平家物語 予告編 更新日  2007.03.01.木

 

T 読み本系

@延慶本 底本・久原文庫蔵本(現大東急記念文庫蔵。他の伝本はこの転写。)

9オ

平家物語第一本

一 祇園精舎ノ鐘ノ声、諸行無常ノ響アリ。沙羅双樹ノ

花ノ色、盛者必衰ノ理ヲ顕ス。驕レル人モ不久(一)。春ノ夜ノ夢尚

長シ。猛キ者モ終ニ滅ヌ。偏ヘニ風ノ前ノ塵ト不留(一)。遠ク訪(二)異−

朝(一)者、秦ノ超−高、漢ノ王莽、梁ノ周異、唐ノ緑山、是等ハ皆

旧−主先皇ノ 務ニモ不レ従(一)、民−間ノ愁、世ノ乱ヲ不知(一)ラシカバ、

不(レ)久(一)シテ滅ニキ。近ク尋(二)(レ)我朝(一)ヲ者、承平ノ将門、天慶ニ純友、

康和ノ義親、平治ニ信頼、驕ル心モ、猛キ事モ、取々ニコソ有

ケレドモ、遂ニ滅ニキ。縦ヒ、人−事ハ詐卜云トモ、天道詐リガ

タキ者哉。王麗ナル猶如此、況人−臣 位−者争カ慎マ

9ウ

ザルべキ。間近ク、大政大臣平清盛入道、法名浄海卜申シケル

人ノ、有様伝−承 コソ、心モ詞モ及バレネ。彼ノ先祖ヲ尋ヌレバ、

桓武天皇第五皇子、一品式部卿葛原親王、九代ノ

後胤、讃岐守正盛孫、刑部卿忠盛朝臣嫡男也。彼ノ

親王ノ御子、高見ノ王、無官無位ニシテ、失給ニケリ。

其御子、高望ノ親王ノ御時、寛平二年、五月十二日ニ、

初テ平ノ朝臣ノ姓ヲ賜テ、上総介ニ成給シヨリ以来、忽ニ

王氏ヲ出テ、人臣ニ列ル。其子、鎮守府将軍良望、後ニハ

常陸大拯国香ト改ム。国香ヨリ貞盛、維衡、正度、正衡、

正盛ニ至ルマデ、六代、諸国ノ受領タリト云へドモ、未ダ、殿

10オ

上ノ、仙籍ヲ不(レ)聴一。

二 忠盛朝臣、備前守タリシ時、鳥羽院御願、得−長−寿院ヲ

造進シ、三十三間ノ御堂ヲ立、一千一躰ノ聖−観−音ヲ

奉二安置一。〈 中尊丈六 等身千躰 〉。仍天承元年〈 辛亥 〉、三月十三日〈 甲辰 〉、吉日

良辰ヲ以テ、供養ヲ被レ遂一畢。忠盛者、一身ノ勧賞ニハ、

備前国ヲ給ル。其外、鍛冶、番匠、杣師、惣ジテ、結縁経

営ノ人−夫マデモ、ホド<ニ随テ、勧賞ヲ蒙ル事、真実ノ

御善根ト覚タリ。御導師ニハ、天台ノ座主ト、御定アリ。

而ニ、何ナル事ニカオハシケム、座主、再三辞申サセ給

間、「サテハ、誰ニテカ有べキ」ト仰アリ。共時所−々ノ名僧、寺−々ノ

10ウ

 

『平家物語長門本』黒川真道他・校。国書刊行会・明治39。名著刊行会・昭和49。底本・国書刊行会蔵本(現在、所在不明。)

P001

巻第一

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き有り、沙羅雙樹の

花の色、生者必衰の理をあらはす。奢れる者も久しか

らず、唯春の夜の夢の如し。猛心も終には亡ぬ、

たとへば[B ひとへにイ]風の前の塵におなじ。

(中略)

P002

へ奉り、天承元年辛亥十一月十六日、公卿六人、職

事、辨官惣じて六十四人、清暑堂の大床にして供養

の日時を評定ありて、同廿一日午の時と定めらる、

すでに可レ被レ遂にて有けるに、共時刻に及びて、大風

電雨夥しかりければ、其の日は延引す、同廿五日に官

の庁にて猶せんぎ有り、廿九日天老日なりけれぱ、遂

らるべきにて有けるに、氷の雨夥しく降下る、然る

間、牛馬車人打そんぜられて出行に及ばず、仍て其の日

も延引せり、禅定法皇なげき思召れて、供養三ケ度

延引の後重ねて僉議あり、同じき次の年三月十三日、

 

長門本 『長門本平家物語 1』 底本: 国会図書館貴重書本 濁点を付し、表記を変えています。

P1003

平家物語巻第一

 祇園精舎のかねのこゑ、しよ行無常の響あり。沙羅さうじゆの花の色、生者必すいのことはりをあらはす。おごれるものも久しからず。たゞ春の夜の夢のごとし。たけきものもつゐにはほろびぬ。ひとへに風の前の塵におなじ。遠く異朝をとぶらへば、夏の塞綱、しんの趙高、漢のわうまう、・りうのしうゐ、唐のろくさん、これらはみなかしこきをば謗り、才有をば妬み、酒をもて奨をわすれ、妄なるをもて奴とせり。きうしゆ先くわうのまつりごとにもしたがはず、おごりをほしいまゝにし楽を極て、更に民黎の愁をしらざりしかば、久しからずしてほろびにしものなり。たとひ人事をいつはるといふとも、天道をばはかりがたき物をや、王麗かくのごとし。人臣の位にゐるものいかでかつゝしまざるべき。まぢかく本朝を尋れば、神武天皇よりこのかた人王八十余代、或時は君臣をちうし、ある時は臣君をそむく事ありき。承平に将門、天慶のすみとも、かう和の義親、平治の信頼、おごれる心も武きことも、とり<にこそ有けれども、早き瀬に有りとはみゆるうたかたの、程なくきゆるが如なり。ま近くは、太政大臣平の清盛入道と申ける人の有さまをつたへ承はるこそ心も言葉も及ばれね。

かの先祖をたづぬれば、桓武天皇の第五の王子一品式部卿かつら原の親王

P1004

の九代のこうゐん、讃岐守正盛が孫刑部卿たゞ盛の朝臣のちやく男也。かの親王の御子たかみの王、む官無位にしてうせ給ひぬ。その御子たかもちの王の時、寛平二年五月十二日にはじめて平朝臣の姓を給りて、上総介になり給てよりこのかた、忽に王氏をいでゝ、すなはち人臣につらなる。その子ちんじゆふのしやうぐんよしもち、のちにはひたちの大ぜう国香とあらたむ。くにかより貞もり陸奥守、これひら伊よのかみ、正のりゑちぜんのかみ、まさひら出羽のかみ、正盛讃岐守にいたるまで、六代はしよ国のしゆりやうたりといへども、いまだてん上のせんせきをばゆるされす。

たゞもりのあそん備前のかみたりし時、鳥羽院の御願、得長寿院をざうしんして、卅三間の御だうをたて、一千一たいの御ほとけをすゑたてまつる。

天承元年辛亥十一月十六日、くぎやう六人、しきじ、べんくわんそうじて六十四人、清暑堂の大床にしてくやうの日時をひやうぢやうありて、同廿一日むまの時とさだめらる。すでにとげらるべきにてありけるに、その時こくにおよびて、大敗電雨おびたゝしかりければ、その日はゑんいんす。同廿五日にくわんのちやうにてなをせんぎあり。廿九日天老日なりければ、とげらるべきにてありけるに、氷の雨おびたゝしくふりくだる。しかるあひだ、牛馬車人うちそんぜられて出行におよばず。仍その日もゑんいん

