３２３６（二二ウ）
ケシタル物哉。何ナル者ゾ。名ヲバナニト云ゾ」ト被問ケレバ、
「手越宿ノ君ノ長者ガ娘、千手ト申者ニテ候。心
立テ痛気シタル者ニテ候之間、兵衛佐殿ノ御前ニ
此四六ヶ年被召仕進セテ候也」トゾ申ケル。其夜ハ
雨打降タリケルニ、鹿野介、家子郎等引具テ、酒
持テ参タリ。千手ノ前モ琵琶琴持テ参ル。三位ハ
寄臥給タリケルガ、起直テオハス。洒ヲ勧奉ニ、盃
七分ニ請給フ。鹿野介申ケルハ、「兵衛佐殿ヨリ『能々
モテナシ進セヨ』ト云蒙（レ）仰テ候之間、旅所ニテ候ヘドモ、
千手前、何事ニテモ一声申テ進セヨ」ト申ケレバ、
Ｐ３２３７（二三オ）
「羅綺ノ重衣タル無情機婦ニ妬ミ、管絃ノ長曲ニアル、
不終一事ヲ伶人ニ嗔」ト云朗詠ヲシタリ。三位中将被仰
ケルハ、「重衡今生ハ依罪業一被捨三宝ニ奉リヌ。罪
業軽ミヌべキ事ナラバ〓［女＋高］奉ラム」ト被申ケレバ、千
手ノ前、「雖十悪一猶引接ス」ト云朗詠ヲシテ、「極楽ヘ参ラ
ン人ハ皆」ト云今様三反、歌澄ヒタリ。其時三位盃ヲ傾
ケ給。千手琴ヲ取テ、五常楽ノ急ヲ引澄ス。中将ハ琵
琶ヲ取テ掻鳴サル。女シバシハ琴ヲ付ケレドモ、後ニハ拍
子アワデ弾止ヌ。夜深行マヽニ、中将閑ニ心ヲ澄テ、「廻骨」
ヲゾ弾レケル。中将、「今生ノ楽ミトコソ観ズべケレ。何事
Ｐ３２３８（二三ウ）
ニテモ今一度承ン」ト被仰ケレバ、千手前、「一樹ノ影ニ宿、
一河ノ流ヲ汲モ、多生ノ縁猶深シ」ト云事ヲ、カゾヘスマイ
タリケレバ、三位心ヲ澄テ、「燈暗シテハ数行虞氏ノ涙、
夜深テハ四面楚歌ノ声」ト云朗詠ヲゾシ給ケル。是聞
テ人々申ケルハ、「西国ニテ如何ニモ可成給人ノ、離一門一ヲ
テ、人シモコソアレ、被生取一給テ、見馴レヌ軍兵ニ伴テ
下給ツラム道通、如何心細ク思給ツラン。雪山ノ鳥ノ『今日
ヤ明日ヤ』ト鳴ラムモ、又蜉蝣ノアダナル露命思合セラ
レ給覧ト哀也」ト申テ、鹿野介以下、聞人涙ヲゾ流
ケル。中将、鹿野介ニ、「各今ハ帰給へ。夢ミン」ト被仰テ、
Ｐ３２３９（二四オ）
枕ヲ西ニゾ傾ケ給ケル。八音ノ鳥モ鳴渡リ、衣々ニナル
暁、千手モイトマ申テ帰ニケリ。千手、兵衛佐ノ、持仏
堂ニ念誦シテオワシケル処ニ参タリケレバ、「千手ニハ
面白仲人ハシタル物哉」トゾ、兵衛佐ハ宣ケル。大膳太夫
広元、其時ハ因幡守ト申ケルガ、広庇ニ執筆シテ候
ケルニ、兵衛佐被仰ケルハ、「平家ハ弓矢ノ方ヨリ外ハ、嗜
ム事ハ無歟ト思タルニ、三位終夜琵琶ノ事柄口ズサミ、
優ナル物哉」トゾ宣ケル。広元閣筆一テ、「平家ハ代々相伝
ノ才人、此人ハ当世無双ノ歌人ニテ候。彼一門ヲ花ニ喩候
シニハ、此殿ヲバ牡丹ノ花ニ例テコソ候シカ」トゾ申ケル。又
Ｐ３２４０（二四ウ）
佐殿宣ケルハ、「三位ノ、『燈暗テハ数行虞氏涙』ト云朗詠
ヲシ給ツルハ、何ナル事ニテ有ヤラン」ト。広元申ケルハ、「ア
レハ、昔大国ニ楚ノ項羽ト申ケル帝、虞氏ト申ミメヨ
キ后ヲ被寵愛候ケリ。漢ノ高祖ト申敵、項羽ヲ
襲候ケルニ、馬ノ一日ニ千里ヲ飛ニ乗テ、此虞氏ト倶ニ
去ントシケルニ、馬イカヾ思ケム、足ヲ調テハタラカザリケ
レバ、項羽涙ヲ流テ、『我威勢既ニ尽タリ。今ハ可遁一方ナ
シ。敵ノ襲ハムハ事ノ員ナラズ。此虞氏ニ別ナム事コソ
悲ケレ』トテ、終夜歎候ケル程ニ、燈ノ闇ク成ルマヽニ、心細
テ、虞氏涙ヲ流ス。夜深ルマヽニ四面ニ時ヲ作リ候ケルナリ。
Ｐ３２４１（二五オ）
是ヲ橘－相－公ガ、『燈暗数行虞氏涙、夜深四面楚歌声』
トハ作テ候也」。又佐殿、千手ニ問給ケルハ、「中将終夜琵琶
ヲ弾給ツルハ、何ト云楽ニテ有ケルゾ」ト宣ケレバ、「初ハ五常
楽、次ニ皇〓ノ急ニテ候シガ、後ニハ廻骨ト云楽ニテ候」ト
申。広元是聞テ、「彼廻骨ヲバ、文字ニハ『カバネヲ廻ス』ト書テ
候。大国ニハ葬送之時必ズ用ル楽也。而ニ中将今生ノ栄花
尽テ、只今被誅一給ナムズル事ヲ思給テ、彼異朝ノ例
ヲ尋テ、葬送ノ楽ヲ弾レケルコソ哀ナレ」ト申ケレバ、
佐殿ヲ始奉テ、聞人涙ヲゾ流シケル。去十八日、在々所々ノ
武士ノ狼籍ヲ可止之由、可下（ ）宣旨一之旨、蔵人右衛門権佐定
Ｐ３２４２（二五ウ）
長宣旨ヲ承テ、頭左中弁光雅朝臣ニ仰ス。同廿七日ニ諸国
兵粮米ノ責ヲ可止之由、定長同ク頭弁ニ仰。サテモ中将ハ
御子ノ一人モオハセヌ事ヲ歎給シカバ、二位殿モ無本意事
ニ思ヒ、北方、大納言佐殿モ不斜歎給ケリ。神明仏陀ニモ
祈請シ給ヒキ。「賢クゾ御子ノ無リケル。有セバ何ニ心苦
カラマシ」ト、責ノ事ニハ被思ケリ。
十〔惟盛卿高野詣事〕 其比権佐三位中将ハ、讃岐ノ屋嶋ニ御坐ケルガ、都ニハ乙
和山ノ遅桜、北ハ開バ南ハ散リ、垂氷モ今ハ解終テヽ、〓［イ＋宇］ノ信
夫モ萌ヘヌラント、常ニハ都ノ事ノミゾ恋ハ被思ケル。此
浦ノスマヒ、浪上ノ有様、早晩ヲ可期一ナラネバ、是モ三
Ｐ３２４３（二六オ）
月十日、侍ニハ余三兵衛重景、近習者ニハ石童ト云
シ童、舎人ニハ武里ト云シ男、此等三人ヲ召具テ、更
闌人定テ、忍ツヽ屋嶋ノ館ヲ出給フ。阿波国伊吹
浦ヨリ鳴戸ノ澳ヲ漕渡リ、白浦〔浜〕、吹上、和歌浦、
玉津嶋ノ明神、日前国懸ノ社ヲバ只其トノミ伏拝、
紀伊国由良湊ト云所ヘ付給フ。自是シテ、「高山ノ林ニ
モ入、深谷ノ沢ニモ伝ツヽ、古郷ヘ上テ、恋キ人ヲモ今一度
見ン」ト思食ケルガ、様ヲ傷給ヘドモ猶人ニハ紛ベクモ
ナシ。本三位中将ノ被生取テ、京田舎人ノ口ニ乗ダニモ
心憂ニ、我サへ憂名ヲ流テ、差シモ賢ニオハセシ父ノ
Ｐ３２４４（二六ウ）
首ニ、血ヲアヤサム事口惜テ、千度百般心ハ進給ケレド
モ、恋ト恥トヲ比レバ、恥ハ猶モ悲テ、泣々高野山ヘ詣リ給
ヒ、人ヲゾ尋給ケル。抑人ト申スハ、三条斉藤左衛門太夫
茂頼ガ子息、斉藤滝口時頼トテ、小松殿ノ若侍ニテ
有ケルガ、道心ヲ発テ俄ニ出家シテ、此五六ヶ年
此御山ニ住ス。鶏冠挿（二）テ月宮一、縁覚之念積（レ）リ宇一、柳
糸宛（二）ヌ露塵一、墨子之悲ミ繁庭一ニ。触（二）テ於物一ニ催（二）シ観念一、
勤メ澄テ有ケルニ、尋相給ヘリ。時頼入道奉見一テ、夢
カ覚カトアキレ迷ヒ、涙ニ咽テ物モ申サズ。三位モ涙
ヲ押テ御詞モ出給ハズ。時頼入道良久有テ申ケルハ、
Ｐ３２４５（二七オ）
「屋嶋ヲバ如何ニシテ渡ラセ給タルゾ。実ニ覚トモ覚ヘ
ズ」ト申テ泣居タリ。中将宣ケルハ、「都ニテ如何ニモ可成一ル
カリシ身ノ、人並々ニ西国ヘ落下リタリツレドモ、肝心モ身
ニ側ハズ、旧里ニ留置シ者共ノ事ヨリ外ニ、心ニ懸ル事モ
ナク、世中アヂキナクテ年月ヲ経シカバ、大臣殿モ、『池大納
言ノ様ニ存ズル旨ノ有』トノミ宣テ、打解給ハネバ、最心モ不
留一、アクガレ出テ、是マデ迷来レリ。古里ヘ如何ニモシテ
尋入、不替一形ヲモ今一度見ヘタカリツレドモ、重衡卿ノ
被生取一テ、京鎌倉嫐ハルヽダニモ心憂ニ、此身サヘ恥
ヲサラシテ、父ノ骸ニ血ヲアヤサム事ウタテケレバ、是ニ
Ｐ３２４６（二七ウ）
テ出家ヲシ、水ノ底ニモ入ナムト思フゾ。但熊野山ヘ詣ント
思志有」ト宣モアエズ泣給フ。時頼入道申ケルハ、「実ニ夢
幻ノ世中、トテモカクテモ候ナム。長キ夜ノ闇コソ心苦ク
候ヘ。今ハカヽル世中ナレバ、都ノ事ヲモ可思食切一。出（二）ル分
段輪廻ノ郷一ニ物、必得（二）生滅之恨一、会（二）フ妄想如幻之家一ニ
族ラ、定テ有（二）別離之悲一ヲ。彼尋（二）沙羅林ノ春ノ霞一者、万徳ノ
月隠テ、一化之縁永ク尽キ、是聞（二）歓喜園ノ秋風一ヲ者、
五衰ノ露消テ、千歳ノ楽ミ是レ空シ。況ヤ於（二）人間電泡之質一
哉。況於（二）閻浮短命之州一哉。依之老ルモ去リ若モ去ル。々
テハ多ク廻（二）リ六趣之苦域一、貴モ逝キ賤モ逝ク。々テハ併
Ｐ３２４７（二八オ）
沈（二）ム三途之嶮岨一ニ。三界廿五之迺、誰人カ免（二）ン此苦一ヲ。五
虫干八百之類、何処ニカ離（二）タル其愁一哉。尤可厭一浮世
中ニテ候也」トゾ申ケル。
十一〔惟盛高野巡礼之事〕 其後滝口入道先達シテ、堂塔巡礼シ給フ。三鈷ノ松、
大塔ヨリ始テ詣給ニ、或ハ秘密修行之所モアリ、或ハ
即身頓悟之崛モ有、或ハ説法集会之庭モアリ、或ハ
習学鑚鋒仰ノ窓モアリ。五相成身ノ月ハ住（二）ミ八葉ノ峯一ニ、
胎金両部ノ曼荼羅ハ四十九院ニ充チ満テリ。振鈴声
々音信レテ、不（レ）劣（二）ラ伽陵頻一ニモ。加様ノ所々ヲ修行シテ、
蓮花院ヘ詣ツヽ、伝法院ヨリ奥院ヘ詣給ヒ、大師ノ御廟ヲ
Ｐ３２４８（二八ウ）
拝給ニ、涙モ更ニ不留一。抑彼ノ高野山ト申スハ、帝城ヲ
去テ二百里、郷里ヲ離テ無人声、晴嵐不鳴梢一ヲシテ、
夕日ノ影モ閑也。夫我祖師大師ハ、辞（二）シ法界摩尼之
楼閣一而出（二）慈悲之門一、止（二）テ当国伊都ノ南山一ニ而入（二）利生之
道一ニ給ヘリ。内外典ノ軸、々々ニ瑩キ珠一、大小乗之文、々々ニ磨ケリ
