平家物語 長門本 2003.04.15.火

凡例 底本 

【翻】『岡山大学本平家物語 二十巻 一〜五』 岡山大学池田家文庫等刊行会・森岡常夫。福武書店・昭和50〜52。底本・岡山大学蔵池田侯御筆本。付・校異・解題・国書刊行会本との対照表。本文部分に赤間神官本の現存部分を示す。

 

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平家物語巻第一                                  1オ

 祇園精舎のかねのこゑ、しよ行無常の響あり。沙羅さうじゆの花の色、生者必すいの

ことはりをあらはす。おごれるものも久しからず。たゞ春の夜の夢のごとし。たけきもの

もつゐにはほろびぬ。ひとへに風の前の塵におなじ。遠く異朝をとぶらへば、夏の塞綱、

             二や

しんの趙高、漢のわうまう、りうのしうゐ、唐のろくさん、これらは「みなかしこきをば  1

謗り、才有をば妬み、酒をもて〓奨をわすれ、妄なるをもて奴ことせり。きうしゆ先くわう

のまつりごとにもしたがはず、おごりをほしいまゝにし楽を極て、更に民黎の愁をしらざ

りしかば、久しからずしてほろびにしものなり。たとひ人事をいつはるといふとも、天道

をばはかりがたき物をや、王麗かくのごとし。人臣の位にゐるものいかでかつゝしまざる

べき。まぢかく本朝を尋れば、「神武天皇よりこのかた人王八十余代、或時は君臣をちう  2

し、ある時は臣君をそむく事ありき。承平に将門、天慶のすみとも、かう和の義親、平治

の信頼、おごれる心も武きことも、とり/゛\にこそ有けれども、早き瀬に有とはみゆるう

たかたの、程なくきゆるが如なり。ま近くは、太政大臣平の清盛入道と申ける人の有さ

まをつたへ承はるこそ心も言葉も及ば「れね。かの先祖をたづぬれば、桓武天皇の第五の  2

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王子一品式部卿かつら原の親王の九代のこうゐん、讃岐守正盛が孫刑部卿たゞ盛の朝臣の

ちやく男也。かの親王の御子たかみの王、む官無位にしてうせ給ひぬ。その御子たかもち

の王の時、寛平二年五月十二日にはじめて平朝臣の姓を給りて、上総介になり給てよりこ

のかた、忽に王氏をいでゝ、すなはち人臣「につらなる。その子ちんじゆふのしやうぐん  3

よしもち、のちにはひたちの大ぜう国香とあらたむ。くにかより貞もり陸奥守、これひら

                   度か      二平か

伊よのかみ、正のりゑちぜんのかみ、まさひら出羽のかみ、正盛讃岐守にいたるまで、六

代はしよ国のじゆりやうたりといへども、いまだてん上のせんせきをばゆるされす。たゞ

もりのあそん備前のかみたりし時、鳥羽院の御願、得長寿院をざうしんして、卅三間の御

だうをたて、「一千一たいの御ほとけをすゑたてまつる。天承元年〈 辛亥 〉十一月十六日、く  3

ぎやう六人、しきじ、べんくわんそうじて六十四人、清暑堂の大床にしてくやうの日時を

ひやうぢやうありて、同廿一日むまの時とさだめらる。すでにとげらるべきにてありける

に、その時こくにおよびて、大敗電雨おびたゝしかりければ、その日はゑんいんす。同廿

五日にくわんのちやうにてなをせんぎあり。廿九日天老日なりければ、とげらるべ「きに  4

てありけるに、氷の雨おびたゝしくふりくだる。しかるあひだ、牛馬車人うちそんぜられ

て出行におよばず。仍その日もゑんいんせり。ぜんぢやうほうわうなげきおぼしめされ

て、くやう三か度ゑんいんのゝちかさねてせんぎあり。おなじきつぎの年三月十三日、よ

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うしゆくさうおうのりやうしんをとて、その日くやうとさだめられぬ。、ぜんぢやうほうわ

