とはずがたり 総ひらがな版 更新日 2007.02.14.水

凡例

底本: とはずがたり総索引 / 辻村敏樹編<トワズガタリ ソウサクイン>.   東京 : 笠間書院, 1992.5-1992.6 本文篇
  注記: 本文篇の底本:伊地知鐡男編「とはずがたり一〜五」<影印> 1972年笠間書院刊(宮内庁書陵部蔵)

 

原本通り改行しております。

濁点を補い、原則として歴史的仮名遣いにしてあります。

P+巻数+丁数+オ(表) または ウ(裏)

後日区切り記号を付けます。

 

巻一 冒頭

P101オ

くれたけのひとよにはるのたつかすみけさしもまちいで

がほにはなををりにほひをあらそひてなみゐたれば

われもひとなみなみにさしいでたり。つぼみこうばいにやあ

らむこきくれなゐのうちぎ・もよぎのうはぎ・あかいろ

のからぎぬなどにてありしやらん。うめ・からくさをうき

 

(中略)後日

 

をさなくよりさぶらひなれたるごしよともおぼえず、

おそろしくつつましきここちして、たちいでつらむこともくや

しく」、なにとなるべきことにか」とおもひつづけられて、またなみだの

いとまなきに、だいなごんのおとするは、おぼつかなくおもひてかと、あは

れなり。ぜんしやうじ、おほせのやうつたふれば、「いまさら、かくなかなか

にては、あしくこそ。ただひごろのさまにてめしおかれて

こそ。しのぶにつけてもれむなもなかなかにや」とて、いでられぬるおと

するも、「げに、いかなるべきことにか」と、いまさらみのおきどころなき

P109オ

ここちするもかなしきに、いらせたまひて、つきせぬことをのみうけ

たまはるを、さすがしだいになぐさまるるこそ、これやのがれぬ

おんちぎりならむとおぼゆれ。とをかばかりかくてはべりしほどに、よがれ

なくみたてまつるにも、「けぶりのすゑ、いかが」と、なほも、こころに

かかるぞ、うたてあるこころなりし。さてしも、かくてはなかなか

あしかるべきよし、だいなごんしきりにまうして、いでぬ。ひとにみゆるも

たへがたくかなしければ、なほもここちのれいならぬなどもて

なして、わがかたにのみゐたるに、「このほどにならひて、つもりぬる

ここちするを、とくこそまゐらめ」など、またおんふみこまやかにて、

かくまではおもひおこせじひとしれずみせばやそでにかかるなみだを W

あながちにいとはしくおぼえしおんふみも、けふはまちみるかひ

P109ウ

あるここちして、おんかへりごと、もくろみすぎしやらむ。

われゆゑのおもひならねどさよごろもなみだのきけばぬるるそでかな W

いくほどのひかずもへだてで、このたびはつねのやうにてまゐり

たれども、なにとやらむ、そぞろはしきやうなることもある

うへ、いつしかひとのものいひさがなさは、「だいなごんのひさうして、

にようごまゐりのぎしきにもてなし、まゐらせたる」などいふきよう

がいどもいできて、いつしかにようゐんのおんかたざま、こころよからぬおんき

そくになりもてゆくより、いとどものすさまじきここちしながら、まが

よひゐたり。おんよがれといふべきにしあらねど、つもるひかずもす

さまじく、またまゐるひとのいだしいれも、ひとのやうにしさいがましく

まうすべきならねば、そのみちしばをするにつけても、よにしたがふは

P110オ

うきならひかなとのみおぼえつつ、とにかくに、「またこのごろやしのば

れむ」とのみおぼえてあけくれつつ、あきにもなりぬ。はづきにや、

 

(中略)後日

 

おんけしきあり。さても、だいなごん

P115オ

たびたびおほみやのゐん・しんゐんのおんかたへしゆつけのいとまをまうさるるに、「おぼし

めすしさいあり」とて、おんゆるされなし。ひとよりことにはべるなげき

のあまりにや、ひごとにおんはかにまゐりなどしつつ、かさねて

さだざねのだいなごんをもちて、しんゐんへまうさる。「くさいにしてはじ

めてきみにしられたてまつりて、てうていにひざまづきしより

このかた、ときにしたがひをりにふれ、おんめぐみならずといふこと

なし。ことにちちにおくれ、ははのふけうをかうぶりても、なほ

きみのおんぶんをおもくして、ほうこうのちゆうをいたす。され

ば、くわんゐしやうしん、りうんをすぎて、なほめんぼくをほどこしし

かば、じよゐ・ぢもくのあしたには、ききがきをひらきてゑみをふ

くみ、うちとにうらみなければ、くじにつかふるにものうからず。

P115ウ

ほうらいきゆうのつきをもてあそんで、とよのあかりのよなよなは、

ゑんずい・ぶがくにそでをつらねて、あまたとし、りんじ

てうがくのをりをりは、をみのころもにたちなれて、みたらし

がはにかげをうつす。すでにみしやうにゐ、だいなごんいちらふ、うぢのちやうじや

をけんず。すでにだいじんのくらいをさづけたまひしを、このゑのだいしやう

をふべきよしを、みちただうだいしやうかきおくじやうをまうしいれて、この

くらいをじたいまうすところに、きみすでにかくれましましぬ。われよに

ありとも、たのむかげかれはてて、たちやどるべきかたなく、なにの

しよくにゐてもそのかひなくおぼえはべり。よはひすでにいそぢに

みちぬ。のこりいくとせかはべらむ。おんをすててむゐにいるは、しん

じちのはうおんなり。おんゆるされをかうぶりてほんいをとげ、

P116オ

しやうりやうのおんあとをもとぶらひまうすべき」よし、ねんごろにまうさ

れしをかさねてかなふまじきよしおほせられ、またぢきにも

さまざまおほせらるることもありしかば、いちにちふつかすぎゆくほどに、

わするるくさのたねをえけるにはあらねども、しぜんにすぎつつ、

ごぶつじ、なにかのいとなみにあかしくらしつつ、おんしじふくにちにも

なりぬれば、ごぶつじなどはてて、みなみやこへかへりいらせおはし

ますほどより、ごせいむのことにくわんとうへおんつかひくだされなどする

こともわづらはしくなりゆくほどに、あはれさつきになりぬ。さつき

 

(中略)後日

 