鏡一。委ク尋（二）吾朝之風儀一、広ク訪（二）。四海之流例一、唯〓（二）テ
六七宗之法燈一而赫（二）シ光於朝野一ニ、僅ニ立（二）テ、三四五之
教乗一ヲ、旋（二）ス轅於東西一ニ。我国ノ入（二）シ道照和尚之唐一ニ、窺ヒ（二）
顕宗於白馬寺一ニ、異朝ノ来（二）シ恵慈法師之朝一ニ、弘（二）ム妙法
於斑鳩ノ宮一ニ。皆学（ニ）テ五時之教文一、未ズダ（レ）汲（二）五瓶之智水一ヲ。
Ｐ３２４９（二九オ）
大師ハ至（二）シテ仏ニ号発願一而、祈（二）請シ金剛一乗之深教一、夢
中ニ蒙告一而、感（二）得ス遮那七軸之秘典一。依之、桓武天皇ノ
御宇延暦廿三年ニ、奉（二）テ詔命一入漢一給ヘリ。不（レ）憚（二）耽羅
留求ノ之虎性一ニ、不（レ）畏（二）漁渤滄海之鯨腹一。実ニ暴雨
穿テ帆一、〓風折（レ）シカバ柁一ヲ、随テ浪一昇沈シ、任テ風一ニ南北ス。海
中ニ裔々トシテ、無ク（二）一日之楽一、波上ニ掣々トシテ、二
月有余也。只見（二）テ天水之碧色一ヲノミ、未（レ）ダ見（二）山渓之白
霧一。如此凌レテ難一、仲秋ニ着（二）衡州一ニ、大呂ニ至（二）ヌ長安（一）ニ。依
（ ）勅一ニ留（二）住于西明寺一、尋テ師一往（二）詣ス于東塔院一ニ。幸ニ
逢（二）テ恵果内供一、仰（二）ギ灌頂之師主一ト、深ク学（二）シテ両部之大法一、
Ｐ３２５０（二九ウ）
伝（二）フ諸尊瑜伽一。超（二）過テ三千七百里之鯢海一、懐（二）虚往
実帰之慶一ヲ。請（二）来シテ二百六十部像教一、渡（二）ル白浪蒼
波之路一ヲ。投（二）テ三〓［月＋古］於紫雲中一ニ、兼テ点（二）ジ密法相応之勝
地一、航（二）孤舟於蒼溟之上一、正ク開（二）ク密教瑜伽ノ貝葉一。
平城ノ聖代ニ凌（二）テ〓海一ヲ而帰（二）リ本朝一ニ、嵯峨之明時ニ
蒙（二）テ鳳詔一弘（二）馬台一ニ。サレバ大師御詞ニハ、
解（二）シ纜ナヲ於波上一ニ当初ハ、如（下）シ執（二）テ鑞刀一ヲ向（上レ）ヘルガ巌一ニ。
被（二）ル勅於天下一只今ハ、似（下）リ振（二）テ利剣一靡（上レ）カスニ旗一ヲ文。
依之、大日内証之余暉者、広ク曜（二）キ一朝一ニ、遍照外用之遺
塵者、普ク盛（二）ンナリ吾朝一ニ。粟散辺土之境、始テ翫（二）ビ四種曼
Ｐ３２５１（三〇オ）
荼之〓一ヲ、葦原中ツ州ノ之郷ト、終ニ馴（二）ル五相観念之月一ニ。法
相三論之侶、常ニ聞（二）キ自心成道之旨一、花厳天台之族カラ、適テ
〓（二）フ即身頓悟之教一。但法身説法之談、入我々入之観ニ、
至（二）テハ南都北嶺之名匠（一）、集（二）テ于朝庭一而致（二）シ孤疑一、四教
五時之学徒、合（二）于天闕一而作（二）ス敵対一。爰大師、為（レ）メ示（二）ンガ波
迷方之律一ヲ、為（レ）ニ解（二）ガ聖ノ邪執之凍一、忝ク倍（二）ヘテ清涼之鸞殿一ニ、
奉（レ）リ対（二）ヒ明時之龍顔一ニ、手ニ結（二）ビ秘印一、口ニ誦（二）シ密語一、心ニ凝（二）シ観念一、
身ニ備（二）ヘ軌儀一給シカバ、面門俄ニ開ケテ、成（二）リ遍照黄金之色躰一ト、眉
山忽ニ顕レテ、放（二）ツ大日白毫之光明一。威徳具足シテ光リ朗ナリ。銀漢
之秋月、怨（レ）ム有（レ）コトヲ曇一リ。相好身ニ備テ色鮮ナリ。金谷之春花、愧（レ）
Ｐ３２５２（三〇ウ）
無コトヲ匂一ヒ。向（二）南方一不動坐一ヲ、示（二）シ当座成覚之効験一、誕（二）シテ東隅一ニ
不変身一、彰（二）ハス現身作仏之教力一。是以、帝王去リ席一、皇后
刷フ衣一。諸宗合掌一、百寮傾ク頭一。寔南都六宗之賓、
跪テ地一稽頼シ、北嶺四明之客、俯シテ庭一ニ接足セシヨリ以来、
成仏遅速之立波ニハ、道雄道昌閉口一、法身色声之難
答ニハ、源仁円澄巻ク舌一。四宗帰伏シテ〓（二）門葉一ニ、一朝信仰シテ
稟（二）ク道流一。甚 深 哉、秘密教、以（二）凡躰一成（二）ス仏躰一。最上哉、
神通乗、以（二）生身一成（二）ス法身一ヲ。六大無礙故ニハ、不（レ）隔（二）生界於仏
界一、四曼不離之故ニハ、無（レ）分（二）コト凡身於聖身一。寔是迷悟
不二之瑜伽也。寧非（二）生身即一之秘方一ニ乎。今此所ト申
Ｐ３２５３（三一オ）
スハ、自（二）異朝一被モ投一、尋（二）テ三〓［月＋古］ノ光一、草創シ給ヘル処也。彼
三〓［月＋古］松ト者、三鈷落留給シ松也。大師漸ク重（二）ネ六十二ノ春秋一、
数ハ積（二）テ四十一之夏臈一、承和二年三月廿一日ノ暁ニ、不（レ）シテ改（二）メ血
肉之身一而、入（二）金剛之定一、不（レ）シテ変（二）生死之質一ヲ而、坐（二）シ玉ヘリ石巌之窟一ニ。
顔色如昔一、容儀在ス今一。待ニ期（二）シ慈氏出世之暁一、約ルニ限（二）ル逸
多出生之日一。納（二）テ羅漢之禅儀一於（二）牛角山一ニ而、〓レ望（二）ニ
龍花之朝露一、構（三）テ迦葉之定室於（二）鶏足ノ洞一ニ而、似（レ）期（二）ニ翅頭
之春風一。凡西天東土、雖（二）境 異一リト、坐禅入定之礼儀是同ジ。
サレドモ彼ハ則チ顕教一心之浅定滅尽ニシテ、帰（二）ス灰炭一ニ。此ハ又
秘蔵三密之深禅堅固ニシテ、無（二）動転一。只非（レ）施（二）スノミニ慈悲於一窓之
Ｐ３２５４（三一ウ）
雲一、亦令（レ）被（二）ラ利益於万邦之霞一ニ。延喜之聖主、醍醐之明
帝ノ行李ニハ、当（三）テ石崛霽（二）霧一而刷（二）ヒ衣裳一、治安ノ禅定
大相国ノ斗藪ニハ、驚（三）テ廟堂仆（二）〓［木＋長］一而感（二）ズ奇瑞一。唱定雖（二）
歳旧一リト、効験日是新ナリ。鐘谷之応無疑一、水月之感有恃一ミ。
惣テ三密五智之水ハ、満（二）テ四海一洗（二）ヒ塵垢一、六大四曼之月ハ、耀（二）テ
一天一ニ照（二）ス長夜一ヲ砌也。自（二）慈尊院一迄（二）于大塔一ニ百八十町、表（二）ス
胎蔵界之曼荼羅百八十尊之図絵一ヲ。自（二）大塔庭（一）、至（二）于奥
院一ニ三十七町、当（二）ル金剛界之曼陀羅三十七尊一心地也。始（レ）テ自（二）
大塔金堂（一）、至（二）于諸堂諸院一ニ、皆移（二）シ密厳世界之儀式一、又
顕（二）セリ花蔵世界之作法一。山ハ峨々トシテ高ク聳へ、眇々トシテ
Ｐ３２５５（三二オ）
無際一モ。花色ハ僅ニ綻（二）ビ林霧ノ底一ニ、鐘ノ音ハ幽ニ響（二）ク尾上ノ霜一ニ。
嵐ニ紛振鈴、雲居ニ見ル香ノ煙リ、取々ニゾヤ覚ル。
十二〔観賢僧正勅使ニ立給シ事〕 抑延喜御門ノ御時、御夢想ノ告有テ、櫓皮色ノ御装束
ヲ当山エ送ラセ給シニ、般若寺僧正観賢、勅使ヲ賜テ、
詣（二）テ奥院一、押（二）開テ御帳一、御装束ヲ進替ムトシ給ケルニ、
霧深ク立渡テ、大師ノ御姿見ヘサセ給ハズ。御弟子ニテ
石山ノ内供淳祐ト云人オハシキ。則其故ト省クテ、深ク涙
ヲ流ツヽ、「我生テヨリ以来、未（レ）ダ犯（二）禁戒一。依テ何一カ大師ノ御
躰見サセ給ハザルラン」ト、五躰ヲ投地テ、発露涕泣シ給
シカバ、忽ニ霧晴レテ、秋月ノ出（二）ルガ山ノ端一如シテ、御形顕レ
Ｐ３２５６（三二ウ）
御シケリ。各随喜ノ涙ニ香染ノ御衣ヲ絞リアエサセ給ハズ。
即御装束進セ替奉テ、御髪ノ五尺二寸ニ生ヒ展
サセ御シタリケルヲ、奉レ剃テケリ。内供ハ御膝ヲ探リ
進セサセ給タリケリ。其御移香不失一シテ、石山ノ聖教ノ
箱ニ未残リタリトカヤ。御入定ハ仁明天皇ノ御宇、承和
二年ノ事ナレバ、過ニシ方モ三百歳、星霜年久クナレリ。
猶行末モ五十六億七千万才ノ後、慈尊ノ出世、三会ノ暁
ヲ待給ランコソ遙ナレ。「哀レ、惟盛ガ身ノ雪山ノ鳥ノ鳴
ラム様ニ、今日ヤ明日ヤト思物ヲ」ト宣テ、涙グミ給ゾ
哀ナル。焼レク浪塩風ニクロミ、尽セヌ物思ニ衰テ、其形トハ
Ｐ３２５７（三三オ）
見ヘ給ハネドモ、尚人ニハマガフベクモナシ。如何ナル怨敵ナリ
トモ、ナドカ哀ヲ可不懸。其夜ハ入道ガ庵室ニ帰テ、来方
行末ノ物語シ給テ、泣ヨリ外ノ事ナシ。出家ハ明ルヲ待チ、不
替一形モ今計ナリ。御心ノ中、押量ラレテ哀也。此庵室ト
申スハ、年来住荒シタリケレバ、軒ニハ信夫生滋リ、庭ニハ
櫁ノ花ガラ積タリ。至極甚深ノ床ノ上ニハ、磨（二）キ真理ノ玉一ヲ、
後夜晨朝ノ鐘ノ音ニハ、覚（二）ス生死之眠一ヲ。四皓ガ住シ商山、
秦ノ七賢ガ竹林モ、カクヤ有ケント覚ヘタリ。彼滝口、朝ニ
使ヘシ時ハ、布衣ニ立烏帽子清気ナリシ者ノ、未三十余ノ
齢ナレドモ、老僧姿ニヤセクロミ、黒キ衣ニ同ジ袈裟、ヒマ
Ｐ３２５８（三三ウ）
ナククレル数珠マデモ、思入タル其気色、浦山敷サヤ増
リケム、ノガレヌべクハ、角テモアラマホシクゾ被思ケル。
人間八苦、眼ノ前ニ顕レ、天上ノ五衰モ加様ニヤト哀也。
十三〔時頼入道道念由来事付永観律師事〕 抑滝口ガ道念ノ由緒ヲ尋ヌレバ、女故トゾ聞ヘシ。建礼門
院ノ御中ニ、借裳、横笛トテ二人ノ曹仕アリ。借裳ト
云シ女ヲバ越中次郎兵衛思ケリ。横笛ヲバ時頼忍ビテ
通ケリ。彼等ガ二親申ケルハ、「我レ々存命之時、何ナル便
