平家物語 予告編 更新日  更新日 2020.05.04.月

 

T 読み本系

@延慶本 底本・久原文庫蔵本(現大東急記念文庫蔵。他の伝本はこの転写。)

9オ

平家物語第一本

一 祇園精舎ノ鐘ノ声、諸行無常ノ響アリ。沙羅双樹ノ

花ノ色、盛者必衰ノ理ヲ顕ス。驕レル人モ不久(一)。春ノ夜ノ夢尚

長シ。猛キ者モ終ニ滅ヌ。偏ヘニ風ノ前ノ塵ト不留(一)。遠ク訪(二)異−

朝(一)者、秦ノ超−高、漢ノ王莽、梁ノ周異、唐ノ緑山、是等ハ皆

旧−主先皇ノ 務ニモ不レ従(一)、民−間ノ愁、世ノ乱ヲ不知(一)ラシカバ、

不(レ)久(一)シテ滅ニキ。近ク尋(二)(レ)我朝(一)ヲ者、承平ノ将門、天慶ニ純友、

康和ノ義親、平治ニ信頼、驕ル心モ、猛キ事モ、取々ニコソ有

ケレドモ、遂ニ滅ニキ。縦ヒ、人−事ハ詐卜云トモ、天道詐リガ

タキ者哉。王麗ナル猶如此、況人−臣 位−者争カ慎マ

9ウ

ザルべキ。間近ク、大政大臣平清盛入道、法名浄海卜申シケル

人ノ、有様伝−承 コソ、心モ詞モ及バレネ。彼ノ先祖ヲ尋ヌレバ、

桓武天皇第五皇子、一品式部卿葛原親王、九代ノ

後胤、讃岐守正盛孫、刑部卿忠盛朝臣嫡男也。彼ノ

親王ノ御子、高見ノ王、無官無位ニシテ、失給ニケリ。

其御子、高望ノ親王ノ御時、寛平二年、五月十二日ニ、

初テ平ノ朝臣ノ姓ヲ賜テ、上総介ニ成給シヨリ以来、忽ニ

王氏ヲ出テ、人臣ニ列ル。其子、鎮守府将軍良望、後ニハ

常陸大拯国香ト改ム。国香ヨリ貞盛、維衡、正度、正衡、

正盛ニ至ルマデ、六代、諸国ノ受領タリト云へドモ、未ダ、殿

10オ

上ノ、仙籍ヲ不(レ)聴一。

二 忠盛朝臣、備前守タリシ時、鳥羽院御願、得−長−寿院ヲ

造進シ、三十三間ノ御堂ヲ立、一千一躰ノ聖−観−音ヲ

奉二安置一。〈 中尊丈六 等身千躰 〉。仍天承元年〈 辛亥 〉、三月十三日〈 甲辰 〉、吉日

良辰ヲ以テ、供養ヲ被レ遂一畢。忠盛者、一身ノ勧賞ニハ、

備前国ヲ給ル。其外、鍛冶、番匠、杣師、惣ジテ、結縁経

営ノ人−夫マデモ、ホド<ニ随テ、勧賞ヲ蒙ル事、真実ノ

御善根ト覚タリ。御導師ニハ、天台ノ座主ト、御定アリ。

而ニ、何ナル事ニカオハシケム、座主、再三辞申サセ給

間、「サテハ、誰ニテカ有べキ」ト仰アリ。共時所−々ノ名僧、寺−々ノ

10ウ

 

『平家物語長門本』黒川真道他・校。国書刊行会・明治39。名著刊行会・昭和49。底本・国書刊行会蔵本(現在、所在不明。)

P001

巻第一

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き有り、沙羅雙樹の

花の色、生者必衰の理をあらはす。奢れる者も久しか

らず、唯春の夜の夢の如し。猛心も終には亡ぬ、

たとへば[B ひとへにイ]風の前の塵におなじ。

(中略)

P002

へ奉り、天承元年辛亥十一月十六日、公卿六人、職

事、辨官惣じて六十四人、清暑堂の大床にして供養

の日時を評定ありて、同廿一日午の時と定めらる、

すでに可レ被レ遂にて有けるに、共時刻に及びて、大風

電雨夥しかりければ、其の日は延引す、同廿五日に官

の庁にて猶せんぎ有り、廿九日天老日なりけれぱ、遂

らるべきにて有けるに、氷の雨夥しく降下る、然る

間、牛馬車人打そんぜられて出行に及ばず、仍て其の日

も延引せり、禅定法皇なげき思召れて、供養三ケ度

延引の後重ねて僉議あり、同じき次の年三月十三日、

 

長門本 『長門本平家物語 1』 底本: 国会図書館貴重書本 濁点を付し、表記を変えています。

P1003

平家物語巻第一

 祇園精舎のかねのこゑ、しよ行無常の響あり。沙羅さうじゆの花の色、生者必すいのことはりをあらはす。おごれるものも久しからず。たゞ春の夜の夢のごとし。たけきものもつゐにはほろびぬ。ひとへに風の前の塵におなじ。遠く異朝をとぶらへば、夏の塞綱、しんの趙高、漢のわうまう、・りうのしうゐ、唐のろくさん、これらはみなかしこきをば謗り、才有をば妬み、酒をもて奨をわすれ、妄なるをもて奴とせり。きうしゆ先くわうのまつりごとにもしたがはず、おごりをほしいまゝにし楽を極て、更に民黎の愁をしらざりしかば、久しからずしてほろびにしものなり。たとひ人事をいつはるといふとも、天道をばはかりがたき物をや、王麗かくのごとし。人臣の位にゐるものいかでかつゝしまざるべき。まぢかく本朝を尋れば、神武天皇よりこのかた人王八十余代、或時は君臣をちうし、ある時は臣君をそむく事ありき。承平に将門、天慶のすみとも、かう和の義親、平治の信頼、おごれる心も武きことも、とり<にこそ有けれども、早き瀬に有りとはみゆるうたかたの、程なくきゆるが如なり。ま近くは、太政大臣平の清盛入道と申ける人の有さまをつたへ承はるこそ心も言葉も及ばれね。

かの先祖をたづぬれば、桓武天皇の第五の王子一品式部卿かつら原の親王

P1004

の九代のこうゐん、讃岐守正盛が孫刑部卿たゞ盛の朝臣のちやく男也。かの親王の御子たかみの王、む官無位にしてうせ給ひぬ。その御子たかもちの王の時、寛平二年五月十二日にはじめて平朝臣の姓を給りて、上総介になり給てよりこのかた、忽に王氏をいでゝ、すなはち人臣につらなる。その子ちんじゆふのしやうぐんよしもち、のちにはひたちの大ぜう国香とあらたむ。くにかより貞もり陸奥守、これひら伊よのかみ、正のりゑちぜんのかみ、まさひら出羽のかみ、正盛讃岐守にいたるまで、六代はしよ国のしゆりやうたりといへども、いまだてん上のせんせきをばゆるされす。

たゞもりのあそん備前のかみたりし時、鳥羽院の御願、得長寿院をざうしんして、卅三間の御だうをたて、一千一たいの御ほとけをすゑたてまつる。

天承元年辛亥十一月十六日、くぎやう六人、しきじ、べんくわんそうじて六十四人、清暑堂の大床にしてくやうの日時をひやうぢやうありて、同廿一日むまの時とさだめらる。すでにとげらるべきにてありけるに、その時こくにおよびて、大敗電雨おびたゝしかりければ、その日はゑんいんす。同廿五日にくわんのちやうにてなをせんぎあり。廿九日天老日なりければ、とげらるべきにてありけるに、氷の雨おびたゝしくふりくだる。しかるあひだ、牛馬車人うちそんぜられて出行におよばず。仍その日もゑんいん

P1005

せり。ぜんぢやうほうわうなげきおぼしめされて、くやう三か度ゑんいんのゝちかさねてせんぎあり。おなじきつぎの年三月十三日、ようしゆくさうおうのりやうしんをとて、その日くやうとさだめられぬ。、ぜんぢやうほうわうゑいらんをふるに、外廊内院一としてゑいりよにおうぜずといふことなし。しゆろう、たうばにゐたるまで、珠玉をかざり金銀をちりばめたれば、仏ざうたんごんにして、がらんびれいなり。きんこくのこずゑ、しやうゑんちのかけいき石のたてやう、ごんごだうだんなり。くやうのじこくにいたりぬれば、がく人らんじやうをそうし、衆僧かだをはいす。まことにしよ天もこの所にやうがうし、りうじんもたちまちにらいりんし給ふらんとおぼえたり。かぢばんしやうそまやまのたくみ、そうじてけちゑんけいゑいの人夫にいたるまで、程々にしたがひて、けんじやうをかうぶることしんじちの御ぼだいなりとおぼえたり。

さてくやうの師には、天だい座主大そう正ちうじんと御ひやうぢやうありしかども、かたくじたい申させ給てまいりたまはず。さらばとてこうふく寺のべつたう僧正をめされけるに、これもさい三じゝ申されてまいり給はず。さてはたれにてかあるべきとおほせありけり。その時しよ寺しよ山より、めい僧べつたう、われも/\とのぞみ申さるゝ貴僧かうそう十三人ぞありける。その十三人と申は浄土寺の僧正実印、同別当覚恵僧都、こうふく寺の大進法橋実信、同寺大納言法印経雲、御室の御弟子祐範上人、

P1006

園城寺の権大僧都良円、同寺智覚僧正、東大寺大納言法印隆範、花山院僧正覚雲、蓑尾法眼蓮生、徳大寺兵部卿僧都祐全、宇治僧正観信、桜井宮上人円妙、以上十三人なり。 このちとく

 

『伊藤家蔵長門本平家物語』石田拓也。汲古書院 1977・昭和52

1オ

平家物語巻第一                                  

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙

羅双樹の花の色、生者必衰の理りをあらはす。

おごれるものも久しからず。たゞ春の夜の夢のごとし。

たけきものもつゐにはほろびぬ。ひとへに風の

前の塵におなじ。遠く異朝をとぶらへば、夏の

塞綱、しんの趙高、かんのわうまう、りやうのしうゐ、唐

のろくさん、これらはみなかしこきをば謗り、才有

をば妬み、酒をもて〓奨をわすれ、妄なるをもて奴

ことせり。きうしゆ先くわうのまつりごとにもした

1ウ

がはず、おごりをほしいまゝにし楽をきはめて、

更に民黎のうれいをしらざりしかば、久しからず

してほろびにしものなり。たとひ人事をいつはると

いふとも、天道をばはかりがたき物をや、王麗かくのごとし。

人臣のくらゐにゐるものいかでかつゝしまざるべき。

まぢかく本朝を尋れば、神武天皇よりこのかた人

王八十余代、或時は君臣をちうし、ある時は臣

君をそむく事ありき。承平に将門、天

慶のすみとも、かう和の義親、平治の信頼、

おごれる心も武きことも、とり<にこそ有けれ

2オ

ども、早き瀬に有とはみゆるうたかたの、程なく

きゆるが如なり。ま近くは、太政大臣平清盛

入道と申ける人の有さまをつたへ承はるこそ心も

言葉も及ばれね。かの先祖をたづぬれば、

桓武天皇の第五の王子一品式部卿かつら

原の親王の九代のこうゐん、讃岐守正

盛が孫刑部卿たゞ盛の朝臣のちやく男也。

かの親王の御子たかみの王、む官無位にして

うせ給ひぬ。その御子たかもちの王の時、寛平

二年五月十二日にはじめて平朝臣の姓を給りて、

2ウ

上総介になり給てよりこのかた、忽に王

氏をいでゝ、すなはち人臣につらなる。その子ちん

じゆふのしやうぐんよしもち、のちにはひたちの大ぜう

国香とあらたむ。くにかより貞もり陸奥守、

これひら伊よのかみ、正のりゑちぜんのかみ、まさ

ひら出羽のかみ、正盛讃岐守にいたるまで、六代はしよ

国のしゆりやうたりといへども、いまだてん上のせんせき

をばゆるされす。たゞもりのあそん備前のかみたりし

時、鳥羽院の御願、得長寿院をざうしんして、

卅三間の御だうをたて、一千一体(たい)の御仏(ほとけ)をすゑた

 

『平家物語長門本 五』古典資料研究会・渥美かをる。芸林舎・昭和4650。原本・内閣文庫蔵寛保二年奥書本。

P5003

平家物語巻第十三

六月三日、法皇をむじやう寺へ御幸あり、山科寺

のこむだう被造始行事弁官などくださる

べきよしきこへけり、

去二月廿五日、城四郎長茂、当国廿七郡出羽まで

もよをして、かたきの勢のかさをきかせんと、雑人

まじりにかりあつめて、六万余騎とぞしるし

たる、しなのの国へ越むとぞ出たちける、先

P5004

業有限、あすをこすべからずとよばひてうち

 

『源平盛衰記』内閣文庫蔵慶長古活字本 影印より 1ページ

源平盛衰記巻第一

祇園精舎の鐘声、諸行無常響あり、沙羅雙樹の花

色、盛者必衰の理を顕す。奢れる者も久からず、春の夜

の夢の如し。猛心も終には亡ぬ、風前の塵に同じ。遠く訪(二)

異朝(一)夏寒■(かんさく)、秦趙高、漢王莽、梁周伊、唐禄山、皆これ

旧主先皇の政にも不(レ)随、民間の愁、世の乱をも不(レ)知

しかば、久からずして滅にき。近尋(二)我朝(一)、承平の将門(まさかど)、天慶

の純友、康和の義親、平治の信頼、侈れる心も武き事

も、とり/゛\に有けれ共、まぢかく入道太政大臣(だいじやうだいじん)平清盛(きよもり)

と申ける人の有様(ありさま)、伝聞こそ心も詞も及ばれね。桓武天

皇(てんわう)第五王子、一品式部卿葛原親王九代の後胤、讃

 

源平盛衰記 『源平盛衰記一〜六』古典研究会。汲古書院・昭和4849。原本・蓬左文庫蔵写本。

源平盛衰記巻第一

二オ

源平盛衰記 怡巻 イ

祇園精舎のかねの声、諸行無常のひびきあり、沙羅

双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる者

も久しからず、春の夜の夢のごとし。たけき心もつゐ

にはほろびぬ、風のまへのちりにおなじ。とをくいてうをとぶ

らへば、夏寒■(かんさく)、秦趙高、漢王莽、梁朱異、唐禄山、

みなこれ旧主先皇のまつりごとにもしたがはず、民間のう

れへ、世の乱をもしらざりしかば、久しからずしてほろびにき。ちかく

わが朝をたづぬれば、承平の将門(まさかど)、天慶の純友、康和の義

親、平治の信頼、おごれる心も武き事も、とりどりにありけ

二ウ

れども、まぢかく入道太政(だいじやう)大臣(だいじん)平清盛(きよもり)と申ける人のありさま、

つたへ聞こそ心も詞も及ばれね。桓武天皇(てんわう)の第五の王子、一品式

部卿葛原親王九代の後胤、讃岐守正盛が孫、刑部卿(ぎやうぶきやう)忠盛が

嫡男なり。彼親王御子[B 二男也]高見王は、無官無位にしてうせ給に

けり。その御子高望王の時、寛平元年五月十二日、始て平

姓を給て、上総介になり給ひしよりこのかた、忽に王氏をいでて

人臣につらなる。其子鎮守府(ちんじゆふの)将軍良望、のちには常陸の

大掾国香とあらたむ、国香より貞盛(さだもり)、経衡、正度、正衡、正盛

に至まで六代は、諸国の受領たりといへども、いまだ殿上の

仙籍をばゆるされず。忠盛朝臣備前守たりし時、鳥羽院(とばのゐん)御

三オ

 