ひとりおとづれざりしも、よの

つねならぬことなり。そのをりのそのあかつきよりひをへだて

ず、「こころのうちはいかにいかに」ととぶらひしひとの、ながつきのとをかあ

まりのつきをしるべに、たづねいりたり。なべてくろみたるころ

なれば、むもんのなほしすがたなるさへ、わがいろにまがふ

ここちして、ひとづてにいふべきにしあらねば、しんでんのみなみ

P125ウ

むきにてあひたり。「むかしいまのあはれとりそへて、ことしは

つねのとしにもすぎて、あはれおほかるかみのひまなき。ひととせ

のゆきのよるのくこんのしき、『つねにあひみよ』とかやも、せめての

こころざしとおぼえし」など、なきみわらひみ、よもすがらいふほどに、

あけゆくかねのこゑきこゆるこそ、げにあふひとからのあきのよは、

ことばのこりてとりなきにけり。「あらぬさまなるあさがへりとや、

よにきこえむ」などいひてかへるさの、なごりもおほきここちして、

わかれしもけさのなごりをとりそへておきかさねぬるそでのつゆかな W

はしたものしてくるまへつかはしはべりしかば、

なごりとはいかがおもはむわかれにしそでのつゆこそひまなかるらめ W

よもすがらのなごりも、たがたまくらにかと、われながらゆかしきほどに、

P126オ

けふはおもひいでらるるをりふし、ひはだのかりぎぬきたるさぶらひ、

ふみのはこをもちて、ちゆうもんのほどにたたずむ。かれよりのつかひ

なりけり。いとこまやかにて、

しのぶあまりただうたたねのたまくらにつゆかかりきとひとやとがむる W

よろづあはれなるころなれば、かやうのすさみごとまでもな

ごりあるここちして、われもこまごまとかきて、

あきのつゆはなべてくさきにおくものをそでにのみとはたれかとがめむ W

しじふくにちには、まさあきのせうしやうがぶつじ、かはらのゐんのひじり、れいの、

「ゑんあうのふすまのした、ひよくのちぎり」とかや、これにさへいひふるし

ぬることはててのち、けんじちほふいんだうしにて、ふみどものうら

にみづからほけきやうをかきたりし、くやうせさせなどせしに、

P126ウ

さんでうのばうもんのだいなごん・までのこうぢ・ぜんしようじのだいなごんなど、

ちやうもんにとておはして、めんめんにとぶらひつつかへる

なごりもかなしきに、けふはゆきちがひなれば、めのとがしゆくしよ、

しでうおほみやなるにまかりぬ。かへるたもとのそでのつゆはかこつかたな

きに、なにとなくつどひゐて、なげかしさをもいひあはせ

つるひとびとにさへはなれて、ひとりゐたるこころのうち、いはむかた

なし。さても、いぶせかりつるひかずのほどにだに、しのびつつい

らせおはしまして、「なべてやつれたるころなれば、いろのたもとも

くるしかるまじければ、いかきごじゆんすぎなばまゐるべ

き」よしおほせあれども、よろづものうきここちしてこも

りゐたるに、しじふくにちはくぐわつにじふさんにちなれば、なきよわりたるむしの

P127オ

ねも、そでのつゆをこととひて、いとかなし。ごしよよりは、「さのみさと

ずみも、いかにいかに」とおほせらるるにも、うごかれねば、いつさし

いづべきここちもせで、かみなづきにもなりぬ。とをかあまりのころにや、

またつかひあり。「ひをへだてずもまうしたきに、ごしよのおんつかひなどみ

あひつつ、ころともしらでやおぼしめされむと、こころのほかなる

ひかずつもる」などいはるるに、このすまひはしでうおほみやのす

みなるが、しでうおもてとおほみやとのすみのついぢ、いたう

くづれのきたるところに、さるとりといふうばらをうゑたるが、

ついぢのうへへはひゆきて、もとのふときがただふたもとあるばかり

なるを「このつかひみて、『ここにはばんのひとはべるな』といふに、『さも

なし』とひといへば、『さてはゆゆしきおんかよひぢになりぬべし』

P127ウ

といひて、このうばらのもとをかたなしてきりてまかりぬ」と

いへば、とはなにごとぞとおもへども、かならずさしもおもひよらぬ

ほどに、ねひとつばかりにもやとおもふつきかげに、つまどをしのびて

たたくひとあり。ちゆうじやうといふわらは、「くひなにや、おもひよらぬおと

かな」といひてあくるときくほどに、いとさわぎたるこゑにて、

「ここもとにたちたまひたるが、『たちながらたいめんせむ』とおほせらるる」

といふ。おもひよらぬほどのことなれば、なにといらへいふべき。こと

のはもなくあきれゐたるほどに、かくいふこゑをしるべに

や、やがてここもとへいりたまひたり。もみぢをうきおりたるかり

ぎぬに、しをんにや、さしぬきの、ことにいづれもなよらかなる

すがたにて、まことにしのびけるさまもしるきに、「おもひよらぬ

P128オ

みのほどにもあれば、おんこころざしあらば、のちせのやまののちには」

などいひつつ、こよひはのがれぬべく、あながちにいへば、「かかる

おんみのほどなれば、つゆおんうしろめたきふるまひあるま

じきを、としつきのこころのいろをただのどかにいひきかせむ。

よそのかりぶしは、みもすそがはのかみもゆるしたまひてむ」など、こころ

きよくちかひたまへば、れいのこころよわさは、いなともいひつよりえで

ゐたれば、よるのおましにさへいりたまひぬ。ながきよすがら、とに

かくにいひつづけたまふさまは、げにからくにのとらもなみだおちぬべき

ほどなれば、いはきならぬこころには、みにかへむとまではおもはざり

しかども、こころのほかのにひまくらは、おんゆめにやみゆらむと、いとお

そろし。とりのねにおどろかされて、よふかくいでたまふも、なごり

P128ウ

をのこすここちして、またねにやとまではおもはねども、そのまま

にてふしたるに、まだしののめもあけやらぬに、ふみあり。

「かへるさはなみだにくれてありあけのつきさへつらきしののめのそら W

いつのほどにつもりぬるにか、くれまでのこころづくし、きえかへり

ぬべきを、なべてつつましきよのうさも」などあり。おんかへりごとには、

かへるさのたもとはしらずおもかげはそでのなみだにありあけのそら W

かかるほどには、しひてのがれつるかひなくなりぬるみのしぎも、

かこつかたなく、いかにもはかばかしからじとおぼゆるゆくすゑ

もおしはかられて、ひとしらぬなくねもつゆけきひるつかた、

ふみあり。「いかなるかたにおもひなりて、かくのみさとずみひさしかるらむ。

このごろはなべて、ごしよざまもまぎるるかたなく、おんひとずくななる

P129オ

に」など、つねよりもこまやかなるも、いとあさまし。くるれば、こよ

ひはいたくふかさでおはしたるさへ、そらおそろしく、

はじめたることのやうにおぼえて、ものだにいはれずながら、め

のとのにふだうなども、しゆつけののちはせんぼんのひじりのもとに

のみすまひたれば、いとどたちまじるをのこごもなきに、こよひ

しも「めづらしくさとゐしたるに」などいひてきたり。めの

と・こどももつどひゐてひしめくも、いとどむつかしきに、おんはは

にてありしものは、さしものふるみやのごしよにておひいでたるものとも

なく、むげによういなく、ひたさわぎに、いまひめぎみがははし

ろていなるがわびしくて、いかなることかとおもへども、かかる

ひとのなどいひしらすべきならねば、ひなどもともさで、つきかげ

P129ウ

みるよしして、ねどころにこのひとをばおきて、しやうじのくちなる

すびつによりかかりてゐたるところへ、おんははこそいできたれ。

あなかなしとおもふほどに、「『あきのよながくはべり。たぎしなどして、

あそばせはべらむ』と、おんててまうす。いらせたまへ」と、そしようがほになり

かへりていふさまだにいとむつかしきに、「なにごとかせまし。

たれがしさぶらふ。かれもさぶらふ」など、ままこ・じちのこがなのりいひ

つづけ、くこんのしきおこなふべきこと、いしいし、いよのゆ

げたとかや、かぞへゐたるもかなしきに、「ここちわびしき」などもて

なしてゐたれば、「れいのわらはがまうすことをば、おんみみにいらず」

とてたちぬ。なまさかしく、をんなごをばちかくをにやいひな

らはして、つねのゐどころもにはつづきなるに、さまざまのことども

P130オ

きこゆるありさまは、ゆふがほのやどりにふみとどろかしけむ

からうすのおとをこそきかめとおぼえて、いとくちをし。

とかくのあらましごとも、まねばむも、なかなかにて、もらしぬるも

ねんなくとさへおぼえはべれども、ことがらもむつかしければ、

とくだにしづまりなむとおもひてねたるに、かどいみじくたた

きて、くるひとあり。たれならむとおもへば、なかよりなり。「はい

ぜんおそくて」などいひて、「さても、このおほみやのすみに、ゆゑ

あるはちえふのくるまたちたるを、うちよりてみれば、くるまのなかに

とものひとは、ひとはたねたり。とうにうしはつなぎてありつる。いづ

くへゆきたるひとのくるまぞ」といふ。あな、あさましときくほどに、

れいのおんはは、「いかなるひとぞと、ひとしてみせよ」といふ。おんててがこゑ

P130ウ

にて、「なにしにかみせける。ひとのうへならむに、よしなし。また、

おんさとゐのひまをうかがひて、しのびつついりおはしたるひともあらば、

ついぢのくづれより、『うちもねななむ』とてもやあるらむ。ふと

ころのうちなるだに、たかきもいやしきも、をんなはうしろめ

たなし」などいへば、またおんはは、「あなまがまがし。たれかまゐりさぶらはむ。

ごかうならば、またなにゆゑかしのびたまはむ」などいふも、ここもとに

きこゆ。「ろくゐしゆくせとやとがめられむ」と、おんははなるひとい

はるるぞ、わびしき。こさへいまいちにんそひてひしめくほどに、ねぬ

べきほどもなきに、きこゆるものどもいできたりとおぼしくて、

「こなたへとまうせ」とささめく。ひときてあんないすなり。まへなる

ひと、「おんここちをそんじて」といふに、うちのしやうじあららかに

P131オ

うちたたきて、おんははきたり。いまさらしらぬもののこむここちして、

むねさわぎ、おそろしきに、「おんここちはなにごとぞ。ここなるもの

ごらんぜよ。なうなう」と、まくらのしやうじをたたく。さてしも

あるべきならねば、「ここちのわびしくて」といへば、「おんこのみのしろ

ものなればこそまうせ。なきをりはおんたづねあるひとの、まうすとなれば

れいのこと。さらば、さてよ」とつぶやきていぬ。をかしくも

ありぬべきことのはども、いひぬべきとおぼゆるを、しぬばかりに

おぼえてゐたるに、「おんたづねのしろものは、なににかはべる」とたづね

らる。しも・ゆき・あられとやさばむとも、まことしくおもふべき

ならねば、ありのままに、「よのつねならず、しろきいろなるく

こんをときどきねがふことのはべるを、かくなだたしく

P131ウ

まうすなり」といらふ。「かしこくこよひまゐりてけり。おんわたりの

をりは、もろこしまでもしろきいろをたづねはべらむ」とて

うちわらはれぬるぞ、わすれがたきや。うきふしにはこれほど

なるおもひいで、すぎにしかたもゆくすゑも、またあるべしともおぼえ

でよ。かくしつつ、あまたよもかさなれば、こころにしむふしぶし

もおぼえて、いとどおもひたたれぬほどに、かみなづきはつかごろより、

ははかたのうばごんのだいなごん、わづらふことありといへども、いましも

つゆのきゆべしとも、みるみるおどろかではべるほどに、いくほど

のひかずもつもらで、「はやはてぬ」とつげたり。ひんがしやまぜん

りんじ、あやとといふわたりにいへゐして、としごろになり

ぬるを、「けふなむ、いまは」とききはてぬるも、ゆめのゆかりの

P132オ

かれはてぬるさまのこころぼそき、うちつづきぬるなどおぼえて、

あきのつゆふゆのしぐれにうちそへてしぼりかさぬるわがたもとかな W

このほどはおんおとづれのなきも、わがあやまちの、そらにしられ

ぬるにやとあんぜらるるをりふし、「このほどのたえまをいかに

と」など、つねよりもこまやかにて、このくれにむかへにたまふべきよし

みゆれば、「をととひにや、うばにてはべりしおいびと、むなしくなりぬ

とまうすほどに、ちかきけがれもすぐしてこそ」などまうして、

おもひやれすぎにしあきのつゆにまたなみだしぐれてぬるるたもとを W

たちかへり、

かさねけるつゆのあはれもまだしらでいまこそよそのそでもしをるれ W

じふいちぐわつのはじめつかたにまゐりたれば、いつしかよのなかもひきかへ

P132ウ

たるここちして、だいなごんのおもかげも、あそこここにとわすられ

ず。みもなにとやらむ、ふるまひにくきやうにおぼえ、にようゐんの

おんかたざまもうらうらともおはしまさず。とにかくにものうき

やうにおぼゆるに、ひやうぶきやう・ぜんしようじなどに、「だいなごんがあり

つるをりのやうに、みさたしてさぶらはせよ。しやうぞくなどは、かみへ

まゐるべきものにて」などおほせくださるるは、かしこきおほせ

ごとなれども、ただ、とくしてよのつねのみになりて、しづ

かなるすまひをして、ちちははのごしやうをもとひ、ろくしゆを

いづるみともがなとのみおぼえて、またこのつきのすゑには

いではべりぬ。

 

(中略)後日

 

P136ウ

べちにしるしはべればこれにはもらしぬ。きさらぎのとをか、よひ

のほどに、そのけしきいできたれば、ごしよざまもおんこころむつ

かしきをりから、わたくしもかかるおもひのほどなれば、よろづさかえ

なきをりなれど、たかあきのだいなごんとりさたして、とかく

いひさわぐ。ごしよよりもおむろへまうされて、おんほんばうにて、あい

ぜんわうのほふ、なるたきえんめいくとかや、びさもんだうの

そうじやう、やくしのほふ、いづれもほんばうにておこなはる。わがかたざまにて、

しんげんほふいん、しやうくわんおんのほふおこなはせなど、こころばかりは

いとなむ。しちでうのだうてうそうじやう、をりふしみねよりいでられたりし

が、「こだいなごん、こころぐるしきことにいひおかれしもわすれがたく」とて、

おはしたり。よなかばかりより、ことにわづらはしくなりたり。

P137オ

をばのきやうごくどの、おんつかひとておはしなど、こころばかりはひしめく。

ひやうぶきやうもおはしなどしたるも、あらましかばとおもふなみだは。ひと

によりかかりてちとまどろみたるに、むかしながらにかは

らぬすがたにて、こころぐるしげにてうしろのかたへたちよる

やうにすとおもふほどに、わうじたんじやうとまうすべきにや、こと

ゆゑなくなりぬるはめでたけれども、それにつけても、わがあや

まちのゆくすゑいかがならむと、いまはじめたることのやうに、

いとあさましきに、おんはかせなどしのびたるさまながら、おんげん

じやのろくなどことごとしからぬさまに、たかあきぞさ

たしはべる。むかしながらにてあらましかば、かはさきのしゆくしよ

などにてこそあらましかなど、よろづおもひつづけらるるに、

P137ウ

おんちのひとがしやうぞくなど、いつしかたかあきさたして、

おんつるうち、いしいしのことまでかずかずみゆるにつけて

も、あはれ、ことしはゆめさたにてとしもくれぬるにこそ。はれ

がましく、わびしかりしは、ゆめのきずゆゑ、ちよろづ

のひとにみをいだしてみせしことぞ、かみのりやうもさし

あたりてはよしなきほどにおぼえはべりしか。しはすには、つねは

 

(中略)後日

 

いかなるべきことにかとふしぎなれ。としかへりぬれば、いつしか

ろくでうどののごしよにて、きやうしゆじふににんにてによほふきやうかかせらる。こぞの

ゆめ、なごりおぼしめしいでられて、ひとのわづらひなくてとて、

ぬりごめのものどもにておこなはせらる。しやうぐわつより、おんゆびのちを

いだして、おんてのうらをひるがへして、ほけきやうをあそばすとて、

ことしはしやうぐわつよりにぐわつじふしちにちまではごしやうじんなりとて、おん

けいせいなどいふさたたえてなし。さるほどに、にぐわつのすゑつ

P139オ

かたより、ここちれいならずおぼえて、ものもくはず。しばしはかぜ

などおもふほどに、やうやうみしゆめのなごりにやとおもひあはせらるる

も、なにとまぎらはすべきやうもなきことなれば、せめての

つみのむくいもおもひしられて、こころのうちのものおもひ、やるかたなけ

れども、かくともいかがいひけむ、かみわざにことづけて、さとがち

にのみゐたれば、つねにきつつ、みしることもありけるにや、「さに

こそ」などいふより、いとどねんごろなるさまにいひかよひつつ、

「きみにしられたてまつらぬわざもがな」といふ。いのりいしいしこころを

つくすも、たがとがとかいはむとおもひつづけられてあるほどに、にぐわつ

のすゑよりはごしよざまへもまゐりかよひしかば、さつきのころはよつき

ばかりのよしをおぼしめさせたれども、まことはむつきなれば、

P139ウ

ちがひざまもゆくすゑいとあさましきに、「ろくぐわつなぬか、さとへいで

よ」としきりにいはるれば、なにごとぞとおもひていでたれば、おび

をてづからよういして、「ことさらとおもひて、しぐわつにてあるべかり

しを、よのおそろしさにけふまでになりぬるを、ごしよより、

じふににちはちやくたいのよしきくを、ことにおもふやうありて」といは

るるぞ、こころざしもなほざりならずおぼゆれども、みのなりゆかむ

はてぞかなしくおぼえはべりし。みつかはことさられいのかくれゐら

れたりしかば、とをかにはまゐりはべるべきにてありしを、そのよるより、

にはかにわづらふことありしほどに、まゐることもかなはざりしかば、

じふににちのゆふがた、ぜんしようじ、さきのれいにとて、おんおびをもち

てきたりたるをみるにも、こだいなごんの、「いかにか」など、おもひさわがれし

P140オ

よのことおもひいでられて、そでにはつゆのひまなさは、「かならずあきのなら

ひならねど」とおぼえても、ひとつきなどにてもなきちがひ

も、いかにとばかり、なすべきここちせず。さればとて、みづのそこまで

おもひいるべきにしあらねば、つれなくすぐるにつけても、「いかにせむ」

といひおもふよりほかのことなきに、くぐわつにもなりぬ。よの

 

(中略)後日

 

こころのみふかくなりゆくに、このあきごろにや、ごしよざまにもよのなか

すさまじく、「ごゐんのべつたうなどおかるるも、おんめんぼくなし」

とて、だいじやうてんわうのせんじをてんがへかへしまゐらせて、みずい

P144オ

じんどもめしあつめて、みなろくどもたまはせて、いとまたびて「ひさ

のりいちにん、あとしにはべるべし」とありしかば、めんめんにたもとを

しぼりてまかりいで、「おんしゆつけあるべし」とてにんじゆさだめられし

にも、「にようばうには、ひんがしのおんかた、にでう」とあそばされしかば、うきはうれしき

たよりにもやとおもひしに、かまくらよりなだめまうして、ひんがしの

おんかたのおんはらのわかみや、くらいにゐたまひぬれば、ごしよざまもはなやかに、

すみのごしよにはみえいおんわたりありしを、おほぎまちどのへ

うつしまゐらせられて、すみのごしよ、とうぐうのごしよになりな

どして、きやうごくどのとてゐんのおんかたにさぶらふは、むかしのしんすけどの

なれば、なにとなくこのひとはすごさねど、うかりしゆめのゆかりに

おぼえしを、たちかへり、だいなごんのすけとて、とうぐうのおんかたにさぶらひ

P144ウ

などするにつけても、よろづよのなかものうければ、ただやまの

あなたにのみこころはかよへども、いかなるしゆくしふなほのがれがた

きやらむ。なげきつつまたふるとしもくれなむとするころ、いといたう

めしあれば、さすがにすてはてぬよなれば、まゐりぬ。ひやうぶきやうのさた

にて、しやうぞくなどいふも、ただれいのしやうたいなきことなるにも、よろづ

みうしろまるるは、うれしともいふべきにやなれども、つゆ

きえはてたまひしおんことののちは、ひとのとが、みのあやまりも

こころうく、なにごころなくうちゑみたまひしおんおもかげの、たがふところなくお

はせしを、しのびつついでたまひて、「いとこそ、かがみのかげにたがはざり

けれ」などまうしうけたまはりしものをなどおぼゆるより、かなしきこと

のみおもひつづけられて、なぐさむかたなくてあけくれはべりしほどに、

P145オ

にようゐんのおんかたざまは、なにとやらむ、をかせるつみはそれとな

ければ、さしてそのふしといふことはなけれども、おんいりたち

もはなたれ、おんふだもけづられなどしぬれば、いとどよのなかも

ものうけれども、このおんかたざまは、「さればとて、われさへは」など

いふおんことにてはあれども、とにかくにわづらはしきこと

あるも、あぢきなきやうにて、よろづのことにはひきいりがちに

のみなりながら、さるかたに、このおんかたざまには、なかなかあはれ

なることにおぼしめされたるにいのちをかけて、たちいでて

はべるに、まことや、

 

(中略)後日

 

まことや、さきのさいぐうのみやは、さがののゆめののちは、おんおとづれもな

ければ、おんこころのうちもおんこころぐるしく、わがみちしばもかれ

がれならずなどおもふにと、わびしくて、「さても、としをさへ

へだてたまふべきか」とまうしたれば、「げに」とてふみあり。「いかな

るひまにても、おぼしめしたて」などまうされたりしを、おん

やしなひははときこえしあまごぜん、やがて、きかれ

P154ウ

たりけるとて、まゐりたれば、いつしかかこちがほなるそでの

しがらみせきあへず、「かみよりほかのおんよすがなくてとおもひし

に、よしなきゆめのまよひより、おんものおもひのいしいし」と

くどきかけらるるもわづらはしけれども、「ひましあらばの

おんつかひにてまゐりたる」とこたふれば、「これのおんひまは

いつも、なにのあしわけかあらむ」などきこゆるよしを

つたへまうせば、「はやましげやまのなかをわけむなどならば、

さもあやにくなるこころいられもあるべきに、こえすぎたる

ここちして」とおほせありて、くぎやうのくるまをめされて、

しはすのつきのころにや、しのびつつまゐらせらる。みちもほど

とほければ、ふけすぐるほどにおんわたり、きやうごくおもて

P155オ

のおんしのびどころも、このころはとうぐうのおんかたになりぬれば、

おほやなぎどののわたどのへおんくるまをよせて、ひのござの

そばのよまへいれまゐらせ、れいのおんびやうぶへだてておん

とぎにはべれば、みしよのゆめののちかきたえたるおんひかず

のおんうらみなども、ことわりにきこえしほどに、あけゆく

かねにねをそへて、まかりいでたまひしきぬぎぬのおんそでは、よそ

もつゆけくぞみえたまひし。としもくれはてぬれば、こころの

うちのものおもはしさは、いとどなぐさむかたなきに、さと

へだにえいでぬに、こよひはひんがしのおんかたまゐりたまふ

べきけしきのみゆれば、よさりのくごはつるほどに、

「はらのいたくはべる」とて、つぼねへすべりたりしほどに、

P155ウ

「によほふ、よるふかし」とて、うへくちにたたずむ。よのなかのおそ

ろしさ、いかがとはおもへども、このほどはとにかくにつもり

ぬるひかずいはるるも、ことわりならずしもおぼゆ

れば、しのびつつつぼねへいれて、あけぬさきにおき

わかれしは、けふをかぎりのとしのなごりにはややたち

まさりておぼえはべりしぞ、われながらよしなきものおもひ

なりける。おもひいづるさへ、そでぬれはべりて。

巻二

P201オ

ひまゆくこまのはやせ

 