P1005

せり。ぜんぢやうほうわうなげきおぼしめされて、くやう三か度ゑんいんのゝちかさねてせんぎあり。おなじきつぎの年三月十三日、ようしゆくさうおうのりやうしんをとて、その日くやうとさだめられぬ。、ぜんぢやうほうわうゑいらんをふるに、外廊内院一としてゑいりよにおうぜずといふことなし。しゆろう、たうばにゐたるまで、珠玉をかざり金銀をちりばめたれば、仏ざうたんごんにして、がらんびれいなり。きんこくのこずゑ、しやうゑんちのかけいき石のたてやう、ごんごだうだんなり。くやうのじこくにいたりぬれば、がく人らんじやうをそうし、衆僧かだをはいす。まことにしよ天もこの所にやうがうし、りうじんもたちまちにらいりんし給ふらんとおぼえたり。かぢばんしやうそまやまのたくみ、そうじてけちゑんけいゑいの人夫にいたるまで、程々にしたがひて、けんじやうをかうぶることしんじちの御ぼだいなりとおぼえたり。

さてくやうの師には、天だい座主大そう正ちうじんと御ひやうぢやうありしかども、かたくじたい申させ給てまいりたまはず。さらばとてこうふく寺のべつたう僧正をめされけるに、これもさい三じゝ申されてまいり給はず。さてはたれにてかあるべきとおほせありけり。その時しよ寺しよ山より、めい僧べつたう、われも/\とのぞみ申さるゝ貴僧かうそう十三人ぞありける。その十三人と申は浄土寺の僧正実印、同別当覚恵僧都、こうふく寺の大進法橋実信、同寺大納言法印経雲、御室の御弟子祐範上人、

P1006

園城寺の権大僧都良円、同寺智覚僧正、東大寺大納言法印隆範、花山院僧正覚雲、蓑尾法眼蓮生、徳大寺兵部卿僧都祐全、宇治僧正観信、桜井宮上人円妙、以上十三人なり。 このちとく

 

『伊藤家蔵長門本平家物語』石田拓也。汲古書院 1977・昭和52

1オ

平家物語巻第一                                  

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙

羅双樹の花の色、生者必衰の理りをあらはす。

おごれるものも久しからず。たゞ春の夜の夢のごとし。

たけきものもつゐにはほろびぬ。ひとへに風の

前の塵におなじ。遠く異朝をとぶらへば、夏の

塞綱、しんの趙高、かんのわうまう、りやうのしうゐ、唐

のろくさん、これらはみなかしこきをば謗り、才有

をば妬み、酒をもて〓奨をわすれ、妄なるをもて奴

ことせり。きうしゆ先くわうのまつりごとにもした

1ウ

がはず、おごりをほしいまゝにし楽をきはめて、

更に民黎のうれいをしらざりしかば、久しからず

してほろびにしものなり。たとひ人事をいつはると

いふとも、天道をばはかりがたき物をや、王麗かくのごとし。

人臣のくらゐにゐるものいかでかつゝしまざるべき。

まぢかく本朝を尋れば、神武天皇よりこのかた人

王八十余代、或時は君臣をちうし、ある時は臣

君をそむく事ありき。承平に将門、天

慶のすみとも、かう和の義親、平治の信頼、

おごれる心も武きことも、とり<にこそ有けれ

2オ

ども、早き瀬に有とはみゆるうたかたの、程なく

きゆるが如なり。ま近くは、太政大臣平清盛

入道と申ける人の有さまをつたへ承はるこそ心も

言葉も及ばれね。かの先祖をたづぬれば、

桓武天皇の第五の王子一品式部卿かつら

原の親王の九代のこうゐん、讃岐守正

盛が孫刑部卿たゞ盛の朝臣のちやく男也。

かの親王の御子たかみの王、む官無位にして

うせ給ひぬ。その御子たかもちの王の時、寛平

二年五月十二日にはじめて平朝臣の姓を給りて、

2ウ

上総介になり給てよりこのかた、忽に王

氏をいでゝ、すなはち人臣につらなる。その子ちん

じゆふのしやうぐんよしもち、のちにはひたちの大ぜう

国香とあらたむ。くにかより貞もり陸奥守、

これひら伊よのかみ、正のりゑちぜんのかみ、まさ

ひら出羽のかみ、正盛讃岐守にいたるまで、六代はしよ

国のしゆりやうたりといへども、いまだてん上のせんせき

をばゆるされす。たゞもりのあそん備前のかみたりし

時、鳥羽院の御願、得長寿院をざうしんして、

卅三間の御だうをたて、一千一体(たい)の御仏(ほとけ)をすゑた

 

『平家物語長門本 五』古典資料研究会・渥美かをる。芸林舎・昭和46〜50。原本・内閣文庫蔵寛保二年奥書本。

P5003

平家物語巻第十三

六月三日、法皇をむじやう寺へ御幸あり、山科寺

のこむだう被造始行事弁官などくださる

べきよしきこへけり、

去二月廿五日、城四郎長茂、当国廿七郡出羽まで

もよをして、かたきの勢のかさをきかせんと、雑人

まじりにかりあつめて、六万余騎とぞしるし

たる、しなのの国へ越むとぞ出たちける、先

P5004

業有限、あすをこすべからずとよばひてうち

 

『源平盛衰記』内閣文庫蔵慶長古活字本 影印より 1ページ

源平盛衰記巻第一

祇園精舎の鐘声、諸行無常響あり、沙羅雙樹の花

色、盛者必衰の理を顕す。奢れる者も久からず、春の夜

の夢の如し。猛心も終には亡ぬ、風前の塵に同じ。遠く訪(二)

異朝(一)夏寒■(かんさく)、秦趙高、漢王莽、梁周伊、唐禄山、皆これ

旧主先皇の政にも不(レ)随、民間の愁、世の乱をも不(レ)知

しかば、久からずして滅にき。近尋(二)我朝(一)、承平の将門(まさかど)、天慶

の純友、康和の義親、平治の信頼、侈れる心も武き事

も、とり/゛\に有けれ共、まぢかく入道太政大臣(だいじやうだいじん)平清盛(きよもり)

と申ける人の有様(ありさま)、伝聞こそ心も詞も及ばれね。桓武天

皇(てんわう)第五王子、一品式部卿葛原親王九代の後胤、讃

 

源平盛衰記 『源平盛衰記一〜六』古典研究会。汲古書院・昭和48〜49。原本・蓬左文庫蔵写本。

源平盛衰記巻第一

二オ

源平盛衰記 怡巻 イ

祇園精舎のかねの声、諸行無常のひびきあり、沙羅

双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる者

も久しからず、春の夜の夢のごとし。たけき心もつゐ

にはほろびぬ、風のまへのちりにおなじ。とをくいてうをとぶ

らへば、夏寒■(かんさく)、秦趙高、漢王莽、梁朱異、唐禄山、

みなこれ旧主先皇のまつりごとにもしたがはず、民間のう

れへ、世の乱をもしらざりしかば、久しからずしてほろびにき。ちかく

わが朝をたづぬれば、承平の将門(まさかど)、天慶の純友、康和の義

親、平治の信頼、おごれる心も武き事も、とりどりにありけ

二ウ

れども、まぢかく入道太政(だいじやう)大臣(だいじん)平清盛(きよもり)と申ける人のありさま、

つたへ聞こそ心も詞も及ばれね。桓武天皇(てんわう)の第五の王子、一品式

部卿葛原親王九代の後胤、讃岐守正盛が孫、刑部卿(ぎやうぶきやう)忠盛が

嫡男なり。彼親王御子[B 二男也]高見王は、無官無位にしてうせ給に

けり。その御子高望王の時、寛平元年五月十二日、始て平

姓を給て、上総介になり給ひしよりこのかた、忽に王氏をいでて

人臣につらなる。其子鎮守府(ちんじゆふの)将軍良望、のちには常陸の

大掾国香とあらたむ、国香より貞盛(さだもり)、経衡、正度、正衡、正盛

に至まで六代は、諸国の受領たりといへども、いまだ殿上の

仙籍をばゆるされず。忠盛朝臣備前守たりし時、鳥羽院(とばのゐん)御

三オ

 