『参考源平盛衰記』内閣文庫蔵 彰考館旧蔵 影印より 1ページ

参考源平盛衰記巻第一

(中略)

祇園精舎の鐘声、諸行無常の響あり、沙羅雙樹

の花の色、盛者必衰の理を顕す。奢れる者も久か

 

「源平盛衰記」 静嘉堂文庫蔵本 

源平盛衰記理巻 第九

山門の騒動を静られんがために、三井の御幸を被(二)停止(一)

たりけれ共、学匠(がくしやう)と堂衆と中悪して、山上又不(レ)静、山門

に事出来ぬれば、世も必ず乱といへり。理や鬼門の方の

災害なり、是不祥の瑞相なるべし、又何なる事の有るべき

にやと恐ろし。此事は今年の春の比、義竟四郎叡俊と

云者、越中国へ下向して、釈迦堂衆に来乗房義慶と

云者が、所の立置、神人を、押取て知行しける間に、義

慶憤を成て、敦賀中山に下合て、義竟四郎を打散し、

物具(もののぐ)剥取などして恥に及。叡俊山に逃入て、希有にして命

を生、夜にまぎれ匍登山して衆徒に訴ければ、大衆大に憤

 

「参考源平盛衰記」(鹿児島大学玉里文庫蔵)

参考源平盛衰記巻第九

常陽水戸府

 堂衆軍事 附 山門堂塔事 〈 旧別為二段 今為一段 〉

山門の騒動を静められんがために、三井の御幸を停止せられたりけれ

共、学匠(がくしやう)と堂衆と中悪して、山上又静ならず、山門に事出来ぬれば、

世も必ず乱といへり。理や鬼門の方の災害なり、是不祥の瑞相なる

べし。又何なる事の有べきにやと恐し。此事は今年〈 按 治承二年 〉の春の比、

義竟四郎叡俊と云者、越中国へ下向して、釈迦

堂衆に来乗房義慶と云者が、所の立置、神人を、押取て

 

「参考源平盛衰記」(宮城県図書館 伊達文庫蔵)

参考源平盛衰記巻第十九

常陽水戸府

 文覚発心事 〈 除東帰節女事○此|段唯出長門南都本 〉

文覚道心の起を尋れば、女故也けり。文覚が為(ため)に、

内〈 長門本|作外 〉戚の姨母一人あり。其昔事の縁に附て、奥州(あうしう)

 

「源平盛衰記」 無刊記版本 (早稲田大学図書館蔵)

源平盛衰記倶巻第二十八

天変付蹈歌節会事

養和二年正月一日、改の年の始の御祝なれ共、諒闇(りやうあん)に依て

節会もなし。十六日(じふろくにち)には、蹈歌節会も不(レ)被(レ)行、当代の御忌

月なれば也。抑蹈歌節会と申は、人王三十九代の御門、天

智天皇(てんわう)の御時より被(二)始置(一)たる事也。其時の都は、近江国

志賀郡、大津宮とぞ承。此御時鎌足大臣、始て藤原姓を

給(たまはつ)て奥州守(むつのかみ)に任ず。常陸国より白雉一羽、一尺二寸(にすん)の角

生たる白馬一匹奉る。鎌足大臣是を捧て殿上に参る。彼

送文云、雉色白者、表(二)皇沢之潔(一)、馬角長者、治(二)上寿之世(一)と

ぞ書たりける。彼雉を其角に居て、大臣乗て南庭に遊。聖代

の奇物、何事か是に如かんや。天子御感有て鎌足を賞し、金

 

「参考源平盛衰記」(宮内庁書陵部蔵)

参考源平盛衰記巻第二十八

常陽水戸府

天変附蹈歌節会事

養和二年正月一日、改の年の始の御祝なれ

共、諒闇(りやうあん)に依て節会もなし。

十六日(じふろくにち)には、蹈歌節会も不(レ)被(レ)行、当

 

「源平盛衰記」 無刊記版本 (旅葵文庫 考定者蔵)

源平盛衰記阿巻第三十六

  一谷(いちのたに)城構事

平家は播磨国室山、備中国水島、二箇度の合戦に討勝

てぞ会稽の恥をば雪ける。懸りければ、山陽道七箇国、南

海道六箇国、都合十三箇国の住人(ぢゆうにん)等悉くに靡きて、軍兵

十万余人(よにん)に及べり。木曾討れぬと聞ければ、平家の人々は讃岐

国屋島をば漕出て、摂津国(つのくに)と播磨との境、難波潟一の谷に

籠ける。去る正月より、此能所也とて城郭(じやうくわく)を構たり。東は生

田森を城戸口とし、西は一谷(いちのたに)を城戸口とす。其中三里は、

須磨板宿、福原、兵庫(ひやうご)、明石、高砂、隙なく続たり。北は山の

麓、南は海の汀(みぎは)、人馬の隙ありと見えず。陸には此こ彼に堀をほ

り逆茂木を引、二重三重に櫓を掻垣楯を構たり。海上には

 

「参考源平盛衰記」(彰考館蔵)

源平盛衰記巻第三十六

  △一谷(いちのたに)城構事

平家は播磨国室山、備中国水島、二箇度の合

戦に討勝つてぞ会稽の恥をば雪めける。懸りければ、山

陽道七箇国、南海道六箇国、都合十三箇国

の住人(ぢゆうにん)等悉くに靡きて、軍兵十

万余人(よにん)に及べり。木曾討れぬと聞ければ、平家の人

人は讃岐国屋島をば漕出して、摂津国(つのくに)と播磨

 

「近衛本源平盛衰記」(京都大学附属図書館蔵)

源平盛衰記衛巻第四十三

くまのゝべつたうたんぞうほふげんは、よりとも

にはぐわいせきのをばむこなり。ねんらいは

へいけあんをんのきたうをいたしけるが、

こくちうことごとくげんじにこころざし

をはこぶ。たんぞう一人そむきてもこうなん

あり、いまさらへいけをすてんこともむか

しのよしみをわするるににたり、いかがある

 

 

四部合戦状本(巻一〜十二・灌頂巻。巻二・八諸本欠)斯道文庫 原本・慶大図書館蔵本。

P001

平家物語 巻一

 

平家物語巻第一

  并序 四部合戦状第三番闘諍

祇園精舎之鐘声、有諸行無常響婆

羅双樹花色顕盛者必衰理奢人不

久如春夜之夢武者終滅同風前塵

遠訪異朝秦趙高漢王莽梁周異唐

P002

禄山此等皆不随旧主先皇政不謂

諌不悟天下乱事不知民間所愁不

久亡者近尋本朝承平将門天慶純

友康和義親平治信頼奢心武事有

取々間近大政大臣清盛入道申人

有様伝承不被及心詞

 

読み下し

平家物語巻第一 并序 四部合戦状第三番闘諍

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き有り。婆羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。奢れる人も久しからず、春の夜の夢の如し。武き者も終には滅びぬ、風の前の塵に同じ。遠く異朝を訪へば、秦の趙高、漢の王莽、梁の周異、唐の禄山、此等は皆旧主先皇の政にも随はず、諌めをも謂はず、天下の乱れん事をも悟らずして、民間の愁ふる所も知らざりしかば、久しからずして亡じにし者なり。近く本朝を尋ぬれば、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、奢れる心も武き事も取り/\にこそ有りしかども、間近くは太政大臣清盛入道と申しける人の有様、伝へ承るこそ心も詞も及ばれね。

 

@源平闘諍録

源平闘諍録 一之上

一 桓武天皇より平家の一胤の事

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き有り。沙羅雙双樹の花の色は、盛者必衰の理を顕せり。驕れる人も久しからず、只春の夜の夢の如し。武き者も遂には〓(ほろ)びぬ、偏に風の前の塵に同じ。遠く異朝を訪へば、秦の趙高・漢の王莽・梁の周異・唐の禄山、此れ等は皆旧主先皇の政にも随はず、楽しみを極め、諌を容れず、天下の乱れをも覚らず、民間の愁ふる所をも知らざりしかば、久しからずして失せにし者なり。近くは本朝を尋ぬれば、承平の将門・天慶の純友・康和の義親・平治の信頼、驕れる心も武き事も取々にこそ有りしかども、親くは入道太政大臣平の清盛と申しける人の有様を伝へ聞くこそ、心も言も及ばれね。(中略)

 彼の高望に十二人の子有り。嫡男国香常陸大掾、将門が為に誅せらる。次男良望鎮守府の将軍、是れ将門が父なり。三男良兼上総介、将門と度々合戦を企て、終に討たれ了んぬ。四男以下は子無くして、子孫を継がず。第十二の末子良文村岡の五郎、将門が為には伯父為りといへども、養子と成り、其の芸威を伝ふ。将門は八箇国を随へ、弥凶悪の心を構へ、神慮にも憚らず、帝威にも恐れず、壇に仏物を侵し、飽くまで王財を奪ひしが故に、妙見大菩薩、将門が家を出でて、良文が許へ渡りたまふ。此れに因つて良文、鎌倉の村岡に居住す。五箇国を領じて、子孫繁昌す。

 

原文

三オ

源平闘諍録巻第一上

〔 一 桓武天皇より平家の一胤の事〕

祇園精舎之鐘の声、有諸行無常の響。沙羅雙樹之花

色は、顕盛者必衰理。驕人不久、只如春夜之夢。武者遂〓、

偏同風前塵。遠訪異朝者、秦趙高・漢王莽・梁周

異・唐禄山、此等者皆不随旧主先皇政、極楽、不容諌、

不覚天下の乱、不知民間所愁、不久失者也。近尋本朝者、

 

@南都本(巻一〜十二。二〜五欠)【影】『南都本・南都異本平家物語上・下』松本隆信、汲古書院・昭和47。原本・彰考館蔵本(孤本)。

平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第一(だいいち)

祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声(こゑ)、諸行無常(しよぎやうむじやう)の響(ひびき)あり。娑羅

樹(しやらさうじゆ)の花(はな)の色(いろ)、盛者必衰(じやうしやひつすい)の理(ことわり)をあらはす。奢(おご)れる人(ひと)も

久(ひさ)しからず。只(ただ)春(はる)の夜(よ)の夢(ゆめ)の如(ごと)し。武(たけ)き物(もの)も終(つひ)には亡(ほろび)ぬ、偏(ひとへ)に

風(かぜ)の前(まへ)の塵(ちり)に同(おな)じ。

 

イカナラン末ノ世マテモ何事カ有ント日出ソ見ヘタリケル、太政入道朝恩ノアマリニ京中ニ其名ヲヱタル白拍子共ヲ集メテ、西八条ニテ遊覧アリ、イツレモオトラヌ者共ヲ並居テ、入道マイウタヘト宜ヘハ、面々聲々ニ祝ノ寄共ウタヒケリ、蓬莱山ニハ千年フル、万歳千秋マシマセハ、松ノ上ニハ鶴スクヒ、岩ノ上ニハ龜アソフト、加様ニウタヒタリケレハ、入道イトヽタエスソ思ハレケル、其中ニ祇王祇女トテ、兄弟也、

 

@屋代本

屋代本平家物語 おうふう

P1008

屋代本平家物語・巻第一

一忠盛昇殿事

一平家一門繁昌事

一清盛出家事

一白拍子義王仏等事但有別紙

一二代之后立事 近衛院二条院

一二条院崩御事

一皇太后宮大宮御出家事

一興福寺延暦寺額打論事

一清水寺炎上事

一後白河院御法躰事

一資盛朝臣殿下松殿乗合事

一主上高倉院御元服事

一左衛門入道西光近習事

一加賀守師高加州国務并舎弟目代師経宇河寺狼籍事

一白山神輿東坂本入御事

一日吉神輿入洛事付頼政振舞事

一後二条関白薨御事

一平大納言時忠山門勒使事

一新大納言成親卿以下謀叛事(この章段、本文は「主上高倉院御元服事」のあとにある。)

一内裏焼亡事

P1010

平家巻第一

               (リ)    (ノ)

祇園精舎ノ鐘ノ音ヱ諸業無常ノ響有・沙羅雙樹ノ花色ハ盛者必

   (アラハス)     (シ)(シ)

衰ノ理ヲ彰奢レル人モ不(レ)久只如(二)春ノ夜ノ夢ノ(一)猛キ者モ終ニハ亡

                    【一】

ヌ偏ニ同シ(二)風ノ前ノ塵ニ(一)遠ク訪フニ(二)異朝ヲ(一)秦ノ趙高・漢ノ王〓

    イ

・梁ノ朱〓・唐ノ禄山此等ハ皆ナ旧主先皇ノ政ニモ不(レ)随究(レ)楽ヲ

    (ヒ)イサメヲモ              (ラ)      (リ) (ラ)

不(レ)思(二)入諌(一)天下ノ乱レン事ヲモ不(レ)悟民間ノ憂ウル処モ不(レ)知シカハ

             ウカヽフニ       【二】  キヤウノ【三】

不(レ)久シテ滅ニシ者也・近伺(二)本朝ヲ(一)承平ノ将門・天慶ニ純友・康

【四】(“)    (ヲゴ)  タケ

和ノ義親・平治ノ信頼驕レル心モ健キ事モ皆ナ取々ニコソ有シ

カトモ間近クハ入道前ノ大政大臣平ノ朝臣清盛公ト申人ノ有様

                タツヌルニ

ヲ伝ヘ承ルコソ心詞モヲヨハレネ其ノ尋(二)先祖ヲ(一)桓武天皇第五ノ

     (カヅラ)【五】  (イン)

王子一品式部卿葛原ノ親王九代ノ後〓讃岐守正盛カ孫刑部卿忠

             (ミコ)

盛ノ朝臣ノ嫡男也・彼ノ親王ノ御子高見ノ王ハ無官無位ニシテ

失給ヌ其御子高望ノ王ノ時始テ賜リ(二)平ノ姓ヲ(一)上総介ニ成給シヨ

(コノカタ)      (ス)【六】

リ以来忽二出(レ)王氏ヲ列(レ)人臣ニ其子鎮守府ノ将軍良望・後ニハ常

           ツラナル

陸ノ大掾国香ト改ム国香ヨリ正盛ニ至マテ六代ハ諸国ノ受領タ

      (リ) (リ)   【七】          (ノ)

リト云ヘトモ未(レ)放殿上ノ仙籍ヲハ(一)ケリ・而ヲ忠盛備前守タツシ

  (ノ)

時鳥羽ノ院ノ御願・徳長寿院ヲ造進シテ三十三間ノ御堂ヲ立テ

         (ル)  (へ)        ケンジャウ

・一千一躰ノ御仏ヲ奉(レ)居供養ハ天承元年三月十三日勧賞ニハ闕

国ヲ可(レ)給フ由・被(レ)仰下ケリ折節但馬国ノアキタリケルヲゾ給ケ

                   (ユル)

