平家物語 三 目録、一～八
平家物語 一 目録、一～廿 以下未入力
平家物語 二 目録、一～四十（全）
平家物語 五 目録、一～四十（全）
平家物語 六 目録、一～卅三（全）
平家物語 七 目録、一～卅八（全）
平家物語 九 目録、一～卅二（全）
平家物語 十一 目録、一～卅九（全）
平家物語 十二 目録、一～卅九（全）
平家物語 三（第二本）
Ｐ１４３７（一オ）
一 院ノ御所ニ拝礼被行事
二 法皇御灌頂事
三 天王寺地形目出事
四 山門ニ騒動出来事
五 建礼門院御懐任事 〈付成経等赦免事〉
六 山門ノ学生ト堂衆ト合戦事 〈付山門滅亡事〉
七 信乃善光寺炎上事 〈付彼如来事〉
八 中宮御産有事 〈付諸僧加持事〉
九 御産之時参ル人数事 〈付不参人数事〉
十 諸僧ニ被行勧賞事
十一 皇子親王ノ宣旨蒙給事
十二 白河院三井寺頼豪ニ皇子ヲ被祈事
十三 丹波少将故大納言ノ墓ニ詣事
十四 宗盛大納言ト大将トヲ被辞事
十五 成経鳥羽ニ付事
十六 少将判官入道入洛事
十七 判官入道紫野ノ母ノ許ヘ行事
十八 有王丸油黄嶋ヘ尋行事
十九 辻風荒吹事
廿 小松殿死給事
Ｐ１４３８（一ウ）
廿一 小松殿熊野詣事
廿二 小松殿熊野詣ノ由来事
廿三 小松殿大国ニテ善ヲ修シ給事
廿四 大地震事
廿五 太政入道朝家ヲ可奉恨之由事
廿六 院ヨリ入道ノ許ヘ静憲法印被遣事
廿七 入道卿相雲客四十余人解官事
廿八 師長尾張国ヘ被流給事 〈付師長熱田ニ参給事〉
廿九 左少弁行隆事
卅 法皇ヲ鳥羽ニ押籠奉ル事
卅一 静憲法印法皇ノ御許ニ詣事
卅二 内裏ヨリ鳥羽殿ヘ御書有事
卅三 明雲僧正天台座主ニ還補事
卅四 法皇ノ御棲幽ナル事
Ｂ１２１７
Ｐ１４３９（二オ）
平家物語第二本
〔一〕〔院ノ御所ニ拝礼披行事〕
1
治承二年正月一日、院ノ御所ニハ拝礼行ワル。四日、朝覲ノ行幸
有テ、例ニ替タル事ハナケレドモ、去年成親卿以下、近習ノ人々多ク
失レシ事、法皇御欝リ未休一マ、世ノ御政モ倦クゾ被思食ケル。入道モ
多田蔵人行綱告知セテ後ハ、君ヲモウシロメタナキ御事ニ思進テ、
世中打トケタル事モナシ。上ニハ事ナキ様ナレドモ、下ニハ心用心シテ、只
クヱイ シイウ
ニガ咲テゾ有ケル。七日ノ暁、彗星東方ニミユ。十八日ニ光ヲマス。〓尤
ハヽキボシ ミダル メヅラシ
キト セキキ
旗トモ申ス。又赤気トモ申ス。何事ノ有ベキヤラムト、人怖ヲナス。
アラハス
二〔法皇御灌頂事〕
ウケ
法皇ハ三井寺ノ公顕僧正ヲ御師範トシテ、真言ノ秘法ヲ受サセ
オワシマシケルガ、今年ノ春、三部ノ秘経ヲ受サセ給テ、二月五日ニハ
1 「拝礼ハイライ」 （前田本色葉）。
Ｐ１４４０（二ウ）
園城寺ニテ御灌頂有べキヨシ思召立ト聞シ程ニ、天台大衆嗔リ
申ス。「昔ヨリシテ今ニ至ルマデ、御灌頂、御受戒ハ皆我山ニテ遂サ
1
セオワシマス事、既ニ是先規也。就中一山王ノ化道ハ受戒灌頂ノ
御為也。三井寺ニテ遂サセ給ワム事、不可然一」ト申ケレバ、サマ＜”ニ
被誘仰一ケレドモ、例ノ山ノ大衆、一切ニ院宣ヲモ不用一。「三井寺ニテ御
灌頂アルべキナラバ、延暦寺ノ大衆発向シテ、園城寺ヲ焼払ベ
シ」ト僉議スト聞ヘケレバ、重テ被宥仰一ケレバ、留リニケリ。園城
寺向後可受延暦寺戒一之由、請文ヲ可出之由、被仰下一ケレバ、
北院、中院ハ公顕僧正ノ門徒多カリケレバ、可従勅定一ニ之由申
ノコス
ケルヲ、南院、「今更我寺ニ瑕瑾ヲ不レ可レ貽一」トテ、異議ヲナシテ
1 「化道」は「化導」とあるべきところ。
Ｐ１４４１（三オ）
不従ケリ。「南院ヨリ当寺ノ僧、天台座主ニ被補之時、寺務ヲ可
遂行一。又法城寺ノ探題、当寺、同ク可令勒仕一。此両条有裁許一
者、勅命ニ従テ延暦寺ノ戒ヲ可受」之由、申ケリ。彼此ノ議、イヅレモ
難成一カリケレバ、御加行結願シテ、御灌頂ハ思食止ニケリ。抑三
部経ト申ハ其数アマタアリ。一者法花三部、二者大日三部、三者鎮
護国家三部、四者弥勒慈尊三部、五者浄土真宗他力往生
三部也。今法皇ノ受サセマシマス三部ハ、大日三部、真言教ノ依経也。
其三部ト者、一者大日経、二者金剛頂経、三者蘇悉地経、是也。今
此経ノ大意ヲ尋レバ、「若有人此経、受持読誦者、即身成仏故、放
大光明円」ト説ク。「若シ人ア（ッ）テ、此妙典ヲ受持読誦スレバ、父母所生ノ依
Ｐ１４４２（三ウ）
1
身、忽ニ大日如来ト成テ、胸ノ間ノ大光明ヲ放テ而、三界六道ノ闇ヲテラス」
ト説レタル妙典也。後白河法皇、忝モ観行五品ノ位ニ心ヲ懸マシ＜
テ、法花修行ノ道場、五種法師ノ燈ヲ挑テ、七万八千余部ノ転読
也。上古ニモ未承及一。何況末代ニヲイテヲヤ。十善玉躰ノ御衣ノ色、
三密護摩ノ壇ニスヽケテ、即身菩提ノ聖ノ御門トゾミヘサセ給ケル。
彼ノ公顕僧正ト申ハ、法皇ノ御外戚、顕密両門ノ御師徳也。止観
玄文ノ窓ノ前ニハ、一乗円融ノ玉ヲミガキ、三密瑜伽ノ宝瓶ニハ、
東寺山門ノ花開ケ給ヘリ。如此一、内ニツケ外ニツケテ、御帰依ノ御志シ
深ニヨ（ッ）テ、妙典ヲモ公顕僧正ニ受、御灌頂ヲモ三井寺ニテト思食
立ケルガ、山門騒動シテ打止奉ル事、何計カ心憂被思食一ケム。
1 「而」は不読。
Ｐ１４４３（四オ）
法皇、「我朝ハ此辺地粟散ノ国也。何事モ争カ大国ニヒトシカルベキ
ナレドモ、中ニモ雲泥及ビナカリケルハ、律ノ法文、僧ノ振舞ニテゾ有ラ
ム。僧衆ノ法ハ、帰僧息諍論、同入和合ノ海トイヘリ。和合海ニコソ入ラザラ
メ、諍論ヲ専ニシテ、指タル咎モナキ三井寺ヲ焼失セムトスル条、無
道心ノ者共哉。破和合僧ノヲモムキ、是又五逆罪ノ随一ニ非ヤ。形
計ハ出家ニシテ、心ハ偏ニ在俗ニ同ズ。愚鈍ノ闇深シテ、〓慢ノ幢高シ。
比丘ノ形トナリナガラ、難値一如来ノ教法ヲモ修行セズ、大日覚王ノ智
1
水ノ流ニ身ヲモスヽガズ。丸ガタマ＜入壇灌頂セムトスルヲサヘ、障礙スル
マゲ
事ノ無慙サヨ。縦丸理ヲ枉タル非法ヲモ宣下シ、若ハ山門ノ所領ヲ別
2
院ニ寄ト云トモ、王位々々タラバ、誰カ此ヲ背ベキ。何況受職灌頂ト
1 底本「〓［日+寸］」。「礙」の異体字。
2 「王位」は「王威」とあるべきところ。
Ｐ１４４４（四ウ）
者、上求菩提ノ春ノ花、下化衆生ノ秋ノ月也。智徳明匠此ヲ讃嘆シ、
貴賤男女此ヲ随喜ス。縦随喜讃嘆ノ褒美セシムルマデコソ
ナカラメ、無上福田ノ衣ノ上ニ邪見放逸ノ冑ヲ着シ、定恵二
1
手ノ掌ノ内ニ、仏法破滅ノ続＿松ヲサヽゲテ、三井寺ヲ焼失ムト
僉議スルラム粂、少モタガワヌ昔ノ提婆達多ガ伴類也。サコソ
末代トイワムカラニ、是程王位ヲカロシムべキ様ヤアル。口惜事哉」
トテ、震襟シヅカナラズ、逆鱗屡忝シ。「抑王位ハ仏法ヲアガメ、
カウ
仏法ハ王位ヲ護コソ、相互ニ助ケテ、効験モ目出ク明徳モイミジ
ケレ。若王位ヲ王位トセズハ、何レノ仏法カ我朝ニ興隆スベキヤ。今
度山僧等園城寺ヲ焼失セムニヲイテハ、天台ノ座主ヲ流罪
1 黒川本色葉によると「続松」には、ツキマツ、タイマツ、ツイマツ等の訓みがある。
Ｐ１４４５（五オ）
シ、山門ノ大衆ヲモ禁籠セム」トゾ思食。又カヘシテ思食ケルハ、「山門
大衆、内心コソ愚癡ノ闇深ウシテ、邪雲忽ニ仏日ノ影ヲ犯トイヘドモ、
1
形ハ既ニ比丘ノ形也。一々ニ禁籠セム 事、罪業又ナムゾ消滅スベキ
ヤ。且ハ五帖法衣ヲ身ニマトヘリ。帰依ノ志、全ク賢哲師子ニヲトルベカ
ラズ。且ハ大師聖霊ノ御計ヲモ待奉ルベシ。且ハ伊王山王モ争カ捨ハ
テサセ給ベキヤ」トテ、御涙ニゾムセバセ給ケル。此ノ法皇ハ百王七十
七代ノ御門、鳥羽院第三ノ御子、雅仁天王トゾ申シケル。治天
僅ニ三年也。イソギ御位ヲスベラセオハシマシケル御志ハ、「無官有智ノ