『参考源平盛衰記』内閣文庫蔵 彰考館旧蔵 影印より 1ページ

参考源平盛衰記巻第一

(中略)

祇園精舎の鐘声、諸行無常の響あり、沙羅雙樹

の花の色、盛者必衰の理を顕す。奢れる者も久か

 

「源平盛衰記」 静嘉堂文庫蔵本 

源平盛衰記理巻 第九

山門の騒動を静られんがために、三井の御幸を被(二)停止(一)

たりけれ共、学匠(がくしやう)と堂衆と中悪して、山上又不(レ)静、山門

に事出来ぬれば、世も必ず乱といへり。理や鬼門の方の

災害なり、是不祥の瑞相なるべし、又何なる事の有るべき

にやと恐ろし。此事は今年の春の比、義竟四郎叡俊と

云者、越中国へ下向して、釈迦堂衆に来乗房義慶と

云者が、所の立置、神人を、押取て知行しける間に、義

慶憤を成て、敦賀中山に下合て、義竟四郎を打散し、

物具(もののぐ)剥取などして恥に及。叡俊山に逃入て、希有にして命

を生、夜にまぎれ匍登山して衆徒に訴ければ、大衆大に憤

 

「参考源平盛衰記」(鹿児島大学玉里文庫蔵)

参考源平盛衰記巻第九

常陽水戸府

 堂衆軍事 附 山門堂塔事 〈 旧別為二段 今為一段 〉

山門の騒動を静められんがために、三井の御幸を停止せられたりけれ

共、学匠(がくしやう)と堂衆と中悪して、山上又静ならず、山門に事出来ぬれば、

世も必ず乱といへり。理や鬼門の方の災害なり、是不祥の瑞相なる

べし。又何なる事の有べきにやと恐し。此事は今年〈 按 治承二年 〉の春の比、

義竟四郎叡俊と云者、越中国へ下向して、釈迦

堂衆に来乗房義慶と云者が、所の立置、神人を、押取て

 

「参考源平盛衰記」(宮城県図書館 伊達文庫蔵)

参考源平盛衰記巻第十九

常陽水戸府

 文覚発心事 〈 除東帰節女事○此|段唯出長門南都本 〉

文覚道心の起を尋れば、女故也けり。文覚が為(ため)に、

内〈 長門本|作外 〉戚の姨母一人あり。其昔事の縁に附て、奥州(あうしう)

 

「源平盛衰記」 無刊記版本 (早稲田大学図書館蔵)

源平盛衰記倶巻第二十八

天変付蹈歌節会事

養和二年正月一日、改の年の始の御祝なれ共、諒闇(りやうあん)に依て

節会もなし。十六日(じふろくにち)には、蹈歌節会も不(レ)被(レ)行、当代の御忌

月なれば也。抑蹈歌節会と申は、人王三十九代の御門、天

智天皇(てんわう)の御時より被(二)始置(一)たる事也。其時の都は、近江国

志賀郡、大津宮とぞ承。此御時鎌足大臣、始て藤原姓を

給(たまはつ)て奥州守(むつのかみ)に任ず。常陸国より白雉一羽、一尺二寸(にすん)の角

生たる白馬一匹奉る。鎌足大臣是を捧て殿上に参る。彼

送文云、雉色白者、表(二)皇沢之潔(一)、馬角長者、治(二)上寿之世(一)と

ぞ書たりける。彼雉を其角に居て、大臣乗て南庭に遊。聖代

の奇物、何事か是に如かんや。天子御感有て鎌足を賞し、金

 

「参考源平盛衰記」(宮内庁書陵部蔵)

参考源平盛衰記巻第二十八

常陽水戸府

天変附蹈歌節会事

養和二年正月一日、改の年の始の御祝なれ

共、諒闇(りやうあん)に依て節会もなし。

十六日(じふろくにち)には、蹈歌節会も不(レ)被(レ)行、当

 

「源平盛衰記」 無刊記版本 (旅葵文庫 考定者蔵)

源平盛衰記阿巻第三十六

  一谷(いちのたに)城構事

平家は播磨国室山、備中国水島、二箇度の合戦に討勝

てぞ会稽の恥をば雪ける。懸りければ、山陽道七箇国、南

海道六箇国、都合十三箇国の住人(ぢゆうにん)等悉くに靡きて、軍兵

十万余人(よにん)に及べり。木曾討れぬと聞ければ、平家の人々は讃岐

国屋島をば漕出て、摂津国(つのくに)と播磨との境、難波潟一の谷に

籠ける。去る正月より、此能所也とて城郭(じやうくわく)を構たり。東は生

田森を城戸口とし、西は一谷(いちのたに)を城戸口とす。其中三里は、

須磨板宿、福原、兵庫(ひやうご)、明石、高砂、隙なく続たり。北は山の

麓、南は海の汀(みぎは)、人馬の隙ありと見えず。陸には此こ彼に堀をほ

り逆茂木を引、二重三重に櫓を掻垣楯を構たり。海上には

 

「参考源平盛衰記」(彰考館蔵)

源平盛衰記巻第三十六

  △一谷(いちのたに)城構事

平家は播磨国室山、備中国水島、二箇度の合

戦に討勝つてぞ会稽の恥をば雪めける。懸りければ、山

陽道七箇国、南海道六箇国、都合十三箇国

の住人(ぢゆうにん)等悉くに靡きて、軍兵十

万余人(よにん)に及べり。木曾討れぬと聞ければ、平家の人

人は讃岐国屋島をば漕出して、摂津国(つのくに)と播磨

 

「近衛本源平盛衰記」(京都大学附属図書館蔵)

源平盛衰記衛巻第四十三

くまのゝべつたうたんぞうほふげんは、よりとも

にはぐわいせきのをばむこなり。ねんらいは

へいけあんをんのきたうをいたしけるが、

こくちうことごとくげんじにこころざし

をはこぶ。たんぞう一人そむきてもこうなん

あり、いまさらへいけをすてんこともむか

しのよしみをわするるににたり、いかがある

 

 

四部合戦状本(巻一〜十二・灌頂巻。巻二・八諸本欠)斯道文庫 原本・慶大図書館蔵本。

P001

平家物語 巻一

 

平家物語巻第一

  并序 四部合戦状第三番闘諍

祇園精舎之鐘声、有諸行無常響婆

羅双樹花色顕盛者必衰理奢人不

久如春夜之夢武者終滅同風前塵

遠訪異朝秦趙高漢王莽梁周異唐

P002

禄山此等皆不随旧主先皇政不謂

諌不悟天下乱事不知民間所愁不

久亡者近尋本朝承平将門天慶純

友康和義親平治信頼奢心武事有

取々間近大政大臣清盛入道申人

有様伝承不被及心詞

 

読み下し

平家物語巻第一 并序 四部合戦状第三番闘諍

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き有り。婆羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。奢れる人も久しからず、春の夜の夢の如し。武き者も終には滅びぬ、風の前の塵に同じ。遠く異朝を訪へば、秦の趙高、漢の王莽、梁の周異、唐の禄山、此等は皆旧主先皇の政にも随はず、諌めをも謂はず、天下の乱れん事をも悟らずして、民間の愁ふる所も知らざりしかば、久しからずして亡じにし者なり。近く本朝を尋ぬれば、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、奢れる心も武き事も取り/\にこそ有りしかども、間近くは太政大臣清盛入道と申しける人の有様、伝へ承るこそ心も詞も及ばれね。