(中略)後日

P206オ

にがりぬべきことなり」とおほせあるに、「さるべきやうさぶらはず。ぬし

をおんつかひにてこそ、おほせさぶらはめ。また、きたやまのじゆごうこそ、を

さなくよりごばうしんにて、すけだいもはべりしか」とまうすをりに、「じゆ

ごうよりも、つみかかりぬべくや」と、さいをんじにおほせらる。「あまりに

かすかなるおほせにもさぶらふかな」と、しきりにまうされしを、「いはれなし」

とてまた、せめおとされて、それもつとめられき。おんこと、つねの

ごとくぢんのふねに、じやうかうのへそみつにて、ふなざしつ

くりて、のせてとおんぞとごしよへまゐる。にでうさだいじんに、うし・

たち、のこりのくぎやうにはうし、にようばうたちのなかへは、はく・すなかし

なしたへ・こうばいなどのだんしひやく・さてもあるべき

ことならずとて、たかあきのもとより「かかるふしぎのこと

P206ウ

ありて、おのおのとがあがひまうしては、いかがさぶらふべき」といひつかはし

たるへんじに、「さることさぶらふ。ふたばにて、ははにははなれさぶらひぬ。

ちちだいなごんふびんにしさぶらひしを、いまだむつきのなかとまうす

ほどよりごしよにめしおかれてさぶらへば、わたくしにそだちさぶらはん

よりもゆゑあるやうにもさぶらふかとおもひてさぶらへば、さほどにもの

おぼえぬいたづらものに、おまへにておひたちさぶらひけること、つゆしら

ずさぶらふ。きみのごふかくとこそおぼえさせおはしましさぶらへ。じやうげをわ

かぬならひ、またおんめをもみせられまゐらせさぶらひにつきて、あまへ

まうしさぶらひけるか、それもわたくしにはしりさぶらはず。おそれおそれも、とがは

かみつかたより、おんつかひをくだされさぶらはばやとこそおもひてさぶらへ。

またくかかりさぶらふまじ。まさただなどやさぶらはば、ふびんのあまり

P207オ

にも、あがひまうしさぶらはん。わがみには、ふびんにもさぶらはねば、ふけうせ

よのみけしきばしさぶらはば、おほせにしたがひさぶらふべくさぶらふ」よしをまう

さる。このおんふみをもちてまゐりて、おまへにてひろうするに、「

こがのあまうへがまうしじやう、いたんそのいはれなきにあらず。ごしよに

ておいたちさぶらひぬるいでどころをこそまうしてさぶらふといふこと、まうすにお

よばずさぶらふ。また、みつせがはをだにおひこしさぶらふなるものを」など

まうさるるほどに、「とはなにごとぞ。わがおんみのそしようにて、あが

はせられて、またごしよにおんあがひあるべきか」とおほせあるに、「かみとして

とがありとおほせあれば、しもとしてまたまうすも、いはれなきに

あらず」と、さまざままうして、またごしよに、おんつとめあるべきになりぬ。おんことは

つねたううけたまはる。おんたち、ひとつづつ、くぎやうたちたまはり

P207ウ

たまふ。きぬ、ひとぐづつ、にようばうたち、たまはる。をかしくもたへがたかりし

ことどもなり。

 

巻三

 

(中略)後日

 

つるもいとこころぼそしや」とおほせらるるにこそ、さればおぼしめす

やうありけるにこそ、とあさましかりしか。たがはずそのつき

よりただならねば、うたがひまぎるべきことにしなきにつけては、

みしゆめのなごりも、いまさらこころにかかるぞはかなき。さても、さしも

にひまくらともいひぬべく、かたみにあさからざりしこころざしのひと

ありしふしみのゆめのうらみよりのちは、まどほにのみなりゆく

につけても、ことわりながら、たえせぬものおもひなるに、さつきの

はじめ、れいのむかしのあととふひなれば、あやめのくさのかりそめ

P307B

にさとずみしたるに、かれより、

うしとおもふこころににたるねやあるとたづぬるほどにぬるるそでかな W

こまやかにかきかきて、「さとゐのほどのせきもりなくは、みづから

たちながら」とあり。かへりごとには、ただ、

「うきねをばこころのほかにかけそへていつもたもとのかわくまぞなき

いかなるよにもとおもひそめしものを」などかきつつも、げによしなき

ここちせしかど、いたうふかして、おはしたり。うかりしことの

ふしぶしを、いまだうちいでぬほどに、よのなかひしめく。「にでうきやう

ごくとみのこうぢのほどに、ひいできたり」といふほどに、

かくてあるべきことならで、いそぎまゐりぬ。さるほどに、みじかよは

ほどなくあけゆけば、たちかへるにもおよばず、あけはなるるほど

P308D

に、「あさくなりゆくちぎり、しらるるこよひのあしわけ、ゆく

すゑしられて、こころうくこそ」とて、

たえぬるかひとのこころのわすれみづあひもおもはぬなかのちぎりに W

げに、こよひしものさはりは、ただごとにはあらじとおもひしらるることありて、

ちぎりこそさてもたえけめなみだがはこころのすゑはいつもかわかじ W

かくて、しばしもさとずみせば、こよひにかぎるべきことにしあら

ざりしに、このくれに、とみのことありとて、くるまをたまはせたりし

かば、まゐりぬ。あきのはじめになりては、いつとなかりしここちもおこ

たりぬるに、「しめゆふほどにもなりぬらんな。かくとはしりたまひ

たりや」とおほせらるれども、「さもはべらず。いつのたよりにか」などまうせば、

「なにごとなりともわれにはつゆはばかりたまふまじ。しばしこそつつま

P308B

しくおぼしめすとも、

 

(中略)後日

 