不付一シテ、宮仕人ニ身ヲ成シテ有ニ、無甲斐振舞スル」ト
云ケレバ、盛俊ハ思留リヌ。時頼ハ志不浅一リケレバ、ツヽムニ
堪ヘヌ事ナレバ、自然トシテ顕レヌ。茂頼此事聞付テ
Ｐ３２５９（三四オ）
様マ々ニ諫ケレドモ、イサメニモ不拘一ラ、「此世幾程モ有マジ
キ所也。設ヒ長命也トモ、七八十ニハヨモ過ギジ。栄花有ト
テモ、廿年ニハ過ベカラズ。楽シケレバトテ、悪クカラム女ニ相具
テハ何カハセム。親ノ諫ヲ背カバ不孝ノ罪業難遁一。依之
女ヲ捨ムトスレバ、神ニ係テ契シ昵言モ皆詐ト成ヌべシ。
サレバ楽天ノ詞ニハ、『人非（二）木石一ニ皆有情一。不（レ）如（二）傾城ノ色ニ相ハザ
ラムニハ一』ト宣ヘリ。今此事ヲ思ニモ、身ヲ山林ノ間ニ宿シ、命
ヲ仏陀ニ仕奉テ、『設我得仏、十方衆生、至仏信楽、欲生我国、
乃至十念、若不生者、不取正覚』ノ文ヲ憑テ、シカジ出家ヲセ
バヤ」トゾ思ケル。十月二日、殊ニ取装束シテ、小松殿ヨリ内裏ヘ
Ｐ３２６０（三四ウ）
参リ、殊ニ更人々ニ対面シテ、今日ヲ限ノ出仕ナレバ、龍顔ヲ拝ミ
奉ム事モ此ヲ限ト思ヘバ、〓ロニ涙ヲゾ流シケル。其夜ハ横笛ガ
許ニ留ニケリ。今夜ヲ限ノ契ナレバ、サコソハ悲ク思ケメ、行末
来方ノ事共思連ケテ、ソヾロニ涙グミケレバ、横笛危
ミテ、「何故カクハイタク塩折給ヘルゾ」トアヤシミナガラ、「イ
ツトナキ言ノ葉ニハ、出仕ヲノミ物憂キ事ニ思給ヘル事ナ
レバ、サソノ一夜ヲ」ト思ケレドモ、五更ノ天ニ夢覚テ、八音ノ鳥
モ頻ニ鳴。有繋ガニ人目モツヽマシケレバ、時頼ハ三条ノ宿所
ヘモ行カズ、嵯峨ニ年来憑奉ル聖アリ、彼コニ行テ
聖ヲ尋出テ、「出家ノ志有テ詣タリ」ト申ケレバ、聖人
Ｐ３２６１（三五オ）
答云、「御出家コソ何ニモアラマホシキ事ニテ候ヘバ、自是一
モ勧申度ウ候ヘドモ、御齢モ未サホドノ御事ニ非ズ。都
ヨリモ定テ御トガメ候ヌト覚候ヘバ、進退極テコソ候ヘ」ト
申セバ、時頼申ケルハ、「齢サマデノ仰コソ有ベシトモ覚
候ワネ。此ノ世中ノ習ハ老少不定ノ堺ニテ候物ヲヤ。老タルガ
去リ、若ガ留候ハムニハ、父母ニ先立子候ナムヤ。朝ハ翠ノ皃セヲ
百年トカキ梯レドモ、夕ニハ竹馬ノ鞭ヲ捨、ヨモギガ本ニ
送置ク。只道ノ側ノ土ト成リ、年々ニ草ノミ滋ルメリ。都
ヨリモ何故ニカトガメ候ベキ。トウ＜」ト申ケレドモ、「理ハ
猿事ニテ候ヘドモ」トテ、猶憚テ不剃一。其時滝口聖ヲ恨、
Ｐ３２６２（三五ウ）
「サテハ聖人ハ菩薩ノ行ヲ立テヽ、一切衆生ヲ導給事候ナムヤ。
是程ノ事ヲ御憚有テハ、イカヾハセサセ給ベキ」トテ、自ラ本
鳥ヲ押切ケレバ、聖人不及力一シテ、髪ヲソリ戒持タセケ
リ。生年廿五ニシテ本鳥ヲ切リ出家シテ、西山嵯峨ノ釈
迦堂ノ辺、法輪寺ノ内、往生院ト云処ニ閉籠テ、行澄テ居
リケリ。横笛此ヲバ不知、絶ヌル夜半ヲ恨テ、「何ナル淵川ニモ
投身一バヤ」ト思ケル程ニ、或人申ケルハ、「斉藤滝口時頼コ
ソ、去ル三日、嵯峨ニテ出家シタリト聞ケ」ト申ケレバ、横
笛此事ヲ聞テ、泣々彼コへ尋行、比ハ神無月中ノ六日ノ
事ナレバ、響レク嵐鐘ノ音、深行マヽニ心澄ミ、涙ニ濡ル袖
Ｐ３２６３（三六オ）
ノ上ニ、木葉ノ積モ不払敢一。梅津里ニ吹風モ、春ニアラネ
バ身ニシミ、桂郷ノ月影ハ雲居遙ニ澄昇ル。亀山ヤ、スソ
ヨリ出ル大井川、イトヾ哀ゾ増リケル。往生院ニ尋入テ、庵
室ノ側ニ至シカバ、庭ニハ蓬生滋リ跡踏付タル事モナク、
軒ニハ信夫匍係リ、四壁幽ニ見ヘタリケリ。憂節
繁キ竹柱近ク立寄テ聞ケバ、折節入道古歌ヲゾ詠ケル。
世ヲ厭ヒ浄土ヲ傾フ墨染ノ有繋ガニヌルヽ袖ノ上哉
横笛聞之テ。
恨敷ヤ早晩カ忘レム涙河袖ノシガラミ朽ハハツトモ
女申ケルハ、「今マデ御出家ヲ知セサセ給ヌ事ノ心憂サヨ。如何
Ｐ３２６４（三六ウ）
ナル時、虎臥野辺エモ、蓬ガ杣マデモ、オクレジト契給
シゾカシ。イツノ間ニ替ケル御心ゾヤ。昔ノ好難忘一テ、是マデ
尋参タリ。縦一宇ノスマヒコソ不叶ドモ、谷ヲモ隔テ峯
ヲモ連ネテ、互ニ善縁トモ成リ、一蓮ノ身トモ成ム」ト云ヒモ
アエズ泣ケレバ、滝口入道、破無ク思シ女ノ音ト聞ニ、胸騒ギ、
書キ暮ラス心地シテ、馳リ出、見バヤト思ヘドモ、「サテハ仏ニ成ナムヤ。
生死ノ紀綱ニコソ」ト心強ク思テ、弥返事モセザリケリ。横笛、
「是マデ奉尋一タル無甲斐一モ、ウタテクモ閉龍給ヘル御
心ヅヨサカナ。人ハゲニサモ無リケル物故ニ、吾身一ニカキクレテ
思心ハ、何カ計女ノ身程ニ心憂物ハナシ。今生ノ対面セムモ今
Ｐ３２６５（三七オ）
計、責テハ御音計ヲモ聞カセサセ給ヘ」ト云ケレバ、滝口
申ケルハ、「誰故ニカヽル道ニモ思入ゾトヨ。今世ノ対面不可有。
有契者、一蓮ノ上ニト祈給ヘ」ト計ニテ、出合事ゾ無リケル。
女是ヲ聞テ、恨ノ涙セキアエズ、押ル袖モ露ケクテ、自ラ
髪ヲ押切テ、庵室ノ窓ニ投懸クトテ。
剃ルマデハ浦見シ物ヲアヅサ弓誠ノ道ニイルゾウレシキ
時頼是ヲ聞テ。
ソルトテモナニカウラミムアヅサ弓引留ムべキ心ナラネバ
横笛ハ出家シテ、東山清岸寺ト云所ニ行澄テ居タリケ
ルガ、彼所ハ都近シテ、知モシラヌモ押並メテ、問事シゲキ
Ｐ３２６６（三七ウ）
宿ナレバ、トガムル事モ右流左クテ、何レノ山ノ辺ニモト、ア
クガレ行ケル程ニ、桂河ノ辺ニテ、「如何ナル男ナレバ、吾故ニ
カヽル道ニモ思入ゾ。イカナル女ナレバ、ツレナク浮世ニナガラエ、
心ニ物ヲ思ラム。
恋シナバ世ノハカナキニ云ナシテ無跡マデモ人ニ知スナ」
トテ、此川ニ身ヲ投テ失ニケリ。入道ハ往生院ニ有ケルガ、
彼所ハ青岸ノ傍ニ聳タル高山也。彼コニシテ過来シ都
ヲ顧レバ、霞ノ下ニハ燈ノ影幽ニ見ヘ、折節ニ付テハ問来ル人モ
シゲクシテ、坐禅ノ床モ不閑一、念誦ノ心モ乱レケレバ、山崎
宝寺ニ移テ、「寂寞無人一而、固ク閉（二）空生之室一、箪孤
Ｐ３２６７（三八オ）
任意一二而、自ラ伴（二）フ三楽之翁一ニ」ト観テ、行澄テ居タリケルガ、
横笛ガ事ヲ聞テ、「都近クスマヒシテ、加様ニ心憂事ヲ聞ニ付
テモ、傾道ノ障トモ成ヌベシ。我身コソアラメ、年荘ナリ
ツル女ヲサヘ、世ニ無者ト成シツル事ヨ」トテ、南都東大寺ノ永
観律師ノ旧キ庵室ヲ尋テ行ニケリ。抑永観律師ト
申ハ、年来念仏ノ志深シテ、不思名利一、捨世タル如ナリケ
レドモ、サスガ君ニモ奉仕一、知人ヲモ忘レザリケレバ、故深
山ノ奥ヲ、求給事モ無リケリ。東山禅林寺ト云所ニ籠居テ、
人ニ物ヲ借シテナム、月日ヲ送ル謀ニゾシ給ケル。春秋ニ付テ、
ウルサカルべケレドモ、是ヲ見掟ル人モ無シ。借ス時モ納時モ、持来
Ｐ３２６８（三八ウ）
レル人ノ心ニ任テ沙汰セサセケレバ、中＜仏ノ物ゾトテ、聊モ不法ナラ
ザリケリ。「禅林春ノ朝ニハ、花色自ラ増シ観念一、孤山ノ秋暮ニハ、
風ノ音纔ニ為知識一」ト観給テ、明シ暮シ給ケリ。白河院御宇、
此律師ヲ東大寺ノ別当ニ補シ給フニ、聞人驚シ耳目一、「ヨモ請
取給ハジ」ト云ヒシ程ニ、思ノ外ニ成給ニケリ。弟子共・親類、末寺・庄
園ヲ諍ケレドモ、一所モ不預人一ニ、伽藍ノ修造ニ寄給フ。無程
両三年ノ内ニ造営事終シカバ、軈辞退申スニ、君又ト
カウノ仰無クテ、他人ヲ別当ニ成シ給フ。能々人ノ心ヲ合セタル態ノ
様ナリケレバ、時ノ人申ケルハ、「寺ナムドノ破壊シタル事ヲバ、此
人ナラデハ心安ク沙汰スベキ人無」ト思食テ、被仰付タリケルヲ、
Ｐ３２６９（三九オ）
律師モ心得テ請取給ニケリ。此庵室ト申ハ其比住給ケル
所也。此上人モ思ヨリシテ、発心シ給タリケルヤラム、
呉竹ノ本ハアフヨモシゲカリキ末コソ節ハ遠ザカリユケ
ト読タリシ人也。此庵室モ猶心ニ叶ハザリケレバ、イカナラム
深山ノ奥ニモトゾ思ケル。便有テ、大師入定ノ聖跡、秘密伝法ノ
霊場、紀州伊都ノ南山ニ登テ、始テ清浄心院ニ住ケルガ、後
ニハ蓮花谷梨子坊ニゾ居タリケル。一門ノ人ハ此事ヲ聞テ、
「高野山ノ聖人」トゾ申ケル。サレバ、菩薩ノ得無生忍、猶古郷
ニテハ難シ顕於神通一ヲ。何況発心ハ止ン事ナケレドモ、不退ノ位ニ至
ラネバ、触レテ事一易乱一。古郷ニ住ミ知人ニ交テハ、争一念ノ妄心ヲ
Ｐ３２７０（三九ウ）
起サヾラム。サレバ香ノ煙ニフスボリテ、五十計ニ見ユルニ付テモ、
不断長日ノ勤モ絶ザリケリト覚タリ。
十四〔惟盛出家シ給事〕 サテ請戒師一、出家セムトシ給。中将、余三兵衛、石童丸ニ宣
ケルハ、「我コソカヽル道狭ク難遁一身ナレドモ、己等ハ如何ナル
有様ヲストモ、ナジカハナガラヘザルベキ。如何ニモ成ナム後ヲ見ハ
テヽ都ヘ帰リ、命ヲ助カリ、少者共ヲモ顧」ト宣ヘバ、二人ノ者
共ハラ＜ト泣テ、口惜ゲニ思タリ。重景申ケルハ、「父景康
平治ノ合戦ノ時、故殿ノ御共ニテ、義朝ノ郎等鎌田兵
衛正清ニ組テ、悪源太義平ニ被打候ヌ。其年重