 

源平闘諍録

源平闘諍録 一之上

一 桓武天皇より平家の一胤の事

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き有り。沙羅雙双樹の花の色は、盛者必衰の理を顕せり。驕れる人も久しからず、只春の夜の夢の如し。武き者も遂には〓(ほろ)びぬ、偏に風の前の塵に同じ。遠く異朝を訪へば、秦の趙高・漢の王莽・梁の周異・唐の禄山、此れ等は皆旧主先皇の政にも随はず、楽しみを極め、諌を容れず、天下の乱れをも覚らず、民間の愁ふる所をも知らざりしかば、久しからずして失せにし者なり。近くは本朝を尋ぬれば、承平の将門・天慶の純友・康和の義親・平治の信頼、驕れる心も武き事も取々にこそ有りしかども、親くは入道太政大臣平の清盛と申しける人の有様を伝へ聞くこそ、心も言も及ばれね。(中略)

 彼の高望に十二人の子有り。嫡男国香常陸大掾、将門が為に誅せらる。次男良望鎮守府の将軍、是れ将門が父なり。三男良兼上総介、将門と度々合戦を企て、終に討たれ了んぬ。四男以下は子無くして、子孫を継がず。第十二の末子良文村岡の五郎、将門が為には伯父為りといへども、養子と成り、其の芸威を伝ふ。将門は八箇国を随へ、弥凶悪の心を構へ、神慮にも憚らず、帝威にも恐れず、壇に仏物を侵し、飽くまで王財を奪ひしが故に、妙見大菩薩、将門が家を出でて、良文が許へ渡りたまふ。此れに因つて良文、鎌倉の村岡に居住す。五箇国を領じて、子孫繁昌す。

 

原文

三オ

源平闘諍録巻第一上

〔 一 桓武天皇より平家の一胤の事〕

祇園精舎之鐘の声、有諸行無常の響。沙羅雙樹之花

色は、顕盛者必衰理。驕人不久、只如春夜之夢。武者遂〓、

偏同風前塵。遠訪異朝者、秦趙高・漢王莽・梁周

異・唐禄山、此等者皆不随旧主先皇政、極楽、不容諌、

不覚天下の乱、不知民間所愁、不久失者也。近尋本朝者、

 

南都本(巻一〜十二。二〜五欠)【影】『南都本・南都異本平家物語上・下』松本隆信、汲古書院・昭和47。原本・彰考館蔵本(孤本)。

平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第一(だいいち)

祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声(こゑ)、諸行無常(しよぎやうむじやう)の響(ひびき)あり。娑羅

樹(しやらさうじゆ)の花(はな)の色(いろ)、盛者必衰(じやうしやひつすい)の理(ことわり)をあらはす。奢(おご)れる人(ひと)も

久(ひさ)しからず。只(ただ)春(はる)の夜(よ)の夢(ゆめ)の如(ごと)し。武(たけ)き物(もの)も終(つひ)には亡(ほろび)ぬ、偏(ひとへ)に

風(かぜ)の前(まへ)の塵(ちり)に同(おな)じ。

 

 

屋代本

奥州ノ宗任虜レテ登リタル由其ノ聞アリ奥州夷ナレハサコソ

頑ナカルラメイサ行テ咲ムトテ打ムレテ行ニケリ其中ニ殊ニ若

殿上人梅花ヲタ折テ良宗任此ヲハ何トカ見ルト問ケレハ宗任トリアヘス

我カ国ノ梅ノ花トハ見タレトモ大宮人ハイカゝイフラン

ト申シタリケレハ殿上人シラケテ帰ラレケリ其後宗任ハ筑紫へ

流サレタリケルカ子孫繁昌シテ不絶トソ承ル今ノ松浦党是ナリ

 

平松家本

平家巻第一

P001

一忠盛昇殿之事

一平家一門繁昌之事

一清盛出家之事

一白拍子義王佛等之事

一二代近衛院二条院后立事

一二條院崩御之事

一皇太后宮大宮御出家之事

一興福寺延暦寺額打論之事

P002

一清水寺炎上之事

一後白河院御法體之事

一資盛朝臣殿下松殿乗合之事

一主上高倉御元服之事

一左衛門入道西光近習之事

一加賀守師高賀州國務并舎弟目代師経宇

 河寺狼藉之事

一白山神輿東坂本入御之事

P003

一日吉神入洛之事付頼政振舞之事

一後二条関白薨御之事

一平大納言時忠山門勅使之事

一新大納言成親以下謀叛之事

一内裏焼亡之事

 

平家巻第一

 

祇園精舎鐘聲 諸行無常響有 沙羅雙樹

P004

之花之色・盛者必衰之理顕・奢れる人も不久・只春

夜如夢・猛者終亡ぬ・偏風之・[BH 前]塵同・遠異朝訪

秦趙高漢王莽梁周異唐禄山此等・皆舊

主先王政不随・楽極諌不思入・天下之乱事不

悟・民間之愁所知士歟者不久亡者共也・近窺本

朝烝[B 承]平将門天慶純友康和義親平治之

信頼奢心猛事取々社有士歟共親六波羅之入道前

太政大臣平朝臣清盛公申・人之消息・傅承社心言

P005

及其尋先祖O[BH 委シク]桓武天皇第五之王子・一品式部卿

葛原之親王九代之後胤・讃岐守正盛孫刑部卿

忠盛朝臣嫡男也・彼親王[B 「親王」に「葛原王也」と傍書]御子高見王無官無位

失給・其御子高望王之時始平姓賜上総介為給しより

以来忽出王氏仁臣列其子鎮守府将軍良望後

常陸大烝國香改・國香正盛及六代諸国之受領為

士歟共殿上之仙籍未赦不然忠盛備前守為時鳥

羽院御願・得長寿院造進・三十三間之御堂建・一千

P006

一躰之御佛居奉供養天烝[B 承]元年三月十三日也勧

賞闕國可給由被仰下折節但馬國之闕為給

上皇御感之余内昇殿免忠盛三十六始昇殿・

雲上人々是猜・同年之十一月廿三日・五節豊明之

節會之夜・忠盛闇討為被擬忠盛是聞吾右

筆之身非武勇之家生今不慮耻逢事為家

為身可心憂所詮身全君仕云本文有兼其

致用意大鞘巻束帯下四度計無指火〓暗

P007

方向和刀抜出鬢引當氷何度之様見諸人目

清・其上忠盛郎等本一門為木工助平貞光孫左

衛O[BH 門]尉家貞云者有薄青O[BH 色]之〓[B 狩]衣下萌黄威腹巻

著弦袋付太刀脇〓殿上之小坪畏候貫首以下

恠為空柱内鈴縄邊布衣者候何者狼藉也罷

出六位以言・家貞申相傅之主・備前守殿・今夜

闇打被為可由承候間・其成様見此候社

罷出畏候・此等無由被思・其夜之闇討無忠

P008

 

書き下し

祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声(こゑ)、諸行無常(しよぎやうむじやう)の響(ひびき)有。沙羅双樹(しやらさうじゆ)

之花(はな)之色(いろ)、盛者必衰(せいじやひつすい)之理(ことわり)を顕(あらは)す。奢(をご)れる人(ひと)も不(レ)久(ひさしからず)、只(ただ)春(はる)の