僧ニ近付テ、甚深ノ仏法ヲモ聴聞シ、壇所行法ノ花香ヲモ手ヅ
カラ自ラ営ム」ト思食ルヽ故ナリ。抑百王ト申ハ、天神七代、地神
1 底本「セム」の次に「ト」を書き抹消している。
Ｐ１４４６（五ウ）
五代之後、神武天皇ヨリ始テ、御衣濯河ノ流スヾシク、龍楼鳳
闕ノ月クモリナカリシカドモ、第廿九代ノ御門、宣化天皇ノ御時マ
デハ、仏法未我朝ニ伝ハラズ、名字ヲスラ聞事ナカリキ。サレバ其時
マデハ、罪業ヲ恐ルヽ人モナク、善根ヲ修行スル人モナカリキ。親ニ孝
養ヲモセズ、心ニ仏道ヲモモトメズ。持律持戒ノ作法モナク、念仏
読経ノイトナミモナシ。而ルニ第卅代ノ御門、欽明天皇ノ御宇
十三年壬申歳十月十日、百済国ノ聖明王ヨリ、金銅ノ釈
迦如来、并経綸少々、幢幡、蓋、宝瓶等ノ仏具ナムド被送
タリキ。但シ仏像来臨シ聖教伝来スト云ヘドモ、談義転読スル
僧宝未ダナカリシカバ、三宝ヲモ供養ジ、聖教ヲモ随喜セズ、只
Ｐ１４４７（六オ）
闇ノ夜ノ錦ニテゾ侍ケル。第卅二代ノ御門、用明天皇ト申、御
諱豊日天皇トモ申キ。此御門御時ヨリ三宝アマネク流布シテ、
大小乗ノ法文米ソ天下ニカヽヤク。其ヨリ以来、仏法修行ノ貴賤、其
数多ト云ドモ、此法皇程ノ薦修練行ノ御門ヲ未承ラー。子ニ臥シ
寅ニ起キサセ給フ御行法ナレバ、打解テ更ニ御寝モナラズ。金
烏東ニカーヤケバ、六部転読ノ法水、三身仏性ノ玉ヲミガキ、
夕日西ニ傾ケバ、九晶上生ノ泣台二三噂来迎ノ心ヲハコビ給ヘリ。
或時一両句ノ御願文ヲアソバシテ、常ノ御座ノ御障子ノ色紙ニ
カヽセ給タリケル明句ニ云、
身ハ暫ク雖レ居（二）ト東土八苦ノ棘之下ニ一、心ハ常ニ令レ遊（二）バ西方九品ノ蓮之上一ニ。
二「蕀カラタチ」（名義抄）。
Ｐ１４４８（六ウ）
トゾアソバサレタル。又常ノ御詠吟ニ云、
智者ハ秋ノ鹿、鳴テ入山一ニ。愚人ハ夏ノ虫、飛テ焼火一ニ。
トゾ、常ニハナガメサセ給ケル。此ハ止観ノ行者、四種三昧ノ大意ヲ
釈シタル絶句トカヤ。昔ヨリ常ニ此事ナガメサセ御座ス御
事ナレドモ、今度山門ノ大衆ニ御灌頂ノ事ヲ打サマサレ給シ
時ヨリ、何ナル深キ山ニモ閉籠リ、苔深キ洞ノ中ニモ隠居セバヤト
ヤ思食シケン。御心ヲスマシテ、「智者ハ秋ノ鹿」トノミ御詠アリケルト
カヤ。后宮モ此ヲ浅増ク思食シ、雲客月卿モ肝神ヲ失ヒ給キ。
已ニ時ハ青陽五春ノ比ニモナリニケリ。三月桃花ノ宴トテ、桃
花之盛ニ開タリ。国母ガ跡ノ桃トテ、唐土ノ桃ヲ南庭ノ桜ニ殖
一「五春」底本のまま。盛衰記「暮春」。
Ｐ１４４９（七オ）
交テ、色々サマ＜”ニゾ御覧ジケル。桜ノサキニサク時モアリ、桃花
サキニサク時モアリ。桃桜一度ニ開テ〓［＋＋（くさかんむり）+匂］ウ時モアリ。今年ハ桜ハ
遅クツボミテ、桃花ハ前ニ開タリ。サレドモ、「智者ハ秋ノ鹿」トノミ詠メサセ
給テ、桃花ヲ御覧ズル事モナカリケリ。コレニヨ（ッ）テ、雲上人更ニ
一人モ花ヲ詠ズル人ヲハセザリケルニ、三月三日夕晩ニ、
春来遍是桃花水、 不（レ）弁（二）仙源（一）何処尋。
ト高ラカニ詠ズル人アリ。法皇、誰ゾヤト被聞食一ホドニ、ヤガテ
清涼殿ニ参テ笛吹ナラシツヽ、調子黄鐘調ニ音トリスマシ
タリ。ヤガテ、御厨子ノ上ナル千金ト云御琵琶ヲイダキヲロシ奉
テ、赤白桃李花ト申楽ヲ三反計ゾ引タリケル。「只人トハ覚へズ。
二『和漢朗詠集』巻上、三月三日、王維「桃源行」。
Ｐ１４５０（七ウ）
奇代ノ不思議哉」トゾ、法皇被聞食ケル。赤白桃李花ヲ三
反引テ後、琵琶ヲモヒカズ、詩歌ヲモ詠ゼズ、笛ナドヲモ吹事ナ
クシテ、良久ク有ケレバ、「此者ハ帰リヌルヤラム」ト思食テ、法皇、「ヤヽ、
赤白桃李花ハ何者ゾ」ト仰有ケレバ、「御宿直ノ番衆」トゾ申タ
リケル。「番衆ト申スハ誰ゾヤ」ト問セ給へバ、「開発ノ源平大夫住
吉」トゾ名乗リ給タリケル。「サテハ住吉ノ大明神ニテオハシケルニヤ」
ウツヽ
ト思食テ、怱ギ御対面アリ。夢ニモアラズ、現ニモアラズ。奇代ノ
不思議哉トゾ思食シケル。サテ種々ノ御物語アリケル中ニ、大明
神被仰ケルハ、「今夜ノ当番衆ハ松尾大明神ニテ候ヘドモ、イソギ
可申事ア（ッ）テ、引カヘテ参テ候。昨日ノ暁、山王七社、伝教大
三「開発カイホツ」 （前田本色葉）。
Ｐ１４５１（八オ）
師、翁ガ宿所ニ来臨シテ、日本国ノ吉凶ヲ評定シ候シニ、今度
山門ノ大衆、邪風コトニ甚シク、震襟ヲ悩シマヒラセ候シ条、存外
1
次第ニテ候。但シムツゴヽロニテハ候ハザリツル也。日本ノ天魔アツマリテ
山ノ大衆ニ入カワリテ、公ノ御灌頂ヲ打留メマヒラセ候処也。サレバ、大
衆ノ禍ヲバ御免有ベキ事ニテ候也」。時ニ法皇、「抑天魔ハ人類カ、畜
類カ、修羅道衆類カ。何ナル業因ノ物ニテ、仏法ヲ破滅シ侍ゾヤ」。大明
神答テ宣ク、「聯通力ヲ得タル人類也。此ニツイテ三アリ。一ニハ天魔、二ハ
2
破旬、三ハ魔縁也。第一ニ天魔ト云ハ、モロ＜ノ智者、学生ノ、無道心ニシテ、〓
慢甚シ。其無道心ノ智者ノ死レバ、必ズ天魔ト申鬼ニナリ候也。其ノ
形類ハ狗、身ハ人ニテ、左右ノ手ニ羽生タリ。前後百才ノ事ヲ悟
1 底本「广」。以下「魔」を「广」と書く。
2 「破旬」は「波旬」が正しい。
Ｐ１４５２（八ウ）
通力アリ。虚空ヲ飛事、隼ノゴトシ。仏法者ナルガ故ニ地獄ニハヲチズ。
無道心ナルガ故ニ往生ヲモセズ。〓慢ト申ハ、人ニマサラバヤト思フ心
也。無道心ト申ハ、愚癡ノ闇ニ迷タル者ニ、智恵ノ燈ヲサヅケバ
1
ヤトモ思ワズ、アマ（ッ）サヘ念仏申者ヲ妨ゲテ、嘲リナムドスル者、必ズ死レバ
天狗道ニ堕ト云ヘリ。当ニ知ベシ、末世ノ僧ハ皆無道心ニシテ〓
慢有ガ故ニ、十人ニ九人ハ必ズ天魔トナ（ッ）テ、仏法ヲ破滅スベシトミヘタ
リ。八宗ノ智者ニテ天魔トナルガ故ニ、是ヲバ天狗ト申ナリ。浄土門ノ
2
学者モ名利ノ為ニホダサレテ、虚仮ノ法門ヲ囀リ、無道心ニシテズヾヲ
クリ、慢心ニシテ数反ヲスレバ、天魔ノ来迎ニ預テ、鬼魔天ト申
所ニ年久ト云ヘリ。当ニ知ベシ、魔王者、一切衆生ノ形ニ似タリ。第六
1 底本「アマサヘ」。「アマッサヘ」の促音無表記。
2 底本、「虚仮」の右に「キヨケ」と書いて抹消する。
Ｐ１４５３（九オ）
意識反テ魔王トナルガ故ニ、魔王ノ形モ又一切衆生ノ形ニ似タリ。サレバ、尼、
法師ノ〓慢ハ、天狗ニナリタル形モ、尼天狗、法師天狗ニテ侍也。ツラハ
狗ニ似タレドモ、頭ハ尼、法師也。左右ノ手ニ羽ハヲイタレドモ、身ニハ衣ニ似タル物ヲ
キテ、肩ニハ袈裟ニ似タル物ヲ懸タリ。男儒憤、天狗ト成リヌレバ、ツラコ
ソ狗ニ似タレドモ、頭ニハ烏帽子、冠ヲキタリ。二ノ手ニハ羽ヲヒタレドモ、身ニハ
水干袴、直垂、狩衣ナドニ似ル物ヲキタリ。女ノ〓慢、天狗ト成ヌレバ、
1
狗ノ頭ニカヅラカケテ、べニ、白物ノヤフナル物ヲツラニハ付タリ。大眉ツ
クリテ、カネグロナル天狗モアリ。紅ノ袴ニウスギヌカヅケテ、大
空ヲ飛ブ天狗モアリ。第二ニ破旬ト申ハ、天狗ノ業スデニ尽ハテヽ
後、人身ヲ受ムトスル時、若ハ深山ノ峯、若ハ深谷ノ洞、人跡タヘテ千
1 「白物」は「紛シロイモノ」（前田本色葉）とあるように「おしろい」のこと。
Ｐ１４５４（九ウ）
里アル処ニ入定シタル時ヲ、破旬ト名ケタリ。一万才ノ後、人身ヲ受トイ
ヘリ。第三、魔縁ト者、〓慢、無道心ノ者、死レバ必ズ天狗ニナレリト
イヘドモ、未ダ其ノ人死セザル時ニ、人ニマサラバヤト思フ心ノアルヲ縁ト
シテ、諸ノ天狗アツマルガ故ニ、此ヲナヅケテ魔縁トス。サレバ、〓
慢ナキ人ノ仏事ニハ、魔縁ナキガ故ニ、天魔来テサハリヲナス
コトナシ。天魔ハ世間ニ多シトイヘドモ、障礙ヲナスベキ縁ナキ人ノ