こころにきとおもひつづくるままなるなり。やがてそのひに、ごしよへ

いらせたまふとききしほどに、じふはちにちよりにや、よのなかはやり

P325オ

たるかたはらやみのけおはしますとて、くすしめさるるなど

ききしほどに、「しだいにおんわづらはし」などまうすをききまゐらせし

ほどに、おもふかたなきここちするに、にじふいちにちにや、ふみあり。「このよにて

たいめんありしを、かぎりともおもはざりしに、かかるやまひに

とりこめられて、はかなくなりなんいのちよりも、おもひおく

ことどもこそ、つみふかけれ。みしむばたまのゆめも、いかなることにか」

とかきかきて、おくに、

みはかくておもひきえなむけぶりだにそなたのそらになびきだにせば W

とあるをみるここち、いかでか、おろかならむ。「げに、ありしあかつきを

かぎりにや」とおもふもかなしければ、

おもひきえむけぶりのすゑをそれとだにながらへばこそあとをだにみめ W

P325ウ

ことしげきおんなかは、なかなかにやとて、おもふほどのことのはも、さな

がらのこしはべりしも、さすが、これをかぎりとはおもはざりし

ほどに、しもつきにじふごにちにや、はかなくなりたまひぬとききしは、

ゆめにゆめみるよりも、なほたどられ、すべて、なにといふべき

かたもなきぞ、われながら、つみふかき。「みはてぬゆめ」とかこちたまひ

し、「かなしさのこる」とありしおもかげよりうちはじめ、

「うかりしままのわかれなりせば、かくは、ものはおもはざらまし」とおもふ

に、こよひしも、むらさめ、うちそそきて、くものけしきさへただなら

ねば、なべてはくもゐも、あはれにかなし。「そなたのそらに」とありし

おんみづくきは、むなしく、はこのそこにのこり、ありしままのおん

うつりがは、ただてまくらに、なごりおほくおぼゆれば、「まことのみち

P326オ

にいりても、つねのねがひなれば」とおもふさへ、ひとのものいひも、おそ

ろしければ、「なきおんかげのあとまでも、よしなきなにや、とどめたま

はん」とおもへば、それさへかなはぬぞ、くちをしき。あけはなるる

ほどに、かのちごきたりときくも、ゆめのここちして、みづから、いそ

ぎいでてきけば、かれののひたたれのきじをぬひたりしが、

なえなえとなりたるに、よもすがら、つゆにしほれけるたもとも

しるくて、なくなく、かたることどもぞ、げに、ふでのうみにもわたり

がたく、ことばにもあまるここちしはべる。かの「かなしさのこる」と

ありしよる、きかへたまひしこそでを、こまかにたたみたまひて、いつも

ねんじゆのゆかにおかれたりけるを、にじふよかのゆふべになりて、

はだにきるとて、「つひのけぶりにも、かくながらなせ」とおほせ

P326ウ

られつるぞ、いはむかたなく、かなしくはべる。「まゐらせよとてさぶらひし」

とて、さかきをまきたるおほきなるふばこ、ひとつあり。おんふみ

とおぼしきものあり。とりのあとのやうにて、もじかたもなし。

「ひとよの」とぞ、はじめある。「このよながらにては」など、こころあてに、み

つづくれども、それとなきをみるにぞ、おなじみをにもながれ

いでぬべくはべりし。

うきしづみみつせがはにもあふせあらばみをすててもやたづねゆかましW

などおもひつづくるは、なほも、こころのありけるにや。かのはこの

なかは、つつみたるかねを、ひとはたいれられたりけるなり。さても

おんかたみのおんこそでを、さながらはひになされし、また、ごぶのだいじようきやう

をたきぎにつみぐせられしことなど、かずかずかたりつつ、ひ

P327オ

たたれのさうのたもとを、かはくまもなくなきぬらしつつ、いでし

うしろをみるも、かきくらすここちして、いとかなし。ごしよざまにも

ことに、おろかならぬおんなかなりつれば、おんなげきも、なほざり

ならぬおんことなるべし。「さても、こころのうちいかに」とてふみあるも、なかなか

ものおもひにぞはべりし。

「おもかげもなごりもさこそのこるらめくもがくれぬるありあけのつき W

うきはよのならひながら、ことさらなるおんこころざしも、ふかかりつる

おんなげきもをしけれ」などありしも、なかなか、なにとまうすべきことの

はもなければ、

かずならぬみのうきこともおもかげもひとかたにやはありあけのつき W

とばかりまうしはんべりやらむ。こころも、ことばも、およばぬここちして、なみだに

P327ウ

くれて、あかしくらしはべりしほどに、ことしは、はるのゆくゑも

しらで、としのくれにもなりぬ。おんつかひは、たえせず、「などまゐらぬ

に」などばかりにて、さきざきのやうに、「きときと」といふおんつかひもなし。

なにとやらむ、このほどより、ことにおほせらるるふしはなけれ

ど、いろかはりゆくおんことにやとおぼゆるも、わがとがならぬあやま

りも、たびかさなれば、おんことわりにおぼえて、まゐりもすすま

れず、けふあすばかりのとしのくれにつけても、としもわがみも

といとかなし。ありしふみどもをかへして、ほけきやうをかき

いたるも、さんぶつじようのえんとはおほせられざりしこと

のつみぶかさも、かなしくあんぜられて、としもかへりぬ。あら

たまるとしともいはぬそでのなみだに、うきしづみつつ、むつきじふごにちにや

P328オ

おんしじふくにちなりしかば、ことさらたのみたるひじりのもとへまかり

て、ふさつのついでに、かのおんこころざしありしかねを、すこし

とりわけて、ふじゆのおんふせにたてまつりしつつみがみに、

このたびはまつあかつきのしるべせよさてもたえぬるちぎりなりとも W

のうぜつのきこえあるひじりなればにや、ことさら、ききどころあ

りしも、そでのひまなきなかに、まだありあけのふることぞ、ことに

みみにたちはべりし。つくづくと、こもりゐて、きさらぎのじふ

ごにちにもなりぬ。しやくそんゑんじやくのむかしも、けふはじめ

たることならねども、わがものおもふをりからは、ことにかなしくて、この

ほどは、れいのひじりのむろに、ほけかうさん、ひがんより

つづきて、ふたなぬかあるをりふしも、うれしくて、ひびに

P328ウ

ふせをまゐらせつるも、たれとしあらはすべきならねば、「わす

れぬちぎり」とばかり、かきつづくるにつけても、いとかなし。

けふ、かうさんも、けちぐわんなれば、れいのふせのおくに、

つきをまつあかつきまでのはるかさにいまはいりひのかげぞかなしき W

ひむがしやまのすまひのほどにも、かきたえ、おんおとづれも

なければ、さればよとこころぼそくて、「あすはみやこのかたへ」など

おもふに、よろづすごきやうにて、しざのかう、いしいしにて

ひじりたちも、よもすがら、ねであかすよるなれば、ちやうもん

どころに、そでかたしきて、まどろみたるあかつき、ありしにかはらぬ

おもかげにて、

「うきよのゆめは、ながきやみぢぞ」

P329オ

とて、いだきつきたまふとみて、おびたたしくだいじに、やみいだし

つつ、ここちもなきほどなれば、ひじりのかたより、「けふは、これ

にても、こころみよかし」とあれども、くるまなどしたためたるも、わづら

はしければ、みやこにかへるに、きよみづのはしの、にしのはしの

ほどにて、ゆめのおもかげ、うつつに、くるまのうちにぞ、いらせ

たまひたるここちして、たえいりにけり。そばなるひと、とかくみたすけ

て、めのとがしゆくしよへまかりぬるより、みづをだに、みいれず。

かぎりのさまにて、やよひのそらも、なかばすぐるほどに

なれば、ただにもあらぬさまなり。ありしあかつきよりのちは

こころきよく、めをみかはしたるひとだになければ、うたがふべき

かたも、なきことなりけりと、うかりけるちぎりながら、ひとしれぬちぎり

P329ウ

も、なつかしきここちして、いつしか、こころもとなくゆかしきぞ、あながち

なるや。うづきのなかのとをかころにや、さしたることとて、めしある

も、かたがた、みも、はばからはしく、ものうければ、かかるやまひ

にとりこめられたるよし、まうしたるおんかへりごとに、

おもかげをさのみもいかがこひわたるうきよをいでしありあけのつき W

「ひとかたならぬそでのいとまなさも、おしはかりて、ふりぬるみには」

などうけたまはるも、こころづきなしにやなど、おもひたるほどに、さにはあら

で、「かめやまゐんのみくらいのころ、めのとにてはべりしもの、ろくゐにまゐりて

やがて、おんすべりにじよしやくして、たいふのしやうげんといふ

もの、しかうしたるが、みちしばして、よるひる、たぐひなき

P330オ

おんこころざしにて、このごしよざまのことは、かけはなれゆくべきあら

ましなり」とまうさるることどもも、ありけり。いかでかしらん。ここち

もひまあれば、いとど、はばかりなきほどにとおもひたちて、

さつきのはじめつかた、まゐりたれば、なにとやらむ、おほせらるる

こともなく、また、さして、れいにかはりたることはなけれども、

こころのうちばかりは、ものうきやうにて、あけくるるもあぢきな

けれども、みなつきのころまで、さぶらひしほどに、ゆかりのあるひとの

かくれにしはばかりにことよせて、まかりいでぬ。このたびの

ありさまは、ことにしのびたきままに、ひんがしやまのへんに、ゆかり

あるひとのもとに、こもりゐたれども、とりわき、とめくるひとも

なく、みをかへたるここちせしほどに、はつきはつかのころ、そのけしき

P330ウ

ありしかども、さきのたびまでは、しのぶとすれども、こととふひと

もありしに、みねのしかのねをともとして、あかしくらすばかり

にてあれども、ことなく、をのこにてあるをみるにも、いかでか、あは

れならざらむ。「をしといふとりになるとみつる」とききしゆめの

ままなるも、げにいかなることにかと、かなしく、「わがみこそ、ふたつにて

ははにわかれ、おもかげをだにもしらぬことをかなしむに、これは

また、ちちに、はらのなかにてさきだてぬるこそ、いかばかりか、おも

はん」など、おもひつづけて、かたはらさらず、おきたるに、

をりふし、ちなどもちたるひとだになしとて、たづねかねつつ

わがそばにふせたるさへ、あはれなるに、このねたるしたの、いた

うぬれにければ、いたはしく、いそぎて、いだきのけて、わがねた

P331オ

るかたにふせしにこそ、げにふかかりけるこころざしも、はじめて

おもひしれしか。しばしも、てをはなたんことは、なごりをし

くて、しじふにちあまりにや、みづから、もてあつかひはべりしに、やまざき

といふところより、さりぬべきひとをかたらひよせてのちも、ただ、ゆ

かをならべて、ふせはべりしかば、いとど、ごしよざまのまじろひも、ものうき

ここちして、ふゆにもなりぬるを、「さのみも、いかに」とめしあれば、

かんなづきのはじめつかたより、また、さしいでつつ、としもかへりぬ。ことし

は、ぐわんざんにさぶらふにつけても、あはれなることのみ、かずしらず。

なにごとをあしとも、うけたまはることはなけれども、なにとや

らむ、おんこころのへだてあるここちすれば、よのなかも、いとど

ものうく、こころぼそきに、いまはむかしともいひぬべきひとのみぞ、「うらみ

P331ウ

はすゑも」とて、たえずこととふひとにては、ありける。きさらぎの

ころは、ひがんのごせんぽふ、りやうゐん、さがどののごしよにてある

にも、こぞのおんおもかげ、みをはなれず。あぢきなきままには、

しやうじんにでんのしやかとまうせば、「ゆゐがいちにんのちかひ、あやまたず、まよ

ひたまふらむみちのしるべしたまへ」とのみぞ、おもひつづけはべりし。

こひしのぶそでのなみだやおほゐがはあふせありせばみをやすてまし W

とにかくにおもふも、あぢきなく、よのみうらめしければ、そこのみく

づとなりやしなましとおもひつつ、なにとなきふるほうご

など、とりしたたむるほどに、「さても、ふたばなるみどりこの

ゆくすゑを、われさへすてなば、たれかは、あはれをもかけむ」と

おもふにぞ、「みちのほだしは、これにや」とおもひつづけられ

P332オ

て、おもかげも、いつしか、こひしくはべりし。

たづぬべきひともなぎさにおひそめしまつはいかなるちぎりなるらん W

くわんぎよののち、あからさまに、いでてみはべれば、ことのほかに、おとなびれて

ものがたり、ゑみわらひみなどするをみるにも、あはれなることのみ

おほければ、なかなかなるここちして、まゐりはべりつつ、あきのはじめに

なるに、しでうひやうぶきやうのもとより、「つぼねなど、あからさまならず

したためていでよ。よさりむかへにやるべし」といふふみあり。こころえずおぼ

えて、ごしよへ、もちてまゐりて、「かくまうしてさぶらふ。なにごとぞ」と

まうせば、ともかくも、おんかへりごとなし。なにとあることもおぼえで

げんきもんゐん、さんみどのとまうすおんころのことにや、「なにとある

ことどものさぶらふやらん。かくさぶらふを、ごしよにて、あんないしさぶらへども

P332ウ

おんかへりごと、さぶらはぬ」とまうせば、「われもしらず」とてあり。さればとて、いでじ

といふべきにあらねば、いでなんとするしたためをするに、

よつといひけるながつきのころより、まゐりそめて、ときどきのさとゐの

ほどだに、こころもとなく、おぼえつるごしよのうち、けふやかぎりと

おもへば、よろづのくさきも、めとどまらぬもなく、なみだにくれ

てはべるに、をりふし、うらみのひと、まゐるおとして、「しものほどか」とい

はるるも、あはれにかなしければ、ちとさしいでたるに、なき

ぬらしたるそでのいろも、よそにしるかりけるにや、「いかなることぞ」

などたづねらるるも、「とふにつらさ」とかやおぼえて、ものいは

れねば、けさのふみ、とりいでて、「これがこころぼそくて」とばかりにて

こなたへいれて、なきゐたるに、「されば、なにとしたることぞ」と

P333オ

たれも、こころえず。おとなしきにようばうたちなども、とぶらひおほせ

らるれども、しりたりけることがなきままには、ただなくより

ほかのことなくて、くれゆけば、ごしよざまのけしきなれば

こそ、かかるらめに、また、さしいでむも、おそれあるここちすれども、

いまよりのちは、いかにしてかとおもへば、いまはかぎりのおんおもかげ

も、いまひとたび、みまゐらせむとおもふばかりに、まよひいでて、おまへに

まゐりたれば、おまへには、くぎやうふたりみたりばかりして、なにとなき

おんものがたりのほどなり。ねりうすもののすずしのきぬ

に、すすきにつづらを、あをきいとにて、ぬひものにしたるに

あかいろのからきぬをきたりしに、きとごらんじおこせて、「こ

よひはいかに。おんいでか」とおほせごとあり。なにとまうすべきことのはなくて

P333ウ

さぶらふに、「くるやまびとのたよりには、おとづれんとにや。あをつづらこそ

うれしくもなけれ」とばかり、おんくちずさみつつ、にようゐんのおんかたへな

りぬるにや、たたせおはしましぬるは、いかでか、おんうらめしくもおもひま

ゐらせざらむ。いかばかりおぼしめすことなりとも、へだてあらじと

こそ、あまたのとしどし、ちぎりたまひしに、などしもかかるらんとおも

へば、ときのまに、よになきみにもなりなばやと、こころひとつに

おもふかひなくて、くるまさへ、まちつけたれば、これより、いづかたへも

ゆきかくれなばやとおもへども、ことがらもゆかしくて、にでうまちの

ひやうぶきやうのすくしよへゆきぬ。みづからたいめんして、「いつとなき

おいのやまとおもふ。このほどになりては、ことにわづらはしく

たのみなければ、おんみのやう、こだいなごんもなければ、こころぐるしく

P334オ

ぜんしようじほどのものだに、なくなりて、さらでも、こころぐるしきに

ひんがしにでうのゐんより、かくおほせられたるを、しひてさぶらはんも、はばかり

ありぬべきなり」とて、ふみをとりいでたまひたるをみれば、「ゐんのおんかた

ほうこうして、このおんかたをば、なきがしろにふるまふが、ほいなく

おぼしめさるるに、すみやかに、それに、よびいだしておけ。こすけ

だいもなければ、そこにはからふべきひとなれば」など、おんみづから

さまざまに、かかせたまひたるふみなり。まことに、このうへを、しひてさぶらふべき

にしあらずなど、なかなか、いでてのちは、おもひなぐさむにしはすれ

ども、まさに、ながきよのねざめは、せんせいばんせいのきぬた

のおとも、わがたまくらに、こととふかとかなしく、くもゐをわたるかりの

なみだも、ものおもふやどのはぎのうはばをたづねけるかとかや

P334ウ

またれ、あかしくらして、としのすゑにもなれば、おくりむかふ

るいとなみも、なにのいさみにすべきにしあらねば、としごろの

しゆくぐわんにて、ぎをんのやしろに、せんにちこもるべきにてあるを、

よろづに、さはりおほくて、こもらざりつるを、おもひたちて、しも

つきのふつか、はじめのうのひにてはちまんぐう、おんかぐらなるに、まづ

まゐりたるに、「かみにこころを」とよみけるひとも、おもひいでられて、

いつもただかみにたのみをゆふだすきかくるかひなきみをぞうらむる W

なぬかのさんろう、はてぬれば、やがて、ぎをんにまゐりぬ。いまは、この

よには、のこるおもひも、あるべきにあらねば、「さんがいにいへをいでて

げだつのかどにいれたまへ」とまうすに、ことしは、ありあけのみとせに、あ

たりたまへば、ひんがしやまのひじりのもとにて、なぬか、ほけかう

P335オ

さんを、ごしゆのぎやうに、おこなはせたてまつるに、ひるは、ち

やうもんにまゐり、よるは、ぎをんへまゐりなどして、けちぐわん

には、つゆきえたまひしひなれば、ことさら、うちそゆるかねも、なみだ

もよほすここちして、

をりをりのかねのひびきにねをそへてなにとうきよになほのこるらん W

ありしあかご、ひきかくしたるも、つつましながら、ものおもひのなぐ

さめにもとて、としもかへりぬれば、はしりありき、ものいひなどして、

なにのうさもつらさも、しらぬも、げにかなし。さても、ひやうぶきやうさへ、う

かりしあきのつゆに、きえにしかば、あはれも、などか、ふかからざらむな

りしを、おもひあへざりしよのつらさを、なげくひまなさに、おもひ

わかざりしにや、すがのねの、ながきひぐらし、まぎるることなきおこな

P335ウ

ひのついでに、おもひつづくれば、「ははのなごりには、ひとり、とどま

りしに」など、いまぞ、あはれにおぼゆるは、こころのとまるにやとお

ぼゆる。やうやうのかみがきのはなども、さかりにみゆるに、ぶんえいの

ころ、てんわうのおんうたとて、

かみがきにちもとのさくらはなさかばうゑおくひとのみもさかへなむ W

といふじげんありとて、ぎをんのやしろに、おびただしく、きども

うゆることありしに、まことに、かみのたくしたまふことにてもあり、

また、わがみも、しんおんをかうぶるべきみならば、えだにも、ねにも

よるべきかはとおもひて、だんなゐんのこうよそうじやう、あみだゐんの

べつたうにておはするに、しんげんほふいんといふは、だいなごんのこ

にて、まうしかよはしはべるに、かのみだうのさくらのえだを、ひとつこひて

P336オ

きさらぎのはつむまのひ、しゆぎやうごんのちやうり、ほふいんゑん

やうに、こうばいのひとへもん・うすぎぬ、のとのふせにたびて

のとまうさせて、ひんがしのきやうしよのまへに、ささげはべりしに、はなだ

のうすやうのふだにて、かのえだにつけはべりし。

ねなくともいろにはいでよさくらばなちぎるこころはかみぞしるらん W

このえだ、おひつきて、はなさきたるをみるにも、こころのすゑは、むなし

からじと、たのもしきに、せんぶのきやうを、はじめてよみはべるに、さ

のみつぼねばかりは、さしあひなにかのためも、はばかりあれば、

ほうたふゐんのうしろに、ふたつあるあんじちの、ひんがしなるを、てん

じてこもりつつ、ことしもくれぬ。またのとしのむつきのすゑに、

 

(中略)後日

 

P345オ

うちは、さしいでつらむも、くやしきここちして、めうおんだうの

おんこゑ、なごりかなしきままに、おんまりなどきこゆれども、さしも

いでぬに、たかよし、ふみとて、もちてきたり。「ところたがへにや」といへども

しゐてたまはすれば、あけたるに、

「かきたえてあられやするとこころみにつもるつきひをなどかうらみぬ W

なほわすれなれぬは、かなふまじきにや。としつきのいぶせさも、こよひ

こそ」などあり。おんかへりごとには、

かくてよにありときかるるみのうさをうらみてのみぞとしはへにける W

とばかり、まうしたりしに、おんまりはてて、とりのをはりばかりに、うち

やすみてゐたるところへ、ふといらせおはします。「ただいま、みふねにめさるる

に、まゐれ」とおほせらるるに、なにのいさましさにかとおもひて

P345ウ

たちもあがらぬを、「ただけなりにて」とて、はかまのこしゆひなにか

せさせたまふも、いつより、また、かくもなりゆくおんこころにかと、ふたとせ

のおんうらめしさの、なぐさむとはあらねども、さのみ、すまひまうすべきに

あらねば、なみだのおつるを、うちはらひて、さしいでたるに、

くれかかるほどに、つりどのより、みふねにめさる。まづ、とうぐう

のおんかた、にようばう、だいなごんどの・うゑもんのかみどの・かうのないしどの、これらは

もののぐなり。ちひさきみふねに、りやうゐんめさるるに、これは、みつぎぬ

にうすぎぬ・からぎぬばかりにて、まゐる。とうぐうのみふねに、めし

うつる。くわんげんのぐ、いれらる。ちひさきふねに、くぎやうたち、はしふねに

つけられたり。

くわざんゐんのだいなごん、ふえ、さゑもんのかみ、しやう、かねゆき、ひちりき、

P346オ

とうぐうおんかた、びは、にようばうゑもんのかみどの、こと、ともあき、たいこ、だいぶ、かこ。

あかずおぼしめされつるめうおんだうのひるのてうしをうつされて

ばんしきてうなれば、そがふのごのでふ・りんだい・せいがいは

ちくりんらく・ゑてんらくなど、いくかへりといふかずしらず。かねゆき、「やま

またやま」とうちいだしたるに、「へんたいひんぷんたり」と、りやうゐんのつけ

たまひしかば、みづのしたにも、みみおどろくものやとまでおぼえはべりし。

つりどのとほく、こぎいでてみれば、きうたい、としへたるまつの、えださし

かはしたるありさま、にはのいけみづ、いふべくもあらず。まんまんたる

うみのうへに、こぎいでたらむここちして、「にせんりのそとに、きに

けるにや」など、おほせありて、しんゐんおんうた、

「くものなみけぶりのなみをわけてけり。くわんげんにこそ

P346ウ

ちかひありとてこころつよからめ。これをばつけよ」と、あてられしも

うるさながら、

ゆくすゑとほききみがみよとて

とうぐうのだいぶ、

むかしにもなほたちこえてみつぎもの

ともあき、

くもらぬかげもかみのまにまに

とうぐうのおんかた、

ここのそぢになほもかさぬるおいのなみ

しんゐん、

たちゐくるしきよのならひかな

P347オ

うきことをこころひとつにしのぶれば、「とまうされさぶらふこころのうちの

おもひは、われぞしりはべる」とて、とみのこうぢどののごしよ、

たえずなみだにありあけのつき

「このありあけのしさい、おぼつかなく」など、ごさたあり。くれぬれば、ぎやう

けいにまゐりたるかもんれう、ところどころにたてあかしして、

くわんぎよいそがしたてまつるけしきみゆるも、やうかはりて、おもし

ろし。ほどなく、つりどのに、みふねつけぬれば、おりさせおはしますも

あかぬおんことどもなりけん。からきうきねのとこに、うきしづみ

たるみのおもひは、よそにも、おしはかられぬべきを、やすのかはら

にもあらねばにや、こととふかたのなきぞ、かなしき。まこと

や、けふのひるは、とうぐうのおんかたより、たちはききよかげ、ふた

P347ウ

あゐ、うちかみしも、まつにふぢぬひたり。うちふるまひ、おいかけの

かかりもよしありなど、さたありし。うちへ、おんつかひまゐらせ

られしに、ちがひて、だいりよりは、とうのおほくらきやうただよ、ま

ゐりたりとぞきこえし。このたび、おんおくりものは、うちの

おんかたへおんびは、とうぐうへわごんときこえしやらむ。けんじやう

どもあるべしとて、いちゐん、こきふ、しゐしやうげとしさだ、とうぐう、これはすけ

ごゐしやうげ、とうぐうのじゆじやうなど、あまたきこえはべりしかども、さのみは

しるすにおよばず。ぎやうけいも、くわんぎよなりぬれば、おほかた、し

めやかに、なごりおほかるに、さいをんじのかたざまへごかるなる

とて、たびたび、おんつかひあれども、うきみはいつもとおぼえて

P348オ

さしいでむそらなきここちしてはべるも、あはれなるこころのうち

ならむかし。

 