夜(よ)の如(レ)夢(ゆめのごとし)。猛(たけ)き者(もの)も終(つひ)には亡(ほろび)ぬ、偏(ひとへ)に風(かぜ)之前(まへ)の塵(ちり)に同(おな)じ。遠(とほ)く異朝(いてう)を訪(とぶら)へば、

秦(しん)の趙高(てうかう)、漢(かん)の王莽(わうまう)、梁(りやう)の周異(しうい)、唐(たう)の禄山(ろくさん)、此等(これら)は皆(みな)、旧

主先王(きうしゆせんわう)の政(まつりごと)にも不随(したがはず)、楽(たのしみ)を極(きはめ)、[B 人のイ]諫(いさめ)をも不思入(おもひいれず)、天下(てんが)之乱(みだれ)む事(こと)を不

(レ)悟(さとらず)、民間(みんかん)之愁(うれう)る所(ところ)を知(しら)ざり士歟者(しかば)、不(レ)久(ひさしからずして)亡(ほろ)びし者(もの)ども也(なり)。近(ちか)く窺(二)本

朝(ほんてうをうかがふ)に(一)、

承平(じようへい)の将門(まさかど)、天慶(てんぎやう)の純友(すみとも)、康和(かうわ)の義親(よしちか)、平冶(へいぢ)之

信頼(しんらい)、奢(をご)れる心(こころ)も、猛(たけ)き事(こと)も、取々(とりどり)に社(こそ)有(あり)士歟共(しかども)、親(まぢかく)は六波羅(ろくはら)之入道(にふだう)前(さき)の

太政大臣(だいじやうだいじん)平(たひらの)朝臣(あそん)清盛公(きよもりこう)と申(まう)せし人(ひと)之消息(アリサマ)、伝(つたへ)承(うけたまはる)社(こそ)心(こころ)も言(ことば)も

 

鎌倉本 【影】『鎌倉本平家物語』

1オ

平家(へいけ)巻(くわん)第一(だいいち)

祇園精舎(ぎをんしやうじやの)鐘(かねの)声(こゑ)、諸行無常(しよぎやうむじやう)の響(ひびき)あり。沙羅双樹(しやらさうじゆの)花(はなの)色(いろ)、

盛者必衰(せいじやひつすい)の理(ことわり)を顕(あらは)す。奢(をご)れる人(ひと)も不久(ひさしからず)、只(ただ)春(はる)の夜(よ)の如夢(ゆめのごとし)。武(たけ)

き者(もの)も終(つひ)には亡(ほろび)ぬ、偏(ひとへに)風(かぜ)の前(まへ)の塵(ちり)に同(おなじ)。遠(とほく)異朝(いてう)を訪(とぶらへ)ば、秦(しんの)

趙高(てうかう)、漢(かんの)王莽(わうまう)、梁(りやうの)周異(しうい)、唐(たうの)禄山(ろくさん)、此等(これら)は皆(みな)、旧主先王(きうしゆせんわう)

の政(まつりごと)にも不随(したがはず)、

楽(たのしみ)を極(きは)め、諫(いさめ)をも不思入(おもひいれず)、天下(てんが)の乱(みだれ)む事(こと)

を悟(さと)らずして、民間(みんかん)の愁(うれう)る所(ところ)を知(しら)ざりしかば、久(ひさし)からずして亡(ばうじに)し

者共(ものども)也(なり)。近(ちか)く本朝(ほんてう)を窺(うかがう)に、承平(じようへいの)将門(まさかど)、天慶(てんぎやうの)純友(すみとも)、康

和(かうわの)義親(よしちか)、平冶(へいぢ)の信頼(しんらい)、奢(をご)れる心(こころ)も、武(たけ)き事(こと)も、取々(とりどり)に社(こそ)

1ウ

有(あり)しか共(ども)、間近(まぢかく)は六波羅(ろくはら)の入道(にふだう)前(さきの)大政大臣(だいじやうだいじん)平(たひらの)朝臣(あそん)

清盛公(きよもりこう)と申(まうし)し人(ひと)の消息(ありさま)、伝(つたへ)承(うけたまはる)こそ心(こころ)も言(ことば)も及(およばれ)ね。其(その)先

祖(せんぞ)を尋(たづぬれ)ば、桓武天皇(くわんむてんわう)第五(だいごの)王子(わうじ)、一品式部卿(いつぽんしきぶきやう)葛原

親王(かづらはらのしんわう)九代(くだいの)後胤(こういん)

(以下続く)

 

享禄本 【影】『享禄書写鎌倉本平家物語一〜十二』高橋貞一。雄松堂書店(原装影印・古典覆製叢刊)。1980。原本は文化庁所蔵本

P01005

平家(へいけ)巻(くわん)第一(だいいち)

○祇園精舎(ぎをんしやうじや)

祇園精舎(ぎをんしやうじやの)鐘(かねの)声(こゑ)、諸行無常(しよぎやうむじやう)之響(ひびき)有。沙羅双樹(しやらさうじゆの)花(はなの)

色(いろ)、盛者必衰(せいじやひつすいの)理(ことわり)を顕(あらは)す。奢(をご)れる人(ひと)も久(ひさしか)らず、只(ただ)春(はる)の夜(よ)の夢(ゆめ)の如(ごとし)。

武(たけ)き者(もの)も終(つひ)には亡(ほろび)ぬ、偏(ひとへ)に風(かぜの)前(まへ)の塵(ちり)に同(おな)じ。遠(とほく)異朝(いてう)を訪(とぶらへ)ば、秦(しん)の趙

高(てうかう)、漢(かん)の王莽(わうまう)、梁(りやう)の周異(しうい)、唐(たう)の禄山(ろくさん)、此等(これら)は皆(みな)、旧主先王(きうしゆせんわう)の政(まつりごと)にも導(したがは)ず、

楽(たのしみ)を極(きは)め、諫(いさめ)をも思入(おもひいれ)ず、天下(てんが)の乱(みだれ)む事(こと)を悟(さとら)ずして、民間(みんかん)の愁(うれう)る所(ところ)を知(しら)ざり

しかば、久(ひさし)からずして亡(ばうじ)にし者共(ものども)也(なり)。近(ちか)く本朝(ほんてう)を窺(うかがう)に、承平(じようへい)の将門(まさかど)、天慶(てんぎやう)の純友(すみとも)、

康和(かうわ)の義親(よしちか)、平冶(へいぢ)の信頼(しんらい)、奢(をご)れる心(こころ)も、武(たけ)き事(こと)も、取々(とりどり)にこそ有(あり)しかども、親(まぢかく)は六

波羅(ろくはら)の入道(にふだう)前(さき)の太政大臣(だいじやうだいじん)平(たひらの)朝臣(あそん)清盛公(きよもりこう)と申(まうし)し人(ひと)之消息(ありさま)、伝(つたへ)承(うけたまはる)こそ

心(こころ)も言(ことば)も及(およばれ)ね。其(その)先祖(せんぞ)を尋(たづぬれ)ば、桓武天皇(くわんむてんわう)第五(だいごの)王子(わうじ)、一品式部卿(いつぽんしきぶきやう)

P01006

葛原親王(かづらはらのしんわう)九代(くだい)の後胤(こういん)

(以下続く)

 

平家物語 竹柏園本 天理大学出版部 八木書店

平家(へいけ)巻(くわん)第一(だいいち) 序 忠盛(ただもりの)朝臣(あそん)昇殿事

祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声(こゑ)、有(あ)り(二)諸行無常(しよぎやうむじやう)の響(ひびき)(一)。娑羅双樹(しやらさうじゆ)の花(はな)の色(いろ)、

顕(あらは)す(二)盛者必衰(じやうしやひつすい)の理(ことはり)(ことわり)を(一)。傲(おご)れる人(ひと)も不(レ)久(ひさしからず)。唯(ただ)如(ごとし)(二)春(はるの)夜(よ)の夢(ゆめ)の(一)。武(たけ)き者(もの)も終(つひ)には亡(ほろび)ぬ、