許ヘハ、カケリ集ル事、更ニナシ。サレバ法皇ノ御〓慢ノ御心、
忽ニ魔王ノ来ルべキ縁トナラセ給テ、六十余州ノ天狗共、山
門ノ大衆ニ入カワリテ、サシモ目出キ前加行ヲモ打サマシマ
ヒラセテ候也。御〓慢ノヲコルモ誠ニ御道理ニテコソ候へ。『両
Ｐ１４５５（一〇オ）
界ノ万ダラヲ、一夜二時ニ懈怠ナク行ハセ給ヘル事、〓余代ノ御
門ノ中ニマシマサヾリキ。僧ノ中ニモマレニコソ有ラメ』ト思食ルヽ御心、即
魔縁トナレリ。『廿五壇ノ別尊法、諸寺諸山ノ僧衆モ、丸ニハ争カマサルベキ』
ト思食スハ、又魔縁也。『三密瑜伽ノ行法、護摩八千ノ薫修、上古ノ
御門ニマシマサズ。マシテ末代ニハヨモオワセジ。仏法修行ノ智者達ニモ
マサラバヤ』ト思食ハ、是魔縁也。『光明真言、尊勝ダラニ、慈救呪、宝
篋印、火界真言、千手経、護身結界十八道、仁王般若、五壇
法、丸ニ過タル真言師モマレニコソアルラメ』ト思召タルハ魔縁也。
『況入壇灌頂シテ、金剛不壊ノ光ヲ放テ、大日遍照ノ位ニノボラ
ム事、明徳ノ中ニモマレナルベシ。天子帝王ノ中ニモ、我ゾ勝レタ
Ｐ１４５６（一〇ウ）
ルラム』ト、大〓慢ヲナサセ給ガ故ニ、大天狗共多クアツマリテ、御
灌頂ノ空クナリ候ヌル事コソ、アサマシク覚候ヘ」トゾ申サ
人計カ侍ヤ」。大明神ノ宣ク、「ヨキ法師ハ皆天狗ニナリ候ア
ヒダ、其数ヲ不申及。大智ノ僧ハ大天狗、小智ノ僧ハ小天狗、一
向無智ノ僧ノ中ニモ随分ノ慢心アリ。ソレラハ皆畜生道ニ
堕テ打ハラレ候、モロ＜ノ馬牛共、是也。中比我朝ニ柿本
木僧正ト申シヽ高名ノ智者、有験ノ聖、侍キ。大〓慢ノ
心ノ故ニ、忽ニ日本第一ノ大天狗トナリテ候キ。此ヲアタゴノ山ノ太
郎房トハ申候也。スベテ〓慢ノ人多キガ故ニ、随分ノ天狗トナ（ッ）テ、
Ｐ１４５７（一一オ）
六十余州ノ山ノ峯ニ、或ハ十人計、或ハ百人計、カケリ集ラザル峯ハ
一モ候ハズ」。其時法皇、「誠仰ノ如ク、丸ガ行法ハ王位ノ中ニモ、仏法者ノ中ニモ、
イトマレニコソアルラメト思テ候ツル也。先両界ヲ空ニ覚テ、毎
夜二時ニ供養法シ給フ御門、上古ニハ未キカズト思侍リキ。別尊
レイシヨ
法、鈴杵ヲ廿五壇ニ立タル帝王モ、未ダ聞ズト思侍リキ。子ニ臥シ、
寅ニ起ル行法、帝王ノ中ニハ未聞一ト思侍リキ。毎日ニ法花経六部ヲ
信読ニヨミ奉ル国王モ、我朝ニハ未聞一ト思侍リキ。況三部経ノ持
者、秘密灌頂ノ聖トナリテ、本寺本山ノ智者達ニモマサリタ
リトホメラレムト思、慢心ヲ発ス事タビ＜ナリキ。サテハ今コソ既ニ
罪業ノ雲ハレテハ覚候ヘ。全ク山門ノ大衆ノ狼籍ニテハ侍ラザ
Ｐ１４５８（一一ウ）
リケリ。我身ノ〓慢、則天魔ノ縁トナリテ、六十余州ノ天狗共、
数日精勤ノ加行ヲ打ヤブリケルコソ、道理ニテハ侍ケレ。今ハ
慙愧懺悔ノ風冷シ。魔縁魔境ノ雲、争カハレザラムヤ。サテハ忍ビ
ヤカニ宿願ヲハタシ侯バヤト存候。御計候ヘ」ト仰有ケレバ、大明
1
神ノ宜ハク、「伝教大師申セト候ツルハ、『延暦寺ト申ハ愚老ガ
建立、園城寺ト申ハ智証大師ノ草創也。効験何モ軽シテ
2
御帰依ノ分ニアタワズ。日本国ノ霊地ニハ二々天王寺勝タリト
覚候。其故ハ、聖徳太子ノ御建立、仏法最初ノ砌也。其聖徳太
子ハ救世観音ノ応現、大悲闡提ノ菩薩也。此ニヨ（ッ）テ信心空ニ催テ、
勝利何ゾ少カラムヤ。折シモ彼寺ニ入唐ノ聖ノ帰朝シテ、恵果
1「暦」、底本「厂」。
2「二々天王寺」とは「四天王寺」のこと。「名語記」巻三に、「問、二二天王寺トイヘル、二二如何。答、二二ハ四也。四天王寺也。シカルヲ、四ニハシヌトイフヨミノアレバ、禁忌ノ字ナレバ、ハヾカリテ二二トカケリトモ申セリ。」
Ｐ１４５９（一二オ）
八仙ノ流水、五智五瓶ニイサギヨシ。灌頂ノ大阿闍梨、其器ニ尤モ足
ヌベシ。密ニ御幸ナラセオワシマシテ、御入壇候ヘ』」トテ、明神忽ニ失
給ヌ。法皇、被思食ケルハ、「慢心ヲイカニヲコサジト思へドモ、事ニヨリ折ニ
随テ、ヲコルベキ物ニテ有ケリ。サシモ大明神ノヲシヘ給ツル慢心ノ、今
又ヲコリタルゾヤ。其故ハ、大唐国ニ一百余家ノ大師先徳、其数多ト
1
イヘドモ、韋多天ニ対面シテ物語シ給ケル明徳ハ、終南山ノ道
宣律師許也。吾朝ニハ、人王始マ（ッ）テ朕ニ至マデ、七十余代ノ御門、其
数多トイヘドモ、住吉ノ大明神ニ直ニ対面シテ、種々物語シタル御
門ハ、丸計コソ有ラメト、〓慢ノヲコリタルゾヤ。南無阿弥ダブ＜、此
罪障消滅シテ、助ケサセオワシマセ」トゾ、御祈念有ケル。法皇
1 三「道」 去声濁、「宣」平声。
Ｐ１４６０（一二ウ）
スデニ天王寺ヘ御幸ナリケルトキ御手ヲ合セツヽイカナル
御祈念カオワシケム、
スミヨシノ松吹風ニ雲ハレテカメヰノ水ニヤドル月カゲ
トアソバシテ、御幸ナリツヽ、天王寺ノ五智光院ニシテ、亀
井ノ水ヲ結上テ、五瓶ノ智水トシテ、仏法最初ノ霊地ニテゾ、
伝法灌頂ノ素懐ヲ遂サセ御坐ケル。無上菩提ノ御願スデ
ニ成就シテ、有待ノ御身モ、今ハ金剛仏子ノ法皇トナラセ
オワシマシタル。天魔ハイサヽカナヤマシマヒラセタリケレドモ、住
吉大明神ニヲシヘラレマシ＜テ、即身成仏ノ玉躰トナラセオ
ハシマシタル、誠ニ目出ク侍リ。所以ニ、六大無礙之春花ハ、開レ自二
Ｐ１４６１（一三オ）
金剛界ノ智水一、四種万陀之秋ノ月ハ、出レ自（二）台蔵界ノ理門一。三密
瑜伽之鏡面ハ、浮（二）五智円満ノ聖躰一ニ、八葉肉団之胸ノ間ニハ、曜（二）ケリ
1
三十七尊ノ光円一。同五月廿日、天台ノ衆徒、以所司一ヲ令テ参陣一セ
訴申ケルハ、「今度最勝講ニ延暦寺ノ僧ヲ不被召一。此条都テ
無先規一。依テカ何一、忽ニ可（レ）被（二）棄捐一哉」トゾ、申タリケル。蔵人右
2
少弁光雅、参院シテ奏聞シケレバ、「更ニ非（二）御棄置之儀一ニ。天
台ノ衆徒、以（二）自由ノ張行一ヲ、御願ヲ奉妨一之条、頗奇怪ナルニ依テ、
其事ツミシラセムガ為ナリ」トゾ、被仰下一ケル。此ノ趣ヲゾ所司ニハ
仰含ケル。又延暦寺ヨリ差二遣テ専使一園城寺ニ申送ケルハ、
「最勝講ハ鎮護国家ノ御願ナリ。而今度被（レ）棄（二）天台宗一之処、
1 「円」は底本に「用」とあるのを改める。
2 「棄」は底本「奇」。
Ｐ１４６２（一三ウ）
園城寺ノ僧可被参勤之由、風聞アリ。何ノ宗ヲ以テカ被参勤一
哉。当寺ハ天台歟、花厳歟、三論歟、法相歟。委細ニ承テ、可存知
仕一」トゾ申タリケル。爰ニ園城寺ノ衆徒、三院会合シテ僉
議ストイヘドモ、何ノ篇モ返答スベシト云義モ定ラザリケレバ、
只「追テ可申」トバカリゾ返答シタリケル。抑道宣律師ノ相
給テ物語シ給ヒシ韋茶天ト申ハ、毘沙門天王ノ太子ナリ。
道宣律師、終南山ニシテ、晴夜ニシテ、高楼ヲ立テヽ、彼ニ登テ
御シケルガ、誤マ（ッ）テ高楼ヨリ落給時、中途ニシテ、ミシト懐
タテマツル者アリ。「何者ゾ」ト被問一ケレバ、「韋茶天」ト答ケリ。道
宣ノ宣ハク、「何ニシテコレヘハ来ルゾヤ」。天ノ云、「吾レ毘沙門天王ノ御便
Ｐ１４６３（一四オ）
者トシテ、彼ノ命ニ随ヒテ、日来ヨリ参リテ、常ニ奉守護一シ也」ト云々。道
宣重テ宣ク、「其議ナラバ、顕レテ常ニ物語ヲモシ給へカシ」ト云レケレバ、
「仰ニ随テ」トテ、其後ハ庭前ノ柳ニ登リテ、光明ヲハナチテ、諸ノ世界国
土ノ物語ヲ申ケリ。彼ノ道宣与韋茶天一トノ物語ヲ注セル、一巻ノ
伝記、是アリ。感通伝ト名タリ。道宣云ク、「毘沙門天王ハ、当時ハイヅ
クニ御シマスゾ」。天答テ云ク、「当時ハビサ門天王ハ、玄弉三蔵ノ大般若
訳シ給ヘル処ニ、彼ノ三蔵ヲ守護ノ為ニ御シマス」トゾ申ケル。道宣ノ云ク
「玄弉ハ破戒ノ僧ナリ。我ハ持戒ノ者也。我ヲコソ守護シ給ベキニ、我ヲバ