巻四

P403ウ

しのびがたくて、

かみはなほあはれをかけよみしめなはひきたがへたるうきみなりとも W

きよみがせきをつきにこえゆくにも、おもふことのみおほかるこころ

のうち、こしかたゆくさきたどられて、あはれにかなし。みなしろ

たへにみえわたりたるはまのまさごのかずよりも、おもふこと

のみかぎりなきに、ふじのすそ、うきしまがはらにゆきつつ、たか

ねには、なほゆきふかくみゆれば「さつきのころだにも、かのこまだ

らには、のこりけるに」と、ことわりにみやらるるにも、あとなきみの

おもひぞ、つもるかひなかりける。けぶりも、いまは、たえはてて、みえねば、

「かぜにもなにか、なびくべき」とおぼゆ。さても、うつのやまをこえしに

も、つたかへでも、みえざりしほどに、それとだにもしらず、おもひわか

P404オ

ざりしを、ここにて、きけば、はやすぎにけり。

ことのはもしげしとききしつたはいづらゆめにだにみずうつのやまごえ W

いづのくに、みしまのやしろにまゐりたれば、ほうへいのぎしき

は、くまのまゐりにたがはず、ながむしなどしたるありさまも、い

とかうがうしげなり。こよりとものたいしやうしはじめられたり

けるはまのいちまんとかやとて、ゆゑあるにようばうの、つぼしやうぞ

くにて、ゆきかへるが、くるしげなるをみるにも、「わればかりもの

おもふひとにはあらじ」とぞおぼえし。つきは、よひすぐるほどに

またれていづるころなれば、みじかよのそらも、かねて、ものうき

に、かぐらとて、をとめごがまひのてづかひも、みなれぬさまなり。

ちはやとて、あこめのやうなるものをきて、はれなまひとて、みたりよた

P404ウ

りたちて、いりちがひてまふさまも、きようありて、おもしろければ、

よもすがら、ゐあかして、とりのねにもよほされて、いではべりき。はつ

かあまりのほどに、えのしまといふところへつきぬ。ところのさま、おもしろ

しとも、なかなか、ことのはぞなき。まんまんたるうみのうへに

はなれたるしまに、いはやども、いくらもあるにとまる。これは、せん

じゆのいはやといふとて、くんじゆれんぎやうもとしたけ

たりとみゆるやまぶし、ひとり、おこなひてあり。きりのまがき・たけの

あみど、おろそかなるものから、えんなるすまひなるが、やまぶし

けいめいして、ところにつけたるかひつものなどとりいでたる。こと

なたよりも、ともとするひとのおひのなかより、みやこのつととて、

あふぎなどとらすれば、「かやうのすまひには、みやこのかたも、ことづて

P405オ

なければ、かぜのたよりにも、みすはべるを、こよひなむ、むかしの

ともにあひたる」などいふも、さこそとおもふ。ことは、なにとなく、みなひと

も、しづまりぬ。よもふけぬれども、はるばるきぬるたびごろも

おもひかさぬるこけむしろは、ゆめむすぶほども、まどろまれ

ず。ひとにはいはぬしのびねも、たもとをうるほしはべりて、いはやの

あらはに、たちいでてみれば、くものなみ、けぶりのなみも、みえわかず

よるのくも、をさまりつきぬれば、つきも、ゆくかたなきにや、そら

すみのぼりて、「まことに、にせんりのほかまで、たづねきにけり」

とおぼゆるに、うしろのやまにや、さることのこゑのきこゆるも、はら

わたをたつここちして、こころのうちのものがなしさも、ただいま

はじめたるやうに、おもひつづけられて、「『ひとりおもひ、ひとり

P405ウ

なげくなみだをも、ほすたよりにや』と、みやこのほかまで、たづねこし

に、よのうきことは、しのびきにけり」とかなしくて、

すぎのいほまつのはしらにしのすだれうきよのなかをかけはなればや W

 

(中略)後日

 

P419オ

かんなづきのすゑにや、みやこにちとたちかくれたるも、なかなかむつかし

ければ、ならのかたは、ふぢのすゑばにあらねばとて、いたくまゐら

ざりしかども、みやこ、とほからぬも、とほきみちにくたびれたる

をりからはよしなどおもひて、まゐりぬ。たれをしるといふことも

なければ、ただひとりまゐりて、まづ、おほみやををがみたてまつれば、

にかいのろうもんのけいき、ししやいらかをならべたまふさま、いとた

ふとく、みねのあらしのはげしきにも、ぼんなうのねぶりを

おどろかすかときこえ、ふもとにながるるみづのおと、しやうじの

あかをすすがるらんなどおもひつづけられて、また、わかみやへまゐり

たれば、をとめごがすがたも、よしありてみゆ。ゆふひは、ごてんのうへ

にさして、みねのこずゑにうつろひたるに、わかきみこふたり、おんあ

P419ウ

ひにて、たびたびするけしきなり。こよひは、わかみやのめんだうのつや

してきけば、よもすがら、めんめんに、ものかぞふるにも、きやうげん

きぎよをたよりとして、みちびきたまはんの、おんこころざしふかくて、

わくわうのちりにまじはりたまひけるおんこころ、いまさらまうすべきにあらね

ども、いとたのもしきに、きたゐんぢゆうりよりんくわいそうじやうのでし、しん

きそうじやうとかやのつづみのおと・すずのこゑに、おこなひをまぎ

らかされて、「われ、もし、ろくしゆうのちやうくわんともなるならば、つづ

みのおと・すずのこゑ、ながくきかじ」とちかひて、しゆくぐわん、さう

いなく、じむをせられけるに、いつしかおもひしことなれば、はい

でんのかぐらを、ながく、とどめられにけり。あけのたまがきも、もの

さびしく、きねは、なげきもふかけれども、しんりよにまかせて

P420オ

すぎけるに、そうじやう、「こんじやうののぞみは、のこるところなし。りん

じゆしやうねんこそ、いまは、のぞむところなれ」とて、また、こもりたまひつつ

わがうるところのほふみを、こころのままに、たむけしに、みやうじん、ゆめの

うちにあらはれて、「ほつしやうのやまをうごかして、しやうじのちりに

みをすて、むちのなんしのごしやうぼだいをあはれみおもふ

ところに、つづみのこゑ・すずのおとをとどめて、けちえんをとほ

ざからしむるうらみ、やるかたもなければ、なんぢがほふみを、われ

うけず」としめしたまひけるにより、いかなるそしよう・なげきに

もこれをとどむることなしとまうすをきくにも、いよいよ、たのも

しくたふとくこそおぼえはべりしか。あけぬれば、ほつけじへた

づねゆきたるに、ふゆただのおとどのむすめ、じやくゑんばうとまうして、いちの

P420ウ

むろといふところに、すまるるにあひて、しやうじむじやうのなさけなき

ことわりなどまうして、「しばしかやうのてらにも、すまひぬべきか」とお

もへども、こころのどかに、がくもんなどしてありぬべきみのおもひとも

われながら、おぼえねば、ただ、いつとなきこころのやみにさそはれいでて

また、ならのてらへゆくほどに、かすがのしやうのあづかり、すけいへといふものが

いへにゆきぬ。たれがもとともしらで、すぎゆくに、むねかどのゆゑゆゑ

しきがみゆれば、だうなどにやとおもひて、たちいりたるに、さにては

なくて、よしあるひとのすまひとみゆ。にはにきくのまがき、ゆゑ

あるさまして、うつろひたるにほひも、ここのへにかはるいろありとも

みえぬに、わかきをとこ、ひとりふたりいできて、「いづくよりとほるひとぞ」など

いふに、「みやこのかたより」といへば、「かたはらいたききくのまがきも、めはづ

P421オ

かしく」などいふも、よしありて、すけいへがこ、ごんのあづかり、すけ

ながなどぞ、このをとこは、いふなる。すけとしみののごんのかみ、おとど

いなり。

ここのへのほかにうつろふみにしあれば、みやこはよそにきくのしらつゆ W

とふだにかきて、きくにつけていでぬるをみつけにけるにや

ひとをはしらかして、やうやうに、よびかへして、さまざま、もてなしなど

して、「しばしやすみてこそ」などいへば、れいの、これにも、また、とどまりぬ。ちゆう

ぐうじといふてらは、しやうとくたいしのごきうせき、そのきさきのごぐわん

などきくも、ゆかしくて、まゐりぬ。ちやうらうは、しんによばうとて、む

かしごしよざまにては、みしひとなれども、としのつもるにや、いたくみ

しりたるともなければ、なのるにもおよばで、ただ、かりそめなるやう

P421ウ

にて、よりしかども、いかにおもひてやらん、いとほしく、あたられしかば、また、し

ばし、こもりぬ。ほふりゆうじより、たえまへまゐりたれば、「よこはきの

おとどのむすめ、『しやうじんのによらいををがみまゐらせん』とちかひて

けるに、あまひとりきたりて、『じふだんのはすのくきをたまはりて、ごくら

くのしやうごん、おりて、みまゐらせん』とて、こひて、いとをひきて、

そめどののゐのみづにすすげば、このいとごしきにそまりけるをぞ

したためたるところへ、にようばう、ひとりきたりて、あぶらをこひつつ、ゐのときより

とらのときに、おりいだして、かへりたまふを、ばうず。『さても、いかにしてか

また、あひたてまつるべき』といふに、

わうじやくかせふせつぽふしよ、こんらいほふきさんぶつじ

きやうこんさいはうこがらいいちじゆぜぢやうえうりく

P422オ

とて、さいはうをさして、とびさりたまひぬ」とかきつたへたるも、ありがた

く、たふとし。たいしのおんはかは、いしのたたずまひも、まことにさるみ

さざきとおぼえて、こころとどまる。をりふし、によほふきやうをおこなふ

も、けちえんうれしくて、こそでをひとつまゐらせて、かへりはべりぬ。かやうにし

 

(中略)後日

 