偏(ひとへ)に同(おな)じ(二)風(かぜ)の前(まへ)の灯(ともしび)に(一)。遠(とほ)く訪(とむら)へば(二)異朝(いてう)を(一)、秦(しん)の趙高(てうかう)、漢(かん)の王莽(わうまう)、梁(りやう)の周異(しうい)、唐(たう)の

禄山(ろくさん)、此等(これら)は皆(みな)不(レ)随(したがはず)(二)旧主(きうしゆ)先王(せんわう)の政(まつりごと)にも(一)、極(レ)楽(たのしみをきはめ)、諫(いさめ)をも不(二)思ひ入れ(一)(おもひいれず)、不(レ)覚(さとらずして)(二)天

下(てんが)の乱(みだれ)ん事(こと)を(一)、不(レ)知(しらざり)(二)民間(みんかん)の愁(うれふ)る処(ところ)を(一)しかば、不(レ)久(ひさしからずして)、滅(ほろび)し者共(ものども)也(なり)。近(ちか)く窺(うかが)ふに(二)本

朝(ほんてう)を(一)、承平(しようへい)の将門(まさかど)、天慶(てんぎやう)の純友(すみとも)、康和(かうわ)の義親(よしちか)、平治(へいぢ)の信頼(しんらい)、奢(おご)(をご)れる心(こころ)も武(たけ)き

事(こと)も、取々(とりどり)に社(こそ)有(あり)しか共(ども)、間近(まぢか)くは、六波羅(ろくはらの)入道(にふだう)前(さき)の太政大臣(だいじやうだいじん)平(たひらの)朝臣(あそん)清盛

公(きよもりこう)と申(まう)せし人(ひと)の有様(ありさま)を、伝承(つたへうけたまはる)に社(こそ)心(こころ)も詞(ことば)も及(およば)れね。尋(たづぬ)れば(二)其(その)先祖(せんぞ)を(一)、人王五

十代桓武天皇(くわんむてんわう)第五(だいご)の皇子(わうじ)、一品式部卿(いつぽんしきぶきやう)葛原親王(かづらはらのしんわう)に九代(くだい)の後胤(こういん)

 

小城本 佐賀大学附属図書館小城鍋島文庫蔵。巻十一欠。【影】『小城鍋島文庫蔵平家物語』島津忠夫・麻生朝道。汲古書院。昭和57。

平家(へいけ)巻(くわん)第一(だいいち)

祇園精舎(ぎをんしやうじやの)事

祇園精舎(ぎをんしやうじやの)鐘(かねの)声(こゑ)、有(二)諸行無常(しよぎやうむじやうの)響(ひびき)(一)。娑

羅双樹(しやらさうじゆの)花(はなの)色(いろ)、顕(あらはし)(二)盛者必衰(じやうしやひつすいの)理(ことわりを)(一)。傲(おご)れる人(ひと)も不(レ)久(ひさしからず)。

只(ただ)如(ごとし)(二)春(はるの)夜(よの)夢(ゆめの)(一)。猛(たけき)者(ものも)終(つひ)には亡(ほろ)ぶ、偏(ひとへ)に同(おな)じ(二)風(かぜ)の前(まへ)の塵(ちり)に(一)。遠(とほ)き訪(とぶらうに)(二)

異朝(いてうを)(一)、秦(しん)の趙高(てうかう)、漢(かんの)王莽(わうまう)、梁(りやう)の周異(しうい)、唐(たう)の禄山(ろくさん)、此

等(これら)は皆(みな)旧主(きうしゆ)先皇(せんわう)の政(まつりごと)にも不(レ)随(したがはず)、楽(たのしみを)極(きはめ)、諫(いさめ)をも不入思(おもひいれず)、天

下(てんが)の乱(みだれ)ん事(こと)をも不(レ)悟(さとらずして)、民間(みんかん)の憂(うれふ)る処(ところ)を不(レ)知(しらざり)しかば、不(レ)久(ひさしからずして)、亡(ほろぶる)者(もの)也(なり)。近(ちか)く

伺(うかが)ふに(二)本朝(ほんてう)を(一)、承平(しようへい)に将門(まさかど)、天慶(てんぎやう)に純友(すみとも)、康和(かうわ)に義親(よしちか)、

 

百二十句本平家物語 慶應義塾大学附属研究所斯道文庫編

祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声(こゑ)、諸行無常(しよぎやうむじやう)の響(ひびき)あり。沙羅双樹(しやらさうじゆ)(さらさうじゆ)の花(はな)の色(いろ)、

盛者必衰(せいじやひつすい)の理(ことわり)を顕(あらは)す。奢(おご)(をご)れる人(ひと)も久(ひさ)しからず、只(ただ)春(はる)の夜(よ)の夢(ゆめ)の如(ごと)し。

猛(たけ)き者(もの)も終(つひ)(つい)には亡(ほろ)びぬ、偏(ひと)へに風(かぜ)の前(まへ)の塵(ちり)に同(おな)じ。遠(とほ)く異朝(いてう)を訪(とぶら)うに、秦(しん)の

趙高(てうかう)、漢(かん)の王莽(わうまう)、梁(りやう)の周異(しうい)、唐(たう)の禄山(ろくさん)、此等(これら)は皆(み)な、旧主先王(きうしゆせんわう)の

政(まつりごと)にも随(したが)はず、楽(たのしみ)を極(きはめ)、[B 人のイ]諫(いさめ)をも思(をも)い(おもひ)入(い)れず、天下(てんが)の乱(みだれ)ん事(こと)をも悟(さと)らず、民間(みんかん)の

愁(うれ)うる所(ところ)をも知(し)らざつしかば、久(ひさ)しからずして亡(ほろ)びし者(もの)ども也(なり)。近(ちか)く本朝(ほんてう)を窺(うかがふ)に、

承平(じようへい)(じうへい)の将門(まさかど)、天慶(てんぎやう)の純友(すみとも)、康和(かうわ)の義親(よしちか)、平冶(へいぢ)の信頼(しんらい)、奢(おご)(をご)れる心(こころ)も、

猛(たけ)き事(こと)も、とりどりにこそ有(あり)しかども、親(まぢかく)は六波羅(ろくはら)の入道(にふだう)前(さき)の太政大臣(だいじやうだいじん)平(たひらの)朝

臣(あそん)清盛公(きよもりこう)と申(まう)せし人(ひと)の消息(しうそく)を、伝(つた)へ承(うけたまは)るこそ心(こころ)も言(ことば)も及(およ)ばれね。その先祖(せんぞ)を

尋(たづぬ)るに、桓武天皇(くわんむてんわう)第五(だいご)の王子(わうじ)、一品式部卿(いつぽんしきぶきやう)葛原(かつらばら)(くずわら)の親王(しんわう)、九代(くだい)の後胤(こういん)

讃岐守(さぬきのかみ)正盛(まさもり)が孫(まご)、刑部卿(ぎやうぶきやう)忠盛(ただもりの)朝臣(あそん)の嫡男(ちやくなん)なり。彼(かの)\親王(しんわう)の御子(おんこ)

 

平家物語 百二十句本(国立国会図書館本)