ル  主上猶叡感ノ余ニタヱス・内ノ昇殿ヲ許サル忠盛三十六ニ

           (ソネ)           (トヨ)

テ始テ昇殿ス雲ノ上人是ヲ猜ミ同キ年ノ十一月廿三日五節ノ豊

(アカリ)              (レ)

ノ明ノ節会ノ夜・忠盛ヲ闇打ニセントゾ・被(レ)議ケル忠盛此事ヲ

                       (リヨ)

・ホノ聞テ我レ右筆ノ身ニアラス武勇ノ家ニ生テ・不慮ノ恥ニ

                       (ン)

アハム事為(レ)家ノ為(レ)身ノ心憂カルベシ所詮身ヲマツタウシテ・君

                     (シ)

           (サンダイ)     ス【八】

ニ仕ヘヨト云本文アリトテ・参内ノ始ヨリ兼テ致(二)用意ヲ(一)大ナル

 (ソクタイ)  (“)

鞘巻ヲ束帯ノ下ニ・シトケナクサイテ・火ノホノクラキ方ニ向

  (ヌキ)(ビン)             (ヘ)

テ此刀ヲ抜出シ鬢ニ引当ケルカ・氷ナンドノ様ニゾ見ケル・諸

            (モト)    【九】

人目ヲスマス・又忠盛ノ郎等元ハ一門タリケル○進ノ三郎大夫

                (トクサ)    (モヨキ)

季房カ子ニ・左兵衛尉家貞ト云者アリ木賊ノ狩衣ノ下ニ・萌黄

       (ワキハサ)            (クワンジユ)

ノ腹巻ヲ着テ太刀脇挟ミ殿上ノ小庭ニ畏テソ候ケル殿上人貫首

P1012

 

 

平松家本

平家巻第一

P001

一忠盛昇殿之事

一平家一門繁昌之事

一清盛出家之事

一白拍子義王佛等之事

一二代近衛院二条院后立事

一二條院崩御之事

一皇太后宮大宮御出家之事

一興福寺延暦寺額打論之事

P002

一清水寺炎上之事

一後白河院御法體之事

一資盛朝臣殿下松殿乗合之事

一主上高倉御元服之事

一左衛門入道西光近習之事

一加賀守師高賀州國務并舎弟目代師経宇

 河寺狼藉之事

一白山神輿東坂本入御之事

P003

一日吉神入洛之事付頼政振舞之事

一後二条関白薨御之事

一平大納言時忠山門勅使之事

一新大納言成親以下謀叛之事

一内裏焼亡之事

 

平家巻第一

 

祇園精舎鐘聲 諸行無常響有 沙羅雙樹

P004

之花之色・盛者必衰之理顕・奢れる人も不久・只春

夜如夢・猛者終亡ぬ・偏風之・[BH 前]塵同・遠異朝訪

秦趙高漢王莽梁周異唐禄山此等・皆舊

主先王政不随・楽極諌不思入・天下之乱事不

悟・民間之愁所知士歟者不久亡者共也・近窺本

朝烝[B 承]平将門天慶純友康和義親平治之

信頼奢心猛事取々社有士歟共親六波羅之入道前

太政大臣平朝臣清盛公申・人之消息・傅承社心言

P005

及其尋先祖O[BH 委シク]桓武天皇第五之王子・一品式部卿

葛原之親王九代之後胤・讃岐守正盛孫刑部卿

忠盛朝臣嫡男也・彼親王[B 「親王」に「葛原王也」と傍書]御子高見王無官無位

失給・其御子高望王之時始平姓賜上総介為給しより

以来忽出王氏仁臣列其子鎮守府将軍良望後

常陸大烝國香改・國香正盛及六代諸国之受領為

士歟共殿上之仙籍未赦不然忠盛備前守為時鳥

羽院御願・得長寿院造進・三十三間之御堂建・一千

P006

一躰之御佛居奉供養天烝[B 承]元年三月十三日也勧

賞闕國可給由被仰下折節但馬國之闕為給

上皇御感之余内昇殿免忠盛三十六始昇殿・

雲上人々是猜・同年之十一月廿三日・五節豊明之

節會之夜・忠盛闇討為被擬忠盛是聞吾右

筆之身非武勇之家生今不慮耻逢事為家

為身可心憂所詮身全君仕云本文有兼其

致用意大鞘巻束帯下四度計無指火〓暗

P007

方向和刀抜出鬢引當氷何度之様見諸人目

清・其上忠盛郎等本一門為木工助平貞光孫左

衛O[BH 門]尉家貞云者有薄青O[BH 色]之〓[B 狩]衣下萌黄威腹巻

著弦袋付太刀脇〓殿上之小坪畏候貫首以下

恠為空柱内鈴縄邊布衣者候何者狼藉也罷

出六位以言・家貞申相傅之主・備前守殿・今夜

闇打被為可由承候間・其成様見此候社

罷出畏候・此等無由被思・其夜之闇討無忠

P008

 

書き下し

祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声(こゑ)、諸行無常(しよぎやうむじやう)の響(ひびき)有。沙羅双樹(しやらさうじゆ)

之花(はな)之色(いろ)、盛者必衰(せいじやひつすい)之理(ことわり)を顕(あらは)す。奢(をご)れる人(ひと)も不(レ)久(ひさしからず)、只(ただ)春(はる)の

夜(よ)の如(レ)夢(ゆめのごとし)。猛(たけ)き者(もの)も終(つひ)には亡(ほろび)ぬ、偏(ひとへ)に風(かぜ)之前(まへ)の塵(ちり)に同(おな)じ。遠(とほ)く異朝(いてう)を訪(とぶら)へば、

秦(しん)の趙高(てうかう)、漢(かん)の王莽(わうまう)、梁(りやう)の周異(しうい)、唐(たう)の禄山(ろくさん)、此等(これら)は皆(みな)、旧

主先王(きうしゆせんわう)の政(まつりごと)にも不随(したがはず)、楽(たのしみ)を極(きはめ)、[B 人のイ]諫(いさめ)をも不思入(おもひいれず)、天下(てんが)之乱(みだれ)む事(こと)を不

(レ)悟(さとらず)、民間(みんかん)之愁(うれう)る所(ところ)を知(しら)ざり士歟者(しかば)、不(レ)久(ひさしからずして)亡(ほろ)びし者(もの)ども也(なり)。近(ちか)く窺(二)本

朝(ほんてうをうかがふ)に(一)、

承平(じようへい)の将門(まさかど)、天慶(てんぎやう)の純友(すみとも)、康和(かうわ)の義親(よしちか)、平冶(へいぢ)之

信頼(しんらい)、奢(をご)れる心(こころ)も、猛(たけ)き事(こと)も、取々(とりどり)に社(こそ)有(あり)士歟共(しかども)、親(まぢかく)は六波羅(ろくはら)之入道(にふだう)前(さき)の

太政大臣(だいじやうだいじん)平(たひらの)朝臣(あそん)清盛公(きよもりこう)と申(まう)せし人(ひと)之消息(アリサマ)、伝(つたへ)承(うけたまはる)社(こそ)心(こころ)も言(ことば)も

 

鎌倉本 【影】『鎌倉本平家物語』

1オ

平家(へいけ)巻(くわん)第一(だいいち)

祇園精舎(ぎをんしやうじやの)鐘(かねの)声(こゑ)、諸行無常(しよぎやうむじやう)の響(ひびき)あり。沙羅双樹(しやらさうじゆの)花(はなの)色(いろ)、

盛者必衰(せいじやひつすい)の理(ことわり)を顕(あらは)す。奢(をご)れる人(ひと)も不久(ひさしからず)、只(ただ)春(はる)の夜(よ)の如夢(ゆめのごとし)。武(たけ)

き者(もの)も終(つひ)には亡(ほろび)ぬ、偏(ひとへに)風(かぜ)の前(まへ)の塵(ちり)に同(おなじ)。遠(とほく)異朝(いてう)を訪(とぶらへ)ば、秦(しんの)

趙高(てうかう)、漢(かんの)王莽(わうまう)、梁(りやうの)周異(しうい)、唐(たうの)禄山(ろくさん)、此等(これら)は皆(みな)、旧主先王(きうしゆせんわう)

の政(まつりごと)にも不随(したがはず)、

楽(たのしみ)を極(きは)め、諫(いさめ)をも不思入(おもひいれず)、天下(てんが)の乱(みだれ)む事(こと)

を悟(さと)らずして、民間(みんかん)の愁(うれう)る所(ところ)を知(しら)ざりしかば、久(ひさし)からずして亡(ばうじに)し

者共(ものども)也(なり)。近(ちか)く本朝(ほんてう)を窺(うかがう)に、承平(じようへいの)将門(まさかど)、天慶(てんぎやうの)純友(すみとも)、康

和(かうわの)義親(よしちか)、平冶(へいぢ)の信頼(しんらい)、奢(をご)れる心(こころ)も、武(たけ)き事(こと)も、取々(とりどり)に社(こそ)

1ウ

有(あり)しか共(ども)、間近(まぢかく)は六波羅(ろくはら)の入道(にふだう)前(さきの)大政大臣(だいじやうだいじん)平(たひらの)朝臣(あそん)

清盛公(きよもりこう)と申(まうし)し人(ひと)の消息(ありさま)、伝(つたへ)承(うけたまはる)こそ心(こころ)も言(ことば)も及(およばれ)ね。其(その)先

祖(せんぞ)を尋(たづぬれ)ば、桓武天皇(くわんむてんわう)第五(だいごの)王子(わうじ)、一品式部卿(いつぽんしきぶきやう)葛原

親王(かづらはらのしんわう)九代(くだいの)後胤(こういん)

(以下続く)

 

享禄本 【影】『享禄書写鎌倉本平家物語一〜十二』高橋貞一。雄松堂書店(原装影印・古典覆製叢刊)。1980。原本は文化庁所蔵本

P01005

平家(へいけ)巻(くわん)第一(だいいち)

○祇園精舎(ぎをんしやうじや)

祇園精舎(ぎをんしやうじやの)鐘(かねの)声(こゑ)、諸行無常(しよぎやうむじやう)之響(ひびき)有。沙羅双樹(しやらさうじゆの)花(はなの)

色(いろ)、盛者必衰(せいじやひつすいの)理(ことわり)を顕(あらは)す。奢(をご)れる人(ひと)も久(ひさしか)らず、只(ただ)春(はる)の夜(よ)の夢(ゆめ)の如(ごとし)。

武(たけ)き者(もの)も終(つひ)には亡(ほろび)ぬ、偏(ひとへ)に風(かぜの)前(まへ)の塵(ちり)に同(おな)じ。遠(とほく)異朝(いてう)を訪(とぶらへ)ば、秦(しん)の趙

高(てうかう)、漢(かん)の王莽(わうまう)、梁(りやう)の周異(しうい)、唐(たう)の禄山(ろくさん)、此等(これら)は皆(みな)、旧主先王(きうしゆせんわう)の政(まつりごと)にも導(したがは)ず、

楽(たのしみ)を極(きは)め、諫(いさめ)をも思入(おもひいれ)ず、天下(てんが)の乱(みだれ)む事(こと)を悟(さとら)ずして、民間(みんかん)の愁(うれう)る所(ところ)を知(しら)ざり

しかば、久(ひさし)からずして亡(ばうじ)にし者共(ものども)也(なり)。近(ちか)く本朝(ほんてう)を窺(うかがう)に、承平(じようへい)の将門(まさかど)、天慶(てんぎやう)の純友(すみとも)、

康和(かうわ)の義親(よしちか)、平冶(へいぢ)の信頼(しんらい)、奢(をご)れる心(こころ)も、武(たけ)き事(こと)も、取々(とりどり)にこそ有(あり)しかども、親(まぢかく)は六

波羅(ろくはら)の入道(にふだう)前(さき)の太政大臣(だいじやうだいじん)平(たひらの)朝臣(あそん)清盛公(きよもりこう)と申(まうし)し人(ひと)之消息(ありさま)、伝(つたへ)承(うけたまはる)こそ

心(こころ)も言(ことば)も及(およばれ)ね。其(その)先祖(せんぞ)を尋(たづぬれ)ば、桓武天皇(くわんむてんわう)第五(だいごの)王子(わうじ)、一品式部卿(いつぽんしきぶきやう)

P01006

葛原親王(かづらはらのしんわう)九代(くだい)の後胤(こういん)

(以下続く)

 

平家物語 竹柏園本 天理大学出版部 八木書店

平家(へいけ)巻(くわん)第一(だいいち) 序 忠盛(ただもりの)朝臣(あそん)昇殿事

祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声(こゑ)、有(あ)り(二)諸行無常(しよぎやうむじやう)の響(ひびき)(一)。娑羅双樹(しやらさうじゆ)の花(はな)の色(いろ)、

顕(あらは)す(二)盛者必衰(じやうしやひつすい)の理(ことはり)(ことわり)を(一)。傲(おご)れる人(ひと)も不(レ)久(ひさしからず)。唯(ただ)如(ごとし)(二)春(はるの)夜(よ)の夢(ゆめ)の(一)。武(たけ)き者(もの)も終(つひ)には亡(ほろび)ぬ、

偏(ひとへ)に同(おな)じ(二)風(かぜ)の前(まへ)の灯(ともしび)に(一)。遠(とほ)く訪(とむら)へば(二)異朝(いてう)を(一)、秦(しん)の趙高(てうかう)、漢(かん)の王莽(わうまう)、梁(りやう)の周異(しうい)、唐(たう)の

禄山(ろくさん)、此等(これら)は皆(みな)不(レ)随(したがはず)(二)旧主(きうしゆ)先王(せんわう)の政(まつりごと)にも(一)、極(レ)楽(たのしみをきはめ)、諫(いさめ)をも不(二)思ひ入れ(一)(おもひいれず)、不(レ)覚(さとらずして)(二)天

下(てんが)の乱(みだれ)ん事(こと)を(一)、不(レ)知(しらざり)(二)民間(みんかん)の愁(うれふ)る処(ところ)を(一)しかば、不(レ)久(ひさしからずして)、滅(ほろび)し者共(ものども)也(なり)。近(ちか)く窺(うかが)ふに(二)本

朝(ほんてう)を(一)、承平(しようへい)の将門(まさかど)、天慶(てんぎやう)の純友(すみとも)、康和(かうわ)の義親(よしちか)、平治(へいぢ)の信頼(しんらい)、奢(おご)(をご)れる心(こころ)も武(たけ)き

事(こと)も、取々(とりどり)に社(こそ)有(あり)しか共(ども)、間近(まぢか)くは、六波羅(ろくはらの)入道(にふだう)前(さき)の太政大臣(だいじやうだいじん)平(たひらの)朝臣(あそん)清盛

公(きよもりこう)と申(まう)せし人(ひと)の有様(ありさま)を、伝承(つたへうけたまはる)に社(こそ)心(こころ)も詞(ことば)も及(およば)れね。尋(たづぬ)れば(二)其(その)先祖(せんぞ)を(一)、人王五

十代桓武天皇(くわんむてんわう)第五(だいご)の皇子(わうじ)、一品式部卿(いつぽんしきぶきやう)葛原親王(かづらはらのしんわう)に九代(くだい)の後胤(こういん)