P425オ

けぶりと、たちのぼりたまふに、あけゆけば、むなしきはひをつくり、

かへしまゐらせんとて、たくみどもまゐる。だいぐうじ・のとのしなどまうす

ものども、まはりたるに、あけずのごてんとて、かみよのむかし、みづから

つくり、こもりたまひけるごてんの、いしずゑのそばに、だいもつども、なほ

もゆるほのほのそばなるいしずゑにある、うるしなるはこの、お

もていつしやくばかり、ながさししやくばかりなる、そばたちたり。みなひと

ふしぎのおもひをなして、みまゐらするに、のとのしといふは、かみ

にことさらおんむつまじくみやづかふものなりといふが、まゐりて、とり

あげたてまつりて、そばをちとあけまゐらせて、みまゐらするに

「あかぢのにしきのふくろにいらせたまひたりとおぼゆるは、おんつるぎ

なるらむ」とまうして、はちけんぐうのおんやしろをひらきて、をさめたてま

P425ウ

つる。さてもふしぎなりしことには、「このおんかみは、けいかうてんわうしよくゐじふ

ねん、むまれましましけるに、あづまのえびすをがうぶくのために

ちよくをうけたまはりて、くだりたまひけるに、いせのだいじんぐうにまかり

まうしに、まゐりたまひけるに、『さきのむまれ、そさのをのみことたりしとき

いづものくににて、やまたのをろちのをのなかよりとりいでて、われに

あたへしつるぎなり。にしきのふくろあり。これを、かたきの

ためにせめられて、いのちかぎりとおもはんをり、あけてみるべし』

とてたまひしを、するがのくに、みかりのにして、のびのなんにあふときに

はきたまふつるぎ、おのれとぬけて、おんあたりのくさをきりす

つ。そのをり、にしきのふくろなるひうちにて、ひをうちいでたまひ

しかば、ほのは、あたのかたへおほひ、まなこをくらがして、ここにて、ほ

P426オ

ろびぬ。そのゆゑ、こののをやきつのともいひき。おんつるぎをばくさ

なぎのつるぎとまうすなり」といふごきもんのやけのこりたまひたるを、ち

と、ききまゐらせしこそ、みしむばたまのゆめのことば、おもひあはせ

られて、ふしぎにもたふとくもおぼえはべりしか。かかるさわぎの

ほどなれば、きやうさたも、いよいよ、きげんあしきここちして、つし

まのわたりといふことをして、だいじんぐうにまゐりぬ。うづきのはじ

めつかたのことなれば、なにとなく、あをみわたりたるこずゑも

やうかはりて、おもしろし。まづ、しんぐうにまゐりたれば、やまだのはら

のすぎむらだち、「ほととぎすのはつねをまたんよりも、ここ

をせにせん」とかたらはまほしげなり。かんだちといふところに、いちにのね

ぎより、みやびとども、しこうしたる。すみぞめのたもとは、はばかりある

P426ウ

ことときけば、いづくにていかにとまゐるべきことともしらねば、「にのおん

とりゐ、みにはところといふへんまでは、くるしからじ」といふ。ところのさま、い

とかうがうしげなり。たちのへんに、たたずみたるに、をとこふたりみたり、みや

びととおぼしくて、いできて「いづくよりぞ」とたづぬ。「みやこのかたより、け

ちえんしに、まゐりたる」といへば、「うちまかせては、そのおんすがたは、はばかり

まうせども、くたびれたまひたるけしきも、かみもゆるしたまふらん」とて

うちへいれて、やうやうにもてなして、「しるべしたてまつるべし。みやの

うちへは、かなふまじければ、よそより」などいふ。ちえだのすぎのもと

おんいけのはたまでまゐりて、みやびと、はらへ、かうがうしくして、ぬさを

さしていづるにも、こころのうちのにごりぶかさは、かかるはらへにもきよ

くはいかがとあさまし。かへさには、そのわたりちかきこいへをかりて

P427オ

やどるに、「さても、なさけありてしるべさへしつるひと、たれならん」ときけ

ば、「さんのねぎ、ゆきただといふものなり。これは、たちのあるじなり。しるべし

つるは、たうじのいちのねぎが、じらう、しちらうたいふつねよしといふ」などかたり

まうせば、さまざまのなさけも、わすれがたくて、

おしなべてちりにまじはるすゑとてやこけのたもとになさけかくらん W

ゆふしでのきれにかきて、さかきのえだにつけて、つかはしはべりし

かば、

かげやどすやまだのすぎのすゑばさへひとをもわかぬちかひとをしれ W

これに、まづ、なぬかこもりて、しやうじのいちだいじをもきせいまうさんと

おもひてはべるほど、めんめんに、みやびとども、うたよみておこせ、れんが、いしいし

にて、あかしくらすも、なさけあるここちするに、うちまかせてのやし

P427ウ

ろなどのやうに、きやうをよむことは、みやのうちにてはなくて、ほふらく

しやといひて、みやのうちよりしごちやうのきたるところなれば、ひぐらし

ねんじゆなどして、くるるほどに、それちかく、くわんおんだうとまうして

あまのおこなひたるところへまかりて、やどをかれば、「かなはじ」とかたくまうし

て、なさけなく、おひいではべりしかば、

よをいとふおなじたもとのすみぞめをいかなるいろとおもひすつらん W

まへなるなんてんぢくのえだををりて、しでにかきて、つかはし

はべりしかば、かへしなどはせで、やどをかして、それよりしるひとになりて

はべりき。なぬかもすぎぬれば、ないくうへまゐらんとするに、はじめのせん

だちせしつねよし、

いまぞおもふみちゆくひとはなれぬるもくやしかりけるわかのうらなみ W

P428オ

かへしには、

なにかおもふみちゆくひとにあらずともとまりはつべきよのならひかは W

ないくうには、ことさら、すきものどもありて、「かかるひとのげくうにこもり

たる」とききて、「いつか、ないくうのじんぱいにまゐるべき」などまたる

ときくも、そぞろはしけれども、さてあるべきならねば、まゐり

ぬ。をかだといふところに、やどりてはべるとなりに、ゆゑあるにようばうの

すみかあり。いつしか、わかきめのわらは、ふみをもちてきたり。

なにとなくみやこときけばなつかしみそぞろにそでをまたぬらすかな W

にのねぎ、のぶなりがごけといふものなりけり。「かまへて、みづから

まうさん」などかきたるかへりごとには、

わすられぬむかしをとへばかなしさもこたへやるべきことのはぞなき W

P428ウ

またれていづるみじかよの、つきなきほどに、きゆうちゆうへまゐるに、これも、はば

かるすがたなれば、みもすそがはのかはかみより、ごてんををがみたてま

つれば、やへさかきも、ことしげく、たちかさね、みづがき・たまがき、とほく

へだたりたるここちするに、「このおんやしろのちぎは、かみいちにんをまぼ

らんとて、うへへそそがれたる」ときけば、なにとなくぎよくたい

あんをん」とまうされぬるぞ、われながら、いとあはれなる。

おもひそめしこころのいろのかはらねばちよとぞきみをなほいのりつる W

かみかぜ、すこしおとづれて、みもすそがはのながれも、のどかなるに、かみ

ぢのやまをわけいづるつきかげ、ここに、ひかりをますらんとおぼえて

わがくにのほかまで、おもひやらるるここちしてはべり。じんぱい、ことゆゑなく

とげて、げかうしはべるとて、かんだちのまへをとほるに、いちのねぎ、ひさよしが

P429オ

たち、ことさらに、つきさしいでて、すごくみゆるに、みな、おろしこめてはべり

しかば、「げくうをば、げつきゆうとまうすが」とて、

つきをなどほかのひかりとへだつらんさこそあさひのかげにすむとも W

さかきのえだに、しでにかきて、むすびつけて、かんだちのえんに

おかせて、かへりはべりしかば、あけてみけるにや、しゆくしよへ、また、さかきにつ

けて、

すむつきをいかがへだてんまきのとをあけぬはおいのねぶりなりけり W

これにも、なぬかこもりて、いではべるに、「さても、ふたみのうらは、いづくのほど

にか。おんかみ、こころをとどめたまひけるも、なつかしく」などまうすに、しるべたまふべきに

しまうして、むねのぶかんぬしといふものをつけたり。ぐしてゆくに、き

よきなぎさ・まきゑのまつ・いかづちのけさきたまひけるいしなど

P429ウ

みるより、さびのみやうじんとまうすやしろは、なぎさにおはします。それ

より、ふねにのりて、たかしのしま・ごせんのしま・とほるしまなど、み

にゆく。ごせんのしまとは、みるのおほくおゆるを、このみやのねぎ

まゐりて、つみて、おんかみのごせんそなうる、ところなり。とほるしまとは、

うへにやのむねのやうなるいし、うつろに、おほひたる、なかうみにて、

ふねをさしとほすなり。かいまんまんたるけしき、いと、みどころおほく

はべりき。まことや、こあさくまのみやとまうすは、かがみつくりのみやうじんのて

んせうだいじんのおんすがたをうつされたりけるおんかがみを、ひとがぬすみ

たてまつりてとかや、ふちにしづめおきまゐらせけるをとりた

てまつりて、ほうぜんにをさめたてまつりければ、「われ、くかいのいろ

くづを、すくはんとおもふぐわんあり」とて、みづから、ほうぜんより

P430オ

いでて、いはのうへにあらはれまします。いはのそばに、さくらのき、いつぽん

あり。「たかしほみつをりは、このきのこずゑにやどり、さらぬをりは

いはのうへにおはします」とまうせば、あまねきおんちかひも、たのもしく

おぼえたまひて、ひとひふつか、のどかに、まゐるべきここちして、しほあひといふところに、

おほみやづかさといふもののしゆくしよに、やどをかる。いとなさけあるさまに

ありよきここちして、また、これにも、ふつかみかふるほどに、「ふたみのうらは、つきの

よこそおもしろくはべれ」とて、にようばうざまも、ひきぐして、まかりぬ。

まことに、こころとどまりて、おもしろくも、あはれにも、いはんかたなきに、よも

すがら、なぎさにて、あそびて、あくれば、かへりはべるとて、

わすれじなきよきなぎさにすむつきのあけゆくそらにのこるおもかげ W

てるつきかげといふとくせんは、いせのさいしゆがゆかりあるに、なにとし

P430ウ

て、このうらにあるとはきこえけるにか、ゐんのごしよにゆかりあるにようばう

のもとよりとて、ふみあり。おもはずにふしぎなるここちしながら、

あけてみれば、「ふたみのうらのつきになれて、くもゐのおもかげは

わすれはてにけるにや。おもひよらざりしおんものがたりも、いまひとたび」

などこまやかにみけしきあるよしまうしたりしを、みしこころのうち、われな

がら、いかばかりとも、わきがたくこそ。おんかへしには、

おもへただなれしくもゐのよはのつきほかにすむにもわすれやはする W

さのみあるべきならねば、げくうへかへりまゐりて、いまは、よのなかも

しづまりぬれば、きやうのぐわんをもはたしに、あつたのみやへかへり

まゐらんとするに、おんなごりもをしければ、きゆうちゆうにはべりて、

ありはてんみのゆくすゑのしるべせようきよのなかをわたらひのみや W

P431オ

あかつき、たたんとするところへ、ないくうのいちのねぎ、ひさよしがもとより、「このほ

どのなごり、おもひいでられはべり。ながつきのごさいゑに、かならず、まゐれ」な

どいひたりしも、なさけありしかば、

ゆくすゑもひさしかるべききみがよにまたかへりこんながつきのころ W

こころのうちのいはひは、ひと、しりはべらじ。「きみをもわれをもいははれたるかへり

ごとは、いかがまうさざるべき」とて、よなかばかりに、きぬを、ふたまきつつ

みて、「いせしまのどさんなり」とて、

かみがきにまつもひさしきちぎりかなちとせのあきのながつきのころ W

そのあかつきのでしほのふねにのりに、よひより、おほみなとといふところ

へまかりて、いやしきうらびとが、しほやのそばに、たびねしたるにも、

「うのゐるいはのはざま・くじらのよるいそなりとおもふひとだに、ちぎり

P431ウ

あらば」とこそ、ふるきことのはにも、いひおきたるに、こはにごとのみ

のゆくへぞ。まつとても、また、うきおもひの、なぐさむにもあらず、こえゆく

やまのすゑにもあふさかもなしなどおもひつづけて、また、いでんとす

るあかつき、よふかく、げくうのみやびと、つねよしがもとより、「ほんぐうへつく

べきたよりふみをとりわすれたる、つかはす」とて、

たちかへるなみぢときけばそでぬれてよそになるみのうらのなぞうき W

かへし、

かねてよりよそになるみのちぎりなれどかへるなみにはぬるるそでかな W

あつたのみやには、ざうえいのいしいしとて、ことしげかりけれども、し

ゆくぐわんのさのみほどふるも、ほいなければ、また、だうぢやう、したためなど

してけごんきやうののこりさんじつくわんを、これにて、かきたてまつり

P432オ

て、くやしうはべりしに、だうしなども、はかばかしからぬゐなかほうしなれ

ば、なにのあやめ、しるべきにもあらねども、じふらせつのほふらく

なれば、さまざま、くやうして、また、きやうへのぼりはべりぬ。さても、おもひかけざり

しをとこやまのおんついでは、このよのほかまで、わすれたてまつるべし

ともおぼえぬに、ひとつゆかりあるひとして、たびたび、ふるきすみか

をも、おんたづねあれども、なにとおもひたつべきにてもなければ、

あはれにかたじけなくおぼえさせおはしませども、むなしくつきひ

をかさねて、またのとしのながつきのころにもなりぬ。ふしみのご

しよにおんわたりのついで、おほかたも、おんこころしづかにて、ひとしるべき

びんぎならぬよしを、たびたび、いはるれば、おもひそめまゐらせし

こころわろさは、げにとやおもひけん、しのびつつ、しものごしよのおんあたりち

P432ウ

かくまゐりぬ。しるべせしひといできて、あんないするも、ことさらび

たるここちして、をかしけれども、しゆつぎよまちまゐらするほど、く

たいだうのこうらんにいでて、みわたせば、よをうぢがはのかはなみも、そで

のみなとによるここちして、「なみばかりこそよるとみえしか」といひけん、

ふることまで、おもひつづくるに、しよやすぐるほどに、いでさせおは

しましたり。くまなきつきのかげに、みにしもあらぬおんおもかげは、

うつるもくもるここちして、いまだふたばにて、あけくれおんひざのもとに

ありしむかしより、いまはとおもひはてしよのことまで、かずかずうけたま

はりいづるも、わがふることながら、などか、あはれも、ふかからざらん。「うきよの

なかにすまんかぎりは、さすがに、うれふることのみこそあるらん

に、などや『かく』ともいはで、つきひをすぐす」などうけたまはるにも、「かく

P433オ

て、よにふるうらみのほかは、なにごとかおもひはべらん。そのなげき・この

おもひは、たれにうれへてか、なぐさむべき」とおもへども、まうしあらはすべき

ことのはならねば、つくづくと、うけたまはりゐたるに、おとはのやまのしかの

ねは、なみだをすすめがほにきこえ、そくじやうゐんのあかつきのかねは、あけゆく

そらをしらせがほなり。

しかのねにまたうちそへてかねのおとのなみだこととふあかつきのそら W

こころのうちばかりにて、やみはべりぬ。さても、よも、はしたなく、あけはべりしかば、

なみだはそでにのこり、おんおもかげは、さながら、こころのそこにのこして、い

ではべりしに、「さても、このよながらのほど、かやうのつきかげは、おのづからの

たよりにはかならずとおもふに、はるかに、りゆうげのあかつきとた

のむるは、いかなるこころのうちのちかひぞ。また、あづま・もろこしまで、た

P433ウ

づねゆくも、をのこは、つねのならひなり。をんなは、さはりおほくて、さやう

のしゆぎやう、かなはずとこそきけ。いかなるものにちぎりをむす

びて、うきよをいとふともとしけるぞ。ひとりたづねては、さりとも

いかがあらん。なみだがは、そでにありとしり、きくのまがきを、みかさの

やまにたづね、ながつきのそらを、みもすそがはにたのめけるも、みなこ

れ、ただかりそめのことのはにはあらじ。ふかくたのめ、ひさしくちぎる

よすがありけむ。そのほか、また、かやうのところどころ、ぐしありくひとも、な

きにしもあらじ」など、ねんごろに、おんたづねありしかば、「ここのへの

かすみのうちをいでて、やへたつきりにふみまよひしよりこのか

た、さんがいむあんゆによくわたく、ひとよとどまるべきみにしあらねども、

よくちくわこいん、つたなければ、かかるうきみをおもひしる。

P434オ

ひとたびたえにしちぎり、ふたたびむすぶべきにあらず。いはしみづ、

のながれより、いづといへども、こんじやうのくわはう、たのむところなしと

いひながら、あづまへくだりはじめにも、まづ、しやだんをはいしたて

まつりしは、はちまんだいぼさつのみなり。ちかくは、こころのうちのしよぐわん

をおもひ、とほくは、めつざいしやうぜんをきせいす。しやうぢきのいただ

きをばてらしたまふおんちかひ、これ、あらたなり。ひんがしは、むさしのくに

すみだがはをかぎりに、たづねみしかども、ひとよのちぎりをもむす

びたることはべらば、ほんぢみださんぞんのほんぐわんにもれて、ながく、む

げんのそこに、しづみはべるべし。みもすそがはのきよきながれをたづね

みて、もし、また、こころをとどむるちぎりあらば、つたへきくたいこんりやう

ぶのけうしゆも、そのばち、あらたにはべらん。みかさのやまのあきのきく

P434ウ

おもひをのぶるたよりなり。もし、また、ならざかよりみなみに、ちぎり

をむすび、たのみたるひとありて、かすがのやしろへもまゐりいでば、

ししよだいみやうじんのおうごにもれて、むなしくさんづのはちなんくをう

けん。えうせうのむかしは、にさいにして、ははにわかれて、おもかげを

しらざるうらみをかなしみ、じふごさいにして、ちちをさきだてしの

ちは、そのこころざしをしのび、れんぼくわいきうのなみだは、いまだ、たもと

をうるほしはべるなかに、わづかにいとけなくはべりしころは、かたじけなう

おんまなじりをめぐらして、れんみんのこころざし、ふかくましましき。