P1003

目録

第一句 てん上やみうち

 しよ

 たゝもりしうてん

 たゝもりすゑなかいゑなり五せつのまひ

 たゝのりのはゝの事

第二句 さんたい上ろく

 たゝもりしきよ

 きよもりくハんと

 きよ盛五十一しゆつけ

 かふろのさた

第三句 二たいのきさき

P1004

 きう中に御えんしよの事

 二くわのきようのさた

 きさきの御しゆたい

 きさきしやうしの御うたの事

第四句 かくうちろん

 二条のゐんわうししんわうせんしの事

 二条院ほうきよ廿三

 きさき御しゆつけの事

 きよみつえんしやう

第五句 きわう

 いもうとのきによか事

 はゝのとちの事

 ほとけ御せんの事

 しらひやうしのいんえん

P1005

第六句 きわうしゆつけ

 きによしゆつけ

 とちしゆつけ

 ほとけしゆつけ

 四人こしら川のほうわうのくわこちやうにある事

第七句 てんかのりあひ

 こ白川のゐん御ほつたいの事

 さゑもんにう道さいくわうきんしゆさうくの事

 しゆしやうたかくらのいん御そくゐ

 すけもりいせの国へおつくたさるゝ事

第八句 なりちか大しやうむほん

 しゆしやうたかくらのゐん御けんふく

 しん大なこんきせい

P1006

 もろつねらうせき

 はくさんみこしひかし坂本へしゆきよ

第九句 きたのまん所せいくわん

 ちうゐんほうしこ二条のくわんはく殿しゆそ

 くわんはく殿御やまひの事

 くわんはくとのへいゆうの事

 くわんはく殿御くうきよの事

第十句 みこしふり

 わたなへのちやう七となふよりまさのつかひする事

 平大納言ときたゝさんもんちよくしの事

 もろたかもろつね御さいたん

 たいりそのほか京中じうしつの事

P1007

平家巻第一

てん上(じやう)のやみうち

ぎをんしやうじやの、かねのこゑ、しよぎやうむじやうの、ひびきあり。

しやらさうじゆの、花のいろ、せいじやひつすいの、ことはりを、あらはす。

おごれるものも、ひさしからずただ春(はる)の夜の夢(ゆめ)のごとし。たけき

ものも、つゐにはほろびぬ、ひとへにかせのまへの、ちりにおなじ。

とをくいてうを、とぶらへば、しんのてうかう、かんのわうまう、りやう

のしうい、たうのろくさん、これらはみな、きうしゆ、せんわうの、まつり

ごとにも、したがはず、たのしみをきはめ、いさめをも、おもひいれず、てん

がのみだれん、事をも、さとらずして、みんかんのうれふる、ところを、

P1008

 

平家物語 百二十句本(京都本)

凡例  底本: 百二十句本平家物語 京都府立資料館蔵 

平家物語 百二十句本 高橋貞一校訂 思文閣 1973.10の巻頭の写真より改行も原本通り。

平家巻第一

てん上のやみうち

ぎをんしやうじやの、かねのこゑ、しよぎやうむじやうの、ひび

きあり。しやらさうじゆの、花のいろ、せいじやひつすいの、

ことはりを、あらはす。おごれるものも、ひさしからずただ

はるの夜のゆめのごとし。たけきものも、つゐにはほろび

ぬ、ひとへに風のまへの、ちりにおなじ。とをくいてうを、とぶらへ

ば、しんのてうかう、かんのわうまう、りやうのしうい、たうの

ろくさん、これらはみな、きうしゆ、せんわうの、まつりごとにも、

したがはず、たのしみをきはめ、いさめをも、おもひいれず、

 

平家物語(東寺執行本) 第十

P1041

(目録)

一.平家頸共上洛之事

一.維盛北方音信事

一.重衡卿渡大路事

一.重衡北方對面事

一.八嶋被遣院宣事付三種神器御請事

一.重衡卿法然上人對面事

一.重衡東國下向事

一.重衡卿頼朝對面事

一.千手前與重衡遊宴事

一.維盛高野参詣之事

一.瀧口入道之事付横笛事

一.延喜御門高野敕使事付觀賢僧正奉剃大師御髪事

一.宗論之事

一.維盛出家事付重景并石童丸出家

一.維盛卿熊野参詣事付被入海事

P1042

一.池大納言頼盛卿門東下向之事付宗清留都事

一.佐々木三郎盛綱藤戸渡

 

P1043

○平家頸共上洛之事 S1001

壽永三年二月七日攝津國一谷にて打れ給ひし平家の頸共、同十日都へ

入ると聞へしかば、故郷に残り留まり給ふ人々身の上に何なる事をか

見聞かんずらむと安き心も無かりけり。小松三位中將の北方は大覺寺

にをはしけるが西國へ打手の下ると聞ゆる度には中將の事を終何と

か聞成さんずらむと静心もし給はざりけるに、一谷より平家の人々の

頸并に三位中將」1Aと云ふ人生捕りにせられて都へ入り給ふと聞へし

かば、何にも此人は離れ給はじとてぞ泣かれける。人参て三位中將殿と

申すは重衡卿の御事にて候と申せば、さては若頸共の中にやあるらむ

とてぞ泣給ふ。同十一日大夫判官中原頼章平家の頸共請取て大路を渡

獄門に懸らるべきにて有りしを法皇猶も此事何あるべきと思食し煩

て太政大臣已下五人の公卿に仰合せられけ」1Bる中に堀河大納言忠親

卿申されけるは此輩は先朝の御時より戚里の臣として久く朝家に仕

つる就中卿相の頸大路を渡されたる事例無し。範頼義經の申状強に御

許容あるべからずと申させ給ひたりけれ。此儀尤とて既に渡さるまじ

P1044

 

八坂流 中院本

P1007

平 家 物 語 第一

    たゞもりせうでんの事

祇園しやうじやのかねのこゑ、しよぎやうむじやうのひゞきあり、しやらさうじゆの花の色、

じやうじやひつすゐのことはりをあらはす、をごれる人も久しからず、たゞ春の夜の夢のごと

し、たけきものもつゐにほろぶ、ひとへに風の前のちりに同じ、とをくいてうのせんせうをと

ぶらへば、しんのてうかう、かんのわうまう、りやうのしゆうい、たうのろくさん、是らは皆

きうしゆせんくわうの、まつりごとにもしたがはず、たのしみをきはめ、いさめる事をも思ひ

入ず、てんかのみだれん事をもさとらず、みんかんのうれうる所をもしらざりしかば、久しか

らずしてほろびにしもの也、ちかくほんてうをうかゞうに、承平にまさかど、天慶にすみと

も、康和に義親、平治にのぶよりをごる心もたけき事も、みなとり/゛\にこそありしか共、まぢ

かくは、入道さきの太政大臣たひらのあそんきよもりこうと申し人のありさまをつたへうけた

P1008

(中略)

P1070

ごれんぜいゐんほうぎよなりしかば、後三条院のぎよう、延久四年四月十五日につくり出て、

又せんかうなしたてまつる、もん人しをけんじ、れい人がくをそうし、ゆゝしかりしぎしきな

り、今は世すゑになりて、くにのちからもおとろえぬれば、其後はぎうゑいもいたされず

平家物語第一終

P1071

平 家 物 語 第二

  一 ざするざいの事

安元三年五月五日、天台ざす、明雲大僧正、くじやうをとゞめられ、けつくわんせられ給うへ、

くらんどを御つかひにて、によいりんの御ほんぞんをめし返し奉りて、御ぢそうをかいゑきせ

らる、すなはちしちやうのつかひをつけ、今度だいりへしんよふり奉りし、しゆとのちやうほ

んをめされけり、又かゞの国にざすの御ばうりやうあり、是をもろたかちやうはいのあひだ、

もんとの大衆をかたらひてそせうをいたす、これすでにてうかの御大事におよびぬべきよし、

さいくわうほうしが、むじつのざんそうによりて、ほうわうおほきにげきりんありて、ぢうく

わにおぼしめしさだめけり、ざすはほうわうの御きそくあしきよしきこえしかば、いんやくを

返し奉りて、ざすをじゝ申されけり、おなじき十一日に、鳥羽院の七のみや、かつくわいほ

つしんわう、天台ざすにならせ給ふ、

 