 

小城本 佐賀大学附属図書館小城鍋島文庫蔵。巻十一欠。【影】『小城鍋島文庫蔵平家物語』島津忠夫・麻生朝道。汲古書院。昭和57

平家(へいけ)巻(くわん)第一(だいいち)

祇園精舎(ぎをんしやうじやの)事

祇園精舎(ぎをんしやうじやの)鐘(かねの)声(こゑ)、有(二)諸行無常(しよぎやうむじやうの)響(ひびき)(一)。娑

羅双樹(しやらさうじゆの)花(はなの)色(いろ)、顕(あらはし)(二)盛者必衰(じやうしやひつすいの)理(ことわりを)(一)。傲(おご)れる人(ひと)も不(レ)久(ひさしからず)。

只(ただ)如(ごとし)(二)春(はるの)夜(よの)夢(ゆめの)(一)。猛(たけき)者(ものも)終(つひ)には亡(ほろ)ぶ、偏(ひとへ)に同(おな)じ(二)風(かぜ)の前(まへ)の塵(ちり)に(一)。遠(とほ)き訪(とぶらうに)(二)

異朝(いてうを)(一)、秦(しん)の趙高(てうかう)、漢(かんの)王莽(わうまう)、梁(りやう)の周異(しうい)、唐(たう)の禄山(ろくさん)、此

等(これら)は皆(みな)旧主(きうしゆ)先皇(せんわう)の政(まつりごと)にも不(レ)随(したがはず)、楽(たのしみを)極(きはめ)、諫(いさめ)をも不入思(おもひいれず)、天

下(てんが)の乱(みだれ)ん事(こと)をも不(レ)悟(さとらずして)、民間(みんかん)の憂(うれふ)る処(ところ)を不(レ)知(しらざり)しかば、不(レ)久(ひさしからずして)、亡(ほろぶる)者(もの)也(なり)。近(ちか)く

伺(うかが)ふに(二)本朝(ほんてう)を(一)、承平(しようへい)に将門(まさかど)、天慶(てんぎやう)に純友(すみとも)、康和(かうわ)に義親(よしちか)、

 

百二十句本平家物語 慶應義塾大学附属研究所斯道文庫編

祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声(こゑ)、諸行無常(しよぎやうむじやう)の響(ひびき)あり。沙羅双樹(しやらさうじゆ)(さらさうじゆ)の花(はな)の色(いろ)、

盛者必衰(せいじやひつすい)の理(ことわり)を顕(あらは)す。奢(おご)(をご)れる人(ひと)も久(ひさ)しからず、只(ただ)春(はる)の夜(よ)の夢(ゆめ)の如(ごと)し。

猛(たけ)き者(もの)も終(つひ)(つい)には亡(ほろ)びぬ、偏(ひと)へに風(かぜ)の前(まへ)の塵(ちり)に同(おな)じ。遠(とほ)く異朝(いてう)を訪(とぶら)うに、秦(しん)の

趙高(てうかう)、漢(かん)の王莽(わうまう)、梁(りやう)の周異(しうい)、唐(たう)の禄山(ろくさん)、此等(これら)は皆(み)な、旧主先王(きうしゆせんわう)の

政(まつりごと)にも随(したが)はず、楽(たのしみ)を極(きはめ)、[B 人のイ]諫(いさめ)をも思(をも)い(おもひ)入(い)れず、天下(てんが)の乱(みだれ)ん事(こと)をも悟(さと)らず、民間(みんかん)の

愁(うれ)うる所(ところ)をも知(し)らざつしかば、久(ひさ)しからずして亡(ほろ)びし者(もの)ども也(なり)。近(ちか)く本朝(ほんてう)を窺(うかがふ)に、

承平(じようへい)(じうへい)の将門(まさかど)、天慶(てんぎやう)の純友(すみとも)、康和(かうわ)の義親(よしちか)、平冶(へいぢ)の信頼(しんらい)、奢(おご)(をご)れる心(こころ)も、

猛(たけ)き事(こと)も、とりどりにこそ有(あり)しかども、親(まぢかく)は六波羅(ろくはら)の入道(にふだう)前(さき)の太政大臣(だいじやうだいじん)平(たひらの)朝

臣(あそん)清盛公(きよもりこう)と申(まう)せし人(ひと)の消息(しうそく)を、伝(つた)へ承(うけたまは)るこそ心(こころ)も言(ことば)も及(およ)ばれね。その先祖(せんぞ)を

尋(たづぬ)るに、桓武天皇(くわんむてんわう)第五(だいご)の王子(わうじ)、一品式部卿(いつぽんしきぶきやう)葛原(かつらばら)(くずわら)の親王(しんわう)、九代(くだい)の後胤(こういん)

讃岐守(さぬきのかみ)正盛(まさもり)が孫(まご)、刑部卿(ぎやうぶきやう)忠盛(ただもりの)朝臣(あそん)の嫡男(ちやくなん)なり。彼(かの)\親王(しんわう)の御子(おんこ)

 

平家物語 百二十句本(国立国会図書館本)

P1003

目録

第一句 てん上やみうち

 しよ

 たゝもりしうてん

 たゝもりすゑなかいゑなり五せつのまひ

 たゝのりのはゝの事

第二句 さんたい上ろく

 たゝもりしきよ

 きよもりくハんと

 きよ盛五十一しゆつけ

 かふろのさた

第三句 二たいのきさき

P1004

 きう中に御えんしよの事

 二くわのきようのさた

 きさきの御しゆたい

 きさきしやうしの御うたの事

第四句 かくうちろん

 二条のゐんわうししんわうせんしの事

 二条院ほうきよ廿三

 きさき御しゆつけの事

 きよみつえんしやう

第五句 きわう

 いもうとのきによか事

 はゝのとちの事

 ほとけ御せんの事

 しらひやうしのいんえん

P1005

第六句 きわうしゆつけ

 きによしゆつけ

 とちしゆつけ

 ほとけしゆつけ

 四人こしら川のほうわうのくわこちやうにある事

第七句 てんかのりあひ

 こ白川のゐん御ほつたいの事

 さゑもんにう道さいくわうきんしゆさうくの事

 しゆしやうたかくらのいん御そくゐ

 すけもりいせの国へおつくたさるゝ事

第八句 なりちか大しやうむほん

 しゆしやうたかくらのゐん御けんふく

 しん大なこんきせい

P1006

 もろつねらうせき

 はくさんみこしひかし坂本へしゆきよ

第九句 きたのまん所せいくわん

 ちうゐんほうしこ二条のくわんはく殿しゆそ

 くわんはく殿御やまひの事

 くわんはくとのへいゆうの事

 くわんはく殿御くうきよの事

第十句 みこしふり

 わたなへのちやう七となふよりまさのつかひする事

 平大納言ときたゝさんもんちよくしの事

 もろたかもろつね御さいたん

 たいりそのほか京中じうしつの事

P1007

平家巻第一

てん上(じやう)のやみうち

ぎをんしやうじやの、かねのこゑ、しよぎやうむじやうの、ひびきあり。

しやらさうじゆの、花のいろ、せいじやひつすいの、ことはりを、あらはす。

おごれるものも、ひさしからずただ春(はる)の夜の夢(ゆめ)のごとし。たけき

ものも、つゐにはほろびぬ、ひとへにかせのまへの、ちりにおなじ。

とをくいてうを、とぶらへば、しんのてうかう、かんのわうまう、りやう

のしうい、たうのろくさん、これらはみな、きうしゆ、せんわうの、まつり

ごとにも、したがはず、たのしみをきはめ、いさめをも、おもひいれず、てん

がのみだれん、事をも、さとらずして、みんかんのうれふる、ところを、

P1008

 

平家物語 百二十句本(京都本)

凡例  底本: 百二十句本平家物語 京都府立資料館蔵 

平家物語 百二十句本 高橋貞一校訂 思文閣 1973.10の巻頭の写真より改行も原本通り。

平家巻第一

てん上のやみうち

ぎをんしやうじやの、かねのこゑ、しよぎやうむじやうの、ひび

きあり。しやらさうじゆの、花のいろ、せいじやひつすいの、

ことはりを、あらはす。おごれるものも、ひさしからずただ

はるの夜のゆめのごとし。たけきものも、つゐにはほろび

ぬ、ひとへに風のまへの、ちりにおなじ。とをくいてうを、とぶらへ

ば、しんのてうかう、かんのわうまう、りやうのしうい、たうの

ろくさん、これらはみな、きうしゆ、せんわうの、まつりごとにも、

したがはず、たのしみをきはめ、いさめをも、おもひいれず、

 

 《当道系本 − 八坂流諸本》

@文禄本 一類本。巻十・十一欠。

凡ソ此白拍子、年ハ十六也、ミメカタチ、双ヒナク、髪ノカヽリ、舞ノスカタ、聲ヨク、フシモ上

手ナレハ、ナシカハ、舞モ損スヘキ、心モ詞モ、及ハスソ、舞タリケル、見聞ノ人々、耳目ヲ驚カサスト云

事ナシ、入道舞ニヤ、メテ給ヒケン、佛ニ心ヲソ、移サレケル、天性」(十七ウ)此入道殿ハ、イラ<シキ

人ニテ、ヲハシケレハ、舞ノ終ツルヲ、遅シトヤヲモワレケン、始ノ和歌ヲハ、ウタワセ、セメノウタヲ、

イマタ、云モ終テサルニ、佛ヲイタキテ、入給フ、佛御前コハ何事サフラウソヤ、ワラハヽ、推参ノ者トテ、

(百廿句)佛御前ハ、髪ノ躰ヲハジメテ、容顔世ニ勝グレ、声能ク、節モ上手也、ナジカハ歌ヒモ損スヘキ、

心モ及ハス舞澄シタリケレハ、見人耳目ヲ驚サスト云事ナシ、君カ代ヲ、百色卜云、鶯ノ、声ノ響ソ、春メ

                       メデ

キニケル、ト歌テ、蹈ミ回ケレハ、入道相国、舞二酔テ、佛ニ心ヲ移サレケリ、佛御前申シケルハ、是ハ、

サレハ何事ニサムラフソヤ、素ヨリ童ハ、推参ノ者ニテ、(振仮名省略)

 

@東寺執行本 一類本。巻八・十・十一・十二のみ。彰考館蔵。

平家物語(東寺執行本) 第十

P1041

(目録)

一.平家頸共上洛之事

一.維盛北方音信事

一.重衡卿渡大路事

一.重衡北方對面事

一.八嶋被遣院宣事付三種神器御請事

一.重衡卿法然上人對面事

一.重衡東國下向事

一.重衡卿頼朝對面事

一.千手前與重衡遊宴事

一.維盛高野参詣之事

一.瀧口入道之事付横笛事

一.延喜御門高野敕使事付觀賢僧正奉剃大師御髪事

一.宗論之事

一.維盛出家事付重景并石童丸出家

一.維盛卿熊野参詣事付被入海事

P1042

一.池大納言頼盛卿門東下向之事付宗清留都事

一.佐々木三郎盛綱藤戸渡

 

P1043

○平家頸共上洛之事 S1001

壽永三年二月七日攝津國一谷にて打れ給ひし平家の頸共、同十日都へ

入ると聞へしかば、故郷に残り留まり給ふ人々身の上に何なる事をか

見聞かんずらむと安き心も無かりけり。小松三位中將の北方は大覺寺

にをはしけるが西國へ打手の下ると聞ゆる度には中將の事を終何と

か聞成さんずらむと静心もし給はざりけるに、一谷より平家の人々の

頸并に三位中將」1Aと云ふ人生捕りにせられて都へ入り給ふと聞へし

かば、何にも此人は離れ給はじとてぞ泣かれける。人参て三位中將殿と

申すは重衡卿の御事にて候と申せば、さては若頸共の中にやあるらむ

とてぞ泣給ふ。同十一日大夫判官中原頼章平家の頸共請取て大路を渡

獄門に懸らるべきにて有りしを法皇猶も此事何あるべきと思食し煩

て太政大臣已下五人の公卿に仰合せられけ」1Bる中に堀河大納言忠親

卿申されけるは此輩は先朝の御時より戚里の臣として久く朝家に仕

つる就中卿相の頸大路を渡されたる事例無し。範頼義經の申状強に御

許容あるべからずと申させ給ひたりけれ。此儀尤とて既に渡さるまじ

P1044

 

@三条西本 一類本B種。

いかならんすゑのよまても、何事かあらんとそみえし、入道かやうに天下をたなこゝろのうちにゝきり給しかは、世のそしりをもはゝからす、人」(十八オ)のあさけりをもかへりみす、ふしきの事をのみし                            しらひやうし給けり、たとへは、そのころみやこにきこえたる白拍子、きわうきによとて、をとゝいあり、

 

@中院本 一類本B種。漢字平仮名交りの慶長頃古活字本。十二巻。

八坂流 中院本

P1007

平 家 物 語 第一

    たゞもりせうでんの事

祇園しやうじやのかねのこゑ、しよぎやうむじやうのひゞきあり、しやらさうじゆの花の色、

じやうじやひつすゐのことはりをあらはす、をごれる人も久しからず、たゞ春の夜の夢のごと

し、たけきものもつゐにほろぶ、ひとへに風の前のちりに同じ、とをくいてうのせんせうをと

ぶらへば、しんのてうかう、かんのわうまう、りやうのしゆうい、たうのろくさん、是らは皆

きうしゆせんくわうの、まつりごとにもしたがはず、たのしみをきはめ、いさめる事をも思ひ

入ず、てんかのみだれん事をもさとらず、みんかんのうれうる所をもしらざりしかば、久しか

らずしてほろびにしもの也、ちかくほんてうをうかゞうに、承平にまさかど、天慶にすみと

も、康和に義親、平治にのぶよりをごる心もたけき事も、みなとり/゛\にこそありしか共、まぢ

かくは、入道さきの太政大臣たひらのあそんきよもりこうと申し人のありさまをつたへうけた

P1008

(中略)

P1070

ごれんぜいゐんほうぎよなりしかば、後三条院のぎよう、延久四年四月十五日につくり出て、

又せんかうなしたてまつる、もん人しをけんじ、れい人がくをそうし、ゆゝしかりしぎしきな

り、今は世すゑになりて、くにのちからもおとろえぬれば、其後はぎうゑいもいたされず

平家物語第一終

P1071

平 家 物 語 第二

  一 ざするざいの事

安元三年五月五日、天台ざす、明雲大僧正、くじやうをとゞめられ、けつくわんせられ給うへ、

くらんどを御つかひにて、によいりんの御ほんぞんをめし返し奉りて、御ぢそうをかいゑきせ

らる、すなはちしちやうのつかひをつけ、今度だいりへしんよふり奉りし、しゆとのちやうほ

んをめされけり、又かゞの国にざすの御ばうりやうあり、是をもろたかちやうはいのあひだ、

もんとの大衆をかたらひてそせうをいたす、これすでにてうかの御大事におよびぬべきよし、

さいくわうほうしが、むじつのざんそうによりて、ほうわうおほきにげきりんありて、ぢうく

わにおぼしめしさだめけり、ざすはほうわうの御きそくあしきよしきこえしかば、いんやくを

返し奉りて、ざすをじゝ申されけり、おなじき十一日に、鳥羽院の七のみや、かつくわいほ

つしんわう、天台ざすにならせ給ふ、

@岡山大学本 一類本。小野文庫蔵。女院記事は巻十一・十二に含まれる。一方流・八坂流(城方流)の本文が渾融し、更に延慶本や長門本の影響も受けた取り合わせ本。

僧都せんかたなさになきさにあかりたおれふしおさなきものゝめのとやはゝなんとをしたふやうにあしすりをしてこれのせて行我くして行とおめきさけへともこき行ふねのならひにて跡はしらなみはかりなり。いまたとをからぬ舟なれ共涙にくれて見えさりけれはたかき所にはしりあかりおきのかたをそまねきける。かのまつらさよひめかもろこしふねをしたいつゝひれふりけんもこれにはすきしとそ見えし。舟もこきかくれ日もくるれとも僧都あやしのふしとへもかへらす浪にあしうちあらはせ露にしほれてその夜はそこにそあかされける。さりとも少将はなさけふかき人にてよきやうに申事もやとたのみをかけてそのせに身をたになけさりし心のうちこそはかなけれ。むかしさうりそくりか海岸山にはなたれたりけんかなしさもこれにはすきしとそ見えし。