そのおんかげに、かくされて、ちちははにわかれしうらみも、をさをさ、なぐさ

みはべりき。やうやう、ひととなりて、はじめて、おんげんをうけたまはりしかば、

いかでか、これをおもくおもひたてまつらざるべき。つたなきこころの

P435オ

おろかなるは、ちくしやうなり。それ、なほしおんをば、おもくしはべり。

いはむや、じんりんのみとして、いかでか、おんなさけをわすれたてま

つるべき。いはけなかりしむかしは、つきひのひかりにもすぎて、かた

じけなく、さかりになりしいにしへは、ちちははのむつびよりも、なつかし

くおぼえましましき。おもはざるほかに、わかれたてまつりて、いたづら

に、おほくのとしつきをおくりむかふるにも、みゆき・りんかうにま

ゐりあふをりをりは、いにしへをおもふなみだも、たもとをうるほし、じよゐ・ぢ

もくをきく、たのいへのはんじやう・はうばいのしようしんをきく

たびに、こころをいたしましめずといふことなければ、さやうのまうねん

しづまれば、なみだをすすむるもよしなくはべるゆゑ、おもひをもやさま

しはべるとて、あちこち、さまよひはべれば、あるときは、そうばうにとどまり、

P435ウ

あるときは、をとこのなかにまじはる。みそひともじのことのはをのべ、なさけ

をしたふところには、あまたのよをかさね、ひかずをかさねてはべれば、

あやしみまうすひと、みやこにも、ゐなかにも、そのかずはべりしかども、しゆぎやう

じやといひ、ぼろぼろなどまうすふぜいのものにゆきあひなどして、こころの

ほかなるちぎりをむすぶためしもはべるとかやきけども、さるべき

ちぎりもなきにや、いたづらに、ひとり、かたしきはべるなり。みやこの

うちにも、かかるちぎりもはべらば、かさぬるそでも、ふたつにならば、さゆる

しもよのやまかぜも、ふせきはべるべきに、それも、また、さやうのともも

はべらねば、まつらんとおもふひとしなきにつけては、はなのもとにて

いたづらに、ひをくらし、もみぢのあきは、のもせのむしのしもにかれゆく

こゑを、わがみのうへとかなしみつつ、むなしきのべに、くさをまくら

P436オ

として、あかすよなよなあり」などまうせば、「しゆぎやうのをりのこと

どもは、こころきよく、ちぢのやしろにちかひぬるが、みやこのことには、ちか

ひがなきは、ふるきちぎりのなかにも、あらためたるがあるにこそ」

と、また、うけたまはる。「ながらへじとこそおもひはべれども、いまだ、よそぢ

にだにみちはべらねば、ゆくすゑはしりはべらず。けふのつきひのただ

いままでは、ふるきにも、あたらしきにも、さやうのことはべらず。もし、い

つはりにてもまうしはべらば、わがたのむいちじやうほつけのてんどく、にせんにち

におよび、によほふしやきやうのつとめ、みづからふでをとりて、あ

またたび、これさながら、さんづのつとぞなりて、のぞむところむな

しく、なほしりゆうげのくものあかつきのそらをみずして、しやう

がいむげんのすみか、きえせぬみとなりはべるべし」とまうすをり、いかが

P436ウ

おぼしめしけむ、しばし、ものもおほせらるることもなくて、ややありて、

「なににも、ひとのおもひしむるこころは、よしなきものなり。まことに、ははに

おくれ、ちちにもわかれにしのちは、われのみはぐくむべきここちせしに、

ことのちがひもてゆきしことも、『げにあさかりけるちぎりにこそ』

とおもふに、かくまでふかくおもひそめけるを、しらずがほにて

すぐしけるを、だいぼさつ、しらせそめたまひにけるにこそ、みやまにてしも

みいでけめ」など、おほせあるほどに、にしにかたぶくつきは、やまのは

をかけて、いる。ひんがしにいづるあさひかげは、やうやう、ひかりさしい

づるまでになりにけり。ことやうなるすがたも、なべてつつまし

ければ、いそぎいではべりしにも、「かならずちかきほどに、いまいちどよ」と

うけたまはりしおんこゑ、「あらざらんみちのしるべにや」とおぼえて、か

P437オ

へりはべりしに、くわんぎよののち、おもひかけぬあたりより、おんたづね

ありて、まことしきおんとぶらひ、おぼしめしよりける、いとかたじけ

なし。おもひかけぬおんことのはに、かかるだに、つゆのおんなさけも、いかで

か、うれしからざらむ。いはんや、まことしくおぼしめしよりける

おんこころのいろ、ひとしるべきことならぬさへ、おきどころなくぞおぼえはべりし。む

かしより、なにごともうちたへて、ひとめにも、「こは、いかに」などおぼゆる

おんもてなしもなく、「これこそ」などいすべきおもひいでは、はべらざりしかど、

も、おんこころひとつには、なにとやらん、あはれは、かかるおんけのせさせ

おはしましたりしぞかしなど、すぎにしかたも、いまさらにて

なにとなく、わすれがたくぞはべる。かくて、としをふるほどに、さても

ふたみのうらは、おんかみも、ふたたびみそなはしてこそ、ふたみとも

P437ウ

まうすなれば「いまいちどまゐりもしまたしやうじのことをもきせいしまう

さむ」とおもひたちてならよりいがぢとまうすところよりまかりはべりし

にまづかさおきでらとまうすところをすぎゆく。

 

巻五 冒頭

P501オ

さてもあきのくにいつくしまのやしろはたかくらの

せんていみゆきしたまひけるあとのしらなみもゆか

しくておもひたちはべりしに、れいのとばよりふねにのり

つつかはじりよりうみのにのりうつればなみのうへのす

まひもこころぼそきに、「ここはすものうら」ときけば「ゆき

ひらのちゆうなごんもしほたれつつわびけるすまひもいづ

くのほどにか」とふきこすかぜにもとはまほし。ながつき

のはじめのことなればしもがれのくさむらになきつく

したるむしのこゑたえだえきこえてきしにふね

つけてとまりぬるに、せんせいばんせいのきぬたのおとは

よさむのさとにやとおとづれてなみのまくらをそば

P501ウ

だててきくもかなしきころなり。あかしのうらのあさぎりに

しまかくれゆくふねどももいかなるかたへとあはれなり。

ひかるげんじのつきげのこまにかこちけむこころのうち

までのこるかたなくおしはかられてとかくこぎゆく

ほどにびんごのくにともといふところにいたりぬ。なにとなく

にぎははしきやどとみゆるに、たいがしまとてはなれ

たるこじまあり。いうぢよのよをのがれていほりならべて

すまひたるところなり。さしもにごりふかくむつのみちにめ

ぐるべきいとなみをのみするいへにむまれていしやう

にたきものしてはまづかたらひふかからむことをおもひ、

わがくろかみをなでてもたがかまくらにかみだれん

P502オ

とおもひ、くるればちぎりをまち、あくればなごりをし

たひなどしてこそすぎこしに、おもひすててこもりゐ

たるもありがたくおぼえて「つとめにはなにごとか

する。いかなるたよりにかほつしんせし」などまうせばある

あままうすやう「われはこのしまのいうぢよのちやうじやなり、あ

またけいしをおきてめんめんのかほばせをいとなみ、

みちゆくひとをたのみてとどまるをよろこび、こぎゆくをな

げく。またしらざるひとにむかひてもせんしうばんぜいをちぎり、

はなのもと、つゆのなさけにゑひをすすめなどしてい

そぢにあまりはべりしほどに、しゆくえんやもよほしけんう

ゐのねぶりひとたびさめてふたたびふるさとへかへらず。この

P502ウ

しまにゆきてあさなあさなはなをつみにこのやまにのぼる

わざをして、みよのほとけにたむけたてまつる」などいふもうら

やまし。これにひとひふつかとどまりて、またこぎいでしかば、いうぢよども

なごりをしみて「いつほどにかみやこへこぎかへるべき」

などいへば、「いさや、これやかぎりの」などおぼえて、

いさやそのいくよあかしのとまりともかねてはえこそおもひさだめね W

かのしまにつきぬ。まんまんたるなみのうへにとりゐはるかに

そばだちひやくはちじつけんのくわいらう、さながらうらのうへにたち

たれば、おびたたしくふねどももこのらうにつけたり。だいほふ

ゑあるべきとて、ないしといふものめんめんになどすめり。ながつき

じふににち、しがくとてくわいらうめくうみのうへに、ぶたいをたてておまへ

P503オ

のらうよりのぼる。ないしはちにん、みないろいろのこそでにしろ

きゆまきをきたり。うちまかせてのがくどもなり。からのげん

そうのやうきひがさうしけるげいしやうういのまひのすがた

とかや、きくもなつかし。ゑのひは、さうのまひ・あをくあかきにしき

にしやうぞく、ぼさつのすがたにことならず。てんくわんをして、かん

ざしをさせる、これややうひのすがたならむとみえたる。く

れゆくままに、がくのこゑまさり、しうふうらくことさらに、みみにたち

ておぼえはべりき。くるるほどにはてしかば、おほくつどひたりし

ひと、みないへいへにかへりぬ。おまへもものさびしくなりぬ。つや

したるひとも、せうせうみゆ。じふさんやのつき、ごてんのうしろのみ

やまよりいづるけしき、ほうぜんのなかより、いでたまふににたり。ご

P503ウ

てんのしたまでしほさしのぼりて、そらにすむつきのかげ、またみず

のそこにもやどるかとうたがはる。ほつしやううろのだいかいにずゐ

えんしんによのかぜをしのぎて、すまひはじめたまひけるおんこころざし

も、たのもしくほんぢみだによらいとまうせば、「くわうみやうへんぜう・

じつぱうせかい・ねんぶつしゆじやう・せつしゆふしや、もらさずみちびき

たまへ」とおもふにも、「にごりなきこころのうちならば、いかに」と

われながら、もどかしくぞおぼゆる。これには、いくほどのとうりうも

なくて、のぼりはべりし。ふねのうちに、よしあるをんなあり。「われは、びんご

のくにわちといふところのものにてはべる。しゆくがんによりて、これへ

まゐりてさぶらひつる。すまひもごらんぜよかし」などさそへども、「とさの

あしずりのみさきとまうすところがゆかしくてはべるときに、それへま

P504オ

ゐるなり。かへさにたづねまうさむ」とちぎりぬ。かのみさきには、だうひ

とつあり。ほんぞんは、くわんおんにおはします。へだてもなく、また、ばう

ずもなし。ただ、しゆぎやうしや・ゆきかかるひとのみあつまりて、うへ

もなく、したもなし。いかなるやうぞといへば、むかし、ひとりのそう

ありき。このところに、おこなひてゐたりき。こほふしひとりつかひ

き。かのほふし、じひをさきとするこころざしありけるに、

いづくよりといふこともなきに、こほふしひとりきて、とき・ひじ

をくふ。こほふしかならずわがぶんをわけてくはす。ばうずいさ

めていはく、「ひとたびふたたびにあらず。さのみかくすべからず」といふ。また、

あしたのこくげんにきたり。「こころざしはかくおもへども、ばうずしか

りたまふ。これよりのちは、なおはしそ。いまばかりぞよ」とて、また、わけて

P504ウ

くはす。いまのこほふしいはく、「このほどのなさけ、わすれがたし。

さらば、わがすみかへいざたまへ。みに」といふ。こほふし、かたらはれて

ゆく。ばうずあやしくてしのびてみおくるに、みさきにい

たりぬ。いちえふのふねにさをさしてみなみをさしてゆく。ばうず

なくなく「われをすてて、いづくへゆくぞ」といふ。こほふし「ふだらく

せかいへまかりぬ」とこたふ。みれば、ふたりのぼさつになりて、ふね

のともへにたちたり。こころうくかなしくて、なくなくあしずりを

したりけるより「あしずりのみさき」といふなり。いはにあしあと

とどまるといへども、ばうずはむなしくかへりぬ。それより「へだ

つるこころあるによりてこそ、かかるうきことあれ」とて、かやうに

すまひたりといふ。さんじふさんじんのすゐかいけげん、これにやと、いと

P505オ

たのもし。あきのさととのやしろはごづてんわうとまうせば

ぎおんのおんことおもひいでられさせおはしましてなつかしくて

これにはひとよとどまりてのどかにたむけをもしはべりき。

さぬきのしろみね・まつやまなどは、すとくゐんのおんあともゆかしく

おぼえはべりしに、とふべきゆかりもあれば、こぎよせておりぬ。

 

(中略)後日

 

たてまつるも、つみぶかきこころならんかし。とかくするほどにしも

つきのすゑになりにけり。きやうのふねのびんぎあるもなにとなく

P506ウ

うれしくてゆくほどに、なみかぜあらく、ゆき・あられしげくて

ふねもゆきやらず。きもをのみつぶすもあぢきなくて、びん

ごのくにといふところをたづぬるに、ここにとどまりたるきしより

ほどちかくきけば、おりぬ。ふねのうちなりしにようばう、かきつけて

たびたりしところをたづぬるに、ほどちかくたづねあひたり。なにと

なくうれしくて、ふつかみかふるほどに、あるじがありさまを

みれば、ひごとにをとこ・をんなをよたりいつたりぐしもてきて、うちさいなむあ

りさまめもあてられず。「こはいかに」とおもふほどに、たかがりと

かやとて、とりどもおほくころしあつむ。かりとてししもてくる

めり。おほかた、あくごふじんぢうなるべし。かまくらにあるしたしき

ものとて、ひろさはよざうにふだうといふもの、くまのまゐりの

P507オ

ついでにくだるとて、いへのうちさはぎむらこほりのいとなみ

なり。きぬしやうじをはりて、ゑをかきたがりしときに、なにと

おもひわくこともなく、「ゑのぐだにあらば、かきなまし」とまうし

たりしかば、「ともといふところにあり」とて、とりにはしらかす。よに

くやしけれども、ちからなし。もてきたれば、かきぬ。よろこびて、

「いまは、これにおちとどまりたまへ」などいふも、おかしくきく

ほどに、このにふだうとかや、きたり。おほかた、なにとかなどもてなすに、

しやうじのゑをみて、「ゐなかにあるべしともおぼえぬふでなり。

いかなるひとのかきたるぞ」といふに、「これにおはしますなり」と

いへば、「さだめて、うたなどよみたまふらん。しゆぎやうのならひ、さこそ

あれ。けざんにいらん」などいふも、むつかしくて、「くまのまゐり」

P507ウ

ときけば、「のどかに、このたびのげかうに」などいひまぎらかし

て、たちぬ。このついでに、にようばうふたりみたりきたり。えたといふところに

このあるじのあにのあるがむすめ、よすがなどありとて、

「あなたざまをもごらんぜよ。ゑのうつくしき」などいへば、このす

まひも、あまりにむつかしく、「みやこへは、このゆきにかなはじ」と

いへば、「としのうちもありぬべくや」とて、なにとなくゆきたるに、

このわちのあるじ、おもふにもすぎてはらたちて、「われ、としごろ

のげにんをにがしたりつるを、いつくしまにてみつけてある

を、またえたへかどはれたるなり。うちころさむ」などひしめく。こは

なにごとぞとおもへども、「ものおぼえぬものは、さるちうようにも

こそあれ。なはたらきそ」などいふ。このえたといふところは、わかき

P508オ

むすめどもあまたありて、なさけあるさまなれば、なにとなく

こころとどまるまではなけれども、さきのすまひよりは、こころのぶる

ここちするに、いかなることぞと、いとあさましきに、くまのまゐり

しつるにふだう、かへさにまたくだりたり。これにかかるふしぎありて、

わがげにんをとられたるよし、わがあにをうたへけり。このにふだうは、

これらがをぢながら、ところのぢとうとかやいふものなり。「とはなに

ごとぞ。こころえぬげにんざたかな。いかなるひとぞ。ものまゐりなどする

ことは、つねのことなり。みやこにいかなるひとにておはすらん。はづ

かしく、かやうになさけなくいふらんことよ」などいふときくほどに、

「これへまた、くだる」とて、ひしめく。このあるじ、ことのやういひて、「よし

なきものまゐりびとゆゑに、おとといなかたがひぬ」といふをききて、

P508ウ

「いとふしぎなることなり」といひて、「びつちゆうのくにへ、ひとをつけ

ておくれ」などいふもありがたければ、げざんしてことのやう

かたれば、「のうはあたなるかたもありけり。ごのうゆゑに

ほしくおもひまゐらせて、まうしけるにこそ」といひて、れんがし

つぎうたなどよみてあそぶほどに、よくよくみれば、かまくらにて

いひぬまのさゑもんがれんがにありしものなり。そのこといひ

いだして、ことさらあさましがりなどして、ゐたといふところへかへり

ぬ。ゆきいとふりて、たかすがきといふところのさまもなら

はぬここちして、

よをいとふならひながらもたかすがきうきふしぶしはふゆぞかなしき W

としもかへりぬれば、やうやうみやこのかたへ、おもひたたむとするに

P509オ

「よかんなほはげしく」「ふねもいかが」と、めんめんにまうせば、こころ

もとなくかくゐたるに、きさらぎのすゑにもなりぬれば、「このほど」とおもひ

たつよしききて、このにふだう、ゐたといふところよりきて、つぎうた

などよみてかへるとて、はなむけなどさまざまのこころざしをさへ

したり。これは、こまちどののもとにおはします。なかつかさのみや

のひめみやのおんめのとなるゆゑに、さやうのあたりをもおもひ

けるにやとぞおぼえはべりし。これよりびつちゆうえはらといふところへ

まかりたれば、さかりとみゆるさくらあり。ひとえだをりて、おくり

のものにつけて、ひろさはのにふだうにつかはしはべりし。

かすみこそたちへだつともさくらばなかぜのつてにはおもひおこせよ W

ふつかのみちをわざとひとしてかへしたり。

P509ウ

はなのみかわするるまなきことのはをこころはゆきてかたらざりけり W

きびつみやは、みやこのかたなれば、まゐりたるに、ごてんのしつらひも

やしろなどはおぼえず、やうかはりたるみやばしらていに、きちやうなど

のみゆるぞめづらしき。ひもながくかぜをさまりたるころなれば、

ほどなくみやこへかへりはべりぬ。さても、ふしぎなりしことはありしぞ

かし。このにふだうくだりあはざらましかば、いかなるめにかあはまし。しゆう

 