韋茶天ニ預ケテ、玄弉三蔵ヲ守護セラルラム事ハ、存外ノ事
也」トゾ自称シ給ケル。ゲニモ道宣ノ云ガ如クニ、道宣律師ハ二百五十ノ
Ｐ１４６４（一四ウ）
1〔オ〕モテ
律儀ヲ守リテ、一事モ戒ヲ犯サズ。八万ノ細行ヲ正クシテ、身口ノ表ヲ
鮮ニセリ。玄弉三蔵ハ乱僧也。徳行遙ニ下レリ。然ルニ道宣ヲス
テ、玄弉ヲ守リ給ラム事、疑実ニ多シ。倩ラ事ノ次第ヲ案
ズルニ、高僧伝ヲ開キ見ルニ、一切ノ僧ノ徳行ヲ釈セムトシテ、十ノ
2 ヤク ゲ
科ヲ立タリ。「第一ニハ翻訳ノ僧、其功殊ニ貴シ。第二ニハ義解ノ僧、
3
仏法流伝ノ謀、誠ニ目出シ」。如此一次第ニ科門ヲ立テ、釈シ畢テ、
4
「第十ニハ仏蔵経論等ヲ修復修造ノ僧也」ト連ネタリ。以彼一ヲ案
之一ヲ、玄弉三蔵ト云ハ、其ノ身破戒ニシテ、防、生、光、基ノ四人ノ
子ヲマウクトイヘドモ、高僧伝ニ所立一ノ十科ノ中ニ、第一ノ翻訳ノ
三蔵トシテ、般若大乗教ヲ流転スル事数百軸、此ノ徳ヲ
1 「オ」虫損。
2 底本では「科」の左肩に○を付ける。声点か。
3 底本では「謀」の次に「ナ」を書いて抹消する。
4 「復」は底本「複」。
Ｐ１４６５（一五オ）
鑑テ、毘沙門天王ノ自身往テ、守護シ給ヘル歟トゾオボヘシ。カク
テ道宣、大慈恩寺ノ長老ニ被任一タリケルニ、住寺ノ僧侶一
コウリヤウ
千余人、衣鉢ヲ帯シテ止住ス。堂舎ノ構梁ハ三百三十三間
ナリ。金銀ヲチリバメテ鮮潔也。其ノ後、韋茶天惣ジテ来ル事
ナシ。遙ニ程隔テ来レリケレバ、道宣、韋茶天ニ宣ハク、「天何故ゾ久シク
不来一哉」。天答云、「終南山ニオワセシトキハ、身ハ律儀ノ為ニ貴ク、
心ハ求法ノ為ニ苦也キ。内外共ニ清浄ナリシカバ、御心ケガルヽコト
ナカリキ。而ニ当寺ニ住シ給テヨリ後ハ、御心汚穢ニシテ、世路ノ
思コマヤカニ、御身不浄ニシテ、名聞ノ志シ深シ。依之一、毘沙門天
王惣ジテ不可参一ズ之由、被禁メ仰一セ間ダ、不リ参一ラツレドモ、
Ｐ１４６６（一五ウ）
日来ノ御好ヲ忘レ奉ラズシテ、毘沙門天王ノ命ヲ背テ、暫時ノ暇ヲ申テ
私ニ参タリ」トゾ申ケル。而ニ彼ノ韋茶天ノ宣ケル慈恩寺ニシ
テ、身心ノ不浄ニオハシケム事ハイカニト思へバ、昔シ終南山ニ
オワセシ時ハ、一向下化衆生ノ心ヲ先トシテ、世俗馳走ノ思モ
ナカリシカバ、内外共ニ清浄ナリキ。今此ノ慈恩寺ト申ハ、
徳宗皇帝ノ建立トシテ、堂舎塔廟広博也。サレバ止住ノ
僧侶モ多シテ、行法ノ床モ数シゲシ。彼ノ大伽藍ノ長老ト
ナリ給シカバ、住寺ノ僧ヲ助ムトテ、自ラ度世ノ計ヲモ心ニ
シカラ
ヤ懸給ケム。若尓者、心汚穢ニナリ給タリトテ、守護ヲ
加ヘ給ハザリケルモ理ナリトゾ覚ヘシ。
Ｐ１４６７（一六オ）
三〔天王寺地形目出事〕
1
抑四天王寺ト申ス者、天下第一之奥－区、人－間無－双之浄刹也。聖－徳－
サウ トナレル
太－子草－創之霊－場、救－世菩薩利生之勝－地ナリ也。寺ハ隣（二）于殊勝之
名－区一ニ、即極楽東門之中心、堺ハ摂二ス于霊験之奇地一ニ、是レ往
2ゲキ テウ
生西刹之古跡也。向ヘバ西一ニ則激海漫々トシテ、八功徳池之眺望、有
タウ
限ノ前一ニ。顧レバ東一ニ又清水滔々トシテ、三界水沫之無常、浮プ心中一ニ。
3 4カジ
村－南村－北ニ遐迩之輩ラ、契テ会日一ヲ以テ烏－合シ、自＿東リ自＿西リ
トヲシチカシ キウ
都－鄙ノ之類ヒ、詣デゝ道場一ニ、以テ鳩－集ス。加之一、天披帝葉ノ之廻ス
5
6
輿－輦一ヲ、帰シテ本尊一ニ、傾ケ叡慮一ヲ、山－玄水－蒼之動ス舟車一ヲ。
臨テ道－場一ニ成ス満願一ヲ。来ル者ハ非ズ他人之催一ニ。只被（レ）催（二）サ善－根之
宿因（一）ニ而所来一ル也。莅ム者ハ非（二）ズ自身ノ発一スニ。偏ニ依テ（レ）発（二）ルニ往生之
1 「奥」「区」平声、「人」平声濁、「間」平声。
ゲキ
2 上欄に「激」（入声濁の声点あり）と注記。
3 「村」「南」「村」平声。
4 「遐」 平声、「迩」 去声濁。
5 「山」 平声、 「玄」平声濁。
6 「舟」上声（あるいは平声か）。
Ｐ１４６８（一六ウ）
当－縁一而所莅也。天下ニ傾ル首一ヲ者、皆是レ応（二）ズ観音弘誓之
タレ カ
慈悲一ニ。人中ニ属ル心一ヲ者、孰カ又非（二）ンヤ極ー楽霊－稼之人民一ニ。堺ハ
ミンセ
在テ王地一ニ、不（レ）〓（二）王地一ニ。以（二）常住ノ三宝一ヲ為主一ト処ハ、摂シテ国郡一ニ、不レ
マジハル リ
随ハ（二）国郡一ニ、以（二）護－世四王一ヲ為ス吏一ト。定ル戒律一ヲ之庭ナレバ、放－逸ノ者ハ削リ
セキ
跡一ヲ、望ム浄土一ニ之砌ナレバ、不信ノ者ハ無来一ルコト。観音応迹之処ナレバ、住ム
人ト皆有リ慈悲一。往生極楽之地ナレバ、詣ル人ト悉ク行ズ念－仏一ヲ。依之一、
現世ニハ滅（二）シテ三毒七難之不祥一ヲ、満（二）－足シ二求両願ノ之悉地一ヲ、当
来ニハ生（二）ジテ三輩九品之浄刹一ニ、証（二）得セム常楽我浄ノ之妙果一ヲ。遠ク
1
尋（二）ネ月氏ノ之仏跡一ヲ、遙ニ訪（二）へバ震旦ノ之霊場一ヲ、如来説法之祇園
2
精舎、依（二）テ徊－録ノ災一ニ、咸陽宮之煙リ片々タリ。賢聖集会之
1 「震」は底本「辰」。
2 「咸」は底本「感」。
Ｐ１４６９（一七オ）
1
ユ
鶏－頭－磨寺、梁棟傾危シテ、古蘇台之露壌々タリ。漢ノ明帝之
白馬寺、断テ法音一ヲ残シ煙嵐一ヲ、高祖帝之慈恩寺、法侶去テ
住マス虎狼一ヲ。又本朝ノ諸寺諸山炎上之例、是レ多シ。而ニ於当寺一ニ者、臨テ
2 コウマツ
濁世一ニ、王臣之帰依弥ヨ新ニ、入（二）テ劫末一ニ、本尊之利益実ニ盛ナリ也。
上宮之威光日々ニ耀キ、寺塔之興隆歳々ニ増ス。護世四王護レバ寺一ヲ、
3
四魔三障之難モ不来一ラ。恒居之青龍載ケバ法一ヲ、仏－法之水之
流モ不乾一カ。カヽル霊－地ナレバ、四明、三井ニモマサ（ッ）テ思召サレケレバ、事
故ナク遂サセ給ニケリ。是当寺ノ非ズ面目一ニ哉。
四〔山門ニ騒動出来事〕
シヅメ
山門ノ騒動ヲ鎮ムガ為ニ、園城寺ノ御灌頂ハ止リタリケレドモ、山上ニハ
学生ト堂衆ト不和ノ事有テ、閑ナラズト聞ユ。山門ニ事出ヌレバ、世モ
1 「傾」「危」平声。
2 「濁」入声濁。
イタヾク
3 「載」底本のまま。上欄に「戴歟」と注記。
Ｐ１４７０（一七ウ）
1
必ズ乱ト云リ。又何ナル事ノアラムズルヤラムト、オソロシ。此事ハ去年ノ春ノ
比、義竟四郎叡俊、越中国へ下向シテ、釈迦堂ノ衆、来乗房
義慶ガ立置神人ヲ押取テ、知行シテ、跡ヲ押領ス。義慶怒ヲ
ナシテ、ツル賀津ニ下リアヒテ、義竟四郎ヲ散々ニ打散シテ、物具ヲ
ハギ取リ、恥ニ及ベリ。叡俊山ニ逃登テ、夜ニ入テ匍々登山シテ、衆徒ニ
訴ケレバ、大衆大ニイキドヲリテ、忽ニ騒動ス。来乗房又堂衆ヲ語フ
間、堂衆同心シテ来乗房ヲ助ムトス。
五 〔建礼門院御懐任事付成経等赦免事〕
建礼門院、其比ハ中宮ト申シガ、春ノ暮程ヨリ常ニ御乱心地ニテ、
供御モハカ＜”シクマヒラズ、御寝モ打解テナラザリシカバ、何ノ沙
汰ニモ不及一。惣ハ天下ノ騒ギ、別ハ平家ノ歎トゾ見シ。太政入道、二
1 「ス」虫損。
Ｐ１４７１（一八オ）
位殿、肝心ヲ迷シ給、埋也。サレバ諸寺諸山ニ御読経ハジマリ、諸宮詣
社ニ奉幣使ヲ立ラル。陰陽術ヲ尽シ、医家薬ヲ運ブ。大法秘法
無残所一修ラレキ。カクテ一両月ヲ経程ニ、御悩タヾニモ非ズ、御懐妊ト
聞シカバ、平家ノ人々、日比ハ歎レケルガ、引カエテ、今ハ面々ニ悦アワレケリ。
タイ
御懐孕ノ事定ニケレバ、貴僧高僧ニ仰テ御産平安ヲ祈リ、日月星
宿ニ付テ皇子誕生ヲ願フ。主上今年十八ニナラセ給フニ、皇子モ未ダ
渡セオワシマサズ。中宮ハ廿三ニゾナラセ給ケル。皇子御誕生ナムドノ