うゑいらんをふるに、外廊内院一としてゑいりよにおうぜず「といふことなし。しゆろ  4

う、たうばにゐたるまで、珠玉をかざり金銀をちりばめたれば、仏ざうたんごんにして、

がらんびれいなり。きんこくのこずゑ、しやうゑんちのかけいき石のたてやう、ごんごだ

                             四  頒

うだんなり。くやうのじこくにいたりぬれば、がく人らんじやうをそうし、衆僧かだをは

いす。まことにしよ天もこの所にやうがうし、りうじんもたちまちにらいりんし給ふらん

とおぼえたり。かぢばんしやうそまやまのたくみ、「そうじてけちゑんけいゑいの人夫に  5

いたるまで、程々にしたがひて、けんじやうをかうぶることしんじちの御ぼだいなりとお

ぼえたり。さてくやうの師には、天だい座主大そう正ちうじんと御ひやうぢやうありしか

ども、かたくじたい申させ給てまいりたまはず。さらばとてこうふく寺のべつたう僧正を

めされけるに、これもさい三じゝ申されてまいり給はず。さてはたれにてかあるべきとお

ほせありけり。その時しよ寺しよ山「より、めい僧べつたう、われも/\とのぞみ申さる  5

ゝ貴僧かうそう十三人ぞありける。その十三人と申は浄土寺の僧正実印、同別当覚恵僧

                            (弟)

都、こうふく寺の大進法橋実信、同寺大納言法印経雲、御室の御第子祐範上人、園城寺の

権大僧都良円、同寺智覚僧正、東大寺大納言法印隆範、花山院僧正覚雲、蓑尾法眼蓮生、

徳大寺兵部卿僧都祐全、宇治僧正観信、桜井宮上人円妙、以上十三人なり。「このちとく  6

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                       (皇)

たちは、あるひは法皇の御ぐわいせき、あるいはほう王の御師はん、あるひは御きたう

僧、その名とくみなもて公請をつとめらるゝ人々なり。まことにしゆしやう高貴にして、

智恵分明なり。じやうぎやうぢりつにして、せつほうふるなのあとをつたえ給へり。われ

こそ天下第一の名僧よ、我こそにほん無双の正道よと、おの/\けうまんをおこしてのぞ

み申させ給もことわりなり。げにも天だい座すの「ほかは、この人にこそきりやうよと、  6

法皇も御定あり。さればおぼしめし煩ひてぞわたらせ給ひける。まい日くぎやうせんぎあ

                  (皇)

りけれどもいまださだまらず。さればほう王いかゞすべき。一人を導師にもちゐば、のこ

り十二人の恨を遺べし。朕は人のうらみをやめむとこそおぼしめすに、御堂くやうの時、

十二人のうれへをおはん事こそあさましけれと仰下され、くぎやうせんぎして一同に申さ

れけるは、彼十三人の僧達に、「めん/\にくしをとらせられ候へし。くしをとり当たら  7

んはよろこびなり。とりあたらざらんはちからなき事にこそ候はんずれ。その恨候まじと

申さる。くしはいか様にかあるべき。一を導師とあそばされて、十二をば白紙にて候べし

      (皇)        

と申さる。ほう王おほせのありけるは、朕が現当二世の大事、たゞこのことにあり。しら

紙とだう師と十三のくしをとらすならば、一定ひとりはとりあたらんずらむ。但十三なが

ら仏意にかなはぬ僧にてもや「ある覧。さればもしまことに導師たるべき人、この十三人  7

のほかにやなをましますらん。冥のせう覧もしりがたし。されば今一のくしを加へて十四

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になすべし。十三の白紙と一のくしとつがう十四のくしをとらすべしと仰下されき。かね

てこのぜんりよ達をみな得長寿院にめされたり。ゆゝしき見物にてぞ侍りける。御定にま

かせて十四のくしを出されたり。十三人の僧徒めん/\にとり給うにみな白紙なり。御導

師に「なるべきくし一はのこりたり。冥のせう覧まことにやうあるべしと仰られけり。十  8

三人の智徳たちおの/\たからの山に入て、手をむなしくしてぞ帰り給ける。ほうわうこ

の僧共は仏意にかなはざりけり。さればだうしはほかにありとしろしめして、この人々の

ほかたれにてあるべし共おぼえず。たゞ願はかならずしも智者にあらず共、能説にあらず

とも、しゆ姓げれつなりとも、心にじひありて、身に行とくいみじくて、天下「だい一に  8

貧ならむ僧を、導師にもちいばやとおぼしめさばいかにと仰下されければ、公卿たち、い

かなる人のまいらんずらんとあやしみを成たまふ。ある時ほうわう、とくちやうじゆ院に

御かうなりたり。八十ゆうよばかりなるらう僧の、かうべには雪をいたゞきたる白髪を

ひ、額には四海のなみをたゝみ、こしふたえにしてつゑにすがり、みの笠きたるがひらあ

しだはきて惣門よりらいりんす。あやしと御覧ずる処に御前のきさはしにまいり、「みの  9

かさをばぬぎをきて、ふちの衣のあさましげなるをきて、ふるきけさのさん/\なるをか

けたり。くぎやうてん上人挙て、いかなる事候や。かゝる御座敷にまいりよるべきものにて

もなし。らうぜきなり。まかりいでよと追る。このそうすこしもおどろきたるけしきもなく

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て、法皇の御まへにまいりて申けるは、まことにて侯やらん。この御堂くやうの御導師に