景二才也。母ニハ七才ニテ後レ候ヌ。哀糸惜ト申者モ
Ｐ３２７１（四〇オ）
候ハザリシヲ、『景康ハ我命ニ替タリシ者ナレバ』トテ、殊ニ
御哀候テ、御前ヨリ被生衣立一進セテ、九ト申シ年、君ノ
御冠服候シニ、同夜本鳥ヲ被取上進セテ、『盛ノ字ハ家
ノ字ナレバ五代二継ス。重ノ字ヲ松王丸ニ賜』トテ、重景トハ
付サセ給テ、童名ヲ松王ト仰候シモ、『此家ヲ小松ト云ヘバ
祝テ付也』ト仰候キ。御冠服ノ歳ヨリ、取分君ノ御方ニ候テ、
一日片時モ立離進セズシテ、今年ハ既ニ十九年ニ罷
成。故大臣殿世ヲ早セサセ給シ時モ、此世ノ事思食捨テ、
一事モ被仰置事無カリシカ共、『重景、少将殿ニ宮仕
能シテ、御心ニ違ナ』ト計コソ、最後ノ御詞ニテ候シカ。東方
Ｐ３２７２（四〇ウ）
朔ガ一万歳オ経シ、不替其形一ヲシテ不残留一。西王母ガ有様モ
其名計ゾ留ケル。君ノ神ニモ仏ニモ成給ナム後、何ナル楽ミ
栄有トモ、可有世トコソ覚ヘ候ハネ」トテ、即本鳥押切
テ、時頼入道ニ剃レケリ。石童丸モ髪ヲ本結際ヨリ切ニケリ。
是モ八ヨリ奉仕一、ミメ形ナダラカニ、心様優ナル者ナリケレバ、
糸惜クシ給事、重景ニモ劣ラザリケレバ、加様ニ志深奉（レ）思
ケリ。今年ハ十八ニゾ成ニケル。此等ガ先立テ被剃ヲ見給
テ、中将御涙セキアヘズ。「流転三界中、恩愛不能断、棄恩
入無為、真実報恩者」ト三度唱テ、已ニ被剃一給ケリ。「北方ニ
替ラヌ形ヲ今一度見ヘ奉テ角モ成ラバ、思事アラジ」ト思食ゾ
Ｐ３２７３（四一オ）
罪深キ。中将モ重景モ同年ニテ、廿七ニテゾオハシケル。
武里ヲ召テ宣ケルハ、「吾ハ都ヘハ不可帰一。今一度何事モ云遣
バヤト思ヘドモ、今ハ世ニ無キ者ト聞バ、思絶デ様ヲモ替、躰ヲモ
弊ム事モ不便也。少者共ノ小賢ク歎ム事モ糸惜シ。遂ニ
隠レ有マジケレドモ、イツシカ知セジト思ゾ。迎取ント誘置シ
事モ終ニ空ク成ヌ。如何計ツラク思ラム心中ヲバ不知一、恨モ
多カルラム」トテ、御涙セキアヘズ。「只自是屋嶋ヘ帰テ、三位
中将、新小将ニモ有様ヲ申セ。侍共モ如何ニ不審ニ思ラム。
誰々ニモカクト不知シテ、何ニ恨ラムト思コソ侘シケレ。抑
唐皮ト云鎧、小烏ト云太刀ハ当家嫡々相伝シテ、我マデハ既ニ
Ｐ３２７４（四一ウ）
八代也。其冑、太刀ヲバ貞能ガ許ニ預置タリ。取テ三位中将
ニ奉レ。若不思議ニテ世ニモ御坐バ、後ニハ六代ニ可賜。左中
将清経モ海中ニ沈ミ、備中守師盛モ一谷ニテ被打ヌ。
惟盛サエ又カク成ヌ。如何計無便一思ズラム。遂ニ可遁ナラネ
バ思立ヌト申セ」トテ、御涙又セキアエズ。
十五〔惟盛粉河ヘ詣給事〕 「自是熊野ヘ参ラム」ト宣へバ、時頼入道御共シテ、山臥ノ形
ニテ出給フ。入道申ケルハ、「順道ニテ候上、無双之霊地、粉
河ノ生身観音ニ御詣候ベシ。当山ノ大師ハ、法懐大徳ガ欣求
安養之志有テ、師弟両人之住所ヲ祈シニ、『師ハ霊峯ニ留テ
可登覚山一。汝ハ粉河ニ住テ可渡苦海』ト示シ、日吉山王ハ石
Ｐ３２７５（四二オ）
崇上人三菩提ヲ求シカバ、『吾朝ノ往（二）テ補陀落山一ニ、可（レ）ト期（二）仏国
之不退転地一ヲ』宣ヘリ。殊更御志候。熊野権現ハ、公舜法印、厭（二）
電泡之郷一ヲ申シ時、『垂跡之光ハ朗ナレドモ、来迎引接ハ本
地ノ称也。粉河ノ生身ノ観音ニ祈申セ』ト蒙（二）御示現一、則詣（二）
彼寺一ニツヽ、始（二）百日之参籠一、毎日法花ノ肝心ヲ講讃シテ、『願ハ
往生之得不ヲ示給ヘ』ト祈シニ、『法花即我身、我亦極楽
主、汝讃嘆於我、我来迎於汝』ト云、蒙（二）テ四句ノ偈文一、遂（二）ト
往生一ヲ見タリ。来世ノ引接ヲ祈御坐ムニ不可有疑一」ト申
ケレバ、即時頼ヲ為（二）御先達一ト、其日ハ粉河ヘ詣給フ。先大門ヲ
指入テ、最初出現之霊崛、御池ヲ拝給ヘバ、童男大伴之影像、
Ｐ３２７６（四二ウ）
御堂ノ左右ニ立給ヘリ。前ニハ開（二）朱雀一而万里之波漫々タリ。遙ニ
迎（二）フ海岸孤絶之新月一ヲ。後ニハ峠（二）玄武（一）而千年之緑蒼々タリ。
遠移（二）セリ耆闍崛山之旧風一ヲ。梧桐ノ花開テハ鳳凰モヤ住
ヌラム。竹〓林閑也。白氏ノ霊モヤ通ラム。カクテ放光瑞
相之勝地、根本精舎ヘ詣給ヒ、見（二）レバ庭上一ヲ、藤原宗永
ガ四五朶ノ山ノ八重桜ヲ、狩猟之時求得テ、依（二）霊夢一ニ献
ゼシ桜モ既ニ開散レリ。是ヲ見給テ中将カクナム。
ツネニナキ浮世ノ中ニサキ初メテトマラヌ花ヤ吾身ナルラム
抑当寺者、光仁天皇御宇、宝亀元年ニ、大伴孔子古
ト云シ人建立之所也。伏開（二）タルニ縁起文一曰、昔大伴孔子古ト
Ｐ３２７７（四三オ）
云人アリ。糜鹿ヲ遂ヲ以テ業トシ、久ク発（二）テ造仏和南ノ心願一ヲ、
雖（レ）積（二）星宿一、而未ズダ（レ）遂（二）神樹之瑞光一ヲ。帯タル御衣木切レテ、
充（二）一体之要一ニ。童子ノ好手ト称スル、閉（二）テ編戸之柴一ヲ、成（二）ス七日ノ
約一ヲ。驚（二）テ一声一ニ而破（二）ル一夢一ヲ。忽ニ赴（二）ニ払暁之先路一ニ、霊木有
テ霊童ハ無シ。新ニ現（二）ス満月之尊容一ヲ。檀度之仁、独リ致（二）シテ
信仰一ヲ、叢衆之人、未（レ）得（二）参詣一ヲ。爰河内之佐太夫之家中ニ
有（二）愛子一。一度嬰（二）テ固疾一ニ、万方スレドモ不（レ）〓一。童男行云。
即チ誦（二）陀羅尼一、声ニ応テ平復ス。父母親族、贈（二）ル諸ノ布施一ヲ。
頭ヲ揺テ辞去ス。只執（二）テ一ノ帯一ヲ、以期（二）ス再会一ヲ。山ヲ行テ歴（二）
数里一ヲ、白水ノ色ヲ見出ス。泝（レ）テ流一ニ得（二）タリ孤庵一ヲ。粉河之詞ヲ思
Ｐ３２７８（四三ウ）
出ス。大悲者之姿タ、宛如（二）シ〓陽之金ヲ瑩一ケルガ。施無畏ノ御手ニ
掛（二）給ヘリ往日之帯一ヲ。草創年旧テ、風火ニ侵ルヽ事モナク、常
燈ノ不レ滅ヘ奇特、精舎ノ〓蒼タル有様ヲ拝見スルニ、浄信弥
増テ感涙難レ押。惣テ我朝之勝事也。千手千眼之生身ハ、風
猛山ニ重レレ跡一、一草一木之萌芽ハ、仏種ナラズト云事ナシ。希
異也、又奇異也。大悲也、極大悲也。殊更内陣ノ作法ハ、参詣之
侶ハ翹（二）於足一。不異（レ）ナラ瞻（二）仰スルニ菩薩ノ底沙一ヲ。入来ノ彙ハ黙然
タリ。相（三）同ジ信（二）受スルニ身子之龍女一ヲ。読経ハ呑レム声ヲ、悉地ヲ心ノ中ニ
祈ル。念誦ハ噤レロヲ、願望ヲ胸ノ底ニ蔵セリ。是偏ニ合掌ノ〓
成テ、停二ル高声之儀一ヲ者也。石壇ニ潮ヲ満テリ。補陀落山之波、
Ｐ３２７９（四四オ）
御法ニ和スル音スナリ。梵閣ニ燈有リ。五百余歳之今マ
デモ風ニゾ知レザリケル。サレバ花山ノ法皇ハ忝ク御幸シテ、
昔ヨリ風ニ不知燈ノ光ニ晴ル長キ夜ノ夢
ト被遊ケム、常燈ヲ拝給ニモ、「無始ノ罪障モ消ヌラン」ト
ゾ被思ケル。三十三反ノ礼拝事畢テ、「南無帰命頂礼、
自然涌出ノ千光眼、慙愧懺悔、六根罪障、過現所犯、一時消
滅」トゾ聞ヘシ。其後社壇ヲ拝スレバ、瓊宮陽ニ輝テ、和光
之光赫奕タリ。松〓垂テ露一ヲ、霊洞ノ苔攸揚タリ。
中ニモ地主丹生明神ハ、天照大神之妹、月読ノ尊ノ御事
也。論（二）レバ本覚之真位一、則登（二）花蔵之月一ニ、仰（二）ゲバ応化之垂跡一ヲ、又
Ｐ３２８０（四四ウ）
交（二）ル叢祠之露一ニ。去ル延暦三年甲子三月十六日ニ、大伴ノ山l見
依（二）御詫宣一、自（二）彼ノ岩松山（一）、遷（二）風l猛l山一ニ崇奉ル。件ノ夜、
山見祝申ノ有ケルニ、権現詫シテ宣ク。
曽昨住（二）鬼門之石上（一）、伏（二）伽藍之怨魔（一）。
従（レ）今移（二）仏戸之樹下（一）、護（二）薩〓［土＋垂］之仏法（一）云々。
伏テ案レバ、神則霊験無双之六廟祠、飜（二）シテ垂跡一、顧（二）ル本地於遮
那覚海之浦一ニ。仏ハ又自然応来之千光眼、閣（二）テ宝亀一、算（二）フ
遠寿於補陀落界之塵一ニ。寔是本迹雖異一リト、不思議一
也。抑当寺為躰、望バ東一則号（二）セル石松山一ト一ノ霊山峙テリ。
鶴ハ住（二）ンデ君子ノ樹一ニ、囀（二）リ吾君之徳一ヲ、風ハ摂（二）マリテ太夫ノ枝一ニ、顕（二）ス
Ｐ３２８１（四五オ）
政代之恵一。顧レバ西一、又樢尾廟有リ。聖女ノ花房斜ニテ、
山下照ス岩樢、夕紅ニ色ハエテ、夜遊ノ人ゾ目ニ立テル。前ニハ
則吉野河、岩波早ク流ツヽ、霞敷ク春ノ朝ニハ、青根ガ峯
ニサク花ヲ、散リカモ来ルト待程ニ、夜ノ間ノ風ノサソイキ
テ、井関ニ波ノ文ヲ織リ、後ニハ又葛木山ノ秋風モ吹
下セバ、スソ野ノ原ノ糸萩ニ、露ノ玉貫ク操枝モ、錦
ヲ裁ゾ重ネタル。自其忍戒大徳建立ノ地、薬師堂
ヘゾ被参ケル。此御堂ト申ハ、当寺領荒見村、虚巌
山実宝寺ノ本仏、薬師如来ニテ御坐ス。然ヲ彼実
宝寺ト申シモ、堂塔軒ヲキシリテ、不（レ）異（二）祇園ノ
Ｐ３２８２（四五ウ）
風流一ニ。一水遠ク見下シテ、悟真寺ニゾ似タリケル。サレドモ
天魔ノ所行ニヤ、一夜ノ内ニ荒ニシカバ、香花供スル人モナ