巻七より

じゆゑい二年三月のころより兵衛のすけと木そのくはんしやとふくはいの事いてきて兵衛のすけ木曽をうたんときこえけれは木そしなのをしりそひてゑちこの国へおもむく。又十郎くらんとゆきいへも兵衛のすけをうらむる事ありてしなのへこえて木そにつきにけり。木そあひ具してゑちこの国へこえてひやうゑのすけしなのよりゑちこさかひまてをつかけらるゝところに木そめのとこの今井四郎かねひらをつかひにて兵衛のすけのもとへ申をくりけるはいかやうなる事をきこしめして候やらん

 

@彰考館本 二類本。漢字平仮名交り。『参考源平盛衰記』に「八坂本」と呼ばれて抄載。

@秘閣粘葉本=第二類 

されは」(三十オ)すゑのよになに事かあらむすらんとそみえし、かやうに入道相國

△一天四海をたなこゝろににきりたまひしうへは、よのそしりをもはゝからす、人のあさけりをもかへりみ

す、たゝふしきの事をのみし給ひけり、たとへは、そのころ京中に」(三十ウ)聞えたるしらひやうし、きわ

うきによとて、兄弟あり、(△「一天四海」 ハ一方系統ノ特有表現。ソレラカラノ影響ナルベシ)

 

@城方本 二類本。内閣文庫蔵。漢字平仮名交り。「宗論」「宝剣」「神鏡」の三章無し。【翻】『平家物語全 付承久記』古谷知新。国民文庫刊行会。明治44

八坂流 城方本

平家物語(へいけものがたり)(八坂本)

巻(くわん)第一(だいいち)

祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声(こゑ)、諸行無常(しよぎやうむじやう)の響(ひびき)あり。娑羅双樹(しやらさうじゆ)の花(はな)の色(いろ)、盛者必衰(じやうしやひつすい)のことはり(ことわり)【理】をあらはす。おご【奢】れる人(ひと)も久(ひさ)しからず。只(ただ)春(はる)の夜(よ)の夢(ゆめ)のごとし。たけき者(もの)も遂(つひ)(つゐ)にはほろびぬ、偏(ひとへ)に風(かぜ)の前(まへ)の塵(ちり)に同(おな)じ。

祇園精舎(ぎをんしやうじや)の・鐘(かね)のこゑ・諸行無常(しよぎやうむじやう)の・ひびきあり・娑羅双樹(しやらさうじゆ)の・はなの色(いろ)・盛者必衰(じやうしやひつすい)の・理(ことわり)を・あら

はす・驕(おご)れる者(もの)も・久(ひさし)からず・たゞ春(はる)の夜(よ)の・夢(ゆめ)のごとし・武(たけ)き者(もの)も・終(つひ)には・亡(ほろ)びぬ・偏(ひとへ)に・風(かぜ)の

前(まへ)の塵(ちり)に・同(おな)じ・

巻第十一   逆櫓

元暦二年・正月十日の日・九郎大夫の判官義経・院の御所に参り・大蔵卿泰経の朝臣を・以て申さ

れけるは・平家は・宿報つきて・神明にも・はなたれ奉り・君にも・捨られ参らせて・都の外に出・

西海の波の上に・ただよふ落人と・なれり・しかるを・此二三ケ年が・間・え責落さずして・おほくの・

国々を・ふさげ候事こそ・餘に・めざましく候へ・今度・義経においては・鬼界・高麗・天竺・震旦

までも・平家のあらん・限りは・責べき由をぞ・申されける・法皇・斜ならず・御感あつて・やがて・

院宣・あそばしてぞ・たうだりける・判官・院宣・給つて・院の御所を出・諸国の・侍共に・むかつ

て・宣ひけるは・今度・義経・鎌倉殿の・御代官として・勅宣を承つて・平家追討の為に・西国へ・

まかり向ふ・陸は駒の蹄の・かよはん程・海は・櫓掻の・たゝん限りは・責むずる也・但是は・無益・

命ぞをしい・妻子ぞ悲しい・なんど・思ひ・あはれんずる・人々は・急是より・鎌倉へ・下らるべし

とぞ・宣ひける・さる程に・八島には・ひまゆく・駒の足はやくして・正月もたち・二月にもなりぬ・

@奥村本 二類本。奥村俊郎蔵。幕末の波多野流検校奥村允懐(まさかね)一 旧蔵。漢字平仮名交り。

【影】『八坂本平家物語』山下宏明。大学堂書店。昭和56

平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第一(だいいち)

祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声(こゑ)、諸行無常(しよぎやうむじやう)のひびきあり。娑羅

双樹(しやらさうじゆ)の花(はな)の色(いろ)、盛者必衰(じやうしやひつすい)の理(ことわり)をあらはす。驕(おご)れる

者(もの)も久(ひさ)しからず。ただ春(はる)の夜(よ)の夢(ゆめ)のごとし。武(たけ)き

者(もの)も終(つひ)には亡(ほろ)びぬ、偏(ひとへ)に風(かぜ)の前(まへ)の塵(ちり)に同(おな)じ。

 

@太山寺本 三類本。神戸市垂水区太山寺蔵。平仮名交り。巻一〜四の四冊。現存する他の八坂流本より一層覚一本に近い詞章・記事配列を持つ。

二オ

平家物語巻第一

祇園しやうじやのかねのこゑ、しよぎやうむじやうのひゞき

あり、しやらさうじゆの花の色、じやうじやひつすいの

ことはりをあらはす、おごれる物もひさしからず、たゞ春の

夜の夢のごとし、たけき物もつゐにはほろびぬ、ひとへ

に風のまへの、ちりにおなじ。とをくいてうを、とぶらへば、

しんのてうかう、かんのわうまう、りやうのしうゐ、たうのろく

さん、これらはみな、きうしゆ、せんわうの、まつりごとにも、した

がはず、たのしみをきはめ、いさめをも、思ひいれず、てん

がのみだれん、事を、さとらずして、みんかんのうれふる、ところ

を、しらざりしかば、ひさしからずして、ほろびにし物なり。

ちかくほんてうを、うかゞ(が)ふに、せうへいのまさかど、てんぎやうの

二ウ

すみとも、かうわのぎしん、へいぢののぶより、これらはみな、

おごれる心もたけき事も、とり<”(どり)にこそ、ありしかども、

まぢかく、六はらの入道、さきの大政大じん、たいらのきよもり

こうと、申せし人の、ありさま、つたへうけ給こそ、心もことばも、

をよばれね。そのせんぞをたづぬれば、くわんむてんわう、第五

の王子、一ぽん式部きやう、かつらばらのしんわう、九代のこう

ゐん、さぬきのかみ、まさもりがまご、ぎやうぶきやうたゞ(だ)もり

の朝臣の、ちやくなむなり。かの親王の御子、たかみのわう、む

くはんむゐにして、うせ給ひぬ。その御子、たかもちのわうの時、

はじめて、たいらのしやうを、給り、かづさのすけに、なり給し

より、このかた、たちまちに、わうじをいでゝ(て)て人しんにつらなり、

その子、ちんじゆふのしやうぐん、良望(よしもち)、のちには、国香(くにか)と

三オ

あらたむ。国香より、まさもり[B 「まさもり」に「さだもり」と傍書]・これひら・さだもり[B 「さだもり」に「まさのり」と傍書]・まさひら・

まさもりにいたるまで、六代は、しよこくのじゆりやう、たりと

いへども、てんじやうのせんしやくをばゆるされず。しかるに、たゞ(だ)もり

の朝臣びぜんのかみたりしとき、

(中略)

五一ウ

して後冷泉院ほうぎよなぬ、後三条院の御時、延久

四年四月十五日につくり出されて、遷幸(せんかう)成(なし)たてまつる、

文人詩を献(けんじ)、伶人楽(がく)を奏(そう)して、ゆゝしかりし儀式(ぎしき)也(なり)、

今は世すゑになりて、国のちからもおとろへぬれば、つくり

出さん事もかたかるべし。

 

平家物語巻第一

奉寄進大山寺御本尊

 為明石四郎左衛門尉妻女善室昌慶禅定尼菩提 

天文八年〈 丁亥 〉十一月二日命日 施主長行〈花押〉

 

僧都せんかたなさになきさにあかりたおれふしおさなきものゝめのとやはゝなんとをしたふやうにあしすりをしてこれのせて行我くして行とおめきさけへともこき行ふねのならひにて跡はしらなみはかりなり。いまたとをからぬ舟なれ共涙にくれて見えさりけれはたかき所にはしりあかりおきのかたをそまねきける。かのまつらさよひめかもろこしふねをしたいつゝひれふりけんもこれにはすきしとそ見えし。舟もこきかくれ日もくるれとも僧都あやしのふしとへもかへらす浪にあしうちあらはせ露にしほれてその夜はそこにそあかされける。さりとも少将はなさけふかき人にてよきやうに申事もやとたのみをかけてそのせに身をたになけさりし心のうちこそはかなけれ。むかしさうりそくりか海岸山にはなたれたりけんかなしさもこれにはすきしとそ見えし。

 

 摂政殿さてもわたらせ給ふへきならねはをなしき十二月九日かのせんしをかうむらせ給て十四日大しやう大しんにあからせ給ふ。やかてをなしき十七日よろこひ申ありしかともせけんは猶もにか<しうそ見えし。さる程にことしもくれてかおうも三とせになりにけり。正月五日主上御けんふくありてをなしき十三日朝(てう)きんのために法住寺殿へきやうかうなる。

 

@龍門文庫本 

          かみ         はかま

佛たちたることから、髪すかたよりはしめて、袴のきゝはのすかたもゆふなり、君か代をもゝ色と

                        まはり    ふし

いふ鶯のこゑのひゝきは春めきにけるとうたひて、ふみ廻けれは、節ことにおめき、こゑことにさめきけり、

         とうさい     さ                    さたよし

所から、ぬしから、東西すみわたる、万座とゝめきけり、入道興に入給ふけしきを見て、貞能」(二十一ウ)

    しやうし                          すい

いたきて、障子の内へおしいれぬ、佛御前申けるは、こは何事候そや、わらは推参ものにて候を、

 

@如白本 四類本A種。

巻六「紅葉」より俊恵と道因の和歌説話

主上イトヽ敷夜ノ御殿ヲ出サセ給テ叡覧有ニ一葉モナシ落葉タモ無リケレハ古キ歌ノ心地思食シ出サセ給フ、其

故ハ昔俊恵卜道因卜十首ノ歌合ノ有シ時道因九首負テ一首ハ持ニ納リヌ又次ノ日俊恵道因カ許ヘ一首歌ヲソ送ケ

 君カ歌餝磨ノ市卜云シアトカチノ一モナトナカル覧ン

道因加様ニ被読テ口惜キ事思テ住吉ニ詣テ祈請申ス南無帰命頂礼当社大明神御本地大慈大悲ノ虚空蔵ニテ御座ス

一切衆生ノ願ヲ満テント誓ハセ御座ス中ニモ歌ノ道ヲ絶サシトノ御誓未タ不改ハ今度ノ歌合ニ勝セテ給セ御座セ

ト祈誓申テ下向ノ後落葉ノ歌合ノ有ケルニ俊恵ハ左ニテ道因右ニテ又合セタリケルニ先ツ俊恵カ歌ニ

シナカ鳥猪無野シハ山吹風ニヲロス紅葉ヤコヤノ上葺

道因右ニテ

紅葉ユヘ二度ツラキ嵐哉又庭ヲサヘハラフヘシトハ

ト読テ勝タリシ歌ノ心地思食出サセ給ヒ梢ノ丹葉ヲ散スタニ有ルニ庭ノ落葉ヲ払フ事ハ二度ツラキ嵐哉卜打スサ

マセ給ツゝ蔵人ヲ召テ御尋有ニ

@建仁寺両足院本 四類本。大永頃の写本。

【影】『両足院本平家物語一・二・三』伊藤東慎・大塚光信・安田章。臨川書店。昭和60

平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第一(だいいち)

祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声(こゑ)、諸行無常(しよぎやうむじやうの)響(ひびき)あり。娑羅双

樹(しやらさうじゆ)の花(はな)の色(いろ)、盛者必衰(じやうしやひつすいの)理(ことわり)を顕(あらは)す。驕(おご)れる人(ひと)も不(レ)久(ひさしからず)。只(ただ)春(はる)の夜(よ)の

夢(ゆめ)の如(ごと)し。武(たけ)き者(もの)も終(つひ)には亡(ほろび)ぬ、偏(ひとへ)に風(かぜ)の前(まへ)の塵(ちり)に同(おな)じ。

 

@大前神社本 四類本。巻六欠。栃木県真岡市大前神社蔵。【影】『大前神社本平家物語』春田宣・長岡英明。おうふう。平成6

平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第一(だいいち)

祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声(こゑ)、諸行無常(しよぎやうむじやう)の響(ひびき)有(あ)り。娑羅双樹(しやらさうじゆ)の

花(はな)の色(いろ)、盛者必衰(じやうしやひつすい)の理(ことわり)を顕(あらは)す。驕(おご)れる人(ひと)も不(レ)久(ひさしからず)。只(ただ)春(はる)の夜(よ)の

夢(ゆめ)の如(ごと)し。武(たけ)き者(もの)も終(つひ)に亡(ほろ)ぶ、偏(ひとへ)に風(かぜ)の前(まへ)の塵(ちり)に同(おな)じ。

@城一本 五類本。小汀利得旧蔵。東京芸術大学に巻十二のみの零本。古活字本。四類本同様、一方流室町期の本文と八坂流本文の影響下に成った下降本。

 

@加藤家本 

寿永二年正月廿二日ニ主上朝覿の為ニ法住寺殿ヘ行幸成。鳥羽院六歳にて行幸成たりし今度其例とそ聞えける。南

                                      カヨワ

都北京ノ大衆熊野金峯ノ僧徒伊勢大神宮の神人官人ニ至まで皆平家ヲ背て源氏に心ヲ通しけり。其比木曽ト兵衛佐卜不快ノ事出来て合戦ヲ至さんとす。兵衛佐木曽追討すへしとて六万余騎の勢にて信濃国へそ越られける。木曽此由