有ル様ニ、アラマシ事ヲゾ悦レケル。「平家ノ繁昌、時ヲ得タリ。然バ皇
子誕生疑ナシ」ト申ス人モアリケリ。カヽリシ程ニ、六月廿八日中宮
御着帯トゾ聞シ。月日ノ重ルニ随テ、御乱猶ワヅラワシキサマニ渡セ
1 「医家イケ」（前田本色葉）。
Ｐ１４７２（一八ウ）
給ケレバ、常ニハ夜ノオトヾニノミゾ入セ給ケル。少シ面モヤセテ、マタユ
ゲニ見ヘサセ給ゾ心苦キ。サルニ付テモ、イトヾラウタクゾミヘサセ給ケル。
彼漢ノ李夫人ノ、昭陽殿ノ病ノ床ニ臥タリケムモ、カクヤ有ラム。桃
李ノ雨ヲオビ、芙蓉ノ露ニシホレタルヨリモ、心苦キ御有様ナリ。
ウゲン
カヽリシ御悩ノ折節ニ合テ、シウネキ物気、度々取付奉ル。有験
僧共アマタ被召テ、護身加持隙モナシ。ヨリマシ明王ノ縛ニカケ
テ、サマ＜”ノ物気顕タり。惣テハ讃岐院ノ御怨霊、別ハ悪左府ノ
御臆念、成親卿、西光法師ガ怨霊、丹波少将成経、判官入
道康頼、法勝寺執行俊寛ナムドガ生霊ナムドモ占申ケリ。
1
依之入道相国、生霊死霊共ニ軽カラズ、ヲドロ＜シク聞給ケレバ、
1 「ト」平声濁。
Ｐ１４７３（一九オ）
「宥ラルベキ由ノ御政有ベシ」ト計申ル。門脇宰相ハ、「イカナル次モガナ。
丹波少将ガ事、申宥ム」ト被思ケルガ、此ノ折ヲ得テ、怱ギ小松内
1
大臣ノ許ヘオワシテ、御産ノ御祈ニサマ＜”ノ攘災行ハルベキ由聞ユ。
「イカナル事ト申ストモ、非常ノ大赦ニ過タル事、有ベカラズ。就中、
成経召返レタラム程ノ功徳、善根ハ争カ有ベキ。大納言ガ怨霊ヲ宥ム
ト思食ムニ付テモ、生タル成経ヲコソ被召返候ハメ。此事執申サジトハ
思ヒ候へドモ、娘ニテ候者ノ、余ニ思沈ミテ、命モアヤウク見ヘ候時ニ、常ニ立
ヨリテ、『アナガチカクナ思ソ。教盛サテアレバ、サリトモ少将ヲバ申預ム
ズルゾ』ト、ナグサメ申候ヘバ、顔ヲモテアゲテ、教盛ヲ打見テ、涙ヲ
流テ引カヅキテ候。教盛御一門ノ片端ニテアリ。『親ヲ持トモ、此時ハ
1 「攘」去声濁、「災」 上声。
Ｐ１４７４（一九ウ）
宰相ホドノ親ヲコソモツベケレ。ナドカ少将一人申預ラザルベキゾ』
ト、内々恨ミ申候ナルガ、ゲニモト覚テ、イタク無慙ニ覚候。成
経ガ事、可然様ニ執申サセ給テ、赦免ニ申行セ給へ」ト、泣
1
々クドキ被申ケレバ、小松大臣涙ヲ流テ、「子ノ悲サハ重盛モ
身ニツミテ候へバ、サコソ被思食候ラメ。ヤガテ申候ベシ」トテ、八条ヘ
渡リ給テ、入道ノ気色イタク悪シカラザリケレバ、「宰相ノ成
経ガ事ヲ強ニ被歎申候コソ、不便ニ覚候ヘ。尤御計有ベシト覚
候。中宮御産ノ御祈ニ、定テ非常ノ大赦行ワレ候ワムズラム。其
内ニ入レサセ給ベク候。宰相ノ被申候様ニ、誠ニ類ナキ御祈ニテ
有ムズラムト覚候。大方ハ人ノ願ヲ満サセ給候ハヾ、御願成就疑
1 「ト」平声濁。
Ｐ１４７５（二〇オ）
1
有ベカラズ。御願成就セバ皇王御誕生アリテ、家門ノ栄花弥
盛ナルベシ」ト、細々ニ申給へバ、入道今度ハ事ノ外ニ和ギテ、ゲニモト
思ワレタリゲニテ、「サテ俊寛、康頼ガ事ハイカニ」。「ソレラモ免レテ候
ハヾ、可然一コソ候ハメ。一人モ留ラム事ハ中々罪業タルベシト覚候」ナムド
被申ケレドモ、「康頼ガ事ハサル事ニテ、俊寛ハ且ハシラレタル様ニ、随
分入道ガ口入ニテ、法勝寺ノ寺務ニモ申ナシナムドシテ、人トナレル
物ゾカシ。其ニ人知レズ鹿谷ニ城ヲ構ヘ、事ニフレテ安カラヌ事ヲノ
ミ云ケル由ヲ聞ガ、殊ニ奇怪ニ覚ルナリ」トゾ宣ケル。「中宮御産ノ御
祈ニヨ（ッ）テ大赦行ワルベシ」ト、大政入道被申行ケレバ、即職事
奉書ヲ下サル。其状云、
1 「ハ」虫損。
Ｐ１４７６（二〇ウ）
為（二）中宮御産御祈一ノ、依（レ）被（レ）行（二）非常大赦一、薩摩国流黄
嶋ノ流人、丹波小将成経并ニ平判官入道康頼法師、二人可
帰参一之状、依仰一執達如件。
治承二年七月 日
トゾ、被仰下ケル。宰相是ヲ聞給テ、ウレシナムドハナノメナラズ。小将ノ
北方ハ猶ウツヽトモ覚ヘズ、臥沈テゾオワシケル。七月十三日、御使被
下ケレバ、平宰相ハアマリニウレシクテ、私ノ使ヲ差副テ、「夜ヲ日ニ
継テ下レ」トテゾ被遣ケル。其モ輙ク行ベキ舟路ナラネバ、波風アラ
クテ、船ノ中ニテ日送リケル程ニ、九月半バスギテゾ彼嶋ニハ渡付
タリケル。折シモ其日ハ日モウラヽカニテ、小将モ康頼モ礒ニ出テ、
Ｐ１４７７（二一オ）
遙々ト塩瀬ノ方ヲ詠レバ、漫々タル海上ニ、ナニトヤラム、ハタラク物アリ。
1
怪クテ、「ヤヽ入道殿、アノヲキニ眼ニ遮ル物ノ有ハナニヤラム」ト少将
宣ヘバ、康頼入道是ヲ見テ、「ニヲノウキスノ、波ニ漂フニコソ」ト申ケリ。
次第ニ近クナルヲミレバ、舟ノ躰ニ見ナシタリ。「是ハ端嶋ノ浦人共ガ、流
黄ホリニ時々渡ル事ノアレバ、サニコソ」ト思程ニ、礒近ク漕寄ル舟ノ内ニ
云通ハス詞共、サシモ恋シキ都人ノ音ニ聞ナシツ。少将被思ケルハ、「我
等ガ様ニ罪ヲカブ（ッ）テ、此嶋ヘ放ルヽ流人ナムドニコソ」ト思給テ、「トク漕
寄ヨカシ。都ノ事共尋ム」ト被思ケレドモ、マメヤカニ近付ケバ、見
苦サノ有様ヲ見エム事ノハヅカシクテ、礒ヲ立ノキテ、浜松ガ
ヘノ木本岩ノカゲニヤスラヒテ、ミエガクレニゾ待レケル。サル程ニ舟
1 「ノ」虫損。
Ｐ１４７８（二一ウ）
漕ツケテ、怱ギヲリテ、我等ガ方ヘ近付ク。俊寛僧都ハ余ニクタビレ
テ、只アシタユフべノ悲シサニノミ思沈ミテ、神明仏陀ノ御名モ唱
奉ラズ、アラマシノ熊野詣ヲモセズ、常ハ岩ノハザマ、苔ノ下ニノミウ
ヅモレ居ラレタリケルガ、イカニシテ只今ノ有様ヲ見給ケルヤラム、此
人共ノオワスル前ニ来レリ。六ハラノ使申ケルハ、「大政入道殿御教書、
并平宰相殿ノ私ノ御使相副ラレテ、都ヘ御帰有ルベキ由ノ御
文持テ下リテ候。丹波少将殿ハイヅクニ渡セ給候ヤラム。此御
教書ヲ進セ候バヤ」ト申ケレバ、是ヲ聞給ケム三人ノ人々ノ心中イ
1
カバカリナムケム。余ニ思事ナレバ、猶夢ヤラムトゾ思ワレケル。三人
一所ニナミ居ラレタリ。少将ノ許へハ、宰相サマ＜”ニ送リ給ヘリ。康頼ガ
1 「ナムケム」底本のまま。「ナリケム」の転か。
Ｐ１４７９（二二オ）
方へハ、妻ガ方ヨリ事ヅテアリ。俊寛僧都ガ許ヘハヒトクダリノ文モナ
カリケレバ、其時ゾ、「都ニ我ユカリノ者一人モ跡ヲ不留一メナリニケルヨ」ト、
心得ラレニケル。心ウクカナシキ事限リナシ。サテ俊寛奉書ヲ開テミ
給へバ、「為（二）中宮御産御祈一、依（レ）被（レ）行（二）非常大赦一、成経、康頼、可帰
参一」トハ有ケレドモ、俊寛ハ漏レニケリ。僧都是ヲ見テ、アキレ迷テ、ツヤ＜
物モオボヘズ。若僻ヨミカトテ、又見レドモ、「俊寛」ト云文字ハナシ。又ミ
レドモ、「二人」トコソハカヽレタレ、「三人」トハカヽレズ。夢ニコソカヽル事ハミユ
レ。夢カト思ナサムトスレバウツヽナリ。ウツヽト思ヘバ又夢ノ如シ。此
文ヲヒロゲツ巻ツ、千度百度ヲキツ取ツシテ、臥マロビテ、ヲ
メキ叫ビテ、悲ノ涙ヲゾ流シケル。「三人同ジ罪ニテ、一所ヘ放タレヌ。
Ｐ１４８０（二二ウ）
今赦免ノ時、二人ハユルサレテ、俊寛一人漏ベシトハ思ヌ物ヲヤ」トテ、
天ニ仰ギ地ニ臥テ、又ヲメキサケブ。此嶋エ流レシ時ノ歎ヲ今ノ思ニ
クラブレバ、事ノ数ナラザリケリ。被ルゝ留一メ事ヲ思ニ、イカニスベシト
モオボヘズ。泣々奉書ヲ取テ、「是ハ執筆ノ誤リナリ。サラデハ俊寛
ヲ此嶋ヘ流給ヘル事ヲ、平家ノ思食ワスレタルカ」トテ、又初ノ如クモダ
ヘコガレケルコソ無慙ナレ。二人ノ悦、一人ノ歎、悦モ歎モ事ノ究メト
ゾ見へシ。少将、判官入道ハ、塩風ノ沙汰ニモ不及一、今一時モトク滑
出ナムトテ、流黄津ト云所ヘ移ニケリ。僧都余ノ悲ニ船津マデ来テ、