シ。サレバニヤ大同三年戊子春比、当寺住侶忍戒、依（二）夢想
ノ告一、彼尊像ヲ迎（二）テ此御堂一ニ安ズ。昔ノ寺号ヲ呼テ、今ノ
精舎ニ名タリ。依之此御堂ヲ実宝寺ト名ケ奉ル。抑此如
来ト申スハ、浄瑠璃世界之教主、像法転時之願主也。故ニ
教主釈尊ハ、造（二）テ伊王善逝之形一、療病院ノ導師トシ、伝
教大師ハ、瑩（二）テ一削三礼ノ像（一）ヲ、止観院ノ本尊トス。是以、七千
夜叉之鎮護ニハ、妻子安穏ノ憑ヲ繋ケ、十二大願ノ真偈ニハ、
惟盛菩提ノ台ヲ祈ルト伏拝テ、泣々下向シ給ケリ。
Ｐ３２８３（四六オ）
十六〔惟盛熊野詣手付湯浅宗光ガ惟盛二相奉ル事〕 山東ト云所ヘ出給テ、藤代ノ王子ニ詣給フ。抑当所権現ハ、熊野
権現ノ御子、若一王子ト是ヲ申ス。「和光之月ハ浮ビ四海一ニ、利生之
雲ハ覆ト一天一ニ」伏拝テ、漸々奥ヘゾ指給フ。切目モ既ニ過ヌレバ、
千里ノ浜ノ南ナル、岩代ノ王子ノ前ニシテ、狩装束シタル者
七八騎ガ程行合タリ。既ニ搦メ取レナムズト思切テ、各自害
セント腰ノ刀ニ手ヲ懸テ、差聚ツヽ立給へバ、此等馬ヨリ飛下テ、
深ク平ミテ通リケリ。「見知タル者ニコソ。誰ナルラム」ト思食、
イトヾ足早ニゾ過給フ。湯浅権守入道宗重ガ子、兵衛尉
宗光也。郎等共、「此山臥ハ誰人ニテ御坐ゾ」ト問ケレバ、「是コソ
小松大臣殿ノ御子、権佐三位中将殿ヨ。屋嶋ヨリ如何ニシテ
Ｐ３２８４（四六ウ）
是マデ伝給ケルニカ。近ク参テ見参ニモ入進セタク存ツ
レドモ、憚モゾ思食トテ、罷過ヌ。穴浅猿ノ御有様ヤ。カク
見成シ奉ルベシトコソ覚ネ」トテ、サメ＜”ト泣ケレバ、郎等モ
皆袖ヲゾシボリケル。漸々ヅヽ指給ヘドモ、日数経レバ、岩田川ニモ
懸リヌ。去ジ治承参詣之時、惟盛ノ着給ヘリシ浄衣ノ諒闇
ノ色ニ成タリシヲ、貞能ガ見認シ事、今更思召出テ、イト
ド袖ヲゾヌラサレケル。「此ノ川ヲ渡ニハ、悪業煩悩無始ノ罪障
モ、皆悉ク消ナル物ヲ」ト、憑敷ゾ被思ケル。相構テ本宮ニカヽ
グリ付給テ、証誠殿ノ御前ニツイ居給シヨリ、父ノ大臣ノ、「命
ヲ召テ、後世ヲ助給ヘ」ト申給ケム事思食出テ、カヽルベカ
Ｐ３２８５（四七オ）
リケル事ヲ覚給ケルニコソト哀也。
十七〔熊野権現霊威無双事〕 抑熊野権現ハ、月氏日域之霊神也。法身和（レ）ゲ光、応化同塵一ニ
シテヨリ以来、艤（二）テ済度ノ船一、解（二）キ纜於紀州之浜一ニ、促（二）テ利生ノ
駕一ヲ、留（二）ム跡於当山之嶺一ニ。威徳周（二）シ于世一ニ、王氏誠ヲ同ス。利益国ニ
普ク、遠近歩ヲ運ブ。中ニモ証誠大菩薩者、三部之中ニハ蓮花部
ノ尊、五智之中ニハ妙観察智宝蔵、比丘之弘誓ニ酬テ、儲（二）ケ安
養九品之浄刹一、任（二）テ無上念王之本懐一ニ、繋念一称之群類ヲ
導給。是以、光明菩薩ノ生所ニハ、願テ造（二）立シ弥陀之尊像一ヲ、目連
尊者ノ掌ノ内ニハ、好テ此尊之形躰ヲ図絵ス。是故ニ月蓋長者ガ
窓ノ前ニハ、現（二）シ除病之色像一、五通菩薩ノ樹ノ上リニハ、顕（二）ス来迎之聖容一ヲ。
Ｐ３２８６（四七ウ）
又元寿瑩（二）シカバ三尺之像一、亡親忽ニ得（二）往生一ヲ、道如造（二）シカバ丈六之尊（一）、
三途皆得（二）解脱一。又当山為躰一、高峯砌ニ峙ツ。利生之省積
テ山ト成リ、広川岸ヲ迫ム。群類ヲ彼岸ニ渡スニ似タリ。サレバ
大悲擁護之霞ハ、聳（二）キ熊野山一ニ、霊験無双之神ハ、音無
川ニ垂レル跡一。一乗修行之岸ニハ、感応之月無レク隈モ、六根懺悔之
庭ニハ、妄想之露易消一。不取正覚之文、時限（ニ）リ一称名号之徳一ニ、
来迎引接之願、忽ニ不（レ）嫌（二）十悪五逆之人一ヲ。「何況惟盛五逆
未ダ犯一、称念自ラ横ル。浄土ニ望有リ。往生何疑ム」ト、伏拝ミ給
ケル心中ニモ、古里ニ残シ留シ妻子安穏ト祈給ケルコソ、厭ヒ浮
世一ヲ入（二）テモ実ノ道一ニ、妄執ハ尽セズト覚シケルコソ悲ケレ。本宮ヲ
Ｐ３２８７（四八オ）
出テ苔路ヲ指ツヽ、雲取紫金ノ峯ト云ハゲシキ山ヲ越テ、那智
山ヘ詣リ給フ。惣テ社壇ノ有様、心モ詞モ不被及一。玉殿檐ヲ並テ、
七宝ノ〓リ空ニ映ズ。錦帳扉ヲ交フ、百錬之鏡日ニ耀ク。宝塔挿ム
雲一ニ、殆霊山之涌出ニ望歟ト覚。草廬結ブ苔一ヲ、宛仙洞之
厳室ニ入ニ似リ。観音ノ霊像ハ岩ノ上ニタヽズミ、法花読誦之
音ハ霞ノ下ニ幽也。
十八〔那智籠ノ山臥惟盛ヲ見知奉事〕 那智籠ノ山臥ノ中ニ、此道者ヲ見進テ、人目モ不知泣ク、アリケリ。
諸ノ山臥是ヲ見テ、「アナケシカラズ。何故ニサ程ハ泣給ゾ」ト
問ケレバ、此山臥申ケルハ、「アレニ御坐ス道者ヲバ、各ノハ見知
給ヘリヤ。アレコソ小松ノ大臣殿ノ御嫡子、権亮三位中将殿ヨ。
Ｐ３２８８（四八ウ）穴糸惜ヤ。アノ殿四位ノ小将ト聞ヘ給シ安元二年ノ春比、法皇
法住寺殿ニテ五十ノ御賀ノ有シ時、父ノ大臣ハ内大臣ノ左大
将ニテ左ノ座ニ着座、伯父宗盛ノ右大将ハ右ノ着座セラレキ。
其時ハ、越前三位通盛卿ハ頭ノ中将、本三位中将重衡卿ハ
蔵人頭、此人々ヲ始トシテ、一門ノ卿相雲客、今日ヲ晴ト声l
花ニ引修ヒテ、青海波ノ垣代ニ立給ヘリシ中ヨリ、アノ殿
青海波ヲ舞出ラレタリシ有様、嵐ニタグフ花ノ匂ヒ、天モ
耀ク計ナリシ事ノ、只今ノ様ニ覚ルゾトヨ。『今両三年ノ内ニ大臣
ノ大将ニ疑アラジ』ト申アヘリシニ、カク見成奉ルベシトハ
思ヤハ寄リシ。遷レバ易ル代ノ習ト云ナガラ、穴哀ノ御有様ヤ」
Ｐ３２８９（四九オ）
トテ、袖ヲ顔ニアテケレバ、此ヲ聞人皆袂ヲゾ絞リケル。此山臥
ト申ハ、越中前司盛俊ガ伯父ナリケルトゾ聞ヘシ。巡礼既ニ
事終シカバ、新宮ヘ伝ヒ、神倉ニ詣テハ、折（二）テハ尽浄虚融之〓一ヲ、
而奠（二）柏城之庭一ニ、流（二）テハ妻子恋慕之涙一ヲ、而跪（二）ク〓籬之砌一ニ。
伏テ尋（二）レバ神明之効験一、和光同塵之利物ハ、松〓［土＋需］之月明ニシテ而、如（レ）
有（二）ガ紫金ノ晴沙一、威光被（二）シム古今一ニ。下種結縁之済生ハ、叢祠
之露溽而、似（レ）リ仰（二）。万草之時雨一ヲ、神風扇（二）グ遠近一ニ。青山後
峙テ、写（二）セリ蓬莱之三壷一ヲ也。似（三）リ劉晨ガ之逢（二）シニ七世之孫一ニ。蒼海
前ニ横而、有（二）リ往来之一葉一也。省（三）帳転之泝（二）百万里一ニ。加之、松風
瑟々トシテ而調（二）ヘ常楽我浄之琴一ヲ、浪音滔沼々シテ而唱（二）フ苦空無我之法一ヲ。
Ｐ３２９０（四九ウ）
云是一ト云彼一、憑シカラズト云事ナシ。
十九〔惟盛身投給事〕 三ノ御山ノ御参詣事終シカバ、又那智山ノ麓、浜宮ト申ス
王子ノ御前ニ帰テ、一葉ノ船ニ棹テ、万里ノ澳ヘ漕出給フ。
遙ニ漕出テ、山成嶋ト云所ヘ漕寄テ、松木ヲ削テ、中将ノ名
籍ヲ書付ラル。「平家大政入道静海ノ孫、内大臣重盛ノ
嫡男、権亮三位中将惟盛、生年廿七才。合戦之最中ニ、出（二）テ
讃岐屋嶋ノ館一ヲ、令（レ）参（二）詣熊野山一。元暦元年三月廿
八日、於（二）那智ノ澳一ニ、入リ海一ニ終ヌ」ト書付給テ、又漕出給ヌ。思
切給ヘル事ナレドモ、今ワニ成レバ、心細ク悲ゾ被思ケル。比ハ三
月廿八日ノ事ナレバ、春モ既ニ欲レス暮ント。海上モ、ソコハカト
Ｐ３２９１（五〇オ）
モナク霞亘テ、澳ノ釣船ノ浪ノ底ニ入様ニスルモ、我身ノ上ト
ゾ被思ケル。帰雁ノ空ニ音信テ通ニモ、都ヘ言付セマ
ホシク、入日ノ影ノ大海ノ原ニ赤ミ渡タルモ、迎ノ雲ノ色カ
ト疑レ、蘇武ガ胡国ノ恨マデ、思残セルクマモナシ。何ト
ナク来方向後ノ事ノ憂リシ面影、ツラカリシ言ノ葉
マデモ、今ノ様ニゾ覚シケル。或ハ龍顔ニ近付奉テ春ノ花
ヲ見、或ハ旧院ニ夙夜シテ秋月ヲ翫、或ハ明石ノ礒ノ波ノ上
ニ浮寝シテ、唐櫓ノ音ニ夢ヲ残シ、或ハ屋嶋ノ浦ノ海人
ノ苫屋ニ片敷袖ニ月ヲ宿シ、見シ事マデモ思出ラレ
ズト云事ナシ。「是ハ抑何事ゾ。猶妄執ノ紀綱ニコソ」ト思
Ｐ３２９２（五〇ウ）
翻テ、正ク向西一、念仏申給心中ニモ、「既ニ只今ヲ限レバ、争カ知
ベキナレバ、風ノ便ノ言付モ、今ヤ＜ト待ンズラム。終ニハ隠有マ
ジケレバ、此世ニ無者卜聞テ、幾計歎ムズラム」ト思連ケラ
レ給ヘバ、主従念仏ヲ止、合掌ヲ乱テ、聖ニ向テ宣ケルハ、「哀、
人ノ身ニ妻子ト云者ハ、持マジカリケル者哉。此世ニテ物ヲ
思ハスルノミニ非ズ。後世菩提ノ障ト成ケル事ノ悲サヨ。親
人々ニモ知セデ屋嶋ノ館ヲ出シモ、若都ヘヤ上テ、今一
度見モシ見ヘモセバヤトテコソ、迷出テ有シカドモ、本
三位中将ノ被生取一テ、京鎌倉恥ヲサラスダニアルニ、我
サヘ捕ヘ搦ラレム事モウタテケレバ、思念ジテ加様ニ髪
Ｐ３２９３（五一オ）
ヲ下シテシ上ハ、今更妄念有ベシトモ覚ヘザリシニ、本宮
証誠殿ノ御前ニテ、夜終後世菩提ノ事ヲ申シニ、少者共
ノ事思出サレテ、『吾身コソカク成ヌトモ、妻子平安ニ
守給ヘ』ト申サレキ。且ハ神慮モ恥敷コソ覚シカ。只