              ヨタ

を聞叶はしとや思はれけん当国依田ノ城ヲ立テ越後と信濃境なる熊坂と申山中ニ陣ヲ取。木曽使者ヲ立テ何事ニよて当時義仲うたんとは候哉覧

 

仏つい立たる事から、髪姿より始て、袴のけまはしに至まて、幽に社見えけれ、

      君か代をもゝ色と云鶯のこゑのひゝきそ春めきにける

と歌ひて踏廻けれは、一門之人々皆<感あはれけり、」(十九オ)いまた舞も果さるに、入道相国つい立給て、懐取て本の座敷になをられける、仏御前、こはいかなる事そや、我は推参の者にて候を、

 

 摂政さて渡らせ給へきならねは同十二月九日兼宣旨を蒙らせ給て十四日ニ太政大臣に上らせ給ふ。十七日ニ御拝賀ありしか共世間にか/\しくそ見えける。同三年正月五日御元服十三日朝覲(テウキン)の為に法住寺殿え御幸成。

 

巻八より 寿永二年七月廿五日ニ平家は都ヲ落果ヌ。法皇は鞍馬にわたらせ給けるか是は猶都近くてあしかりなんとてさゝのみねやくわうさかなと申さかしき山をしのかせ給フ。よ川の解脱の谷寂定房御所ニなる。

 

@天理イ21

せつしやう                     せんじ          だいじやうだいじん

 摂政殿さしもわたらせ給ふへきにあらねは同十一月九日宣旨をかうふらせたまひて同十四日太政大臣にあがらせ

       はいか ぎ                              かおう

給ふ。十七日に御拝賀の儀ありしかとよの中いとにがりてぞありける。さるほどにとしくれて嘉応も三年になりに

                                      てうきん  ほうちうじ

けり。正月五日主上御けんふくあり。御とし十四歳にならせおはしましける。同十三日朝覲のために法住寺とのへ

きやうかう

行幸なる(濁点ママ)。

 

@松雲本

 寿永二年癸卯三月上旬兵衛佐ト木曽ノ冠者ト不快ノ事アリ。木曽乳人子今井ノ四郎兼平ヲ使者ニテ兵衛佐ノ許ヘ云遣レケルハイカナル子細有テカ義仲討ントハ仕給ソ

 

@相模女子大学本  【翻】 『平家物語上・中・下』(古典文庫)弓削 繁編、1997年 

 てんしやう

 (殿上のやみうち)

ぎをんしやうじや かね こゑ しよぎやうむじやう しやらさうじゆ

 祇園精舎の鐘の声は諸行無常のひゝきあり。婆羅双樹の花の色

じやうしやひつすい                す   はる

は盛者必衰のことはりをあらはす。おごれる人も久からず、たゝ春

 よ ゆめ

の夜の夢のごとし。たけきものもつゐにはほろびぬ、ひとへに風のま

            いてう     しん てうかう かん わうまう

へのちりにおなじ。とをく異朝をとぶらへば、秦の趙高・漢の王莽・

りやう しうい たう ろくさん きうしゆせんわう こと

梁の周伊・唐の禄山、これらはみな旧主先皇のまつり事にもしたが

                       てんが

はず、たのしみをきはめ、いさめをもおもひ入れず、天下のみだれん

こと      みんかん   ところ         ひさ

事をさとらずして、民間のうれふる所をもしらざりしかば、久しか

       ものども    わがてう    せうへい まさかど

らずしてほろびし者共なり。ちかく我朝をうかゝふに、承平の将門・

てんぎやう すみとも かうわ よしちが へいち のぶより

天慶の純友・康和の義親・平治の信頼、おこれる事」 (2オ)もたけ

(巻七)

しゆゑい しやうしゆんひやうゑのすけ きそ くはんしや くわい きそ こ いまいの かねひら ししや ひやうゑのすけ

 寿永二年三月上旬兵衛佐と木曽の冠者と不快の事あり。木曽めのと子の今井四郎兼平を使者にて兵衛佐殿へ

                  よしなか

いひをくりけるはいかなるしさいあつて義仲うたむとはし給ふそ

 

@高倉寺本                 シタウ

僧都全辺なくて渚に帰りて幼者の母や乳母の跡を慕やうに足摺手摺をして泣かなしみ賜へとも漕舟のならひにて跡は白浪計也。いまた漕いてぬ舟なれとも泪に暮て見えさりけれは沖のかたをそ招きける。彼松浦さよ姫はもろこし舟を慕つゝひれふし剣もかくやと覚て哀也。舟も漕隠目も暮けれはあやしの臥土へも帰らす浪に足うち洗せて露にしほれつゝ其夜はそこにそ明しける。小将は情探人なれはよきやうに申さんすらんとて頼をかけ其瀬に身をも〓さりし心のほとこそ沫なけれ。早離速離か海岸山に放れたり剣も是には過しとそ見えし。

 

いかならん末之世まても、何者か有覧と目度そ見えし、入道大相国かやうにありしほとに、」(十八オ)正月元三日も過ぬれは、一門他門寄集て、子日之小松引抜て、鶴亀の齢をあらそひ、酒の泉を汲て、棲にみて、合盃をすゝめ、詩をつくり、歌をよみ、月にうそ吹て、夜女遊女をめしあつめて、遊給ける所に、其比都に白拍子之上手、義王義女とて、兄弟あり、

 

                     ノヒカネ          ノヒ

 摂政殿さてわたらせ給へきならねは同十二月九日兼宣旨を蒙らせ給て十四日太政大臣に挙らせ給。十七日御拝賀

                           ノヒ         キン

有しかとも世の中にか/\しくそ見えける。同三年正月五日御元服あて同十三日朝覲之為に法住寺殿へ御幸成。

巻七より

            ノ   ノ           ノ

寿永二年三月之比より兵衛佐と木曽冠者と不快の事出来て兵衛佐木曽を討んとすと聞けれは木曽は信濃国を退て越後国へ趣く。又十郎蔵人行家も兵衛佐を恨事ありて信のへ越て木曽に付てける。木曽行家相具して越後へ趣く。兵

 ノ                     ノ   ノ         ノ

衛佐信濃より越後の填まで追かけゝる所に木曽乳母子の今井四郎兼平を使にて兵衛佐のもとへ申送けるは何様成事を聞食て候や覧

 

@高橋貞一十行本(八坂流甲乙類本 巻六) 【翻】 平家物語巻六 『平家物語覚一本新考 八坂流本の成立流伝』 高橋貞一/著 思文閣出版 199307

@高橋貞一蔵八坂流乙類本平家物語(巻一、巻三、巻十二)

@加藤家本

寿永二年七月廿五日ニ平家は都ヲ落果ヌ。法皇は鞍馬にわたらせ給けるか是は猶都近くてあしかりなんとてさゝのみねやくわうさかなと申さかしき山をしのかせ給フ。よ川の解脱の谷寂定房御所ニなる。

@川瀬本

じゆゑい二ねん七月廿四日やはんはかりほうわうはあせちの大なこんすけかたきやうのしそくすけときはかりを御ともにてひそかに御しよを出させ給ひくらまへ御かうなる。じそうともこれはみやこちかくて中<あしう候なんと申けれはさゝのみねやくわうさかなといふさかしきけんなむをしのかせ給ひよかはのけたつたにのじやくでうはう御しよになる(濁点ママ)。

 

《当道系本 一方流諸本》

覚一本(巻一〜十二・灌頂巻)

龍谷大学本 『平家物語一〜四』龍谷大学仏教文化研究所(大取一馬他)。思文閣出版(龍谷大学善本叢書)。

平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第一(だいいち)

『祇園精舎(ぎをんしやうじや)』S0101

祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声(こゑ)、諸行無常(しよぎやうむじやう)の響(ひびき)あり。

娑羅双樹(しやらさうじゆ)の花(はな)の色(いろ)、盛者必衰(じやうしやひつすい)のことはり(ことわり)【理】を

あらはす。おご【奢】れる人(ひと)も久(ひさ)しからず。只(ただ)春(はる)の

夜(よ)の夢(ゆめ)のごとし。たけき者(もの)も遂(つひ)(つゐ)にはほろびぬ、

偏(ひとへ)に風(かぜ)の前(まへ)の塵(ちり)に同(おな)じ。遠(とほ)(とを)く異朝(いてう)をとぶ

らへば、秦(しん)の趙高(てうかう)、漢(かん)の王莽(わうまう)、梁(りやう)の周伊【*朱■】(しうい)、唐(たう)の

禄山(ろくさん)、是等(これら)は皆(みな)旧主(きうしゆ)先皇(せんくわう)の政(まつりごと)にもしたがはず、

P01006

楽(たのし)みをきはめ、諫(いさめ)をもおもひいれ【思ひ入れ】ず、天下(てんが)の

みだれむ事(こと)をさとらずして、民間(みんかん)の愁(うれふ)る

所(ところ)をしらざ(ッ)しかば、久(ひさ)しからずして、亡(ばう)じ

にし者(もの)どもなり。近(ちか)く本朝(ほんてう)をうかがふに、承平(しようへい)(せうへい)の

将門(まさかど)、天慶(てんぎやう)の純友(すみとも)、康和(かうわ)の義親(ぎしん)、平治(へいぢ)の信頼(しんらい)、

おご【奢】れる心(こころ)もたけき事(こと)も、皆(みな)とりどりにこそ

ありしかども、まぢかくは、六波羅(ろくはら)[B の]入道(にふだう)(にうだう)前(さきの)太政

大臣(だいじやうだいじん)平(たひらの)(たいらの)朝臣(あそん)清盛公(きよもりこう)と申(まうし)し人(ひと)のありさま、

P01007

伝承(つたへうけたまは)るこそ心(こころ)も詞(ことば)も及(およ)(をよ)ばれね。其(その)先祖(せんぞ)を尋(たづ)

 

高良大社所蔵、覚一本『平家物語』

1オ

平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第一(だいいち)

〔『祇園精舎(ぎをんしやうじや)』S0101〕

祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声(こゑ)、諸行無常(しよぎやうむじやう)の響(ひびき)あり。

娑羅双樹(しやらさうじゆ)の花(はな)の色(いろ)、盛者必衰(じやうしやひつすい)のことはり(ことわり)【理】を

あらはす。おごれる人(ひと)も久(ひさ)しからず。只(ただ)春(はる)の夜(よ)の

夢(ゆめ)のごとし。たけき者(もの)も遂(つひ)(つゐ)にはほろびぬ、

偏(ひとへ)に風(かぜ)の前(まへ)の塵(ちり)に同(おな)じ。遠(とほ)(とを)く異朝(いてう)をとぶ

らへば、秦(しん)の趙高(てうかう)、漢(かん)の王莽(わうまう)、梁(りやう)の周伊【*朱■】(しうい)、唐(たう)の

禄山(ろくさん)、是等(これら)は皆(みな)旧主(きうしゆ)先皇(せんくわう)の政(まつりごと)にもしたがはず、

1ウ

楽(たのし)みをきはめ、諫(いさめ)をもおもひいれ【思ひ入れ】ず、天下(てんが)の

みだれむ事(こと)をさとらずして、民間(みんかん)の愁(うれふ)る

所(ところ)をしらざ(ッ)しかば、久(ひさ)しからずして、亡(ばう)じにし

者(もの)どもなり。近(ちか)く本朝(ほんてう)をうかがふに、承平(しようへい)(せうへい)の

将門(まさかど)、天慶(てんぎやう)の純友(すみとも)、康和(かうわ)の義親(ぎしん)、平治(へいぢ)の信頼(しんらい)、

是等(これら)はおごれる心(こころ)もたけき事(こと)も、皆(みな)とり<(どり)に

こそありしかども、まぢかくは、六波羅(ろくはら)の入道(にふだう)(にうだう)前(さきの)

太政大臣(だいじやうだいじん)平(たひらの)(たいらの)朝臣(あそん)清盛公(きよもりこう)と申(まうし)し人(ひと)のありさま、

2オ

伝承(つたへうけたまは)るこそ心(こころ)も詞(ことば)も及(およ)(をよ)ばれね。其(その)先祖(せんぞ)を

 

『高野本平家物語一〜十二』市古貞次。笠間書院(笠間影印叢刊)。

P01003

平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第一(だいいち)

  祇園精舍(ぎをんしやうじや)S0101

 ○祇園精舍(ぎをんしやうじや)(ギヲンシヤウジヤ)の鐘(かね)(カネ)の声(こゑ)(コヱ)、諸行無常(しよぎやうむじやう)(シヨギヤウムジヤウ)の響(ひびき)(ヒビキ)

あり。娑羅双樹(しやらさうじゆ)(シヤラサウジユ)の花(はな)(ハナ)の色(いろ)(イロ)、盛者必衰(じやうしやひつすい)(ジヤウシヤヒツスイ)の

ことはり(ことわり)【理】をあらはす。おご【奢】れる人(ひと)も久(ひさ)しからず。

唯(ただ)(タダ)春(はる)の夜(よ)の夢(ゆめ)(ユメ)のごとし。たけき者(もの)も遂(つひ)(ツイ)に

はほろびぬ、偏(ひとへ)(ヒトヘ)に風(かぜ)の前(まへ)(マヘ)の塵(ちり)(チリ)に同(おな)(ヲナ)じ。

遠(とほ)(トヲ)く異朝(いてう)(イテウ)をとぶらへば、秦(しん)(シン)の趙高(てうかう)(テウカウ)、漢(かん)(カン)の

王莽(わうまう)(ワウマウ)、梁(りやう)(リヤウ)の周伊(しうい)(シウイ)、唐(たう)(タウ)の禄山(ろくさん)(ロクサン)、是等(これら)(コレラ)は皆(みな)(ミナ)、旧主(きうしゆ)(キウシユ)

先皇(せんくわう)(センクハウ)の政(まつりごと)(マツリゴト)にもしたがはず、楽(たのし)(タノシ)みをきはめ、

P01004

諫(いさめ)(イサメ)をもおもひいれ【思ひ入れ】ず、天下(てんが)のみだれむ事(こと)を

さとらずして、民間(みんかん)(ミンカン)の愁(うれふ)(ウレウ)る所(ところ)をしらざ(ッ)し

かば、久(ひさ)しからずして、亡(ばう)(バウ)じにし者(もの)ども也(なり)。

近(ちか)(チカ)く本朝(ほんてう)(ホンテウ)をうかがふに、承平(しようへい)(セウヘイ)の将門(まさかど)(マサカド)、天慶(てんぎやう)(テンキヤウ)

の純友(すみとも)(スミトモ)、康和(かうわ)(カウワ)の義親(ぎしん)(ギシン)、平治(へいぢ)(ヘイヂ)の信頼(のぶより)(ノブヨリ *右に「シンライ」 )、此等(これら)(コレラ)は

おご【奢】れる心(こころ)もたけき事(こと)も、皆(みな)とりどりに

こそありしかども、まぢかくは六波羅(ろくはら)(ろくハラ)の入道(にふだう)

前(さきの)(サキノ)太政大臣(だいじやうだいじん)平[B ノ](たひらの)朝臣(あつそん)(アツソン)清盛公(きよもりこう)(キヨモリこう)と申(まうし)し人(ひと)の