城方本 二類本。内閣文庫蔵。漢字平仮名交り。【翻】『平家物語全 付承久記』古谷知新。国民文庫刊行会。明治44。

八坂流 城方本

平家物語(へいけものがたり)(八坂本)

巻(くわん)第一(だいいち)

祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声(こゑ)、諸行無常(しよぎやうむじやう)の響(ひびき)あり。娑羅双樹(しやらさうじゆ)の花(はな)の色(いろ)、盛者必衰(じやうしやひつすい)のことはり(ことわり)【理】をあらはす。おご【奢】れる人(ひと)も久(ひさ)しからず。只(ただ)春(はる)の夜(よ)の夢(ゆめ)のごとし。たけき者(もの)も遂(つひ)(つゐ)にはほろびぬ、偏(ひとへ)に風(かぜ)の前(まへ)の塵(ちり)に同(おな)じ。

祇園精舎(ぎをんしやうじや)の・鐘(かね)のこゑ・諸行無常(しよぎやうむじやう)の・ひびきあり・娑羅双樹(しやらさうじゆ)の・はなの色(いろ)・盛者必衰(じやうしやひつすい)の・理(ことわり)を・あら

はす・驕(おご)れる者(もの)も・久(ひさし)からず・たゞ春(はる)の夜(よ)の・夢(ゆめ)のごとし・武(たけ)き者(もの)も・終(つひ)には・亡(ほろ)びぬ・偏(ひとへ)に・風(かぜ)の

前(まへ)の塵(ちり)に・同(おな)じ・

巻第十一   逆櫓

元暦二年・正月十日の日・九郎大夫の判官義経・院の御所に参り・大蔵卿泰経の朝臣を・以て申さ

れけるは・平家は・宿報つきて・神明にも・はなたれ奉り・君にも・捨られ参らせて・都の外に出・

西海の波の上に・ただよふ落人と・なれり・しかるを・此二三ケ年が・間・え責落さずして・おほくの・

国々を・ふさげ候事こそ・餘に・めざましく候へ・今度・義経においては・鬼界・高麗・天竺・震旦

までも・平家のあらん・限りは・責べき由をぞ・申されける・法皇・斜ならず・御感あつて・やがて・

院宣・あそばしてぞ・たうだりける・判官・院宣・給つて・院の御所を出・諸国の・侍共に・むかつ

て・宣ひけるは・今度・義経・鎌倉殿の・御代官として・勅宣を承つて・平家追討の為に・西国へ・

まかり向ふ・陸は駒の蹄の・かよはん程・海は・櫓掻の・たゝん限りは・責むずる也・但是は・無益・

命ぞをしい・妻子ぞ悲しい・なんど・思ひ・あはれんずる・人々は・急是より・鎌倉へ・下らるべし

とぞ・宣ひける・さる程に・八島には・ひまゆく・駒の足はやくして・正月もたち・二月にもなりぬ・

 

奥村本 二類本。奥村俊郎蔵。幕末の波多野流検校奥村允懐一 旧蔵。漢字平仮名交り。【影】『八坂本平家物語』山下宏明。大学堂書店。昭和56。

平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第一(だいいち)

祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声(こゑ)、諸行無常(しよぎやうむじやう)のひびきあり。娑羅

双樹(しやらさうじゆ)の花(はな)の色(いろ)、盛者必衰(じやうしやひつすい)の理(ことわり)をあらはす。驕(おご)れる

者(もの)も久(ひさ)しからず。ただ春(はる)の夜(よ)の夢(ゆめ)のごとし。武(たけ)き

者(もの)も終(つひ)には亡(ほろ)びぬ、偏(ひとへ)に風(かぜ)の前(まへ)の塵(ちり)に同(おな)じ。

 

@太山寺本 三類本。神戸市垂水区太山寺蔵。平仮名交り。巻一〜四の四冊。現存する他の八坂流本より一層覚一本に近い詞章・記事配列を持つ。

二オ

平家物語巻第一

祇園しやうじやのかねのこゑ、しよぎやうむじやうのひゞき

あり、しやらさうじゆの花の色、じやうじやひつすいの

ことはりをあらはす、おごれる物もひさしからず、たゞ春の

夜の夢のごとし、たけき物もつゐにはほろびぬ、ひとへ

に風のまへの、ちりにおなじ。とをくいてうを、とぶらへば、

しんのてうかう、かんのわうまう、りやうのしうゐ、たうのろく

さん、これらはみな、きうしゆ、せんわうの、まつりごとにも、した

がはず、たのしみをきはめ、いさめをも、思ひいれず、てん

がのみだれん、事を、さとらずして、みんかんのうれふる、ところ

を、しらざりしかば、ひさしからずして、ほろびにし物なり。

ちかくほんてうを、うかゞ(が)ふに、せうへいのまさかど、てんぎやうの

二ウ

すみとも、かうわのぎしん、へいぢののぶより、これらはみな、

おごれる心もたけき事も、とり<”(どり)にこそ、ありしかども、

まぢかく、六はらの入道、さきの大政大じん、たいらのきよもり

こうと、申せし人の、ありさま、つたへうけ給こそ、心もことばも、

をよばれね。そのせんぞをたづぬれば、くわんむてんわう、第五

の王子、一ぽん式部きやう、かつらばらのしんわう、九代のこう

ゐん、さぬきのかみ、まさもりがまご、ぎやうぶきやうたゞ(だ)もり

の朝臣の、ちやくなむなり。かの親王の御子、たかみのわう、む

くはんむゐにして、うせ給ひぬ。その御子、たかもちのわうの時、

はじめて、たいらのしやうを、給り、かづさのすけに、なり給し

より、このかた、たちまちに、わうじをいでゝ(て)て人しんにつらなり、

その子、ちんじゆふのしやうぐん、良望(よしもち)、のちには、国香(くにか)と

三オ

あらたむ。国香より、まさもり[B 「まさもり」に「さだもり」と傍書]・これひら・さだもり[B 「さだもり」に「まさのり」と傍書]・まさひら・

まさもりにいたるまで、六代は、しよこくのじゆりやう、たりと

いへども、てんじやうのせんしやくをばゆるされず。しかるに、たゞ(だ)もり

の朝臣びぜんのかみたりしとき、

(中略)

五一ウ

して後冷泉院ほうぎよなぬ、後三条院の御時、延久

四年四月十五日につくり出されて、遷幸(せんかう)成(なし)たてまつる、

文人詩を献(けんじ)、伶人楽(がく)を奏(そう)して、ゆゝしかりし儀式(ぎしき)也(なり)、

今は世すゑになりて、国のちからもおとろへぬれば、つくり

出さん事もかたかるべし。

 

平家物語巻第一

奉寄進大山寺御本尊

 為明石四郎左衛門尉妻女善室昌慶禅定尼菩提 

天文八年〈 丁亥 〉十一月二日命日 施主長行〈花押〉

 

如白本 四類本A種。

巻六「紅葉」より俊恵と道因の和歌説話

主上イトヽ敷夜ノ御殿ヲ出サセ給テ叡覧有ニ一葉モナシ落葉タモ無リケレハ古キ歌ノ心地思食シ出サセ給フ、其

故ハ昔俊恵卜道因卜十首ノ歌合ノ有シ時道因九首負テ一首ハ持ニ納リヌ又次ノ日俊恵道因カ許ヘ一首歌ヲソ送ケ

 君カ歌餝磨ノ市卜云シアトカチノ一モナトナカル覧ン<