今最後ノ一念ナレバ、又何事ヲカ思ヒ増スベキニ、如何ニ聞
テ悶絶コガレムズラムト思出サルヽゾヤ。是ヲホダシト
云、是ヲ紀綱ト名付ケルモ今コソ思合ラルレ。思事ヲ貽ス心一ニ
ハ罪深カムナレバ、懺悔スル也」ト宣ケレバ、聖モ哀ニ覚ケレ
ドモ、我サへ心弱シテハ叶ハジト思テ、涙ヲ押拭ヒ、サラヌ躰ニ
モテナシテ、「誠ニサコソハ被思食候ラメ。高モ卑モ恩愛ノ
Ｐ３２９４（五一ウ）
道ハ力及バヌ事也。中ニモ夫妻ハ一夜ノ契ヲ結ダニモ、五百
生ノ宿縁トコソ申セバ、此世一ノ御契ニモ非ズ。カク思食ルモ
理ナレドモ、生者必滅、会者定離ハ人界ノ定レル習、六道ノ常ノ
理ナリケレバ、サラヌ別ノミナラズ、心ニ任セヌ世ノ有様、末ノ露、
本ノシヅクノ様有レバ、設ヒ遅速ノ不同ハ有トモ、後先立
御別、遂ニ無クテシモヤ候ベキ。彼ノ驪山宮ノ秋ノ妙ヘノ
契モ、終ニハ摧ク心一端シト成リ、甘泉殿ノ生前恩モ、終リ無
キニシモ非ズ。松子、梅生モ生涯ニ恨有リ、等覚、十地モ
生死ノ掟ニ随フ。設ヒ百年ノ齢ヲ持給トモ、此御恨ハ遁給マ
ジ。又長生ノ楽ニ誇リ給共、前後相違ノ御歎ハ、只同御事ト
Ｐ３２９５（五二オ）
被思食ベシ。第六天ノ魔王ト云外道ハ、欲界ノ六天ヲ我物ト
鎮テ、此内ノ衆生之生死ヲ離ル事ヲ惜テ、廻（二）シテ諸ノ方便一ヲ、或ハ
妻ト成リ、或ハ夫ト成テ是ヲ障フ。三世諸仏ハ一切衆生ヲ悉ク
吾御子ノ如ニ思食テ、極楽浄土ノ不退ノ地ニ勧入ントシ給ニ、人ノ
身ニ妻子ト云者ガ、無始〓劫ヨリ以l降、永ク仏種ヲ断テ、不（レ）ル令（レ）
離二生死一ヲ紀綱ナルガ故ニ、仏ノ重ク誡給フハ即是也。御心弱被
思食一ベカラズ。『伊与入道ハ、俘l困貞任宗任ヲ攻落サント
テ、十二年ガ間ニ、人ノ頸ヲ斬事一万五千人。山野ノ獣、江河
ノ鱗、其命ヲ絶事幾千万ト云事ヲ不知一。サレドモ終焉
ノ時、一念ノ菩提心ヲ発シニ依テ、遂（二）往生ノ素懐一ヲタリ』ト
Ｐ３２９６（五二ウ）
コソ、往生伝ニハ見ヘテ候へ。又或経ニハ、『一念発起菩提心、勝於造立
百千塔』トモ被説タリ。御先祖平将軍貞盛、将門ヲ追討
シ給テ、東八ヶ国ヲ鎮給シヨリ以降、代々相継テ朝家ノ御固
ニテ、君マデハ嫡々九代ニ当リ給ヘバ、君コソ日本国ノ大将軍
ニテ渡ラセ給ベケレドモ、故大臣殿世ヲ早セサセ給シカバ、不
力及一。サレバ其御末ニテコソオワシマセバ、強ニ御罪業重カ
ルベシトモ覚ヘズ。就中、『出家ノ功徳ハ莫太ナレバ、前世ノ罪業
悉ク滅給ヌラム。百千歳之間、百羅漢ヲ供養ズルモ、不（レ）及二一日
出家ノ功徳一ニハ。設有人一七宝ノ塔ヲ建ン事、高サ三十三天ニ至ル
トモ、出家ノ功徳ニハ及バジ』ト説ケリ。『一子出家、七世父母、皆得
Ｐ３２９７（五三オ）
成仏』トモ申タリ。『一日ノ出家、万劫ノ罪ヲ滅』トモ見ヘタリ。指
シモ罪深カリシ頼義モ、心ノ強ガ故ニ遂（二）グ往生一ヲ。指セル御
罪業オハシマサヾラムニ、ナドカ浄土ヘ詣給ハザルべキ。其上
当山権現ハ、本地阿弥陀如来ニ坐マス。初メ無三悪趣ノ願ヨ
リ、終リ得三法忍ノ願ニ至マデ、一々ノ誓願衆生化度ノ願ナ
ラズト云事ナシ。中ニモ第十八ノ願ニハ、『設我得仏、十方衆生、
至心信楽、欲生我国。乃至十念、若不生者、不取正覚』ト演
ラレタレバ、一念十念恃アリ。小阿弥陀経ニハ、『成仏以来於今
十劫』トモ説テ、『正覚ナラジ』ト誓給シ仏ノ、既ニ正覚ヲ成テ、十
劫ヲ経給ヘリ。サレバ聊モ本願ニ疑ヲナサズ。無二ノ怨念ヲ至
Ｐ３２９８（五三ウ）
テ、若ハ十反、若ハ一反唱拾物ナラバ、弥陀如来、八十万億那由他
恒河沙ノ御身ヲ縮テ、丈六八尺ノ御形ニテ、廿五ノ菩薩ヲ奉引
具一テ、妓楽歌詠シテ、只今極楽之東門ヲ出給テ、来迎シ
給ハムズレバ、御身ハ蒼海ノ底ニ沈ト思食トモ、紫雲ノ上ニ登
給ベシ。来迎引接ハ彼ノ仏ノ願ナレバ、努々不可疑思食一。成仏
得脱シテ悟ヲ開給ナバ、裟婆ノ故郷ニ立帰リテ、難去被思食一
人々ヲモ導キ、悲ク思召ン人ヲモ奉見一事、還来穢国度
人天ノ本願、ナジカハ疑ベキ。侍我闇浮同行人ノ誓約、少モ
謬ルベカラズ」トテ、頻ニ輪ヲ打鳴シ、隙無ク奉勧一ケレバ、「可
然善知識」ト喜テ、忽ニ妄念ヲ飜シテ、向西一叉手一ヲテ、
Ｐ３２９９（五四オ）
高声念仏三百余反唱澄テ、即チ海ヘゾ入給フ。余三兵
衛入道、石童丸モ同ク御名ヲ唱ツヽ、連テ海ヘ入ニケリ。武里
モ悲ノ余リニ不堪、海ヘ入ムトシケルヲ、「如何ニ御遺言ヲバ違ヘ奉
ゾ。下臈コソ猶口惜ケレ」トテ、聖泣々取留メケレバ、船底ニ臥
躅ビテ、鳴キ叫ブ心ノ中コソ無慚ナレ。悉達太子之出（二）テ王宮一ヲ、
檀徳山ヘ入給シ時、舎匿舎人ガ被捨一奉テモダエコガレ
ケムモ、是ニハ過ジトゾ見ヘシ。時頼入道モ余ノ悲サニ、墨染ノ袖
不（レ）敢二絞一リ。船ヲ押廻シテ、浮ヤ上リ給ト見ケレドモ、乍三人一
深ク沈テ不見給一。イツシカ阿弥陀経六巻計転読シテ、「過去
聖霊、出離生死、往生極楽」ト廻向シケルゾ哀ナル。猿程ニ夕
Ｐ３３００（五四ウ）
陽西ニ傾テ、海上モ闇ク成ケレバ、余波ハ惜ク思ヘ共、サテシモ可有ナラネバ、空キ
船ヲ差帰トス。熊野ノナダニ満来ル潮ノ塩堺、戸渡ル船ノカイノシヅク、聖ガ
袖ニ伝フ涙、諍ヒカネテゾ流ケル。時頼入道ハ高野ヘ帰登リ、武里ハ宣
シガ如ク屋嶋へ帰下テ、弟ノ新三位中将ニ有ノ任ニ申セバ、「穴心憂ヤ。何ナル
事也トモ、ナドカハ資盛ニハ知ラセ給ワヌゾヤ。吾憑奉リツル程ハ思給ハザ
リケル口惜サヨ。一所ニテイカニモ成ントコソ契申シカ」トテ、涙モカキアヘ
ズ泣給フ。「『池ノ大納言ノ様ニ、頼朝ニ心ヲ通テ、京ヘ上リ給ニケリ』ト、大臣殿モ
心得給テ、資盛ヲモ心ヲ置テ打解給ハザリツルニ、サテハ投身一給ニケ
ル事ノ悲サヨ。サルニテモ云置給事ハ無リシ歟」ト問給ヘバ、武里涙ヲ押
テ申ケルハ、「京ヘハ穴賢不可上一。直屋嶋ヘ参テ、有ツル様ヲ委ク申セ。
Ｐ３３０１（五五オ）
一所ニテ如何ニモ成ントコソ思シカ共、都ニ留置シ者共ノ事、余ニ恋ク穴倉
クテ、有空モ無シカバ、若自ラ伝上テ、今一度見モヤスルト思テ、アクガ
レ出タリシカドモ、可叶一モ無リシカバ、カクナム罷成ヌ。備中守モ打
レ給ヌ、惟盛モカク成レバ、イトヾ如何無便一思給ハムズラント、心苦コソ」ト
申ケレバ、「今ハ我身トテモナガラフベシトモ不覚」ト宣モアヘズ、サ
メ＜”トゾ泣給フ。故三位中将ニ優敷似給タリケレバ、奉見一ニ付テモ、イトヾ
悲クゾ思ケル。
二十〔重衡卿鎌倉ニ移給事〕 廿七日、自伊豆国府、本三位中将相具奉テ、狩野介宗茂鎌倉
ニ付ク。猶モ宗茂可奉守護之由、被申一。宿所ヘ具奉テ様々労リ
奉ル。是ニ付テモ先立物ハ只御涙計也。明ル日イツシカ兵衛佐許
Ｐ３３０２（五五ウ）
ヨリトテ、中持ノ蓋ニ、三蝶ノ浅黄ノ直垂、生ノ小袖、小裏ノ袴、白帷、
昼扇、檀紙一束入テ、下種女ニ戴カセテ、使ニ千手参リテ、
三位中将ニ申ス。中将打見給テ、トモカクモ物モ宣ハズ。千手、「思
ワズニ思テ、物モ仰候ハズ」ト申ケレバ、佐ハ打咲テゾオワシケル。
廿一〔兵衛佐四位ノ上下シ給事〕 同廿八日、鎌倉ノ前兵衛佐頼朝、四位之上下シ給フ。元ハ従下ノ五位
ナリシニ、五階ヲ越給ヘルゾ優敷キ。伊与守源義仲追討ノ勧賞トゾ聞ヘシ。
廿二〔崇徳院ヲ神ト崇奉ル事〕 四月十五日、崇徳院ヲ神ト崇メ奉ル。昔合戦ノ有シ大炊殿ノ跡ニ、建テ
社一ヲ有遷宮。賀茂祭ヨリ以前ナレドモ、院ノ御沙汰ニテ、公家ニハ不知食一
トゾ聞ヘシ。去正月比ヨリ被造営一ケリ。民部卿成範卿、式部権少
輔範季奉行シケリ。成範卿ハ依（レ）テ為（二）ニ信西入道ガ息一、被憚
Ｐ３３０３（五六オ）
ケリ。法皇震筆告文アリ。参議式部大輔俊経卿ゾ草シケル。
権大納言兼雅卿、紀伊守範光、為（二）リ勅使一。御廟ノ御正躰ニハ御鏡ヲ
被用ケリ。彼ノ御鏡ハ、先日御遺物ヲ兵衛佐局ニ被尋ケレバ、此御
鏡ヲ奉タリケリ。八角ノ大鏡、自元一金銅ニ普賢ノ像ヲ被（レ）奉（二）鋳付一、
今度被（レ）奉（レ）納（二）平文ノ箱一ニ。又故宇治左大臣ノ廟、同在東方。卿大夫廟、
或有主、或無主一、今度ハ無主。権大納言着（二）拝殿一、再拝畢テ被（レ）披（二）
告文一。又有再拝テ、俗別当神祇大副ト安部兼友朝臣ニ下
給フ。後ニ朝臣祝申テ、前庭ニシテ焼之一ケリ。以（二）玄長一為（二）別当（一）故孝長卿子。
以（二）慶縁（一）為（二）権別当（一）故西行法師子。遷宮ノ有様、於事一ニ厳重ニゾ侍ケル。同
廿六日、一条次郎忠頼被誅ケリ。酒礼ヲ儲テ謀テ、宮藤次資
Ｐ３３０４（五六ウ）
経ニ仰テ、滝口朝次等抱（レ）之ケリ。忠頼敢無所為一リケリ。郎等数タ
剣ヲ抜テ〓上ニ走昇ケルヲ、搦取ントシケル程ニ、疵ヲ被者多リケリ。
忽三人被誅一ヌ。其外ハ皆生取レニケリ。安田三郎義定ハ、忠頼ガ父、