ありさま、伝(つたへ)(ツタヘ)うけ給(たまは)【承】るこそ、心(こころ)も詞(ことば)(コトバ)も及(およ)(ヲヨ)

P01005

ばれね。其(その)先祖(せんぞ)(センゾ)を尋(たづ)ぬれば、桓武天皇(くわんむてんわう)(クワンムてんわう)第

 

平家物語 寂光院本(巻頭)

平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第一(だいいち)

祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声(こゑ)、諸行無常(しよぎやうむじやう)の響(ひびき)(ヒヒキ)あり。

娑羅双樹(しやらさうじゆ)の花(はな)の色(いろ)、盛者必衰(じやうしやひつすい)(シヤウしやヒ スイ)のことはり(ことわり)【理】を

あらはす。おごれる人(ひと)も久(ひさ)しからず。只(ただ)春(はる)の

夜(よ)の夢(ゆめ)のごとし。たけき者(もの)も遂(つひ)(つゐ)にはほろびぬ、

偏(ひとへ)に風(かぜ)の前(まへ)の塵(ちり)(トモシヒ)に同(おな)じ。遠(とほ)く異朝(いてう)をとぶ

らへば、秦(しん)の趙高(てうかう)、漢(かん)の王莽(わうまう)、梁(りやう)の周伊(しうい)、唐(たう)の

禄山(ろくさん)、是等(これら)は皆(みな)旧主(きうしゆ)先皇(せんくわう)の政(まつりごと)にもしたがはず、

平家物語 寂光院本(巻末)

希夫人(いだいけぶにん)の如(ごとく)に、みな往生(わうじやう)の素懐(そくわい)をとげける

とぞきこえし。

平家(へいけ)灌頂巻

 

真字熱田本(巻一〜十二・灌頂巻)【影】『真字熱田本平家物語』玉井幸助。前田家育徳財団。昭和16。限定三百部。尊経閣叢刊。別冊解題。原本・尊経閣文庫蔵本(他の伝本はこの転写)。巻一を除き覚一本系本文とされるが、独特の真字表記が注目されるもの。

平家物語(へいけものがたり)巻(くわん)第一(だいいち)

  祇園精舎(ぎをんしやうじや)

祇園精舎(ぎをんしやうじや)の鐘(かね)の声(こゑ)、有(あ)り(二)諸行無常(しよぎやうむじやう)の響(ひびき)(一)。

娑羅双樹(しやらさうじゆ)の花(はな)の色(いろ)、顕(あら)はす(二)盛者必衰(じやうしやひつすい)の理(ことはり)を(一)。奢(おご)れる

者(もの)も不(レ)久(ひさしからず)。只(ただ)如(ごと)し(二)春(はる)の夜(よ)の夢(ゆめ)の(一)。猛(たけ)き人(ひと)も遂(つひ)には滅(ほろ)ぶ、偏(ひとへ)に

同(おな)じ(二)風(かぜ)の前(まへ)の塵(ちり)に(一)。遠(とほ)く訪(とぶら)へば(二)異朝(いてう)を(一)、秦(しん)の趙高(てうかう)、漢(かん)の王

莽(わうまう)、梁(りやう)の周伊(しうい)、唐(たう)の禄山(ろくさん)、是等(これら)は皆(みな)不(レ)従(したがはず)

 

『平家物語上・下』山下宏明。明治書院(校注古典叢書)。昭和5054。底本東京芸術大学蔵片仮名交り古活字本(覚一系本)。

平家物語巻第一

〔祇園精舎 S0101

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑〕羅双樹の花の

色、盛者必衰のことわりをあらはす。おごれる人も久しからず、只春の夜の夢

のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。遠

く異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の周伊、唐の禄山、

是等は皆旧主先皇の政にもしたがはず、楽しみをきはめ、諫め

をもおもひいれず、天下のみだれん事をさとらずして、民間の愁る所を不

知しかば、久しからずして亡じにし者ども也。近く本朝をうかがふに、承平

の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、此等はおごれる心

もたけき事も皆とりどりにこそありしかども、まぢかくは六波羅入

道、前太政大臣平朝臣清盛公と申し人のありさま、伝へ承(うけたまは)

るこそ心も詞も及ばれね。其先祖を尋ぬれば、桓武天皇第

五の皇子、一品式部卿葛原親王九代の後胤讃岐守正

 

盛が孫、刑部卿忠盛朝臣の嫡子也。

 

葉子十行本 『平家物語上・中・下』冨倉徳次郎。朝日新聞社(日本古典全書)。昭和232424。底本米沢市立図書館蔵本。

P1103
平家物語巻第一
Y0101 祇園精舎 T0101
 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
 遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱〓、唐の祿山、これらは皆、旧主先皇の政にも従はず、楽しみを極め、諫めをも思ひ入れず、天下の乱れんことを悟らずして、民間の愁ふる所を知らざりしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。近く本朝をうかがふに、承平の
P1104
将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、これらは猛き心も奢れる事も、皆とりどりにこそありしかども、まぢかくは六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申しし人の有様、伝へ承るこそ、心も言葉も及ばれね。
 その先祖を尋ぬれば、桓武天皇第五の皇子、一品式部卿葛原親王九代の後胤、讃岐守正盛が孫、刑部卿忠盛朝臣の嫡男なり。かの親王の御子、高視王、無官無位にして失せ給ひぬ。その御子、高望王の時、初めて平の姓を賜はつて、上総介になり給ひしより、たちまちに王氏を出でて人臣に連なる。その子鎮守府の将軍義茂、後には国香と改む。国香より正盛に至るまで六代は、諸国の受領たりしかども、殿上の仙籍をばいまだ許されず。
Y0102 殿上の闇討ち T0102
 しかるに忠盛、いまだ備前守たりし時、鳥羽院の御願得長寿院を造進して、三十三間の御堂を建て、一千一体の御仏を据ゑ奉る。供養は天承元年三月十三日なり。勧賞には闕国を給ふべき由仰せ下されける。折節、但馬国のあき
P1105
たりけるをぞ賜ひける。上皇なほ御感のあまりに、内の昇殿を許さる。忠盛三十六にて初めて昇殿す。

 

下村時房本 『平家物語上・下』正宗敦夫。日本古典全集刊行会(大正15

1.原本(P001の影印より)

平家物語巻第一
  祇園精舎
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。
奢れる人もひさしからず、ただ春の夜の
夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏に
風の前の塵に同じ。遠く異朝をとぶらへば、
秦の趙高、漢の王莽、梁の周伊、唐の祿山、
是等は皆、旧主先皇の政にもしたがはず、
楽を極め、諫をも思入ず、天下の乱ん事を

 

P1005
平家物語 巻第一
S0101 祇園精舎 T0101
 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。奢れる人も久(ひさ)しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂には滅(ほろ)びぬ、偏(ひとへ)に風の前の塵に同じ。
 遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の周伊、唐の祿山、是等(これら)は皆、旧主先皇の政にも従(したが)はず、楽しみを極め、諫めをも思ひ入れず、天下の乱れん事を悟らずして、民間の愁ふる所を知らざりしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。
 近く本朝をうかがふに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、これらは猛き心も奢れる事も、皆とりどりにこそありしか。まぢかくは六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申しし人の有様、伝へ承るこそ、心も言葉も及ばれね。
 その先祖を尋ぬれば、桓武天皇第五の皇子、一品式部卿葛原親王九代の後胤、讃岐守正盛が孫、刑部卿忠盛朝臣の嫡男なり。かの親王の御子、高視王、無官無位にして失せ給ひぬ。その御子、高望王の時、初めて平の姓を賜はつて、上総介になり給ひしより、たちまちに王氏を出でて人臣に連なる。その子鎮守府の将軍義茂、後には国香と改む。国香より正盛に至るまで六代は、諸国の受領たり
P1006
しかども、殿上の仙籍をばいまだ許されず。
S0102 殿上の闇討ち T0102
 しかるに忠盛、いまだ備前守たりし時、鳥羽院の御願得長寿院を造進して、三十三間の御堂を建て、一千一体の御仏を据ゑ奉らる。供養は天承元年三月十三日なり。勧賞には闕国を給ふべき由仰せ下されける。折節、但馬国のあきたりけるをぞ賜はりける。上皇なほ御感のあまりに、内の昇殿を許さる。忠盛三十六にて始めて昇殿す。

 

京師本

P1013
平家物語 巻第一
  祇園精舎
 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
 遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高、漢の王莽、梁の周伊、唐の祿山、これらは皆、旧主先皇の政にも従はず、楽しみを極め、諫めをも思ひ入れず、天下の乱れんことを悟らずして、民間の愁ふる所を知らざッしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。
 近く本朝をうかがふに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、これらは猛き心も奢れる事も、皆とりどりにこそありしかども、まぢかくは六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申しし人の有様、伝へ承るこそ、心も言葉も及ばれね。

P1014

 其先祖を尋ぬれば、桓武天皇第五の皇子、一品式部卿葛原親王九代の後胤、讃岐守正盛が孫、刑部卿忠盛朝臣の嫡男也。彼の親王の御子高視の王、無官無位にしてうせ給ぬ。その御子高望の王の時、始て平の姓を給はつて上総介と成り給ひしより、忽に王氏を出でて人臣につらなる。其子鎮守府の将軍良望、後には国香と改む。国香より正盛に至るまで六代は、諸国の受領たりしかども、殿上の仙籍をばいまだゆるされず。

  殿上闇打(てんじやうのやみうち)

 然に、忠盛朝臣未だ備前守たりし時、鳥羽院の御願得長寿院を造進して、三十三間の御堂をたて、一千一体の御仏をすゑ奉る。供養は天承元年三月十三日なり。勧賞には闕国を給ふべき由仰せ下されけり。折節、但馬国のあきたりけるをぞ賜ひける。上皇なほ御感のあまりに、内の昇殿を許さる。忠盛三十六にて始めて昇殿す。

 

流布本 伝本多数。いずれもが「一方検校衆以吟味令開板之者也」等の奥書を持つ。広汎に流布し、平曲譜本との関りも深い。

元和七年版 『昭和校訂平家物語流布本』野村宗朔。武蔵野書院。昭和1123。底本元和七年刊片仮名整版本(整版本の初刊)。 

 『平家物語』梶原正昭。桜楓社。昭和52・同59(改訂版)。底本早稲田大学中央図書館蔵元和七年刊仮名交り整版本。

P012

平家物語巻第一
S0101 祇園精舎 T0101
 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。奢れる者久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き人もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
 遠く異朝をとぶらふに、秦の趙高、漢の王莽、梁の周伊、唐の祿山、これらは皆、旧主先皇の政にも従はず、楽しみを極め、諫めをも思ひ入れず、天下の乱れんことをも悟らずして、民間の愁ふる所を知らざりしかば、久しからずして、亡じにし者どもなり。
 近く本朝をうかがふに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の信頼、これらは奢れる事も猛き心も、皆とりどりなりしかども、まぢかくは六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申しし人の有様、伝へ承るこそ、心も言葉も及ばれね。
 その先祖を尋ぬれば、桓武天皇第五の皇子、一品式部卿葛原親王九代の後胤、讃岐守正盛が孫、刑部卿忠盛朝臣の嫡男なり。かの親王の御子、高視王、無官無位にして失せ給ひぬ。その御子、高望王の時、初めて平の姓を賜はつて、上総介になり給ひしより以来、たちまちに王氏を出でて人臣に連なる。その子鎮守府の将軍義茂、後には国香と改む。国香より正盛に至るまで六代は、諸国の受領たりしかども、殿上の仙籍をばいまだ許されず。
S0102 殿上の闇討ち T0102
 しかるに忠盛、いまだ備前守たりし時、鳥羽院の御願得長寿院を造進して、三十三間の御堂を建て、一千一体の御仏を据ゑ奉らる。供養は天承元年三月十三日なり。勧賞には闕国を給ふべき由仰せ下されける。折節、但馬国のあきたりけるをぞ下されける。上皇なほ御感のあまりに、内の昇殿を許さる。忠盛三十六にて始めて昇殿す。

 

元和九年版 『平家物語上・下』高橋貞一。講談社(講談社文庫)。昭和47。「底本元和九年刊片仮名交り附訓十二行整版本。 

平家物語 巻第一  総かな版(元和九年本)

\「ぎをんしやうじや」(『ぎをんしやうじや』)S0101 

\ぎをん-しやうじや/\かね/\こゑ、\しよぎやう-むじやう/\ひびき\あり。\しやら-さうじゆ/\はな/\いろ、\じやうしや-ひつすゐ/\ことわり/\あらはす。\おごれ/\もの\ひさしから/ず、\ただ\はる/\/\ゆめ//ごとし。\たけき\ひと/\つひに/\ほろび/ぬ。\ひとへに\かぜ/\まへ/\ちり/\おなじ。\とほく\いてう/\とぶらふ/に、\しん/\てうかう、\かん/\わうまう、\りやう/\しゆい、\たう/\ろくさん、\これ=/\みな\きうしゆ\せんくわう/\まつりごと//\したがは/ず、\たのしみ/\きはめ、\いさめ//\おもひ-いれ/ず、\てんが/\みだれ/\こと//\さとら//して、\みんかん/\うれふる\ところ/\しら/ざり/しか/ば、\ひさしから//して、\ばうじ//\もの=ども/なり。\ちかく\ほんてう/\うかがふ/に、\しようへい/\まさかど、\てんぎやう/\すみとも、\かうわ/\ぎしん、\へいぢ/\しんらい、\これ=/\おごれ/\こと/\たけき\こころ/も、\みな\とりどり/なり/しか/ども、\まぢかく/\ろくはら/-にふだう-さきの-だいじやうだいじん-たひらの-あそん-きよもり=こう/\まうし/\ひと/\ありさま、\つたへ-うけたまはる/こそ、\こころ/\ことば/\およば//ね。\その\せんぞ/\たづぬれ/ば、\

万治二年刊片仮名交り整版本 『平家物語』永井一孝。有朋堂書店(有朋堂文庫)。明治43。底本万治二年刊片仮名交り整版本。

P001
平家物語 巻第一
S0101 ○祇園精舎 
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理を顕す。奢
れる者不久、唯春の夜の夢の如し。猛き人も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。遠
く異朝を問らふに、秦の趙高、漢の王莽、梁の周伊、唐の祿山、是れ等は皆、旧主先皇の
政にも不従、楽を極め、諫をも不思入、天下の乱ん事をも不悟して、民間の愁る所
を不知しかば、不久して、亡にし者共なり。近く本朝を窺ふに、承平の将門、天慶の純友、
康和の義親、平治の信頼、是等は奢れる事も、猛き心も、皆執々なりしかども、間近く
は、六波羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申し人の有様、伝へ承るこそ、心も詞も及
ばれね。其先祖を尋ぬれば、桓武天皇第五の皇子、一品式部卿葛原親王九代の後胤、讃岐
守正盛が孫、刑部卿忠盛朝臣の嫡男なり。彼親王の御子、高視の王、無官無位にして失給
ひぬ。その御子、高望の王の時、始て平の姓を賜て、上総介になり給しより以来、忽に王氏
P002
を出て人臣に連る。その子鎮守府将軍義茂、後には国香と改む。国香より正盛にいたる
まで六代は、諸国の受領たりしか共、殿上の仙籍をば未許されず。
S0102 ○殿上の闇討ち