は、むち下せんなりとも心にじひありて、行とくあらんひん「僧をめさるべしとうけ給は  9ウ

りおよび侯。この小そう慈悲ぎやうとくはかけて候へども、ひんしやばかりはにほん第一

にて候。真実の御定にて候はゞ、まいるべくや候らんと奏す。その時公卿てん上人さこそ

おほせあらんからに、わ僧ほどのものをばいかでか御だうしにめさるべき。見ぐるし。と

く<罷出よと仰す。法わうふしぎなりとおぼしめしながら、わ僧はいづくにあるぞと御

尋あれば、僧申けるは、当時東「さかもとの地主ごんげんの大ゆかの下に、時々には草む  10オ

しりて侯と申す。さてはまめやかの無縁ひん道のそうにこそあんなれとて、御だう師に定

らるゝ所なり。来十三日むまの時いぜんに、この御だうにまいるべしと御定のあひだ、僧

なみだをはら<とこぼして、手をあはせて法皇をおがみまいらせて、みのかさを取てう

             (皇)

ちきてまかりいでにけり。そのときほう王御つぼのめしつぎをめして、あのそうの居所見

てまいれと、「いかなるありさましたるぞ、よく<見てまいれとてつかはさせおはし  10ウ

す。御使見ゑがくれに行程に、申つるごとく、比叡山の東坂本地主ごんげんの大ゆかの下

に入ぬ。居所の有様はこもひきまはして、絵像の阿彌陀の三尊ひんがしむきにかけて、は

なつくゑに華香供してかほりしめたり。みのかさぬぎおきて、花つくゑの下に紙にひねり

たる物あり、それをとりいだして茶器にすこし入「て、ある桶なる水をいれてかきたてゝ  11オ

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ぞぶくしける。さてそのゝちひとりごとに申けるは、とかくしてまうけたりし松葉もはや

すくなくなりにけり。いかにしてか露の命もさゝうべき。あはれとく御仏事の日になり給

へかし。さても目出たき法皇の御善根の潔さかな。南無山王大師七社ごんげんじひなうじ

ゆをたれて、法皇をしゆごしたてまつり給へしと申て、念じゆうちして目をふさぎて「ぞ  11ウ

                                  (皇)

侍ける。召次かんるいをながして、いそぎ帰参して比よしを奏聞しければ、法王聞めして

おほきにかんじ思食されて、たつとがらせまし<ける。さる程にすでに御くやうの日に

もなりにければ、かの聖のもとへ四方こしをむかひにつかはす。ひじり申けるは、こしく

るまにのるべき御導師をめさるべきならば、のぞみ申さるゝ所の高僧をこそめさるべく候

へ。今わざと無縁ひん道の僧をこそ供養せさせ給「ぬれ。されは精誠の御善根なり。いか  12オ

でか有名無実の虚仮の相をば現じ候べきとて、こしをば返したてまつりて、吉日りやうし

        (刻)                幸

んは十三日のむまの剋なり。さればむまの時いぜんに御幸行かうもならせ給ぬ。男女うん

かくみなまいり給へり。いはむや京中いなか近国をんごくのきせん上下、いく千万といふ

かずをしらずまいりあつまりたり。かの導師すでに参のぞみたまふ。みのかさこそけふは

着ねども、「袈裟はたゞありしまゝなり。老々として腰窟り給へり。従僧と思しくてわか

き僧二人あり。御ふせもたせん料とおぼしくて、下僧十二人庭上に候て、まことにわうじ

やく気なるすがたなれば、万人目をおどろかしてぞ侍べる。あなあさましのものや。いか

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(以下後日)

 

巻第二十 46オ 最後の丁(原本通りに改行)

 

の春のころ、むらさきの雲のむかひを待えつゝ、

御往生の素懐を遂させ給けり。一期の御

廻向むなしからざれば、御一門の人々も、一仏浄土

の縁御疑有べからず。昔の后妃の位におはし

まさば、栄耀御心にそむで、御執心もおはしま□(虫食い)

べし。源平の逆乱に神をくだき、〓離穢

土の御心ざし深かりけり。されば悪縁を善

縁として遂に御本意を成就せられけり。

ある人の云、妙音菩薩の化身におはしま

すと云云。

 

 

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