武田ノ信義ヲ追討ノ為ニ、甲斐国ヘゾ趣ニケル。
廿三〔池大納言関東ヘ下給事〕 五月三日、池大納言関東ヘ下給フ。「頼朝世ニ候ハム限ハ、如何ニモ宮仕ハ仕
候ベシ。故尼御前ノ御恩ヲバ大納言殿ニ可奉報一也」ト、八幡大菩薩ニ奉係一
テ、以誓言一度々被申ケレバ、落残給シカドモ、「兵衛佐コソカク思給ド
モ、木曽モ十郎蔵人モイカヾセムズラン」ト、肝ヲ失、魂ヲ消スヨリ外ノ事ナ
シ。サレドモ鎌倉ヨリ、「故尼御前ヲ奉見ト思テ、利々見参セン」
ト宣ケレバ、下給ニケリ。弥平左衛門尉宗清ト申ス相伝第一ノ者也
Ｐ３３０５（五七オ）
ケルガ、相伴ヒ奉ラザリケレバ、大納言「如何ニ」ト宣ケレバ、宗清申ケル
ハ、「今度ノ御共仕ラジト存候。君カクテ渡ラセ給ヘドモ、御一家ノ殿原ノ、カク
成セ給御事ノ心憂覚テ、未安堵シテモ不覚候ナリ。心中ヲモ落シ居ヘ
テ、遂可参候」ト申ケレバ、大納言辛々敷恥クテ宣ケルハ、「一門
ヲ引別テ残留ル事ハ、乍我身一モイミジトハ思ハネドモ、命モ惜ク世
モ捨ガタケレバ、〓ニ留リニキ。其上ハ又下ラザルべキニ非ズ。遙ノ旅ニ趣
クニ、争カ可不見送一。余執尽キズ思バ、ナドカ落留シ時サモ云ハザリ
シゾ。大小事汝ニコソハ云合シカ」ト宣ヘバ、宗清居直テ申ケルハ、「人ノ身ニ
命計借物ヤハ候。又身ヲバ捨レドモ、世ヲバ捨ズト申タリ。御留リアレ
トニハ候ハズ。又兵衛佐モ被流罪一之時、故尼御前ノ仰ニテ、篠原ノ宿マ
Ｐ３３０６（五七ウ）
デ送テ候キ。其事未ズトダ声承ル。付之一テモ、御共ニ下ラバ、引出物饗容
セラレムズラント覚候。就其一モ心憂カルベク候。西国ニオハシマス殿原、
若ハ侍共ノ聞候ハム事、恥敷コソ覚候ヘ。此度ハ可罷留一候。君ハ落留
マラセ給テ、カクテ渡セ給程ニテハ、争カ御下無クテハ候ベキ。遙ニ
旅立セ給ヘ。穴倉ハ奉思ドモ、敵ヲモ責ニ御下候ハヾ、一陣ニコソ候
ベケレドモ、是ハ参ゼズトモ御事闕クマジ。佐殿被尋候ハヾ、『労ル
事ノ候』ト仰有ベシ」ト申ケレバ、心有侍共ハ是ヲ聞テ、皆涙ヲゾ流ケル。
廿四〔池大納言鎌倉ニ付給事〕 十六日、池大納言鎌倉へ下付給タリケレバ、兵衛佐怱ギ見参シ給テ、先「宗清
ハ候歟」ト被尋申ケレバ、「痛ル事候。罷下ラズ」ト宣ケレバ、返々無本意一
ゲニ思給テ、「如何ニ何事ノ労リ候ゾ。昔宗清ガ許ニ候シニ、触於事一哀難
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有一候シ事ノ難忘覚候テ、恋ク候ヘバ、怱ギ見度候テ、一定御共ニハ参ル覧ト
思ツルニ、口惜候」トテ、本意ナゲニ思テ、「猶モ意趣ノ候ヘバコソ」ト宣。所領賜
ントテ、下文数タナシ儲テ、馬、鞍、諸ノ引出物ナムドタバントシ給ケレバ、可然大
名共馬引ムトテシケルニ、下ラザリケレバ、上下本意ナキ事ニゾ思ケル。
廿五〔池大納言帰洛之事〕 同六月一日、源九郎義経、不（レ）申（二）身ノ暇一、偸ニ関東ニ下向。為（二）梶原景時一ガ負テ讒一ヲ、為
謝一ンガ也トゾ聞へシ。九国輩大略平家ニ同意之間、官兵不得利一コトヲ之由、実平言上
シタリケルニ、義経忽ニ抛（二）追討ノ事一下向シケレバ、人皆傾相ヘリ。同三日、前ノ斉院次官
親能〈前明経博士広季子頼朝々臣専一者也〉、双林寺ニシテ前美能守義広ヲ搦取之間、両方被疵
者多シ。義仲ニ同意シテ、去正月合戦後、悔跡捜所一、遂ニ被（二）搦取一ケリ。此義
広ハ故六条判官為義ガ末子也。今為親能被取、口惜カリシ事也。
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六月五日、池大納言関東ヨリ帰上ル。佐ハ「暫カクテ御坐カシ」ト宣ケレドモ、「京都
ニモ穴倉思ラム」トテ、怱ギ上給ケレバ、大納言ニ可奉成帰一之由、院ヘ申ケル上、本
ノ庄園私領、一所モ相違有マジキ由、下文ヲ奉テ、猶所知共数タ得給。馬、鞍、
長持、羽金ナムド多ク奉リ給ヘリ。兵衛佐カクモテナシ給ケレバ、大名小名我
モ／＼トキラメキケリ。馬モ二三百疋ニ及ベリ。命ノ生タルノミニ非ズ、得付テゾ登ケル。
廿六〔平家家人ト池大納言ト合戦スル事〕 爰伊賀伊勢両国ノ住人、平家重代ノ家人共此事ヲ聞テ、「一門ヲ引離レテ
都ニ留給ダニモ心憂ニ、剰ヘ今日此比関東ヘ下向シテ、頼朝ニ伴給事不可尓。イザ
一矢射テ、西国ノ君達ニ物語申テ咲ン」ト議テ、貞能ガ兄平田入道ヲ大将軍
トシテ、五百余騎ニテ、近江国篠原ノ辺ニ打出テ待係タリ。大納言ノ御共ノ
武士千余人ナリケル上、近程ノ源氏（ ）此事ヲ聞テ、我先ニト馳向テ数剋
Ｐ３３０９（五九オ）
合戦ス。両方命ヲ失フ者二百余人也。然ドモ両国ノ住人散々打落レテ、
蜘蛛ノ子ヲ散ス如ニシテ、剰ノ命生テ、希有ニシテ落ニケリ。平家普代相
伝ノ家人タル上、弓矢取身ノ習ニテ、責テノ好ヲ忘レヌ事ハ哀ナレドモ、
責テノ事ニヤ、思立コソ〓ケレ。
廿七〔惟盛ノ北方歎給事〕 七月四日、権亮三位中将ノ北方ハ、「自言付モ絶ヌ。程経レバ如何ニ」ト穴倉
ク覚ス。「月ニ一度ナムド必ズ音信ル物ヲ」ト待給ヘドモ、春過夏闌ヌ。秋
ノ始ニ成テ、「三位中将ハ今ハ屋嶋ニハオワセヌ物ヲ」ト云人有リ。「サテ如何ニ成
給ニケルゾ」ト浅猿覚テ、心憂共愚也。責テ思ノ余ニ、兎角シテ屋嶋
ヘ人ヲ奉リ給タリ。是モ怱ギ不立帰一、秋モ半バ過テ帰来レバ、
「如何ニ御返事ハ」ト怱尋給ヘバ、「『過ギヌル三月十日ニ屋嶋ヲ出テ、
Ｐ３３１０（五九ウ）
高野ヘ詣給タリケルガ、彼山ニテ御グシ下テ、軈テ熊野ヘ伝ツヽ、那智ノ
浜ニテ身ヲ投給ニケリ』ト、御共シタリケル舎人武里ガ申シヽ」ト申セバ、
北方、「サレバコソ奇シカリツル物ヲ」ト計宣テ、伏マロビテヲメキ叫給
モ理也。鸞鳳ノ鏡ニ影ヲ並テ、多年階老之語無ク止一コト、鴛鴦ノ衾ニ
枕ヲ合テ、数月同穴之契是深シ。連理之枝ハ若離ル事有共、彼ハ
我ヨリ外ニ無（二）ク憑所一、比翼ノ鳥ハ自ラ遠離事有トモ、我ハ彼ヨリ外ニ昵
方モナシ。東閣ニ嵐冷キ暁ニハ、涙ヲ流テ、一生ノ早ク過ム事ヲ愁ヘ、西
楼ニ月ノ閑ナル夕ニハ、肝砕シテ、百年ノ速ニ近付ム事ヲ悲給シニ、
今カク聞成シ給ケム心中、押量レテ哀也。若君姫君モ音々ニ泣悲
給ヘリ。若君ノメノトノ女房泣々申ケルハ、「今更不可驚思食一。日比思儲
Ｐ３３１１（六〇オ）
ツル事ゾカシ。唐太宗ノ開（二）キ栄耀於万春之花一ニ、遂ニ随（二）ヒ無常之風一ニ、
漢明帝ノ期（二）セシ寿福於千秋之月一ニ、虚ク隠（二）レヌ必滅之雲一ニ。四大ノ構ヘタル
躰、風前ノ燈ヨリモ危ク、五陰ノ成セル身、波上ノ月ヨリモハカナシ。厳
粧金屋ハ夢中ノモテナシ、翠帳紅閨ハ眼前ノシツラヒ也。本三位
中将ノ様ニ被生取テ都ヘ帰上給ヒ、又弓矢ノ前ニ係テ命ヲ失給ハヾ、
何計カハ悲カルベキニ、高野山ニテ御グシ下シ、粉河熊野ヘ参テ後世ノ事
能々申、那智ノ浜ニテ念仏申、臨終正念ニテ終リ給ケリ。心安コソ
思食ベケレ。イタウナ歎給ソ。今ハ如何ナラム岩ノ迫ニテモ、少クオワシマス
人々ヲ生立奉ラムト覚シ召セ」ト、ナグサメ申ケレドモ、思忍給ベクモ見ヘ給
ハズ。サマヲモ傷、身ヲモ投給ヌベクゾ覚ヘシ。惟盛高野山ニ詣テ出家シ、
Ｐ３３１２（六〇ウ）
那智ノ浜ニテ身ヲ投給ケリト、頼朝聞給テ、「無ク隔一打憑被来タリセバ、
命計ハ奉生一テマシ物ヲ。小松内府事愚ニ思ハズ。池尼御前ノ使トシテ、
頼朝ヲ流罪ニ申定給シハ、偏ニ彼人ノ恩ナリキ。争其恩ヲ忘ルベキナ
レバ、彼人ノ子息共ヲ愚ニ思ハズ。増テ出家ナムドヲセラレナム上ハ、沙汰
ニモ及ズ」トゾ宣ケル。
廿八〔平家屋嶋ニテ歎居ル事〕 平家ハ屋嶋ニ帰給テ後モ、「自関東荒手二万余騎京ニ付テ、既ニ
責下」ト聞ユ。又、「九国ノ者共、緒方三郎ヲ初トシテ、臼木、経続、松
浦党、二千余騎ノ勢ニテ渡ムトス」トモ云ヘリ。聞彼一聞是一ニモ、只耳
ヲ驚シ、心ヲ消ヨリ外ノ事ナシ。一門人々モ一谷ニテ七八人マデ被討
テ、憑タリツル侍共半過テ失レテ、力尽終ヌ。阿波民部成
Ｐ３３１３（六一オ）
良ガ兄弟、四国ノ輩ヲ語テ、サリトモト云計ヲゾ、高キ山、深海トモ被
憑ケル。女房達ハ、女院、二位殿ヲ奉始、指聚テ、只泣ヨリ外ノ事
ゾ無リケル。廿五日ニモ成ニケリ。「去年ノ今日ハ都ヲ出シゾカシ。無程一廻リ
来ニケリ」ト思モ哀也。浅猿周章リシ事共宣出テ、泣キヌ咲ヌシ
給ケリ。荻ノ上風モ漸ク冷ク、萩ノ下露モ滋シ。稲葉打戦キ、木葉
且散リ、物思ハザルダニモ、秋ニ成行旅ノ空ハ物憂ニ、増テ此春ヨリ後ハ、
越前三位ノ北方ノ如ク、身ヲ海ノ底ニ沈マデコソ無ケレドモ、明テモ晩テ
モ臥沈ミ、物ヲゾ思給ケル。
廿九〔新帝御即位事〕 廿八日、新帝有御即位一。大極殿モ未ダ造ネバ、太政官ノ庁ニテゾ被
行ケル。是ハ後三条院、治暦四年七月ノ例也。神璽、宝剣御坐