二人ノ人ニスコシモ目ヲ放ズ、少将ノ袖ニ取付テモ涙ヲ流シ、判官入道ノ
袂ヲ引ヘテモ叫ビケリ。「年来日来ハ 各サテオワシツレバ、昔物語
1 「ノ」虫捐。
Ｐ１４８１（二三オ）
ヲモシテ、都ノ恋サヲモ、嶋ノ心ウサヲモ、申ナグサミテコソ有ツルニ、
打棄ラレ奉リテハ、一日片時モ堪忍ベキ心地モセズ。ユルサレナケレ
バ、ミヤコヘハ中々思モヨラズ。タヾ此ノ船ニ乗セテ出サセ給ヘ。底ノミク
ヅトモナリテ、マギレ失ナム。中々新ラ、高麗トカヤノ方へモ渡リ
行バ、思絶テモ有ベキニ、俊寛一人残留テ、嶋ノ巣守トナラム事
コソ悲ケレ」トテ、又ヲメキサケビケレバ、少将泣々宣ケルハ、「誠ニサコソ
被思食候ラメ。成経ガ上ルウレシサハサル事ナレドモ、御有様ヲ見
置奉ルニ、更ニ行べキ空モ覚ズ。御心ノ中、皆押ハカリテ候へドモ、
都ノ御使モ叶マジキ由ヲ申ス上、三人船津ヲ出ニケリト聞ヘム
事モアシカリヌべシ。ナニトシテモ、甲斐ナキ命コソ大切ノ事ニテ
Ｐ１４８２（二三ウ）
候へバ、且ハ成経ガ身上ニテモ思召知ラレ候へ。罷下候シ即ハ、トモカク
モシテ、命ヲ失バヤトコソ存ゼシカドモ、甲斐ナキ命ノ候へバコソ、
カヤウニウレシキ音信ヲモ得得候ヌレバ、此度留ラセ給テ候ト
1
モ、又自ラ召帰サレサセ給候御事モ、ナドカ候ハザルべキ。成経罷
上リ候ナバ、身ニツミテ思知進セテ候へバ、宰相ニモ且ハ吉様ニ申候
べシ。イカサマニモ御身ヲ投テモ由ナキ御事ナリ。只イカニモシテ
今一度都ノ音信ヲモ聞ムトコソ思食レ候ハメ。其程ハ日来オワセ
シヤウニ思テ待セ給へ」ト、且ハナグサメ且ハコシラエラレケレバ、僧都返
事ニ不及一、少将ニ目ヲ見合テ、「俊寛ヲバ捨置給ナムズルナ。タヾ俊
寛ヲモ具シテ上リ給へ。具シテ上リタル御トガメ有ラバ、又モ流サ
1 底本「給」の次に「テ」を書いて抹消する。
Ｐ１４８３（二四オ）
レ候ヘカシ」ナムド、サマ＜”ニクドカレケレドモ、「是程ニ罪深テ残シ留ラルヽ
程ノ人ヲ、ユルサレモナキニ具シ上リナバ、マサルトガニモコソアタレ」ト被思一
ケレバ、「誠ニサコソ思食ルラメ」ト計リニテ、少将ハ、「形見ニモ御覧ゼヨ」トテ、
夜ノ衾ヲヲカレケリ。判官入道ノワスレ形見ニハ、本尊持経ヲゾ
留ケル。「誠ニ花ノ春、サクラガリシテ、志賀ノ山ヲ越へ、吉野奥へ
尋入人モ、皆風ニサソワルヽ習アレバ、散ヌル後ハ木本ヲ惜テ、岩ノ枕ニ
夜ヲアカス事モナク、家路ヘ怱ギ、月ノ秋、明月ヲ尋テ、スマ明石エ
浦伝スル人モ、又山ノハニ傾クタメシアレバ、入ヌル後ヲシタヒテ、海人ノ
苫屋ニ宿リモヤラズ、スギコシアトヲ尋ケリ。恋路ニマヨフ人ダニモ、
1
我身ニマサル物ヤアル」ト互ニ云通シツヽ、少将モ入道モ怱グ心ヲ情ケナ
1 「ヲ」底本のまま。「ゾ」とあるべきか。
Ｐ１４８４（二四ウ）
キ。路行人ノ一村雨ノ木本、同流ヲ渡ル友ダニモ、過別ルヽナゴリハ
猶惜コソ覚ニ、マシテ僧都ノ心中、思遣レテ無慙也。サル程ニ順
1
風ヨカリケレバ、僧都ノモダヘコガレケルヒマニ、ヤワラ共縄ヲトキテ
漕出ムトスルニ、僧都思ニ絶ズシテ、御使ニ向テ手ヲスリ、「具テオワセ
ヨヤ、＜」トヲメカレケレバ、人ノ身ニ我身ヲバカヘヌ事ニテ、「力不及Ⅰ」ト、情
ナク答ヘケレバ、僧都余ノ悲サニ、船ノ舳ヘニ走リマワリ、乗テハヲリ、下テハ
乗リ、アラマシヲセラレケル有様、目モアテラレズゾ覚ケル。次第ニ船ヲ
押出セバ、僧都共縄ニ取付テ、タケノ立所マデハ引レテ行。ソコシモ
遠浅ニテ、一二丁計リ行タリケレドモ、ミチクル塩、立カヘリテ口ヘ入ケ
レバ、共綱ニワキ打懸テ、「サテ俊寛ヲバステ置給ヌルナ」トテ、又
1 「縄」底本のまま。以下「綱」とあるべきところを「縄」とあることが多い。
Ｐ１４８５（二五オ）
声モオシマズ呼給ケレドモ、少将モイカニスベシ
トモオボエズ、諸共ニゾ泣レケル。僧都猶ヲモ心ノ有ケルヤラム、トカクシテ波ニモ溺
レズ、イソニ帰リ上リテ、ナギサニヒレフシテ、少者ノ乳母ヤ母ニステラレテ、道ヲ
シタフ様ニ、浜ニ足ヲスリテ、「少将殿、判官入道殿ヤ」ト、ヲメキ叫ビケルハ、「父ヨ
Ｂ１２４１
母ヨ」ト呼ニ似タリケリ。ヲメキ叫ブ声ノ遥ニ波ヲ別テ聞ヘケレバ、誠ニサコソ思ラメ
ト、少将モ康頼モ、共ニ涙ヲ流シテ、ツヤ＜行空モナカリケリ。漕行船ノ跡ノ白波、
サコソ浦山敷オボサレケメ。未コギカクレヌ船ナレドモ、涙ニクレテコギヽヘヌトミヘ
ケレバ、岩ノ上ニ登リテ
袖振
船ヲ招キケルハ、松浦サヨヒメガ、唐船ヲシタヒツヽ、ヒレフリケル
ニコトナラズ。ヨシナキ少将ノ情ノ詞ヲ憑テ、其瀬ニ身ヲモ投ラレ
1 「袖振」は底本にある振り漢字。
Ｐ１４８６（二五ウ）
ザリケルコソ、責ノ罪ノ報トハ見シカ。日スデニ暮ニケレドモ、アヤシノ
臥床ヘモ立帰ベキ空モ覚ヘズ、又渚ニ倒レ臥テ、奥ノ方ヲマボラ
ヘツヽ、露ニシホヌレ波ニ足打アラハセテ、頭ヲタヽキ胸ヲ打テ、血ノ
涙ヲ流テ、終夜泣アカサレケレバ、袖ハ涙ニシホレ、スソハ波ニゾヌレニ
ケル。「少将、情モ深ク物ノ哀ヲモ知タル人ナレバ、『カヽル無慙ナル事コソ
アリシカ』ナムド申サレバ、若クツログ事モヤ」トタノミヲカケテ、眇々
タル礒ヲ廻テ命ヲ助、漫々タル海ヲ守テ心ヲナグサメテ、アカシクラシ
給ケレバ、昔、早離、即離ガ南海ノ絶嶋ニ放レタリケムモ、是ニハス
ギジトゾ覚シ。其ハ兄弟二人アリケレバ、ナグサム方モ有ケム。此ノ
僧都ノ悲ミハ、ワキマヘ遣ルベキ方モナシ。少将ハ九月半スギテ嶋ヲ
Ｐ１４８７（二六オ）
漕出テ、風ヲシノギ波ヲワケ、浦伝嶋伝シテ、廿三日ト云ニハ九国ノ
地ヘ付ニケリ。ヤガテ都ヘ上ラムト怱ガレケレドモ、冬ニモナリニケレバ、船ノ
行カフ事モナカリケル上、平宰相ノ許ヨリ重テ使下テ申ケルハ、「去
年ヨリ彼嶋ニオワシテ、定テ身モツカレ損ジ、病モ付給ヌラム。寒キ
空ニ遥々ト上リ給ハヾ、上リモ付給ハデ、道ニテアヤマチモ出キナムズ。肥
前国加世庄ト云所ハ、味木庄トモ名タリ。彼所ハ、教盛ガ所領也。此
冬ハ彼庄ニオハシテ、御身ヲモ労リテ、明春、風和ニナ（ッ）テ、ノドカニ
上リ給ヘ」ト云遣シタリケレバ、其冬ハ彼庄ニテ湯アミナムドシテ、便ノ
風ヲゾ待レケル。サルホドニ、年モスデニ暮ニケリ。
六 〔山門ノ学生ト堂衆ト合戦事 〈付山門滅亡事〉〕
八月六日、学生、義竟四郎ヲ大将軍トシテ、堂衆ガ坊舎十
Ｐ１４８８（二六ウ）
三宇切払テ、ソコバクノ資財、雑物ヲ追捕シテ、学生、大納言ガ岡ニ
城廓ヲ構テ立籠ル。八日、堂衆登山シテ東陽坊ニ城廓ヲ
構テ、大納言ノ岡ノ城ニ立籠所ノ学生ト合戦ス。堂衆八人シコロ
ヲ傾テ、城ノ木戸口ヘ責寄タリケルヲ、学生、義竟四郎ヲ
初トシテ、六人打出テ、一時計打戦ケル程ニ、八人ノ堂衆引退ケル
ヲ、義竟四郎打シカリテ、長追ヲシケル程ニ、返シ合セテ又打組
所ニ、義竟四郎、擲刀ノ柄ヲ蛭巻ノ許ヨリ打ヲラレニケリ。腰刀ヲ
抜テハネテカヽリケルガ、イカヾシタリケム、頸ヲ打落レヌ。大将軍ト
憑タル四郎打レニケル上ハ、学生ヤガテ落ニケリ。十日、堂衆、東
陽坊ヲ引テ、近江国三ヶ庄ニ下向シテ、国中ノ悪党ヲ語ヒ、数
Ｐ１４８９（二七オ）
多ノ勢ヲ引卒シテ、学生ヲ滅ムトス。堂衆ニ被語Ⅰル所ノ悪党ト申ハ、
古盗人・古強盗・山賊・海賊等也。年来貯持タル米穀布絹ノ類ヲ
施シ与ヘケレバ、当国ニモ限ラズ、他国ヨリモ聞伝テ、摂津・河内・大和・山城ノ
武勇ノ輩、雲霞ノ如ニ集リケリト聞シホドニ、九月廿日、堂衆、数多ノ勢ヲ
サウイザカ
相具シテ登山シテ、早尾坂ニ城廓ヲ構テ立籠ル。学生、不日ニ押寄タ