 然るに忠盛、未備前守たりし時、鳥羽院の御願、得長寿院を造進して、三十三間の御堂

を建、一千一体の御仏を被奉据。

 

寛文十二年刊平仮名整版本 『平家物語上・下』佐藤謙三・春田宣。角川書店(角川文庫)。昭和34。底本寛文十二年刊平仮名整版本。

P1017

巻第一
S0101 一 祇園精舎の事
 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあ
らはす。奢れる者久しからず、たゞ春の夜の夢の如し。猛き人もつひには滅びぬ、
ひとへに風の前の塵に同じ。
 遠く異朝をとぶらふに、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱〓、唐の祿山、これらは
皆旧主先皇の政にも従はず、楽しみを極め、諫めをも思ひ入れず、天下の乱れん
事をも悟らずして、民間の愁ふる所を知らざりしかば、久しからずして、亡じにし
者どもなり。近く本朝を窺ふに、承平の将門、天慶の純友、康和の義親、平治の
信頼、これらは奢れる事も猛き心も、皆とり<“(どり)なりしかども、間近くは、六波
羅の入道前太政大臣平朝臣清盛公と申しゝ人の有様、伝へ承るこそ、心も言
も及ばれね。その先祖を尋ぬれば、桓武天皇第五の皇子、一品式部卿葛原親王
九代の後胤、讃岐守正盛が孫、刑部卿忠盛の朝臣の嫡男なり。かの親王の御子、
P1018
高視の王、無官無位にして失せ給ひぬ。その御子、高望の王の時、初めて平の姓を賜
はつて、上総介になり給ひしよりこのかた、忽ちに王氏を出でて人臣に連なる。
その子鎮守府の将軍良望、後には国香と改む。国香より正盛に至るまで六代は、
諸国の受領たりしかども、殿上の仙籍をば未だ許されず。
S0102 二 殿上の闇討ちの事

 然るに忠盛、未だ備前守たりし時、鳥羽の院の御願、得長寿院を造進して、三

十三間の御堂を建て、一千一体の御仏を据ゑ奉らる。

 

延宝五年刊本 『新版絵入平家物語』 (全十二冊)信太周。和泉書院。昭和56〜。原本延宝五年刊本。

2オ

平家物語 巻第一

\ 一 ぎをんしやうじやのこと

\ぎをん-しやうじや/\かね/\こゑ、\しよぎやう-むじやう/\ひびき

\あり。\しやら-さうじゆ/\はな/\いろ、\じやうしや-ひつすゐ/

\ことわり/\あらはす。\おごれ/\もの\ひさしから/ず、\ただ

\はる/\/\ゆめ//ごとし。\たけき\ひと/\つひに/\ほろ

/ぬ。\ひとへに\かぜ/\まへ/\ちり/\おなじ。\とほく\いてう

/\とぶらふ/に、\しん/\てうかう、\かん/\わうまう、\

りやう/\しゆい、\たう/\ろくさん、\これ=/\みな\きうしゆ

\せんくわう/\まつりごと//\したがは/ず、\たのしみ/\きはめ、\

いさめ//\おもひ-いれ/ず、\てんが/\みだれ/\こと//\さとら/

/して、\みんかん/\うれふる\ところ/\しら/ざり/しか/ば、\ひさし

から//して、\ばうじ//\もの=ども/なり。\ちかく\ほんてう

2ウ

/\うかがふ/に、\しようへい/\まさかど、\てんぎやう/\すみとも、\かうわ

/\ぎしん、\へいぢ/\しんらい、\これ=/\おごれ/\こと/\

けき\こころ/も、\みな\とりどり/なり/しか/ども、\まぢかく/\ろくは

/-にふだう-さきの-だいじやうだいじん-たひらの-あそん-きよもり=こう/\まうし/

\ひと/\ありさま、\つたへ-うけたまはる/こそ、\こころ/\ことば/\およば

//ね。\その\せんぞ/\たづぬれ/ば、\

 

《平曲諸本》

【翻】 『評釈平家物語』梅沢和軒(精一)。有宏社。大正元・同12。底本東京芸術大学蔵本。譜記なし。頭注を付す。

P001

評釈 平家物語

         梅沢和軒 校

巻一

○ 一 でんじやうのやみうち

しかるを、ただもりいまだびぜんのかみたりしとき、とばのゐんのごぐわん、とくちやうじゆゐんをざうしんして、三十

三げんのみだうをたて、一千一たいのおんほとけをすゑたてまつらる、くやうはてんしようぐわんねん三ぐわつ十三にちなり。

けんじやうにはけつこくをたまふべきよし、あふせくだされける。をりふし、たじまのくにのあきたりけるをぞ

くだされける。じやうくわうなほぎよかんのあまりに、うちのしようでんを[の]ゆるさる。ただもり三十六にてはじめてしようでん

す。くものうへびとこれをそねみいきどほり、おなじきとしの十一ぐわつ二十三にち、ごせつととよのあかりのせちゑのよ、ただもり

をやみうちにせんとぞぎせられける。ただもりこのよしをつたへきいて、われいうひつのみにあらず、ぶ

ゆうのいへにうまれて、いまふりよのはぢにあはんこと、いへのためみのため、こころうかるべし。せんず〔る〕

ところ、みをまつたうして、きみにつかへたてまつれといふほんもんありとて、かねてよういをいたす。さんだいの

P002

【影】『平家正節上・下』平家正節刊行会(渥美かをる)。大学堂書店。昭和49。原本尾崎家本。

祇園精舎(ぎをんしやうじや)

祇園精舎(ぎをんしやうじや)のかねのこゑ、諸行無

常(しよぎやうむじやう)のひゞき有り。娑羅双樹(しやらさうじゆ)の花(はな)

の色(いろ)、盛者必衰(じやうしやひつすい)のことわりをあら

はす。おごれる者(もの)久(ひさ)しからず。

たゞ春(はる)の夜(よ)の夢(ゆめ)のごとし。

たけき人(ひと)も終(つひ)には亡(ほろ)びぬ、

ひとへに風(かぜ)の前(まへ)のちりに同(おな)じ。

 

 『前田流譜本平家物語一〜四』秋永一枝・梶原正昭。早稲田大学出版部(早稲田大学蔵資料影印叢書)。昭和5960

一オ

  てんじやうのやみうち

\しかる/\ただもり、\いまだ\びぜんの-かみ/たり

/\とき、\とばのゐん/\=ぐわん、\とくぢやう

じゆ-ゐん/\ざうしん-/て、\さんじふさんげん/

\=だう/\たて、\いつせんいつたい/\おん=ほとけ/

\すゑ\たてまつら/る。\くやう/\てんじよう-ぐわんねん-

さんぐわつ-じふさんにち/なり。\けんじやう//\けつこく/

一ウ

\たまふ/べき\よし\おほせ-くださ//ける。\をり

ふし\たじまの-くに/\あき/たり/ける

//\くださ//ける。\しやうくわう\なほ

\ぎよ=かん/\あまり/に、\うち/\しようでん

/\ゆるさ/る。\ただもり\さんじふろく/にて

\はじめて\しようでん-す。\くものうへびと

\これ/\そねみ\いきどほり、\

二オ

 

 「波多野流平曲譜本の研究 付秦音曲鈔」(山口県立図書館蔵)勉誠社

平家物語 巻第一  上

 

P003

  ぎをんしやうじや 別冊記

\ぎをん-しやうじや/\かね/\こゑ、\しよぎやう-むじやう/\ひびき

\あり。\しやら-さうじゆ/\はな/\いろ、\じやうしや-ひつすゐ/\ことわり

/\あらはす。\おごれ/\もの\ひさしから/ず、\ただ\はる/\/

\ゆめ//ごとし。\たけき\ひと/\つひに/\ほろび/ぬ。\ひとへに\かぜ/

\まへ/\ちり/\おなじ。\とほく\いてう/\とぶらふ/に、\しん/

P004

\てうかう、\かん/\わうまう、\りやう/\しゆい、\たう/\ろくさん、\これ=

/\みな\きうしゆ\せんくわう/\まつりごと//\したがは/ず、\たのしみ/

\きはめ、\いさめ//\おもひ-いれ/ず、\てんが/\みだれ/\こと//

\さとら//して、\みんかん/\うれふる\ところ/\しら/ざり/しか/ば、\

ひさしから//して、\ばうじ//\もの=ども/なり。\ちかく\ほん

てう/\うかがふ/に、\しようへい/\まさかど、\てんぎやう/\すみとも、\

P005

かうわ/\ぎしん、\へいぢ/\しんらい、\これ=/\おごれ/

\こと/\たけき\こころ/も、\みな\とりどり/なり/しか/ども、\まぢかく/

\ろくはら/-にふだう-さきの-だいじやうだいじん-たひらの-あそん-きよもり=

こう/\まうし/\ひと/\ありさま、\つたへ-うけたまはる/こそ、\こころ/\ことば/

\およば//ね。\その\せんぞ/\たづぬれ/ば、\

 

 波多野流譜本(東京大学附属図書館蔵本他)  総かな版

平家物語 巻第一

 てんじやうのやみうち

\しかる/\ただもり、\いまだ\びぜんの-かみ/たり/\とき、\とばのゐん/\=

ぐわん、\とくぢやうじゆ-ゐん/\ざうしん-/て、\さんじふさんげん/\=だう/

\たて、\いつせんいつたい/\おん=ほとけ/\すゑ\たてまつら/る。\くやう/\てんじよう-

ぐわんねん-さんぐわつ-じふさんにち/なり。\けんじやう//\けつこく/\たまふ/べき

\よし\おほせ-くださ//ける。\をりふし\たじまの-くに/\あき/たり/ける

//\くださ//ける。\しやうくわう\なほ\ぎよ=かん/\あまり/に、\うち/

 

鳴海家本『平曲吟譜新集』

  祇園精舎
 祇園精舎の鐘の声、諸行無常
の響有。娑羅双樹の花の色、盛者必衰
の理りを顕す。 奢る者久しからず、
唯春の夜の夢の如し。 猛き人も終には
亡ぬ、偏に風の前の塵に同じ。 遠異
朝を訪ふに、秦の趙高、漢の王莽、梁
 

 

天草本

 ハビヤン抄 キリシタン版平家物語 亀井高孝, 阪田雪子翻字 「天草本平家物語」昭和2の改訂版。

日本/

\ことば/

\イストリヤ/\習ひ知ら//

\欲する\/\ため

/\世話/\和らげ/たる

\平家/\物語。\

ゼスス/\コンパニヤ/-

コレジヨ\天草/\おいて\スペリオーレス/\御免許

//して\これ/\(はん)/\刻む\もの/なり。\

御出世(しゆつせ)/より\一五九二。\

序001

此の\(いち)/には\日本(につぽん)/\平家/\いふ\イストリヤ

/と、\モラーレス・センテンサス/と、\エウローパ/\イソポ

/\フヮブラス/\押す\もの/なり。\しかれば\これら/

\作者/\ゼンチヨ/にて、\その\題目/\/のみ\重々しから/ざる

\/なり/\見ゆる/\いへ/ども、\且う/

\言葉稽古/\ため、\且うは、\/\/\ため、\

これら/\たぐひ/\書物/\/\開く\こと/は、\

エクレシヤ/\おいて\珍しから/ざる\/なり。\かく//如き/

\極め/\デウス/\御奉公/\志し、\

その\グローリヤ/\こひねがふ/\あり。\しかれば、\この\コレジヨ/

\おいて\/まで\/\開き/たる\/は、\これら

/\/\就い/\定め置か/るゝ\法度/\心あて/

\応じ/\せんさく-/たる/ごとく、\この\一部//

\スペリオーレス/より\定め\給ふ\人々/\せんさく/\以て

\/\開き/\よから//\定め/られ/たる\もの

/なり。\天草/\おいて、\ヘベレイロ/\二十三日

/\これ/\書す。\/\御出世/\年紀\一五九三。\

序002

読誦/\/\対し/\書す

(中略)

 隠岐の国へ下り着いて,つひに思死 死んだ.そのありさ

                 マヽ

                     ごぜ さんみ

まおそろしいなんどと言ふもおろかぢゃ:六代御前は三位の

ぜんじ

禅師とておこなひすまいてござったを,文覚流されてのち,

さる人の弟子なり,さる人の子なり,孫なり,髪はそったり

とも心はよもそらじとあって,鎌倉へ召し下され,つひに失

はれたと申す.

             たいくツ

 VM.さてさて長々しいことを退屈もなうお語りあったの.

 QI.そのおことぢゃ.私が長いことを語りまらしたよりも,

            きどく

退屈もなう聞かせられたを奇特と存ずる.平家の由来は大略

この分でござるほどに,どこでもこの物語においては,こな

                ちようほう

たもみごとあどをうたせられうほどに,重宝でござる.

  FINIS.FINIS.

 

 「天草本ヘイケモノガタリ」検案 

\にほん/

\ことば/

\イストリヤ(Historia/\ならひ-しらん/

\ほっする\ひと/\ため

/\せわ/\やはらげ/たる

\へいけ/\ものがたり.\

ゼズス(IESVS)/\コンパニヤ(Companhia/-

コレジヨ(Collegio\あまくさ/\おいて\スペリヨレス(Superiores/\-めんきょ

//して\これ/\はん/\きざむ\もの/なり.\

-しゅっせ/より\1592(M.D.L.XXXXII.)\

序001

この\いちくわん//\にっぽん/\へいけ/\いふ\イストリヤ(Historia

/と,\モラアレス(Morales)センテンサス(Sentencas/と,\エウロウパ(Europa)/\エソポ(Esopo)

/\ハブラス(Fabulas/\おす\もの\なり.\しかれば\これら/

\さくしゃ/は\ゼンチヨ(Getio)/にて,\その\だいもく/\/のみ\おもおもしから/ざる

\/なり/\みゆる/\いへ/ども,\かつう/

\ことば\けいこ/\ため,\かつうは\/\とく/\ため,\

これら/\たぐひ/の\しょもツ/\はん/\ひらく\こと/は,\

ヱケレジヤ(Ecclesia/\おいて\めづらしから/ざる\/なり.\かく//ごとき/

\きはめ/は,\デウス(Deus/\ごほうこう/\こころざし,

\その\グラウリヤ(Gloria/\こひねがふ/に\あり.\しかれば\この\コレジヨ(Collegio/

\おいて\いま/まで\はん/\ひらき/たる\きゃう/は\これら

/\/\つい/\さだめ−おか/るる\はっと/\こころあて/

\おうじ/\せんさく-/たる/ごとく;\この\いちぶ//

\スペリヨレス(Superiores/より\さだめ\たまふ\ひとびと/\せんさく/\もって

\はん/\ひらき/\よから//\さだめ/られ/たる\もの

/なり.\あまくさ/\おいて\ヘベレイロ(Feuereiro/の.\23.にち

/\これ/\しょす.\とき/\ごしゅっせ/\ねんき.\1593.\

序002

どくじゅの\ひとに\たいして\しょす.

 

平家物語

 

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