Ｐ３３１４（六一ウ）
サズシテ御即位有事、自（二）神武天皇一以来八十二代、是ゾ始ナリケル。
卅〔義経範頼官成ル事〕 八月六日、九郎義経ハ一谷合戦ノ勧賞ニ、左衛門尉ニ成サル。即使ノ宣
旨ヲ蒙テ、九郎判官トゾ申ケル。九月十八日、義経ハ五位尉ニ留テ
太夫判官トゾ申ケル。蒲冠者範頼、参河守ニゾ成レケル。
卅一〔参河守平家ノ討手ニ内事付備前小嶋合戦事〕 同廿一日、参河守範頼大将軍トシテ、軍兵数万騎、又西国ヘ平家
追討ノ為ニ発向シタリケレドモ、怱ギ屋嶋ヘモ不責寄一、西国ニヤスラヒ
テ、室、高砂ノ遊君遊女ヲ召集、遊ビ戯テノミ月日ヲ送ケリ。
国ヲ費シ民ヲ煩スヨリ外ノ事ナシ。東国ノ大名小名多カリケレドモ、
大将軍ノ下知ニ随事ナレバ、不及力一。平家ハ左馬頭行盛、飛騨守
景家ヲ大将軍トシテ、一万余艘ニテ、備前国小嶋ニ着タリケリ。
Ｐ３３１５（六二オ）
源氏ノ大将軍参河守ハ船ヨリ上テ、備前備中両国ノ堺、西河尻、藤
戸ノ渡ト云所ニ陣ヲ取ル。彼渡ハ海ノ面、陸ヨリ近クテ、五丁計隔タリ
ケルニ、平家ノ方ヨリ海ノ底ニハ菱ヲ植ヘ、蜘蛛手ヲ結テ、陸ニハ軍兵
ヲ居タリ。船ヲバ皆嶋ニ引付タリケレバ、陸ヨリ渡スベキ様モナシ。土肥次
郎、梶原源太ヲ初トシテ、源氏ノ軍兵多カリケレドモ、不及力一。平家ノ方ヨ
リ源氏ノ方ヘ、「渡セヤ＜」トゾ招ケル。九月廿五日夜半計ニ、佐々木三郎盛
綱只一騎打出、彼浦人ヲ語テ、差タリケル白鞘巻ヲ取ラセテ、「此渡ニ
浅見ハ無カ。有ノ任ニ教へヨ。教タラバ此ナラズ悦ハスベシ」ト約束シケレバ、浦人
申ケルハ、「此渡ニ瀬ハ二候ガ、月頭ニハ東ガ瀬ニ成候。是ヲバ大根川ト申。
月尻ニハ西ガ瀬ニ成候。是ヲバ藤戸ノ渡ト申候。当時ハ西ガ瀬ニ成テ候ゾ。
Ｐ３３１６（六二ウ）
東西二ノ瀬ノ間、遠サ中二町計ゾ候ラム。瀬ノ幅リ二段計候。其内馬ノ足タヽ
ヌ所二三段ニハヨモ過候ハジ」ト申ケレバ、「サテハ其浅サ深サヲバ争カ知ベキ」
ト問ケレバ、「浅キ所ハ波ノ立合高ク立候ゾ」ト申ケレバ、「サラバ瀬踏シテ
見セヨ」ト云テ、彼浦人ヲ先ニ立テ渡リケルニ、股腰ニ立所モ有リ、
深キ所ゾ髪ヲヌラス程ナル所、中二段計ゾ有ケル。「サテ是ヨリ嶋ノ
方ハ皆浅ク候ゾ」ト教テ帰ニケリ。明ル廿六日辰剋ニ、平家ノ方ヨリ
又扇ヲ上テ、「渡セヤ／＼」トテ源氏ヲ招ク。思儲タル事ナレバ、佐々木三
郎盛綱、黄生ノ直垂ニ黒糸威ノ鎧ニ黒馬ニ乗テ、家子郎等相
具テ廿二騎ニテ、「盛綱瀬踏仕ラム」トテ、サツト渡シケリ。参河守、
土肥次郎是ヲ見テ、「馬ニテ海ヲ渡ス様ヤハ有」ト諌ムレドモ、盛綱
Ｐ３３１７（六三オ）
耳ニモ不聞入一渡ケリ。馬ノ草脇、鞦蓋ニ立所モ有リ。馬ノ游所中程ニ
只二段計ニ見ヘケレバ、源氏ノ軍兵是見テ、我モ＜ト渡ケリ。佐々木
三郎以下、敵ノ前ニ渡付テ、上野国住人和見八郎ト、平家郎等
讃岐国住人加江ノ源次ト組タリケルニ、和見八郎マロビニケリ。和見
ガ従父兄弟ニ小林三郎重高ト云者、加江ノ源次ニ組タリケリ。乍組一
二人海ヘ入ニケリ。小林ガ郎等ニ岩田源太、主ハ海ヘ入ヌ、連テ入ベキ様
モ無リケレバ、弓ノハズヲトラエテ、沫ノ立所ヘ差入テ探リケレバ、者コソ
取付タレ。引上テ見レバ敵ガ腰ニツカミ付タリ。主ヲバ取上テ、敵ヲバ
船ノセガヒニ押当テ、頸ヲカヒ切テ取ニケリ。平家是ヲ見テ船共押
出ケリ。源氏ハ船無ケレバ追テモ行カズ。遠矢ニ射ケレドモ、不三決二勝
Ｐ３３１８（六三ウ）
負一ヲ。不及力一本ノ陣ヘゾ帰ケル。昔ヨリ馬ニテ海ヲ渡事タメシ無
リケルニ、佐々木三郎初テ渡シケリ。時ニ取テハ優敷高名ニテ
ゾ有ケル。平家ハ小嶋ノ軍ニ打負、屋嶋ヘ漕帰。源氏ハ陸ヘ上ガリ
テ休ミケリ。屋嶋ニハ大臣殿ヲ大将軍トシテ、城廓ヲ構テ
待懸タリ。新中納言知盛ハ長門国彦嶋ニ城ヲ構テ御坐。
コヽヲバ地躰ハ引嶋トゾ申ケル。源氏此事聞テ、備前、備中、
備後、安芸、周防ヲ馳超テ、長門国ニゾ付ニケル。長門ノ国府
ニハ三ノ名所ゾ有ケル。浜ノ御所、黒戸ノ御所、表箭ノ御所トテ、三
有キ。三河守名所々々ヲ見ムトテ、今宵ハ是ニ引ヘタリ。誠ニ蒼海
漫々トシテ、礒越ス浪ノ音スゴク、深夜ニ明々トシテ、波濤ニ影
Ｐ３３１９（六四オ）
ヲゾ浮ベタル。何レモ面白カラズト云事ナシ。曙テ引嶋ヲ責ント
セラレケルガ、「門司赤間ノ案内知ラデハ叶ワジ」トテ、豊後ノ地ヘ
渡テ、緒方三郎伊栄ヲ先トシテ引嶋ヲ責ントテ、先使ヲ被
遣一。緒方三郎、「尤サコソ候ベケレ」トテ、五百余艘ノ迎船ヲ奉ル。三河
守ハ是ニ乗テ豊後ノ地ヘゾ被渡ケル。
卅二〔平家屋嶋ニ落留ル事〕 十月、又冬ニモ成ヌ。屋嶋ニハ浦吹風モハゲシクシテ、礒越ス浪モ高
ケレバ、兵ノ責来事モ無シ。船ノ行通モ希也。空書陰リ雪打
降ツヽ日数経レバ、イトヾ消入心地ゾセラレケル。氷対シテ水面一ニ而、不ルニ瑩一
翫（二）ビ百練之鏡一、雪黙シテ林頭一ニ而、不ルニ折一見（二）三余之花一。落葉亦落
葉、鷓鴣背上之紅ヒ幾カ残レル。時雨又時雨、上陽窮人之袂ト豈ニ乾カン
Ｐ３３２０（六四ウ）
乎。籬ノ中ノ庭ノ面、寒ケキ蘆ノ乾葉マデ、冬ノサビシサ云知ズゾ
被思ケル。新中納言カクゾ思連給ケル。
住馴レシ都ノ方ハ余所ナガラ袖ニ波越ス礒ノ松風
卅三〔御禊ノ行幸之事〕 廿三日、都ニハ御禊ノ行幸アリ。同廿五日豊御衣浄セサセ
給テ、節下ハ後徳大寺ノ左大臣、其時ハ内大臣ノ左大将ニテ御坐ガ、
勤給ケリ。去々年先帝ノ御禊ノ行幸ニハ、平家ノ内大臣節下
ニテオワセシガ、節下ノ幄ニ付テ、前ニ龍ノ幡立テ罷給ヘリシ事、
当リヲ払テ見へシ物ヲ、冠際、袖ノ懸リ、表袴ノ裾マデニ勝テ見
ヘ給ヘリキ。其外モ彼一門ノ人々、三位中将達已下ノ近衛ノ佐、御綱ニ
候ワレシニハ、又立比人モ無リキ。九郎判官其日ハ本陣ニ供奉シタ
Ｐ３３２１（六五オ）
リキ。木曽ナムドニハ不似一、是ハ事外ニ京馴テハ見ヘシカド、平家ノ
中ニ撰ビ捨ラレシ人ニダニモ不及一、劣リテゾ見ヘケル。
卅四〔大嘗会被遂行事〕 十一月十八日ニハ大嘗会被遂行一。去治承四年ヨリ以来、諸国七
道ノ人民、平家ノ為ニ被滅一サ、源氏ノ為ニ被悩一サテ、住宅ヲ捨テ山林ニ
交リ、春ハ忘（二）レ東作之思一、秋ハ不（レ）及（二）西収之営一ニモ。サレバ公ノミツギ
物モ不奉一。如何シテ加様ノ大礼ヲモ可被行一ナレドモ、サテ又有
ベキナラネバ、如形ゾ被遂ケル。十二月廿日比マデ、参河守範
頼ハ西国ニヤスラヒテ、シ出タル事無テ、年モ既ニ暮ニケリ。平
家都ヲ落テ西海ノ浪上ニ漂ヒ給ヘドモ、死生未ズダ定一。東国北国ハ
静ニ成タレドモ、都ノ上下、諸国ノ住民等、是非ニ迷ヒケルコソ不便ナレ。
Ｐ３３２２（六五ウ）
卅五〔兵衛佐院ヘ条々申上給事〕 兵衛佐ヨリ院ヘ被申ケル状云、
源頼朝謹（ ）奏聞条々事
一朝務以下除目等事
右、守（二）先規（一）、殊可（レ）施（二）徳政一。但諸国受領等、尤可（レ）有（二）御沙汰（一）候歟。
東国北国両道国々、追（二）討謀叛輩（一）之間、如（レ）元土民、自（レ）今者、
浪人等帰（二）住旧里（一）、可（レ）令（二）安堵（一）候。然者、来秋之時、被（レ）仰（二）国司一ニ、
被（レ）行（二）吏務一者、可（レ）宜候。
一平家追討事
右、畿内近国、号（二）源氏平家一、携（二）弓箭一輩并住人等、早
任（二）義経之下知（一）、可（二）引率（一）之由、可（レ）被（二）仰下（一）候。海路雖（レ）不（レ）任（レ）意一ニ、
Ｐ３３２３（六六オ）
殊ニ可（二）怱追討（一）之由、可（レ）被（レ）仰（二）付義経（一）候也。於（二）勲功賞一者、其後
頼朝可（二）計申上（一）候。
一諸社事
我朝者神国也。往古ノ神領無（二）相違（一）。其外今度初テ、又各可（レ）被（二）
新加（一）歟。就中、去比鹿嶋大明神御上洛之由、風聞出来之後、
賊徒追討、神戮不（レ）空者歟。兼又若有（二）諸社破壊顛倒事（一）者、
終（二）功之程（一）、可（レ）被（レ）召（二）付受領之功一候。其後可（レ）被（二）裁許（一）候。
一恒例神事之事
守（二）式目一、無（二）懈怠一、可（二）勤行（一）之由、可（レ）被（二）尋沙汰（一）候。
一仏寺事
Ｐ３３２４（六六ウ）
諸山御領、如（二）恒例ノ勤一、不（レ）可（二）退転（一）。如（二）近年（一）者、僧家皆存（二）武勇（一）、
忘（二）仏法（一）之間、行徳不（レ）同、先（レ）トシ閉（レ）枢一ヲ候。尤可（レ）被（二）禁制（一）候。於（二）自今
以後（一）者、為（二）頼朝之沙汰（一）、於（二）僧家之武具一者、任（レ）法奪取、追（二）討セン朝
敵（一）官兵等ニ可（二）与給（一）之由、所（二）思給（一）候也。以前条々、言上如（レ）件。トゾ
書レタリケル。
平家物語第五末
一交了。
（花押）