リケレドモ、散々ト打落サレヌ。安カラヌ事ニ思テ、アカリヲカリケレドモ、
甲斐ナシ。大衆、公家ニ奏聞シ、武家ニ触訴ケルハ、「堂衆等、師主ノ命ヲ
背テ悪行ヲ企ル間、衆徒誡ヲ加ル処ニ、諸国ノ悪徒ヲ相語テ、山門ニ発
向シテ、合戦既ニ度々ニ及。学侶多ク討レテ仏法忽ニ失ナムトス。早ク
官兵ヲ被テ差副Ⅰ、追討セラルベシ」ト申ケレバ、院ヨリ大政入道ニ被
Ｐ１４９０（二七ウ）
仰Ⅰ。入道ノ家人、紀伊国住人湯浅権守宗重ヲ大将軍トシテ、
大衆三千人、官兵二千余騎、都合五千余騎ノ軍兵ヲ差
カリ
遣ハス。筑紫人、并和泉・紀伊国・伊賀・伊勢・摂津・河内ノ駈武
者也。可然Ⅰ者ハ無カリケリ。十月四日、学生、官兵ヲ賜テ、早尾
坂ノ城ヘ寄ス。今度ハサリトモト思ケルニ、衆徒ハ官兵ヲスヽメムトス。官
兵ハ衆徒ヲ先立ムト思ケリ。如ノ此Ⅰ間、心々ニシテ、ハカ＜“シク責寄ル者モ
ナシ。堂衆ハ執心深ク面モフラズ戦ヒケル上ニ、語所ノ悪党等、欲心
熾盛ニシテ死生不知ナル奴原ノ、各我一人ト戦ケレバ、官兵モ学生モ
散々ニ打落レテ、戦場ニテ死者二千余人、手負ハ数ヲ不知Ⅰトゾ
聞ヘシ。五日、学生一人モ残ラズ下洛シテ、アシココヽニ寄宿シツヽ、
Ｐ１４９１（二八オ）
イキツギ居タリ。カヽリケル間、山上ニハ谷々ノ講演モ悉ク断絶シ、
堂々ノ行法モ皆退転シヌ。修学ノ窓ヲ閉テ、坐禅ノ床モ空クセリ。
義竟四郎、神人一庄ヲ押留シテ知行ストモ、強ニ何計ノ所得カ有ラム
ズルニ、敦賀ノ中山ニテ恥ヲ見ノミニアラズ、取替ナキ命ヲ失ヒ、山門ノ
滅亡、朝家ノ御大事ニ及ヌル事コソ浅猿ケレ。人ハ能々思慮有
ベキ物哉トゾ覚ル。貪欲ハ必ズ身ヲハムトイヘリ。深ク慎ムベシ。十一月
五日、学生、上座寛賢、威儀師斉明等ヲ大将軍トシテ、堂衆ガ
立籠所ノ早尾坂ノ城ヘ押寄テ責戦フ。シカレドモ学生夜ニ入テ、被テ
追返Ⅰ、四方ニ逃失ヌ。学生ノ方ニ討ルヽ者百余人、浅増カリシ事
共也。其ノ後ハ、山門弥荒ハテヽ、西塔ノ禅衆ノ外ハ止住ノ僧侶希也
Ｐ１４９２（二八ウ）
ケリ。当山草創ヨリ以来、未如ノ此Ⅰ事ナシ。世ノ末ハ、悪ハ強ク善ハ
弱クナレバ、行人ハ強テ、智者ノ謀モ賢カリシハ、皆チリ＜“ニ行別テ、
人ナキ山ニナリニケリ。中堂衆、皆失ニケリ。三百余歳ノ法燈、挑
グル人モナシ。六時不断ノ香煙モ絶ヤシヌラム。堂舎高ク聳ヘテ、
タルキ
三重ノ構ヲ青渓ノ雲ニサシハサミ、棟梁遥ニ秀テ、四面ノ棰ヲ
ハクロ
白露ノ間ニ懸タリキ。サレドモ今ハ供-仏ヲ嶺ノ嵐ニ任セ、金容ヲ
レキ
空キ瀝ニウルヲス。夜ノ月、燈ヲカヽゲテ軒ノ間ヨリ漏リ、暁ノ露、
ソ
玉ヲツラヌイテ蓮座ノ粧ヲ添フ。哀哉、学徒、昔ハ住Ⅱ伊王慈悲之
ヨウ ジユゲフ ヲボ
室Ⅰニ、雖r営Ⅱト修学Ⅰヲ、今ハ居Ⅱテ庸夫蒭蕘之宅Ⅰニ、偏ニ溺Ⅱル愁
タエ アラクサキコリ
涙Ⅰニ。衰邁ノ師-範ハ者、不rシテ耐Ⅱ鳩-杖Ⅰニ而臨rミ疲ニ、幼-稚之垂
Ｐ１４９３（二九オ）
髪ハ者、不rシテ翫Ⅱバ螢雪Ⅰヲ而迷フ闇Ⅰニ。現世之仏-法、既ニ滅ス。将来ノ-
エミヤウ
恵命、何カヾ継ガム。カヽリケレバ、詣Ⅱ仏前Ⅰニ僧侶モナシ。拝Ⅱル社壇Ⅰニ社司
モナシ。夫、末代ノ俗ニ至テハ、三国ノ仏法モ次第ニ以テ衰微セリ。遠ク訪Ⅱ
天竺之仏跡Ⅰヲ者、昔シ仏ノ法説給ケル、鷲ノ御山モ、竹林精舎モ、
給孤独園モ、中古ヨリハ虎狼野干ノ栖トナリハテヌ。祇園精舎ノ
イシズエ ロ
四十九院、名ヲノミ残テ礎アリ。白路池ニハ水絶テ、草ノミ深ク生シ
ゲリ、退凡下乗ノ卒都婆ノ銘モ、霧ニ朽テ傾キヌ。振旦ノ仏法モ
同ク滅ニキ。天台山、五台山、双林寺、玉泉寺モ、此比ハ住侶ナキ
サマニ成ハテヽ、大小乗ノ法文ハ箱ノ底ニゾ朽ニケル。吾朝ノ仏法モ又
同ジ。南都ノ七大寺モ皆アレハテヽ、八宗九宗モ跡絶ヌ。瑜伽唯識ノ両
Ｐ１４９４（二九ウ）
部ノ外ハ残レル法文モナク、東大・興福両寺ノ外ハ、残レル今ハ堂舎モナ
アタゴ
シ。愛宕護・高雄ノ山モ昔ハ堂舎軒ヲキシリタリシカドモ、一夜ノ
中ニ荒ニシカバ、今ハ天狗ノ棲トナリタリ。昔、玄弉三蔵、貞元三年
之比、仏法ヲ弘メムトシテ、流沙葱嶺ヲ凌テ仏生国ヘ渡給シニ、
シヨ
春秋寒暑一十七年、耳目見聞一百三十八ヶ国、或ハ三百六
十余ノ国々ヲ見巡リ給シニ、大乗流布ノ国、僅ニ十五ヶ国ゾ有ケ
ル。サシモ広キ月氏ノ境ニダニモ、仏法流布ノ所ハ有ガタカリケルゾカシ。
其モ今ハ虎狼ノフシドヽ成ハテヌ。サレバヤラム、無止事一ツル天台ノ仏
法モ、治承ノ今ニ当テ滅ハテヌルニヤト、心有キワノ人、悲マズト云事
ナシ。離山シケル僧ノ、中堂ノ柱ニ書付ケルトカヤ。
Ｐ１４９５（三〇オ）
祈リコシ我立ソマノ引カヘテ人ナキ峯トナリヤハテナム
伝教大師当山草創ノ昔、「阿耨タラ三藐三菩提ノ仏達」ト
祈申サセ給ケル事ヲ思出シ、読タリケルニヤト、イト艶クコソ聞ヘ
ウルハシ
シカ。宮ノ御弟子、法性寺殿ノ御子、天台座主慈円大僧正、其
時法印ニテオワシケルガ、人シレズ此事ヲ悲テ、雪ノ降タリケル朝、尊円
阿闍梨ガ許エ遣ハサレケル。
イトヾシク昔ノ跡ヤ絶ナムト思モ悲シケサノ白雪
尊円阿闍梨ガ返事、
君ガ名ゾナヲアラハレムフル雪ノ昔ノ跡ハ絶ハテヌトモ
堂衆ト申ハ、学生ノ所従ニテ、足駄・尻切ナムドヽル童部ノ法師ニ成タル、
Ｐ１４９６（三〇ウ）
中間法師共也。借上・出挙シツヽ、切物・寄物沙汰シテ得付、ケサ衣キ
ヨゲニ成テ、行人トテ、ハテニハ公号ヲ付テ、学生ヲモ物トモセズ、大湯
屋ニモ、申時ハ堂衆トコソ被定タリケルニ、午時ヨリ下テ、学生ノ
後ニ居テ、指ヲサシテ咲ヒケレバ、「カクヤハ有ベキ」トテ、学生共是ヲ
トガメケレバ、堂衆、「我等ガナカラム山ハ山ニテモ有マジ。学生トテ、トモス
レバ聞モ不知Ⅰ、論議ト云ハナムゾ、穴ヲカシ」ナムドゾ云ケル。近比、金剛寿
院ノ座主、覚尋権僧正治山ノ時ヨリ、三塔ニ結番シテ、夏衆ト
テ、仏ニ花ヲ献リシ輩也。
〔七〕 〔信乃善光寺炎上事 〈付彼如来事〉〕
又、去三月廿四日、信乃善光寺炎上ノ由、其聞ヘアリ。此如来ト申ハ、
ソ
昔シ中天竺毘舎離国ニ五種ノ悪病発テ、人庶多ク亡ゼシニ、
Ｐ１４９７（三一オ）
月蓋長者ガ祈請ニヨリテ、龍宮城ヨリ閻浮檀金ヲ得テ、釈尊・
ウツ
阿難長者心ヲ一ニシテ模シ顕シ給ヘリシ、一〓手半ノ弥陀ノ三尊、閻
浮第一ノ霊像也。仏滅度ノ後、天竺ニ留リマシマス事五百歳、仏
法東漸ノ理ニテ百済国ヘ渡リマシ＜テ、一千歳ノ後、欽明天皇ノ御
ミヅウノ
宇ニ本朝ニ渡マシ＜キ。其後、推古天皇ノ御宇ニ及テ、信乃国水内
郡、稚麻続真人本太善光、是ヲ安置シ奉テヨリ以＿降、五百
八十余歳、炎上ノ例、是ゾ初ト聞へシ。王法傾ムトキハ仏法先滅ト云
ヘリ。サレバニヤ、カヤウニサシモ止事ナキ霊寺霊山ノ多ク滅ビヌ
ルハ、王法ノ末ニ臨メル瑞相ニヤトゾ歎アヘル。
〔八〕 〔中宮御産有事 〈付諸僧加持事〉〕
十一月十二日、寅時計ヨリ、中宮御産ノ気渡ラセオワシマストテ、
Ｐ１４９８（三一ウ）
天下罵ルメル。去月廿七八日ノ比ヨリ、時々其ノ気渡セオワシマシケレ
ドモ、取立タル御事ハ無リケルホドニ、此暁ヨリハ隙ナク取シキラセ
給ヘリ。平家ノ一門ハ申ニ不及Ⅰ、関白殿ヲ始奉テ、公卿・殿上人馳
参ラル。法皇ハ西面ノ小門ヨリ御幸ナル。御験者ニハ房覚・昌雲
両僧正、俊尭法印、豪禅・実全両僧都、此上、法皇モ祈申
サセ給ケルニヤ。内大臣ハ善悪ニ付テイトサワガヌ人ニテ、少シ日タケ
テ、公達アマタ引具テ、参リ給ヘリ。トヾロカニゾ見ヘ給ケル。権
亮少将惟盛・左少将清経・越前少将資盛ナムド遣リツヾケ
カイ
サセテ、御馬十二疋、御剣七腰、御衣十二両広蓋ニ入レテ相具テ