(中略)後日

 

いかにといふべきかたもなし。

さのみまよふべきにもあらねば、そのゆふかたかへりはべりぬ。おんそふく

めさるるよしうけたまはりしかば、むかしながらならましかば、いかに

ふかくそめまし。のちのさがゐんおんかくれのをりは、ごしよにほうこう

せしころなりしうへ、こだいなごん「おもふやうありて」とて、おんそふくの

うちにまうしいれしを「いまだをさなきに、おほかたのはえなきいろにて

あれかし」などまでうけたまはりしに、そのやがてはづきにわたくしの

いろをきてはべりしなどかずかずおもひいでられて、

すみぞめのそではそむべきいろぞなきおもひはひとつおもひなれども W

P516ウ

かこつかたなきおもひのなぐさめにもやとて、てんわうじへまゐりぬ。

しやかによらい・てんぼふりんじよなどきくも、なつかしくおぼえて、

のどかにきやうをもよみて、しばしまぎるるかたなくてさぶらはんなど

おもひて、ひとりおもひつづくるも、かなしきにつけても、にようゐんの

おんかたのおんおもひおしはかりたてまつりて、

はるきてしかすみのそでにあきぎりのたちかさぬらんいろぞかなしき W

おんしじふくにちもちかくなりぬれば、また、みやこにかへりのぼりつつ、その

ひは、ふしみのごしよにまゐるに、ごぶつじはじまりつつ、おほくちやう

もんせしうちに、わればかりなるこころのうちはあらじとおぼゆる

にもかなし。ことはてぬれば、めんめんのおんふせどものやうも、けふ

とぢめぬるここちして、いとかなしきに、ころしもながつきのはじめ

P517オ

にや、つゆもなみだも、さこそあらそふおんことなるらめと、みすの

うちもかなしきに、「ぢみやうゐんのごしよ、このたびは、また、おなじごしよ」と

うけたまはるも、とうぐうにたちたまひて、すみどののごしよにおんわたり

のころまでは、みたてまつりしいにしへも、とにかくにあはれ

にかなしきことのみいろそひて、あきしもなどかとおほやけわたくし

おぼえさせたまひて、かずならぬみなりともと、さしも、おもひはべりし

ことのかなはで、いままでうきよにとどまりて、ななつのなぬかにも

あひまゐらする、われながら、いとつれなくて。みゐでらのじやうちゆう

ゐんのふどうは、ちこうないぐがかぎりのやまひには、しようくうあざり

といひけるが、「じゆほふおんおもし。かずならぬみなりとも」と

いひつつ、せいめいにまつりかへられければ、みやうわう、いのちにかはりて、

P517ウ

「なんぢは、しにかはる。われは、ぎやうじやにかはらん」とて、ちこうも

やまひやみ、しようくうも、いのちのびけるに、「きみのごおん、じゆほふ

のおんよりも、ふかかりき。まうしうけしこころざしなどしもむなしかり

けん。くのしゆじやうにかはらんために、おんなをはちまんだいぼさつとがうす」

とこそまうしつたへたれ。かずならぬみには、よるべからず。おんこころざしの

なほざりなるにもあらざりしに、まことのぢやうごふは、いかなる

こともかなはぬおんことなりけりなどおもひつづけて、かへりて

はべりしかども、つゆまどろまれざりしかば、

かなしさのたぐひとぞきくむしのねもおひのねざめのながつきのころ W

ふるきをしのぶなみだは、かたしくそでにもあまりて、ちちのだいなごんみ

まかりしことも、あきのつゆにあらそひはべりき。かかるおんあはれも

P518オ

また、あきのきりとたちのぼらせたまひしかば、なべてくもゐもあはれ

にて、あめとやなりたまひけむ、くもとやなりたまひけん。いとおぼつかなき

おんたびなりしか。

いづかたのくもぢぞとだにたづねゆくなどまぼろしのなきよなるらん W

さても、だいじふきやう、いまにじつくわん、いまだかきたてまつらぬを、いかがして

このおんひやくにちのうちにとおもへども、みのうへのころもなければ、これを

ぬぐにもおよばず、いのちをつぐばかりのこと、もたざれば、これをさり

てともおもひたたず、おもふばかりなく、なげきゐたるに、われ、ふたりの

おやのかたみにもつ、ははにおくれけるをり、「これにとらせよ」とて、

ひらてばこのをしのまろをまきて、ぐそく・かがみまでおなじ

もんにていれたりしと、また、なしぢにせんきびしをたかまきに

P518ウ

まきたるすずりぶたのなかには、「かしんれいげつ」と、てづから、こ

だいなごんのもじをかきて、かねにてほらせたりしすずりとなり。

いちごはつくるともこれをばうしなはじとおもひ、いまはのけぶりにも

ともにこそとおもひて、しゆぎやうにいでたつをりも、こころぐるしきみどり

こをあとにのこすここちして、ひとにあづけ、かへりては、まづ、とり

よせて、ふたりのおやにあふここちして、てばこは、しじふろくねんのとし

をへだて、すずりは、さんじふさんねんのとしつきをおくる。なごり、いかでか、おろ

かなるべきを、つくづくと、あんじつづくるに、ひとのみに、いのちに

すぎたるたから、なにかはあるべきをきみのおんためにはすつべき

よしをおもひき。いはんや、うろのたから、つたふべきこもな

きににたり。わがしゆくぐわん、じやうじゆせましかば、むなしく、このかたみ

P519オ

は、ひとのいへのたからとなるべかりき。しかじ、さんぽうにくやうし

て、きみのごぼだいにもゑかうし、ふたおやのためにもなどおもひなり

て、これをとりいでてみるに、としつきなれしなごりは、ものいひわらふ

ことなかりしかども、いかでか、かなしからざらむ。をりふし、あづまの

かたへよするさだめてゆくひと、かかるものをたづぬとて、さんぽうのおん

あはれみにや、おもふほどよりも、いとおほくに、ひと、とらむといふ。おもひ

たちぬるしゆくぐわんじやうじゆしぬることは、うれしけれども、てばこを

つかはすとて、

ふたおやのかたみとみつるたまくしげけふわかれゆくことぞかなしき W

ながつきじふごにちより、ひんがしやまさうりんじといふあたりにて、せん

ぽふをはじむ。さきのにじつくわんのだいじふきやうまで、

P519ウ

をりをりも、むかしをしのび、いまをこふるおもひ、わすれまゐらせ

ざりしに、いまは、ひとすぢに、「くわこしやうりやう、じやうとうしやう

がく」とのみ、ねてもさめても、まうさるるこそ、しゆくえんもあはれ

に、われながら、おぼえはべりしか。きよみづやまのしかのねは、わがみの

ともとききなされ、まがきのむしのこゑごゑは、なみだこととふと、かな

しくて、ごやのせんぽふに、よふかく、おきてはべれば、ひんがしより

いづるつきかげに、にしにかたぶくほどになりにけり。てらでらのご

やもおこなひはてにけるとおぼゆるに、さうりんじのみね

にただひとりおこなひゐたるひじりのねんぶつのこゑ

すごくきこえて、

いかにしてしでのやまぢをたづねみむもしなきたまのかげやとまると

P520オ

かりひじりやとひて、れうし・みづむかへさせに、よかはへつかはすに、

ひんがしざかもとへゆきて、われは、ひよしへまゐりしかば、うばにて

はべりしものは、このみやしろにてしんおんをかうぶりけるとて、つねに

まゐりしに、ぐせられては、〈 ここよりまたかたなにてきりてとられさうらふかへすがへすおぼつかなし 〉いかなるひとにか

なとまうされしをきくにも、あはれは、すくなからんや。ふかくさの

おんはかへ、ほうなふじたてまつらむも、ひとめあやしければ、

ことさら、おんこころざしふかかりしおんこと、おもひいでられて、かすがの

みやしろへまゐりて、ほんぐうのみねに、おさめたてまつりしにも、みね

のしかのねも、ことさら、をりしりがほにきこえはべりて、

みねのしかのはらのむしのこゑまでもおなじなみだのともとこそきけ W

さても、こだいなごん、みまかりて、ことしは、さんじふさんねんになりはべりし

P520ウ

かば、かたのごとく、ぶつじなどいとなみて、れいのひじりの

もとへつかはししふじゆに、

つれなくぞめぐりあひぬるわかれつつとをづつみつにみつあまるまで W

かぐらをかといふところにて、けぶりとなりしあとをたづねて、まかり

たりしかば、きうたいつゆふかく、みちをうづみたるこのは

がしたをわけすぎたれば、いしのそとば、かたみがほにのこりたる

も、いとかなしきに、さても、このたびのちよくせんにはもれたまひける

こそかなしけれ。われ、よにあらましかば、などか、まうしいれざらむ。

しよくこきんよりこのかた、よよのさくしやなりき。また、わがみの

むかしをおもふにも、ちくゑんはちだいのこふうむなしくたえ

なむずるにやとかなしく、さいごしゆうえんのことばなど、かずかず

P521オ

おもひつづけて、

ふりにけるなこそをしけれわかのうらにみはいたづらにあまのすてぶね W

かやうにくどきまうしてかへりたりしよる、むかしながらのすがた

われも、いにしへのここちにて、あひむかひて、このうらみをのぶる

に、「そぶこがのだいしやうこくは、おちばがみねのつゆのいろづく

ことばをのべ、われは、『おのがここちもはるのわかれかは』といひしより

よよのさくしやなり。ぐわいそぶひやうぶきやうたかちかは、わしのをの

りんかうに、『けふこそはなのいろはそへつれ』とよみたまひき。いづ

かたにつけても、すてらるべきみならず。ともひらしんわうよりこの

かた、いへひさしくなるといへども、わかのうらなみたえせず」

などいひて、たちざまに、

P521ウ

なほもただかきとめてみよもしほぐさひとをもわかずなさけあるよに W

とうちながめて、たちのきぬとおもひて、うちおどろきしかば、

むなしきおもかげは、そでのなみだにのこり、ことのはは、なほゆめの

まくらにとどまる。これより、ことさら、このみちをたしなむこころ

もふかくなりつつ、このついでに、ひとまろのはかに、なぬかまゐりて

なぬかといふよ、つやしてはべりしに、

ちぎりありてたけのすゑばにかけしなのむなしきふしにさてのこれとや

このとき、ひとりのらうおうゆめにしめしたまふことありき。このおもかげ

をうつしとどめ、このことのはをしるしおく。「ひとまろかうのしき」と

なづく。せんしのこころにかなふところあらば、このしゆくぐわん、じやうじゆせん。

しゆくぐわんじやうじゆせば、このしきをもちゐて、かのうつしとどむる

P522オ

みえいのまへにしておこなふべしとおもひて、はこのそこに

いれて、むなしくすぐしはべるに、またのとしのやよひようか、このみえいを

くやうして、みえいくといふことをとりおこなふ。かくてさつきの

ころにもなりしかば、こごしよの、おんはてのほどにもなりぬれば、

ごぶのだいじようきやうのしゆくぐわん、すでにさんぶは、はたしとげぬ。いま

にぶになりぬ。あすをまつべきよにもあらず。ふたつのかたみをひとつ

くようしたてまつりて、ちちのをのこしても、なにかはせむ。

いくよのこしてもちゆううのたびにともなふべきことならず

などおもひよりて、また、これをつかはすとておもふ。ただのひとの

ものになさむよりも、わがあたりへやまうさましとおもひしかども、よく

よくあんずれば、こころのうちのきせい、そのこころざしをばひとしらで、「よに

P522ウ

すむちからつきはてて、いまはなきあとのかたみまで、あすか

がはに、ながしつるにや」とおもはれんこともよしなしとおもひし

ほどに、をりふし、つくしのしよきやうといふものが、かまくらよ

りつくしへくだるとて、きやうにはべりしが、ききつたへて、とりはべり

しかば、ははのかたみはあづまへくだり、ちちのはにしのうみ

をさして、まかりしぞ、いとかなしくはべりし。

するすみはなみだのうみにいりぬともながれむすゑにあふせあらせよ W

などおもひつづけて、つかはしはべりき。さて、かのきやうを、さつきの

とをかあまりのころより、おもひたちはべるに、このたびは、かはち

のくにたいしのおんはかちかきところに、ちとたちいりぬべきところあり

しにて、また、だいぼんはんにやきやう、にじつくわんをかきはべりて、おんはかへ

P523オ

ほうなふしはべりき。ふみづきのはじめには、みやこへかへりのぼりぬ。

おんはてのひにもなりぬれば、ふかくさのおんはかへまゐりて、ふしみどのの

ごしよへまゐりたれば、ごぶつじ、はじまりたり。しやくせんの

そうじやう、ごだうしにて、ゐんのおんかたのごぶつじあり。むかしの

おんてをひるがへして、おんみづからあそばされけるおんきやうと

いふことをききたてまつりしにも、ひとつおんおもひにやと、かた

じけなきことのおぼえさせおはしまして、いとかなし。つぎ

に、いうぎもんゐんのおんふせとて、けんきほふいんのおとど

ごだうしにて、それもおんてのうらにときこえしおんきやうこそ

あまたのおんことのなかに、みみにたちはべりしか。かなしさも、けふ

とぢむべきここちして、さしも、あつくはべりしひかげも、いと

P523ウ

くるしからずおぼえて、むなしきにはに、のこりゐてさぶらひしかども、

ごぶつじはてしかば、「くわんぎよ」いしいしとひしめきはべりしかば、

たれにかこつべきここちもせで、

いつとなくかわくまもなきたもとかななみだもけふをはてとこそきけ W

ぢみやうゐんのごしよ・しんゐん、ごちやうもんどころにわたらせおはします。おんすき

かげ、みえさせおはしまししに、ぢみやうゐんどのは、おんみやのおんなほし

ことに、くろくみえさせおはしまししも、けふをかぎりにやと

かなしくおぼえたまひて、また、ゐんごかうならせおはしまして、ひとつ

ごちやうもんどころへいらせおはしますをみまゐらせるにも、おんあと

まで、おんさかえひさしく、ゆゆしかりけるおんことかなとおぼえ

させおはします。このほどよりや、またほふわうおんなやみといふこと

P524オ

あり。さのみうちつづかせおはしますべきにもあらず。ごなうは

つねのことなれば、これをかぎりとおもひまゐらすべきにも

あらぬに、かなふまじきおんことにはべるとて、すでにさがどののごかう

ときこゆ。

 

以下後日。

 

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