参リ給ヘリ。キラ＜シクゾミヘ給ケル。女院、后宮ノ御祈ニ、時ニ臨テ
Ｐ１４９９（三二オ）
大赦被行Ⅰ事、先例也。且ハ大治二年九月十一日、待賢門院ノ御産
〈法皇御誕生時ナリ〉、大赦被行Ⅰキ。其例トテ、重科ノ者十三人寛宥セラルヽ。内裏
ヨリハ御使隙ナシ。右中将通親朝臣・左中将泰通朝臣・左少
将隆房朝臣・右衛門権佐経仲朝臣・蔵人所衆滝口等、二三度
ヅヽ馳参給フ。承暦元年ニハ寮ノ御馬ヲ給テ是ニ乗ル。今度ハ其
儀ナシ。殿上人各車ニテ参ル。所衆ナムドゾ騎馬ニテハアリケル。八幡・
カウケイ
賀茂・日吉・春日・北野・平野・大原野ナムドヘ行啓有ベキ由、御願ヲ
被立Ⅰ。啓白ハ五壇法ノ降三世壇ノ大阿闍梨、全玄法印トゾ聞ヘシ。
ニシノ
又神社ニハ石清水・賀茂ヲ始奉テ、北野・平野・稲荷・祇園・今西ノ
宮・東光寺ニ至マデ四十一ヶ所、仏寺ニハ東大寺・興福寺・延暦・
Ｐ１５００（三二ウ）
薗城・広隆・円宗寺ニ至マデ七十四ヶ所ノ御読経有。神馬ヲ被
引事、大神宮・石清水ヲ初奉テ、厳嶋ニ至マデ、廿三社也。内大
臣ノ御馬ヲ被進Ⅰ事ハ然ベシ。后宮ノ御セウトニテオワシマス
上、父子ノ御契ナレバ。且ハ寛弘ニ上東門院御産ノ時、御堂ノ関
白神馬ヲ奉ラル。其例ニ相ヒ応ヘリ。又、五条大納言邦綱卿、神
馬ヲ二疋進ラル。「不可然Ⅰ」ト、人々傾キアヘリ。「志ノ至カ、徳ノ余リ歟」トゾ
申ケル。仁和寺守覚法親王ハ孔雀経ノ御修法、山ノ座主覚
快法親王ハ七仏薬師ノ法、寺ノ長吏円恵法親王ハ金剛童子
Ｂ１２４９
法、此ノ外、五大虚空蔵・六観音・一字金輪・五檀法、六字河
臨・八字文殊・普賢延命・大熾盛光ニ至マデ、残ル所モ無リキ。
Ｐ１５０１（三三オ）
仏師ノ法印被召Ⅰテ、御等身ノ七仏薬師、并ニ五大尊ノ像ヲ造
初ラル。御読経ノ御剣御衣、諸寺諸社ヘ献ラセ給。御使、宮ノ侍ノ
中ニ有官ノ輩、是ヲ勤ム。ヒヤウ文ノ狩衣ニ帯-剣シタル者共ノ、
東ノ対ヨリ南庭ニ渡リテ、西ノ中門ヲ持ツヾキテ出。ユヽシキ見物ニテゾ
有ケル。相国二位殿ハツヤ＜物モ覚給ハズ。余ノ事ニヤ、物申ケレ
バ、「トモカクモ」トテ、アキレテゾオワシケル。「サリトモ軍ノ陣ナラバ、カクシ
モハ臆セジ物ヲ」トゾ、後ニハ入道宣ケル。新大納言・西光法師体ノ
御物気、サマ＜“ニ申旨共有テ、御産トミニナリヤラズ。遥ニ時剋移リ
ギヤ
ケレバ、御験者達面々各々ニ僧伽ノ句共ヲ上テ、本寺本山ノ三宝、
年来所持ノ本尊、責伏奉ル。各黒煙ヲ立テ声々ニモミ伏ラルヽ
Ｐ１５０２（三三ウ）
気色、心ノ内共オシハカラレテ、「何モ＜誠ニサコソハ」ト覚テ貴キ中ニ、法皇ノ
御声ノ出タリケルコソ、今一キハ事代リテ、皆人身毛竪テ涙ヲ流
バク
ケル。躍リ狂フヨリマシノ縛共モ、少シ打シメリタリ。其時、法皇御
帳近ク居ヨラセオワシマシテ、仰ノ有ケルハ、「何ナル悪霊ナリトモ、此ノ
老法師カクテ候ワムニハ、争カ近付奉ベキ。何況ヤ、顕ルヽ所ノ怨霊
共、皆丸ガ朝恩ニヨリテ、人トナリシ輩ニハ非ズヤ。縦ヒ報謝ノ心ヲコソ
存ゼザラメ、豈ニ障碍ヲ成ムヤ。其事不可然Ⅰ。速ニ罷リ退キ候ヘ」トテ、
シヤウ
「女人臨Ⅱテ難rラン生レ産ノ時Ⅰニ、邪魔遮障苦難ｒラン忍、至ｒ心称Ⅱ誦大悲呪Ⅰ、
鬼神退散安楽生」トテ、御念珠ヲサラ＜トオシモマセオワシマシ
ケレバ、御産ヤス＜トナリニケリ。頭ノ中将重衡朝臣ハ、中宮亮ニテ
Ｐ１５０３（三四オ）
オワシケルガ、御簾中ヨリツト出テ、「御産平安、王子御誕生」ト、高カニ
被申タリケレバ、入道・二位殿ハ余ノウレシサニ、声ヲ上テ手ヲ合テゾ
泣レケル。中＜イマ＜シクゾ覚シ。関白殿下・太政大臣・左大臣以下、公
卿・殿上人、諸ノ御修法ノ大阿ザリ、助修、数輩ノ御験者、陰陽ノ頭、
典薬ノ頭ヨリ始テ、道々ノ者共、堂上堂下ノ人々、一同ニアト悦ケル
声、ドヨミニテゾ有ケル。シバシハシヅマリヤラザリケリ。内大臣ハ、「以天Ⅰ為
父Ⅰト、以地Ⅰ為母Ⅰヨ」ト祝ヒ奉リテ、金銭九十九文御枕ニオキテ、ヤガテ、ヲトヾ、
御ホゾノヲヽ切奉リ給フ。故建春門院ノ御妹、アノ御方イダキ
奉ラセ給。左衛門督時忠卿ノ北方、洞－院殿、御乳母付進セ
給ニケリ。囲碁手ノ銭被出タリ。弁靭負佐ガカケ物ニテ是ヲ
Ｐ１５０４（三四ウ）
ウツ。是又例有ル事ニヤ。法皇ハ新熊野御参詣可有ニテ怱ギ
出サセ給テ、御車ヲ門外ニ立ラル。女御・后ノ御産ハ常ノ事ナレドモ、
太上法皇ノ御験者ハ希代ノ例歟。前代モ不聞Ⅰ、後代ニモ有ガタ
カルベシ。是ハ当帝ノ后ニテ渡ラセ給ヘバ、法皇ノ御志モ浅カラヌ上ニ、
猶シ太政入道ヲ重ク被思食Ⅰ故也。「但此事軽々シキニ似タリ。不可
然Ⅰ」ト申人々モ有キ。「凡ハ軽々シキ御振舞ヲバ、故女院ウケヌ御
事ニ申サセオワシマシケレバ、法皇モ憚リ思食ケリ。今モ女院ダ
ニモ渡セ給ハマシカバ、申止メ進セ給ナマシ」ト、事ノマギレニ、古キ女房
達サヽヤキアヒ給ヘリ。其上、沙金一千両・富士綿千両ヲ御験者ノ
禄ニ、法皇ニ進セラレタリケルコソ、弥ヨ奇異ノ珍事ニテアリケレ。
Ｐ１５０５（三五オ）
此送文ヲ法皇御覧ジテ、「入道、験者シテモスギツベキヨナ」トゾ被
仰ケル。陰陽頭泰親以下、多ク参集ラレタリケレバ、御占サマ＜“
有ケルニ、或ハ 「亥子時」ナムド占申モアリ、或ハ「王女」ト申モ有リケルニ、
泰親朝臣計ゾ、「御産只今也。皇子ニテ渡セ給ベシ」ト占申タリ
ケル。其詞未ヲワラザルニ御産ナリニケリ。サスノミコト申ケルモ理リナリ。
今度ノ御産ニサマ＜“ノ事共有ケル中ニ、目出カリケル事ハ、太上法
皇ノ御加持、有ガタカリケル御事也。昔シ染殿ノ后ト申シハ、清和ノ
国母ニテ、一天下ヲナビカシ給ヘリシ程ニ、紺青鬼ト云御物ノケニ被取籠Ⅰテ、
世中ノ人ニモサガナクイワレサセ給事侍ケリ。智証大師ノ御時ニテ
オワシマシケレバ、様々ニ加持セラレケレドモ、不叶Ⅰシテヤミ給ニケルニ、今ノ
Ｐ１５０６（三五ウ）
法皇ノ御験者ニ御物ノ気ノ譏嫌ノ事、返々目出クゾ覚ヘシ。又三
条院ノ、宇治殿頼通ヲ御聟ニ取ムトセサセオワシマシケルニ、御
病付テ大事ニナリ給テ、験者ニハ心誉僧都・明尊阿闍梨、陰
陽師ニハ賀茂ノ光栄・安部ノ古平ナムドヲメシテ、音ヲアゲテ
罵シリケレドモ、只ヨハリニヨハラセマシ＜テ、引入ラセ給ケルヲ、御堂関
白道長公ノオワシマシテ、「日本国ニ法花経ノ是程ニヒロマラセ給フハ
我力也。コノタビ我子ノ命生サセ給ヘ」トテ、ナミダヲ流テ寿量品ヲ一
枚計リ読給ケレバ、御シウトノ具平親王、物ノケニアラワレ給テ、「子ノ
悲シサハ誰モ同ジ事ニテコソアレ。我子ニ物ヲ思ワセムコトノ悲シケレバ、
付奉タレドモ、法花経ニカタサリ奉テ帰リ侍ヌ」ト宣テ、御病止ニケリ。
Ｐ１５０７（三六オ）
カヽル事ヲ思ニハ、法皇ニ御物気ノ恐奉リケルモコトハリ也。又思ワズナリ
ケル事ハ、太政入道ノアキレテ物モ知給ハザリケル事。優ニヤサシ
カリケル事ハ、小松ノ大臣ノ御振舞。本意ナカリケル事ハ、右大
将ノ籠居。出仕シ給ハマシカバ、イカニ目出カラマシ。アヤシカリツル事ハ、
コシキ
甑形ヲ姫宮ノ御誕生ノトキノ様ニ、北ノ御壺ノ中ヘマロバカシテ、又
トリアゲテ、南ヘ落シタリツル事。ヲカシカリケル事ハ、前ノ陰陽
ハレ ミハラヒ ラウ
頭安倍時晴ガ千度ノ御祓勤メケルガ、或所ノ面道ニテ
冠ヲツキヲトシテ有ケルガ、余リニアハテヽ、其ヲモシラデ、束帯タヾ
シクシタル者ガ放本鳥ニテ、サバカリ正シキ御前ヘネリ出タリケル
ケシキ。カバカリノ大事ノ中ニ、公卿、殿上人、北面ノ輩、見物ノ諸
Ｐ１５０８（三六ウ）
衆、皆悉ク腹ヲ切給ヘリ。タヘズシテ閑所ヘ逃入ル人モアリケリ。
〔九〕 〔御産之時参ル人数事 付不参人数事〕